依頼に応えつづけた凄みを体感した話【鑑賞・生賴範義展】

IMG_0967  開催の報を聞いた時に「これは勝ったな(何にかわからんけど)」と思った企画。宮崎市在住のイラストレーター、生賴範義(おうらい・のりよし)氏の回顧展が宮崎市のみやざきアートセンターで開催中であります。さっそく行ってまいりました。

開催まで2年かかったというこの展示会、様々なジャンルの絵を一人で描いたとはとても思えない圧巻の内容でありました。

スターウォーズやゴジラなどに代表されるド迫力の映画ポスター。小松左京の小説の表紙では星々の大海と筋肉隆々の人間を対比させ、吉川英治「宮本武蔵」挿絵では点描で野性味溢れる武蔵を描写。同じ点描画で近・現代の著名人を描いたシリーズもあったかと思えば重厚な戦記物、広告担当者が写真と勘違いしたというクールにタバコを吹かす若者の絵まで。

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過去から現代、未来まで。西洋から東洋、異世界まで。描いた世界の幅広さに感嘆しかでなかった。

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本人は職人的に、依頼に可能な限り応えてきた日々だったと語っているそうだ。しかし、誠実に応えようと自宅には資料として女性の服や靴など何百点と集めたり、筋肉隆々の人間を描くのにミケランジェロの作品を参考にするなど、かけた努力も相当なものだったそうだ。

何よりイラストを依頼した映画制作者たちが生賴氏の絵から得たイメージを作品に反映させようとする(依頼は映画完成前だから)程の、生賴氏の表現力、空想力の凄み!

そう考えると、作品の多くが装丁やポスター、パッケージ画など、見た人に「読みたい」「観たい」「遊びたい」…ぶっちゃけちゃうと「金を出させる」衝動を呼び起こすためのものだったことに気付く。アートとして「いい絵だ」で終わっては駄目で、商品の売り上げに結びつかないといけない厳しい世界。生賴氏はそんな世界の第一線を走り続けた人なのだなぁ。

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こんな凄い人が宮崎にいるのが(身勝手ながら)誇らしい。実力があれば地方からでもこれだけの発信ができるんだ。今はインターネットやデジタル化で地方からの発信も敷居は低くなっているはず。生賴氏の作品群に圧倒されつつも「自分たちだってイマ、ココから何かできるはず」と勇気づけられる人も多いはず。

何はともあれ、全国の大きなお友達の皆さんはぜひとも宮崎に着て見るがいいです。もしくはこの展覧会自体が全国を巡回するがいいです。

井手綾香さんの歌はしみじみしっかり盛り上げてくれるという話

IMG_0938宮崎県串間市在住のシンガー・ソングライター、井手綾香さんのコンサートに行ってきたのですよ。

今春2枚目のフルアルバムが出るという彼女の、宮崎市でのホールコンサート。幅広い年齢層を前に1曲1曲を大事に歌い、客も大事に聴く感じ。温かい雰囲気の2時間でした。

全国的な知名度はまだまだ、なのかもしれないけれど、ドラマやCMで曲は使われていて、今後の活躍にますます期待、といったところです。

音楽の素養も大してないのに書いてしまいますが、彼女の歌はサビできっちり盛り上げてくれる。代表曲「雲の向こう」やドラマ主題歌にもなった「きっと、ずっと」など、もう何回も聞いているのに今だに気持ちいい。ポピュラー音楽では大事な事だと思うのです。

機微があり解釈も幅広くとれる表現力豊かな歌詞もいい。とくに前述の「雲の向こう」。「太陽のように世界中に輝きを与えたい」と歌うんですよ。

「欲しい」側じゃないんですよ「与えたい」側ですよ。彼女、当時高校生ですよ。どんだけオトナなんだっていう。未聴の人はぜひ聞いて欲しい…のでリンクを張るのであります。

2枚目のアルバム「ワタシプラス」は4月16日発売!

善人は善人であり続けられるか?【書評「未来予測」】

517vyfvdIWL._SL160_ついていけない部分も多々あるけれど、著者自身の体験も含め、表題通り長期的な「未来予測」だけでなく短期的なマネタイズの話まで、広い視野で語られた本。

【どんな本?】
「レイヤー化する世界」と同じく、テクノロジーが社会に与える影響を考えた本。「社会は国家化から産業化に進み、情報化に進む」「自分らしく生きる人が増える」など予測する方向は同じなのだが、異なるのは「自分らしく生きる人が増えると目に見えない世界の存在を信じ(!)直感を大事にする人が増える(精神世界的な真理感を持つようになる)」という点か。

著者のいう「精神世界的な真理感」は左脳的、論理的思考の持ち主が右脳的、感覚的な思考も身につけるという意味らしい。

「自分らしく生きる」人は、自身の成功も自分の能力以外の力に助けられたような気がすることがあり、他人と競争する必要がなくなる。他者に寛大になり自分は他人とつながっている真理感を受け入れやすくなる…と著者は考える。現実社会になじめない人がスピリチュアルに頼るのとは違うのだとか。

