撤退戦でも勝利をめざす話【鑑賞「ダンケルク」】

撤退戦でもエンターテイメントになる、と踏んだところが慧眼でした。

【イントロダクション】
『ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』と、新作ごとに圧倒的な映像表現と斬新な世界観で、観る者を驚愕させてきた天才クリストファー・ノーラン監督。彼が、初めて実話に挑んだ本作は、これまでの戦争映画の常識を覆す、まったく新たな究極の映像体験を突きつける。
史実をもとに描かれるのは、相手を打ち負かす「戦い」ではなく、生き残りをかけた「撤退」。絶体絶命の地ダンケルクから生きて帰れるか、というシンプルで普遍的なストーリーを、まるで自分が映画の中の戦場に立っているような緊迫感と臨場感で、体感させる。開始早々からエンドロールまで、映像と音響がカラダを丸ごと包み込み、我々観客を超絶体験へといざなう。
そして上映開始とともに動き出す時計の針のカウントダウン。陸海空それぞれ異なる時間軸の出来事が、一つの物語として同時進行。目くるめくスピードで3視点が切り替わる。これぞノーランの真骨頂!99分間ずっと360度神経を研ぎ澄まさないと生き残れない、一瞬先が読めない緊張状態が続くタイムサスペンス。

【ストーリー】
フランス北端ダンケルクに追い詰められた英仏連合軍40万人の兵士。背後は海。陸・空からは敵――そんな逃げ場なしの状況でも、生き抜くことを諦めないトミーとその仲間ら、若き兵士たち。
一方、母国イギリスでは海を隔てた対岸の仲間を助けようと、民間船までもが動員された救出作戦が動き出そうとしていた。民間の船長は息子らと共に危険を顧みずダンケルクへと向かう。
英空軍のパイロットも、数において形勢不利ながら出撃。命をかけた史上最大の救出作戦が始まった。果たしてトミーと仲間たちは生き抜けるのか。勇気ある人々の作戦の行方は!?

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このあと独軍に勝利するとわかってても今作は爽快感のある話ではありません。最後にトミーが新聞に掲載されたチャーチル英首相の演説を読みあげる場面があるのだけど、そこでようやく奮い立たされる。今作は戦いを中心とした戦争ものというより危機的な状況からの脱出もの、の映画なのでしょう。昔ありましたね、高層ビル火災を描いた「タワーリング・インフェルノ」とか。だからこそ敵側である独軍の姿ははっきりと描かれない。空中戦で登場する飛行機程度。

冒頭の簡単なテロップで状況を説明した後は細かいリズムを繰り返し刻む劇伴音楽で緊迫感を常にあおっていたのも、舞台であるダンケルクの海岸に独軍が迫っている描写を省く効果があったと解釈しました。独軍兵が姿を見せるのも本当に最後の最後だったし。

生き残るだけで勝利なのです。

と考えると、今作が防波堤、海、空という3つの話を同時進行させるのは、過去のパニック映画であった複数のエピソードを並行して描くパターンをなぞっている、といえる。ただ今作は、防波堤の1週間、海の1日、空の1時間という時間軸が全く違う3つの話をクライマックスで合わせるという構成がキモでした。

でもまぁ思い出してみると、各エピソードの冒頭に「1週間」「1日」「1時間」とテロップは出ていたけれど、時間軸の違いにそんなに違和感がなかったというか気にならなかったというか。むしろ「1週間」「1日」「1時間」というテロップの意味がわかりにくいというか。見終わった時に「3つのエピソードの時間軸って全然違うよね?」と言われる前に先手を打ったというか。3つのエピソードをそれだけうまく編集できていたわけで、玄人はうなるかもしれんが素人は気づかない編集かもしれませんねー。

印象に残ったのは「防波堤」のトミー。普通に順番を待っていたら脱出できるのは最後になってしまうとばかりにあの手この手で早く逃げ出そうとして、その度に失敗する様が辛い。海岸で独軍機から爆撃を受け画面奥から手前へ向けて爆発が続く場面、病院船が魚雷を受け沈没する場面など、ビジュアル的には見ごたえのある場面が多かった。内容的には辛いけど。

で、その辛さを少しでも解消するのが「空」の話。最後の敵機を落とすクライマックスはちょっと出来すぎとは思うけど、ドラマ的にはそんな爽快感が必要なんですよね。その後は辛い結末だけど。

「海」の話は不幸な形で犠牲を出してしまったのが「防波堤」とは別の辛さを感じさせる。戦場の辛さを想像できるが故に罪を咎められない民間人の辛さ。軍人には従わなければならない弱い民間人、とは違うのがまたやりきれない。美談にする(おそらく船内で実際に起こったことは描かれない)ことで救われるのが印象に残りました。

…こう振り返ると、どのエピソードも結局辛い。帰り着いたトミーたちが街で大歓迎されることでようやく爽快感が湧いたかな。こんな「負け戦」でも次を見据えてまずは無事を喜ぶ様子に、撤退を転進と言い換え続けた某国を思い出しそりゃ戦争に負けるわなと考えたわけです。今作で描かれた撤退戦、英国は「ダイナモ作戦」と呼称までしていたそう。現実を見据えその中で最善を尽くすのって大事なことです。苦いけどね。

戦う女性は美しい話【鑑賞「ワンダーウーマン」】

女性が主役のスーパーヒーロー映画として十分楽しめる一本でした。

【イントロダクション】
1941年、DCコミックスに初登場した、一人の女性ヒーロー、ワンダーウーマン。アメコミ史上初となる女性キャラクターであり、その後75年以上も不動の人気を誇る彼女のストーリーが超・待望の実写化。昨年公開の「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」では2大ヒーローを圧倒するパワーを披露したワンダーウーマン。今作では最強&華麗なアクションに加えて、女性だけの島で育った彼女が外の世界を一切知らず、男性を見たことすらない、天然の魅力も発揮し、その圧倒的美貌、強さとのギャップで観る者を魅了する!

【ストーリー】
ワンダーウーマンことダイアナが生まれたのは女性だけが暮らすパラダイス島。彼女は島のプリンセスだった。ある日、不時着したアメリカ人パイロットを助けたことから外の世界で戦争が起きていることを知る。彼女は自身の力で「世界を救いたい」と強く願い、二度と戻れないと知りながら故郷をあとにする。そんな彼女は初めての世界で何を見て、何のために戦い、そしてなぜ美女戦士へとなったのか?

公式サイトより)

DCコミックスのキャラクターってほんと、スーパーマンとバットマンくらいしか知らない。ワンダーウーマンは名前と外観を知っていた程度で、「バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生」に突然登場した時も気づくのに一瞬時間がかかってしまった。なので単独作となる今作は楽しみでした。予告編で印象的に流れるエレキギターのフレーズも格好良い。

ガル・ガドットのキャスティングが完璧すぎでした

今作の肝はやはりキャスティング。美しさと強さだけでなく純粋さ(ロンドンの百貨店の場面は白眉)を主役のガル・ガドットが非常に高いレベルで兼ね備えているのが素晴らしい。一方で悪役側の博士役、出番は少ないけれどコメディリリーフとして印象的な秘書役にも女性が配置されるのも新鮮でした。主要なポジションをさりげなく女性が占めているのが特徴でしょうか(ちなみに監督も女性)。第1次大戦のヨーロッパが舞台なので全般的に画面が暗めなのも大人な雰囲気を出していました。

いっぽうでクライマックスのバトルが「バットマンvsスーパーマン」と似ていたのが残念なところ。夜、だだっ広いところで敵に猛スピードで突撃したり光線合戦になったりと、すでに予告編が見られる「ジャスティス・リーグ」ともそっくりなのが気にかかる。

日本版のウェブサイトが原色を多用したポップすぎるデザインで、作品の雰囲気と全くあっていないのも解せない。日本版予告編も途中に差し込まれるテロップがポップすぎ(なのでリンクは米国版にしました)。「バットマンvsスーパーマン」は黒を基調にしたデザインで作品の雰囲気を壊していなかったのに。ワンダーウーマンのデザイン自体、原色や星のマークを使った初期のものから変わったんですよね。そこに追いついていないんじゃないかなー。

スーパーマンもバットマンも、そして予告編を見る限り「ジャスティス・リーグ」から登場するアクアマンもサイボーグもフラッシュも、DCEUに登場する男性キャラクターはクセが強すぎな感がある。その中でワンダーウーマンはヒーロー映画に不可欠な正義感を絶妙なバランスで体現できる存在になりそう。スーパーマンがヒーローの基本形なように、ワンダーウーマンも女性ヒーローの基本形。「ジャスティス・リーグ」にも期待です。

ヒーローは隣にいる話【鑑賞「スパイダーマン:ホームカミング」】

これまでの作品と比べもっともこぢんまりした話なのですが、なかなか楽しめたのです。

【イントロダクション】
「スパイダーマン:ホームカミング」の主人公は、スパイダーマンこと15歳の高校生ピーター・パーカー。ピーターが憧れのアイアンマンに導かれ真のヒーローになるまでの葛藤と成長を描きつつ、一人の高校生としての青春、恋愛、友情が瑞々しく描かれている。圧倒的スケールのアクションとドラマが展開する、この夏最高のヒーローアクション超大作!
【ストーリー】
ベルリンでのアベンジャーズの戦いに参加し、キャプテン・アメリカからシールドを奪って大興奮していたスパイダーマン=ピーター・パーカー。昼間は15歳の普通の高校生としてスクールライフをエンジョイし、放課後は憧れのトニー・スターク=アイアンマンから貰った特製スーツに身を包み、NYの街を救うべく、ご近所パトロールの日々。そんなピーターの目標はアベンジャーズの仲間入りをし、一人前の<ヒーロー>として認められること。ある日、スタークに恨みを抱く宿敵“バルチャー”が巨大な翼を装着しNYを危機に陥れる。アベンジャーズに任せておけと言うスタークの忠告も聞かずに、ピーターはたった一人、戦いに挑むが…。

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スパイダーマン単独作としては「アメイジング・スパイダーマン2」が前作となるわけですが、「アメイジング」は2で製作終了したとのこと。まぁ鑑賞してそう思いました。やっぱちょっと暗かったんだよねー。