その上でこれからは、そんな人々が集まるコミュニティに奉仕し、その周辺で発生するビジネスチャンスを掴めば金が儲かると説いている。「コンテンツはコピーできてもコミュニティはコピーできない」という一言は的を射ていると思う。

【良かった点】
総じて「これからは仲間たちとポジティブに生きよう」ということを訴えた一冊。ぶっ飛んだ主張も含まれているのだが断定的ではなく、自分の主張にも懐疑的な面ものぞかせるのが真摯な印象を与えている。

【惜しかった点】
かなり読み返したのだが散漫な印象は残る。著者自身もあとがきでそう認めつつ「自分の葛藤だと思う」と述べているけれど。長い副題も葛藤のあらわれかな。あと、我々は元々一つの存在と考える「精神世界的な真理感」は、理解できるようでなかなか敷居は高い。自分からそんな真理感を持っているとは言い出しづらいですねやっぱ。

【どう読むべき?】
日々を生きる実感、生きる意味。あとがきによると著者はそれを「自分がワクワクする分野で尖っていくこと」と(この本を書きながら)再確認したそう。著者は仲間たちとプラスエネルギーを出し合って尖って生きていくのだろう。

まぁ普通に考えたら、誰だって人の悪口は聞きたくないし言わないに越したことはない。言わない方が人としての評価があがることも分かってる。つまり、普通に善人として生きればいい訳だ。

…でも、人間ってプラスエネルギーばかり出しては生きていけないよね。Facebookでは友達が言う愚痴や批判は表示できなくできるけど、見えなくなったからって愚痴や不満が消えた訳ではない。

レイヤー化する社会」でもそうだったけど、ポジティブな振る舞いや発想だけを良しとするのは、個人の生き方としてはありだろうけど、未来予測としては無しだと思う。

端的に、他者に善人でありつづけるよう求める思想って結構な無理難題ではないのかなぁ。

人は愚痴や誹謗中傷、批判「も」する存在。マイナスエネルギーをプラスに変えるような仕組みができるといいんだけどね。それがつくれたら金儲けのチャンス…なのか?

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物語を語り、人を語ること【映画「永遠の0」】

見てもいないうちから「特攻賛美の映画」とか見た上でも「やっぱり特攻賛美の映画」とか言う人もいるようだけど、全くそんなことはなくて、人を死に追い込む戦争というシステムの恐ろしさとその中でも個人として最善を尽くした人の物語でした。

死んだ祖母が実は再婚だったことを知った孫たちが、祖母の最初の夫はどんな人物だったのか知ろうとする。祖母の最初の夫—宮部久蔵は優秀なゼロ戦パイロットで当時では臆病者ともとられかねない「生きて家族の元に戻る」という心情の持ち主だった。しかし最後は自ら特攻に志願していた。なぜ宮部は特攻を志願したのか?

この物語の最大の謎「家族想いの男が特攻を志願した理由」は、作中、台詞など明確な形では回答が示されない。しかし、観客には分かるんですね。「生きて帰る」のが心情だった宮部は部下にも無駄死にを許さなかった。当然特攻作戦にも(自分のできる範囲で)反対した。しかし、そんな想いが周囲に伝わると「宮部を死なせてはいけない」と、周囲が逆に自身の命をかけてまでも宮部を救おうとしてしまう。それに宮部は耐えられなかった(…のではないかな?)。

自分の思いとは逆のことが起こる理不尽さ。さらに戦争では、個人への尊敬さえも人を死なせる装置として発動してしまう。宮部と同じように特攻に反対していた古参パイロットが「宮部が特攻に行くなら俺は命をかけて送り届ける」と決意してしまうのにゾッとしましたね。もうそれ、自身が特攻に行くのと大差ないから!

とまぁ、生前の宮部が登場する戦中編は登場人物たちの心理描写、戦闘シーンの迫力など見応えがありました。その分、宮部の孫たちが中心になる現代編がねぇ。物語の構造上、どうしても単調な会話劇になってしまうわけですよ。

まず孫たち、カンが働かなすぎ。宮部が特攻出撃の直前に機体を変えた訳はすぐ分かるでしょう。「変えなければ助かったのに!」じゃないよなぁ。

最大の問題点は、最後にすべてを明らかにする生存者の存在。いや普通、死んだ最初の祖父のことを調べるなら、まず初めに話を聞くべき人でしょその人。なんでまわり回って最後に話を聞いているのだ?彼に聞けば生前の宮部がどんな人物だったか、ほぼ分かったよ。

過去の出来事をミステリー仕立てで解明しようとするこの映画の現代編は、全体構造を作っている部分なので(その割に場面自体はどれも単調になりがち)、ストーリー全体を盛り上げようとして無理な構造にした感があったなぁ。

まぁそうはいっても変化を付けようとした箇所もありましたけど。田中泯演じたおっかない男性がすべてを話した後、宮部の孫にした行動とか。あの後の台詞も「あなた、ソッチ系?」と変に思わせるもので良かったですよね。

この作品のテーマの一つに「物語を語っていくことの大切さ」があるようなんだけど(クライマックスで現代編の語り手たちや戦中編の宮部の妻まで(!)カメラ目線になって訴える)、結果として、宮部の孫たちは察することを禁じられてしまっていた。終止聞き役だったので、見終わって考えると、頭の悪い探偵みたいな存在になったのが惜しいところ。ミステリー仕立てで始まった話なので、現代編の最後は孫たちが宮部の思いに気付き「!」となったところで終わってアレが飛んでくると映画の満足感がもっと出たように思うけど。映画としての面白さよりテーマへの誠実さをとったのかな…。

と思って見ていたこの映画、戦中編で描かれる内容は、すべてを現代編の登場人物が知っている訳ではない構造になっている(宮部の一時帰宅の場面など)中で、最後の最後に映画でしか表現できない謎を観客にだけ残して終わってみせた。あぁ岡田君最高。素晴らしい演技でした。さっき書いたのとは別の形で、映画への満足感を与えてくれたんですね。それは「『物語』を語ることはできても、それをもって『人』を語ったことにはならないかもしれないよ」ということ。人間はもっと複雑だよ、ということ。

だからこそ生きている我々はもっと知ろうとしないといけないのかもしれない。分かったつもりにならないでね…。

人の可能性はどこまで広がるか【書評「レイヤー化する社会」】

514ybGYX8oL._SL160_SNSや音楽、書籍の販売などインターネットを利用したサービスは増えている。国が消滅するとまでは思えないけれど、ネット社会の中で個人や企業が持つ可能性は広がっていることを感じさせた本。

【どんな本?】
AppleやGoogle、Facebookなどインターネットを活用した超国籍企業のサービスが広まっている現在の社会がどこに向かおうとしているのか、人類の歴史から振り返り予測する。

著者は人々を支配するシステムについて、古代から中性に広まった「帝国」、現代の「国民国家」を経て、現代から今後はいくつかの超国籍企業がつくる国境を越えた<場>が下から人々を管理する…と予測する。

この<場>には国民国家のようなウチとソトの概念はない。国境も超えたレイヤー(層)として世界に広がっている。<場>の中では様々な役割が切り分けられる。国境を越えた情報の交流(人間の交流も含む)が進み、<場>の中にいる私たちは立場に応じた交流も可能になる。<場>は私たちが利用したくなるようなサービスやコンテンツを提供し、私たちが利用することで強固になっていく。私たちは<場>との「共犯関係」を築いていく…のだという。

【良かった点】
…と、このように要約すると抽象的な内容のようだが決してそうではない。だって自分の普段の振る舞いを振り返れば著者の言いたいことは実感できるのだ。

AppleのiTunesストアやAmazonで音楽や書籍を買い、買ったことを報告したり感想を伝えたくなったらFacebookやブログに書く(Facebookに書き込みがしやすいよう、iTunesストアやAmazonからはリンクが貼られている)。わからないことがあったらGoogleにキーワードを入力して検索する。

ネットに書いた内容はGoogleの検索にヒットしたりFacebookの友達に広まるので、感想を知りたい人の役に立て、交流も可能になる。

AppleやAmazon、Google、Facebookはそんな私たちの活動をデータ化し、扱うコンテンツの販売や広告収入などに結びつけているのも分かっている。

自分の日頃の行動が何をもたらしているかを客観的に見つめ直し、わかった上でどう振る舞うべきかのヒントがあると思う。

【惜しかった点】
おそらくこの本に限ったことではないのだろうが、歴史を俯瞰し未来を予想する著述に接すると「著者が描きたい未来像に説得力を持たせるために歴史を解釈しているのでは」という、ある種の疑念がどうしても消えない。

「国民国家と、民主主義と、経済成長の連携は終わろうとしている」「国民国家の権力は終わる」と言われても、それは今生きている我々の世代の話ではないのではないか。

超国籍企業が中心になってつくる<場>はマジョリティとマイノリティを逆転させる、と著者は言うが、「自分が社会のマジョリティだと疑わず、安心しきっていた人」がそう簡単に逆転を許すだろうか?複雑に収益を動かして課税逃れをする超国籍企業を、国民国家が今後も見逃すだろうか。何らかの揺り戻しは生じるはずで、結果、著者の予測する未来は来ないか、別の形になる気がする。

【どう読むべき?】
この本に限らず未来予測の話は真正直にではなく、可能性の話として受け取るべきなのだろう。

ただ、個人の生き方として<場>を積極的に利用して新しい出会いをつくれば、可能性が広がる(それがどんなものかは分らないけど)という考え方は理解できる。

可能性に賭けるか賭けないか、目の前には二つの道があるのだろう。

レイヤー化する世界

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