そこで今作。当時から噂されていたマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)とつながる形になりました。結果、「スパイダーマン誕生の秘密」はバッサリカット。ピーターがなぜ叔母と二人暮らしなのかも説明なし。初心者には敷居の高い構成になっていますが、この辺は仕方ないかと。「アメイジング」だけでなくその前の3部作もまだまだ新鮮な作品ですからね。

つまり今作は過去の単独作になかった視点、解釈をどう持ち込むかがキモ。その意味ではかなり成功していると思うのです。

スパイダーマンの絶妙な弱さが魅力的でした

今作の特徴はピーターが高校生であること。過去作だとピーターのハイスクール・ライフってあまりよくは描かれていないのです。蜘蛛の特殊能力を身につけた冴えない男子高校生がちょっかいを出してくる体育会系バカ男子をぶっ飛ばす(そして自分に備わった力におののく)だけ。その後すぐ卒業してしまう。

今作のピーターも非体育会系なのだけど頭はいいし気の合う友人にも恵まれている。レゴの人形を持って「放課後はレゴで(スター・ウォーズの)デススターを一緒に作るのだ〜」とピーターに迫ってくる親友ネッド(太めオタク系)最高。ピーターとネッドにツッコミを入れながらもなぜかいつもそばにいるツンデレ女子ミシェルも良い。彼らが所属するサークルの他の仲間たちもいい。ピーターとネッドをからかう役回りの生徒もいるのだけど単純ないじめっ子でもなく、同じサークルの席にしれっと座っていたりする。このハイスクール・ライフだけでも見ていて楽しい。

いっぽうでスパイダーマンとしての活躍は実は今ひとつ。敵と戦って周囲に予想外の被害を広げるのはまだしも、過去作では糸を使って華麗に敵を追う様な場面が、今作では郊外の家を何かと壊しながら必死に追いかける。予告編でも描かれるフェリー崩壊の場面もアイアンマンに格の違いを見せつけられるエピソードになっていた。

今作のスパイダーマンは予告編(「キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー」でも)でトニーから呼ばれた様に「新人」なのですね。映画のキャラクターとしてはアイアンマンよりベテランなんだけどw。

そんな新人ヒーローが一人で戦うと決めたとき、見ている観客もグッとくるのです。その前触れとなる車内の会話シーンの緊張感も良い。そして全てが終わった後、自分の立ち位置を決める決断をしたピーターに成長を見るのです。その決断に影でうろたえるトニーも愛らしい。

今作は英語版で見たのだけど、ピーターの決断をトニーが「Working Class Hero」(労働者階級のヒーロー)と呼んだのが印象に残った。もちろん彼なりの皮肉ではあるんだけど、今作のスパイダーマンはいわばニューヨークの「ご当地ヒーロー」。今回はたまたま強力な敵と戦うことになったけど、ピーターはあくまでNYの「親愛なる隣人」。新聞の一面に載るような活躍はアベンジャーズたちで、自分の活躍はいわば社会面のベタ記事のようなもの、かな。それでも自分を必要とする人はいる、というピーターの確信がいいんですよ。

MCUの中では小さいスケールの話ではあるんだけど、それがこれまでの映画化で伝えきっていなかった「隣のスーパーヒーロー」感を伝える一作となっていました。で、こんなスーパーヒーローのまた違う一面をシリーズに組み込んでしまうMCUの全体構成の巧みさにもうなってしまうのでした。

衝動は理屈じゃない話【鑑賞「夜明け告げるルーのうた」】

全国公開時は見られなかったのだけど再上映の機会がありようやく見ることができました。楽しい作品でしたねー。

【作品紹介】
ポップなキャラクターと、ビビッドな色彩感覚。観客の酩酊を招く独特のパースどり(遠近図法)や、美しく揺れる描線。シンプルな“動く”喜びに満ちたアニメーションの数々。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞した『マインド・ゲーム』(04年)で長編監督デビュー以降、鬼才・湯浅政明の圧倒的な独創性は、国内外のファンを魅了してきた。そんな湯浅が満を持して放つ、はじめての完全オリジナル劇場用新作。それが『夜明け告げるルーのうた』である。
「心から好きなものを、口に出して『好き』と言えているか?」同調圧力が蔓延する現代、湯浅が抱いたこの疑問がこの物語の出発点だった。
少年と人魚の少女の出会いと別れを丁寧な生活描写と繊細な心理描写で綴りながら、“湯浅節”とも呼ぶべき、疾走感と躍動感に溢れるアニメーションが炸裂する。1999年に発表された斉藤和義の名曲「歌うたいのバラッド」に乗せ、湯浅政明がほんとうに描きたかった物語が今、ここに誕生する。
【ストーリー】
寂れた漁港の町・日無町(ひなしちょう)に住む中学生の少年・カイは、父親と日傘職人の祖父との3人で暮らしている。もともとは東京に住んでいたが、両親の離婚によって父と母の故郷である日無町に居を移したのだ。父や母に対する複雑な想いを口にできず、鬱屈した気持ちを抱えたまま学校生活にも後ろ向きのカイ。唯一の心の拠り所は、自ら作曲した音楽をネットにアップすることだった。
ある日、クラスメイトの国夫と遊歩に、彼らが組んでいるバンド「セイレーン」に入らないかと誘われる。しぶしぶ練習場所である人魚島に行くと、人魚の少女・ルーが3人の前に現れた。楽しそうに歌い、無邪気に踊るルー。カイは、そんなルーと日々行動を共にすることで、少しずつ自分の気持ちを口に出せるようになっていく。
しかし、古来より日無町では、人魚は災いをもたらす存在。ふとしたことから、ルーと町の住人たちとの間に大きな溝が生まれてしまう。そして訪れる町の危機。カイは心からの叫びで町を救うことができるのだろうか?

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まず印象に残ったのは音楽。映画はカイがサンプラーで作曲する場面から始まるのだけど、その曲がいい。この作品が音楽(リズム)を鍵にした内容だと印象付ける。

そしてカイも含めルーの歌を聞いた人々が足からリズムをとる様の不思議さ。足と頭が切り離されたかのように足が勝手にリズムを刻みだし、全身をぐにゃぐにゃにして踊りだす。ここが中盤の見せ場でしたね。

キャラのデフォルメもカワいくないのがよかったですね。

監督の作品ではテレビアニメ「四畳半神話大系」を見ました。文系ネクラ男子大学生の妄想と日常が暴走する様を主人公の高速ナレーションと極端に遠近感をつけた構図で描いており、非常にインパクトがありました。今作の主人公カイも根暗な男の子なのですが、クラさがユーモアにつながっていた「四畳半神話大系」と比べると正真正銘暗い。カイは周囲の人々と良好な関係を結べていないんですね。

そんな中、友人たちからバンドに誘われ、人魚のルーに出会う。友人たちの常識的な好意に加え、ルーも「好き!」と思いを真っ正直にカイに伝える。紆余曲折がありながらもカイが気持ちを込めた歌を歌うのがクライマックスになるわけです。

この「紆余曲折」が今作のちょっと弱いところかもしれません。何がどうなったかちょっとわかりにくい部分が散見される。大筋としてのストーリーは語られても細かい箇所で「?」となる部分があるんです。中盤登場するルーのお父さんがあんなにあっけなく受け入れられるの変じゃない?とか、ある場面でふさぎこんでた登場人物が次の場面でけろっとしている様に見えるんだけど?とか。人魚と人間たちが対立するきっかけになる事件の描写があっさりしすぎてないか?とか、終盤で舞台の日無町にだけ起こる事象の説明ってありましたっけ?とか。

それでもキャラクターだけでなく背景もぐるんぐるん動かして観客を掴みラストまで持っていくダイナミックな力量にやられます。細かい部分の整合性より勢いで勝負、という感じでしょうか。ルーたち人魚と人間の関係の顛末も驚くくらいさらっと済ませる。そこじっくり描けば泣ける場面になりそうなのに。でも描きたいのは顛末ではなくカイの成長なんですね。全てが終わり町が(文字通り)明るくなったのは、カイの心境ともシンクロしている様でもありました。

一方で思い返すと人魚と人間の間には死の影が付きまとっているのも忘れがたい。あくまで「影」。超えられない壁として、死に似た「影」。人魚と人間の関係を別のものにも置き換えられそうでもあり余韻を残します。

原作のないオリジナルストーリーでキャラクターデザインも少し幼い雰囲気。劇中の場面のショットなどを見る限り子供向けの地味な映画と思っていたのですがとんでもない。老若男女全ての人を捕まえて離さない快作でした。

味わいは複雑な話【鑑賞「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」】

一筋縄ではいかない厳しいビジネスの世界を垣間見る話でした。

【作品紹介】
世界最大級のファーストフードチェーンを作り上げたレイ・クロック。日本国内でも多くの起業家たちに、今なお絶大な影響を与え続けている。50代でマック&ディック兄弟が経営する<マクドナルド>と出会ったレイが、その革新的なシステムに勝機を見出し、手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていく姿は、まさにアメリカン・ドリームの象徴だ。手段を選ばず資本主義経済や競争社会の中でのし上がっていくレイと、兄弟の対立が決定的になる過程は、どこか後ろめたさを感じながらも、スリルと羨望、反発と共感といった相反する複雑な感情を観る者に沸き起こすに違いない。
熱い情熱で挑戦を続け、世界有数の巨大企業を築き上げた彼は英雄なのか。それとも、欲望を満たす為にすべてを飲み込む冷酷な怪物なのか。野心と胃袋を刺激する物語。

【ストーリー】
1954年アメリカ。52歳のレイ・クロックは、シェイクミキサーのセールスマンとして中西部を回っていた。ある日、ドライブインレストランから8台ものオーダーが入る。どんな店なのか興味を抱き向かうと、そこにはディック&マック兄弟が経営するハンバーガー店<マクドナルド>があった。合理的な流れ作業の“スピード・サービス・システム”や、コスト削減・高品質という革新的なコンセプトに勝機を見出したレイは、壮大なフランチャイズビジネスを思いつき、兄弟を説得し、契約を交わす。次々にフランチャイズ化を成功させていくが、利益を追求するレイと、兄弟との関係は急速に悪化。やがてレイは、自分だけのハンバーガー帝国を創るために、兄弟との全面対決へと突き進んでいくー。

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印象に残っているのは冒頭、レイが車にサンプルを積み、一人アメリカ大陸を駆け抜けて一軒一軒のドライブインでミキサー機を売る様子。またマクドナルドのフランチャイズを始めるにあたり、自身が加入していたゴルフ倶楽部の会員たちに投資を持ちかけたものの、会員たちが経営する店はレイの理想と程遠いものだったため彼らと決別し一人でフランチャイズ事業を進めるエピソードも忘れがたい。

平凡なセールスマン、事業家とは違うレイのガッツを感じさせる。理想のビジネスを実現するには従来の人間関係を断ち切っても構わない(「新しい友人を作ればいい」といったセリフがあったな確か)、変化を恐れない姿がある。

人間として全否定できにくいのが悩ましい。

だからこそマクドナルド兄弟やレイの妻の顛末はやるせない。マクドナルド兄弟は事業を考案したにもかかわらず「マクドナルド」という店の名前まで奪われてしまう。レイの妻は事業の助けになればと彼を倶楽部に誘いテーブルトークで売り込みのタイミングをさりげなく促すなどしたのに捨てられてしまう。

ではマクドナルド兄弟は愚鈍なのか。そうは思わせないのが今作の憎いところ。変化を恐れなかったのは彼らもそうだったのだ。映画産業に携わり映画館事業につまづいた後に新しい形態のハンバーガービジネスを考案し、実店舗として成功させる。マクドナルド兄弟がレイに語るこれまでの歩みは、それだけでも立派なアメリカン・ドリーム、成功譚なのだ。

だが兄弟の夢の本当の可能性を、兄弟より気づいていたのがレイだった。レイとマクドナルド兄弟、根本では同じ気質があったのだ。しかし描いた夢の大きさは決定的に違っていた。

またビジネスで巨大な成功を収めたレイが金にだらしない男としては描かれないのも興味深い。レイが妻と別れ、ビジネスパートナーの男性の妻を横取りして再婚するエピソードはあるのだが、それはレイが女にだらしない、のではなく、仕事を広げていく上での考え方の違いとして描かれる。レイはあくまでビジネスの規模を拡大することだけに長けている人間なのだ。その結果、彼についていけない人は振り落とされてしまう。

ビジネスにおける発明家と事業家の違いを考えさせられる。自分のアイデアを大事にする発明家、アイデアを広げることを大事にする事業家。アイデアの核は何か、という点を突き詰めておけばレイとマクドナルド兄弟の決裂はなかったかもしれない。レイはビジネス界のヒーローかもしれないし、人を蹴落として成功を掴んだワルかもしれない。自分はレイによりそうのか、マクドナルド兄弟によりそうのか。人によって見方は変わる、複雑な味わいの一本でした。

英雄は日常の中にいる話【鑑賞「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」】

文化が違えばヒーロー誕生譚も描き方も違う。相違点と共通点が印象に残りました。

【作品紹介】
75年に日本で放送開始、79年にイタリアでも放送されて大人気を呼んだ永井豪原作によるアニメ「鋼鉄ジーグ」。本作は、少年時代から日本アニメの大ファンだったガブリエーレ・マイネッティ監督が、40年近く経った今もなお、イタリア人の心の中に深く刻まれるその「鋼鉄ジーグ」を重要なモチーフにして生み出した、イタリア映画初の本格的ダークヒーロー・エンタテインメントだ。
【ストーリー】
舞台は、テロの脅威に晒される現代のローマ郊外。裏街道を歩く孤独なチンピラ エンツォはふとしたきっかけで超人的なパワーを得てしまう。始めは私利私欲のためにその力を使っていたエンツォだったが、世話になっていた“オヤジ”を闇取引の最中に殺され、遺された娘アレッシアの面倒を見る羽目になったことから、彼女を守るために正義に目覚めていくことになる。アレッシアはアニメ「鋼鉄ジーグ」のDVDを片時も離さない熱狂的なファン。怪力を得たエンツォを、アニメの主人公 司馬宙(シバヒロシ)と同一視して慕う。そんな二人の前に、悪の組織のリーダー ジンガロが立ち塞がる…。

公式サイトより)

Youtubeで第1話が公式配信されてました。

改めて当時のアニメを見るとちょっと怖い。絵の拙さもあるのかもしれないけど、洗練されてしまった今の作品より怪奇さ、荒々しさがありますね。「鋼鉄ジーグ」をモチーフにした今作もその荒々しさが印象に残ります。ハリウッドのヒーロー映画にはない側面ですね。

コスチュームを纏わないのがイタリア流でしょうか。

先述した通り、基本的な話の流れはなじみあるものです。主人公が正義に目覚めるために犠牲が生じたり、敵役がヒーローと同等の力を持ったりするのもお馴染みのパターン。でも暴力や恋愛の描写は日米のヒーロー映画よりぐーっと「大人」。子供は見ちゃいけません。最近ではX-MENのスピンオフ「LOGAN/ローガン」も過激な暴力描写が話題になりましたが、正直「LOGAN/ローガン」より大人向け。

ヒーロー映画が大人向けになったのが「LOGAN/ローガン」で、大人向け映画の中にヒーローが現れたのが今作「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」という感じです。

ということは、今作の「特殊能力」は拳銃などの武器に置き換えても話が成立する、といえる。でもそこで「ヒーロー映画」にしかない特徴が際立つ。

ヒーロー映画には自分の力を社会のため正義のために使う、と「決心する」場面が必ずある。日常ではあり得ない超能力と我々観客の日常が結びつく瞬間ともいえる。その日常が今作では本当に我々と地続きの日常のように見えたことが素晴らしい。これまでのヒーロー映画における日常とは、単にヒーローが活躍する舞台でしかなかったのではないか、とまで思えてくる。

ヒーローの誕生がこうして何度も語られるのは「社会を救う存在が現れてほしい」という願いもあるでしょうが「人は皆、自分の能力を社会に還元するべきだ」という願いも込められているのではないか。「能力を還元しなくてはいけない社会」は空想の社会ではなく、もっと身近なのかもしれません。

辛い世界に優しさが光る話【鑑賞「彼らが本気で編むときは、」】

世界観を重視してきた監督の意欲作。なるほど「第二章」かもしれません。

【作品紹介】
『かもめ食堂』『めがね』などで、日本映画の新しいジャンルを築いてきた荻上直子監督の5年ぶりの最新作『彼らが本気で編むときは、』は、編み物をモチーフに、今日本でも急速に関心が高まりつつあるセクシュアル・マイノリティ(LGBT)の女性リンコを主人公としていち早く物語に取り込んだ。監督自身「この映画は、私の人生においても、映画監督としても、“荻上直子・第二章”の始まりです」と公言する、新しいステージに踏み出した作品である。
【ストーリー】
小学5年生のトモ(柿原りんか)は、荒れ放題の部屋で母ヒロミ(ミムラ)と二人暮らし。ある日、ヒロミが男を追って姿を消す。ひとりきりになったトモは、叔父であるマキオ(桐谷健太)の家に向かう。母の家出は初めてではない。ただ以前と違うのは、マキオはリンコ(生田斗真)という美しい恋人と一緒に暮らしていた。それはトモが初めて出会う、トランスジェンダーの女性だった。キレイに整頓された部屋でトモを優しく迎え入れるリンコ。本当の家族ではないけれど、3人で過ごす特別な日々は、人生のかけがえのないもの、本当の幸せとは何かを教えてくれる至福の時間になっていくが−。

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作品紹介でも取り上げられた「かもめ食堂」「めがね」は見た。「かもめ食堂」は確かに雰囲気の良い作品で、いい印象が残っている。けれど「めがね」は雰囲気に馴染めず、何を訴えたいのかわからない、雰囲気だけの作品としか思えなかった。

雰囲気重視の作品って、見る側と波長が合えばいいけれど、ズレてしまうとまったくダメになってしまうんですよね。

生田斗真がだんだん女性っぽく見えてきたのがすごかったですね。

そこで今作。正直、監督が同じ人とは知らなかった。冒頭描かれるのは暗い荒れ放題の部屋でトモがコンビニのおにぎりを寂しく食べる場面。「かもめ食堂」っぽい感じが出るのはマキオの部屋が登場してから。やけにこざっぱりしてる団地の部屋で、3人が食べるリンコの手料理のこぎれいさに過去の作品との繋がりを感じさせる。

一方で印象に残ったのは作中何度か用いられる暗転。これまでになかった緊張感を作品に生んでいると感じました。

なにより本作の特徴は強いストーリーがあること。トランスジェンダーという日本ではまだ難しい題材を真っ正直にとりあげているのがとても素晴らしい。自分の特徴に気づき悩むリンコ、それを受け入れる母親。それとは対照的な結果になるトモの同級生カイとその母親の顛末。「トランスジェンダー」を巡って理想だけでなく現実も見据えた作品構成が非常に良かったです。リンコの母親とカイの母親、どちらが「あるべき存在」かは観客には十分伝わるわけで、それでもカイの母親を(作中では)断罪しきらないところに絶妙のバランス感覚を見るのです。

バランス感覚といえば、トモの母親になることを本気で考えるリンコと実母ヒロミの関係もそう。トモが選ぶ道はけっして楽ではないだろうが、エピローグでまた登場する(かつて荒れ放題だった)トモとヒロミの部屋の変化に、二人の関係性の変化も匂わせている。リンコがトモに贈るプレゼントも心憎い。リンコだけにしかあげられないものでしたねー。

もっとも、カイの母親同様、ヒロミも改心した描写はなし。トモ以外、リンコに接した登場人物の中で明確に立場を変えていく人はいないのです。みな既に変えたか変えられない人ばかり。そしてそんな人の間にズレを感じたとき、人は怒りを感じるわけです。

そこで今作で登場するのが編み物。辛い思いを一針一針に込めて一人解消していたリンコの振る舞いがトモ、マキオにも広がる。3人で編み物をする様子は微笑ましい一方で世間の理不尽にじっと耐えている姿でもあったのだ。

編み物や食べ物(コンビニおにぎりとキャラ弁)など、一見するとふわっと優しげな印象を残すツールに、今作は明確なメッセージを込めたのが荻上監督の「第二章」たるところでしょうか。世界は優しくないけれど、生きるに値するものもあるのです。

孤独な男に胸打たれる話【鑑賞「LOGAN/ローガン」】

ヒーロー映画シリーズ「X-MEN」の人気キャラクター、ウルヴァリン(ローガン)を主人公にしたスピンオフ第3弾。ジャンル映画の枠を越えようとした意欲作でした。

【作品紹介】

野性味あふれる風貌、アダマンチウム合金の爪であらゆるものを切り裂くアクション、そして内に秘めた熱き激情。大ヒット・シリーズ「X-MEN」において最高の人気を誇る“ウルヴァリン”ことローガンは、スパイダーマン、バットマン、アイアンマンらとともに2000年代以降のアメコミ映画の興隆を牽引してきた孤高のヒーローである。国際的なスーパースターとして揺るぎない地位を築いたヒュー・ジャックマンにとっては、ハリウッドでの成功をたぐり寄せた最も思い入れの深いキャラクター。そのジャックマンが撮影に全身全霊を捧げ、「本当に全力を出し切った」と語る最新作「LOGAN/ローガン」は、まさしく“最後のウルヴァリン”の雄姿を刻み込んだ入魂の一作だ。アメコミ映画の常識を突き破った過激な世界観と衝撃的なストーリー展開が大反響を呼び起こしている。

【ストーリー】

ミュータントの大半が死滅した2029年の近未来。長年の激闘で心身共に疲れ果て、不死身の治癒能力が衰えたローガンは、生きる目的さえも失ったまま荒野の廃工場でひっそりと暮らしている。そんなローガンの前に現れたのは、強大な武装集団に追われるローラという謎めいた少女。絶滅の危機に瀕したミュータントの最後の希望であるローラの保護者となったローガンは、アメリカ西部からカナダ国境をめざして旅立ち、迫りくる最強の敵との命がけの闘いに身を投じていくのだった…。

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特殊能力を持った登場人物が自身の能力や社会との関わりに悩みながらも悪と戦い、秩序を取り戻す−のがヒーロー映画の基本線。アメコミではヒーローが老いた姿を晒す話もあるのだけど、今作は死に真正面から向き合ったのが大きな特徴。「ウルヴァリン」シリーズ過去2作、X-MENシリーズとの関連性はあまりない感じで、単独作として鑑賞するのが正しいのでしょう。

ヒュー・ジャックマンも良かったがローラ役のダフネ・キーンの目力も素晴らしい。

今作はヒーロー映画の中で格段に「死」を印象付けられる一本となっている。切断されたり貫かれたりとグロい殺害シーンが多いのです。老いたローガンには相手へ配慮する余裕がもうない、ということか。

「アイアンマン」などの一連のマーベル映画(MCU)、「スーパーマン v バットマン」などのDC映画(DCEU)では正義をなす重み、痛みを描くようになってきたけれど、今作はさらに直接的に、(彼らにとっての)正義をなすことはとんでもなく残酷な暴力でもあることが伝わってきます。一方で自分の後に続く幼い世代をたった一人でボロボロになりながらも懸命に守ろうとする姿も印象深い。

ローガンやプロフェッサーXがどんな能力を持ったキャラクターかという説明はない分、単独作とは言ってもいきなり今作から見るのは難しいかも。また、アメコミのキャラクターは別のシリーズでまた登場することもあるので、今作が最後とは言っても映画でウルヴァリンやプロフェッサーXをもう見られないなんてことはないんじゃないかなーとは思います。

ただアメコミ映画、ヒーロー映画として今作が孤高の一本になったことは間違いない。前作「ウルヴァリン:SAMURAI」が正直なんじゃこりゃという出来だったのによくここまで持ち直したなぁ。ヒーローは孤独。だからこそ魅力的なのです。

見えない壁を越える話【鑑賞「光」】

「カンヌ映画祭」出品、審査員賞受賞作と聞くと高尚な映画ファン向けの作品のように受け止められがちだけど気負わずに見られる一本でした。

【作品紹介】
生きることの意味を問いかけ、カンヌ国際映画祭他、世界中から大絶賛をされた『あん』。河瀨監督と永瀬正敏のダッグが、ヒロインに水崎綾女をむかえて次に届けるのは、人生で多くのものを失っても、大切な誰かと一緒なら、きっと前を向けると信じさせてくれるラブストーリー。また、映画の音声ガイドにも焦点をあてた本作は、世界中の映画ファンに歓喜と感動をもたらしてくれる。 1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞カメラドールを受賞し、2007年の『殯の森』では同映画祭で審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀨監督。10年の節目をむかえる2017年に ふさわしい感動作が、ここに誕生した。
【ストーリー】
単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が過去に撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかこの場所に連れて行って欲しいと願うようになる。命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼の葛藤を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめるー。

公式サイトより)

ヒロイン美佐子は視覚障害者向けの映画音声ガイド製作者。ガイドを製作するためにモニターとして集まってもらった観客の中にいたのが弱視が進んでいるカメラマン雅哉。雅哉の的確ながらも厳しい意見に美佐子は反発するが…と、舞台は必ずしも観客に馴染みのあるものではないけれど、話の骨格は反発しあった男女がひかれあう展開。一般の観客には身近といえない仕事が描かれる興味深さもありましたね。一方で見えているもの=光を、言葉=音に置き換える試みも描かれる。中心に映像ではなく音がある野心的な映画でもありました。

何が見えて、何が見えていないのか?と考えてしまいました。

雅哉の部屋でプリズムが輝く場面、雅哉と美佐子が夕日を見つめる場面など映像として「光」を表現する場面もあった一方で、クローズアップが多く圧迫感、緊張感が強いのも今作の特徴かも。雅哉は視界のほんの一部しか見えない設定なのだけど(彼の視点描写もある)、一般の観客に視覚障害の感覚を伝えようとしているようにも見えました。

ちょっと残念なのが美佐子の母親のエピソード。本筋ともう少し絡んでほしかった。テーマとしては繋がっている、むしろ、光が失われることに前向きな意味づけをするエピソードなのだけど、ちょっと唐突だった気が。母親がそんなことを言ってもおかしくはない設定にはなっているど、(逆に)そう言わせたいための設定ではないか、という印象が残ったのです。

見えているものを言葉に置き換えることは簡単なようで難しい。映画ならなおのこと、フィルムに写っているもの全てを伝えようと言葉を盛り込んでもダメ、余韻を伝えようと言葉を省きすぎてもダメ。意味を考えないと伝わらない。ラスト、完成した音声ガイドが流れて終わるのですが、なるほどこう表現するか、と言うものでした。聞いてしまうと簡単な表現なんだけど的確な表現ってそんなもの。表現の技法を置き換えるのは簡単なことではないんです。

でもこの映画、外国語圏の人は作品の大部分を字幕=光で意味を理解するわけで、音声ガイドのニュアンスへのこだわり、試行錯誤がどこまで伝わるのかな、と気になってしまった。今作の意味を体感(理解ではなく)できるのは日本語がわかる人になるのかな。色々な「壁」が身の回りにはあるのです。でもその壁を越えようという試みが大事なのでしょう。

それでもなお、という話【鑑賞「メッセージ」】

空想科学の楽しさの先に人間を深く洞察した高度な一本でした。観客の理解力も問われるなー。

【イントロダクション】
SF映画の金字塔『ブレードランナー』の続編の監督に抜擢されたことでも注目のドゥニ・ヴィルヌーヴ。彼の最新作『メッセージ』は、優れたSF作品に贈られるネビュラ賞を受賞したアメリカ人作家テッド・チャンによる小説「あなたの人生の物語」を原作に映画化された、全く新しいSF映画。謎の知的生命体と意志の疎通をはかろうとする言語学者のルイーズ役には、『アメリカン・ハッスル』を含め5度アカデミー賞にノミネートされたエイミー・アダムス。彼女とチームを組む物理学者イアンには『ハート・ロッカー』など2度アカデミー賞にノミネートされたジェレミー・レナー。軍のウェバー大佐役には『ラストキング・オブ・スコットランド』の演技でアカデミー賞主演男優賞を受賞したフォレスト・ウィテカーが扮している。
【ストーリー】
突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは―。

公式サイトより)

前半で描かれる宇宙船との接触までの流れが非常に素晴らしい。軍人が学者に会いに来て現場に連れて行かれるというよくある展開なんだけど緊張感を十分に保ち、画面に現れる宇宙船のファースト・ショットがただただ美しい。

読み応えあるパンフレットでした。

鑑賞しながらジョディ・フォスターが科学者を演じた映画「コンタクト」を思い出しましたが、今作も「コンタクト」に似て、話を混ぜかえす分からず屋の「悪役」がいないのも良い。存在するだけの巨大宇宙船を前に高ぶってしまう人や国は出てくるけど、その程度。全員がその場その場で真剣に事態に向き合っているのがいいですね。「コンタクト」では日本がカギを握りましたが今作ではそれが中国なのは時代ですかねw。

本作のテーマに触れるとネタバレになってしまうので、感想を書くのは極めて難しい。ただ(未読ですが)この映画の原作が「あなたの人生の物語」と名付けられているのだけは知っていました。本作を見て原作がそう名付けられた理由がわかった瞬間はあまりの切なさにちょっと鳥肌。そして今作を見ている自分自身が、主人公・ルイーズが見てきたものを体感していたと気づいて驚嘆。

テーマに触れた時の悲しみ、切なさ、そして主人公・ルイーズのように生きられるか(生きてほしい)、というこの作品からの問いかけ(メッセージ)は見終わってもずっと残るでしょう。

まだ1回しか見ていないのだけど、また見返したら、かなり泣けるだろうなぁ。