恐怖と日常は紙一重な話【鑑賞「ヒメアノール」】

ちょっと笑えてかなり落ち込ませ、さっと泣かせて終わるジェットコースターのような作品でした。

<作品紹介>
この世の不条理、深層心理の屈折した感情、コミカルな恋と友情、ポップなギャグなど、古谷実原作の独特な要素を含みながら、連載当時その過激な内容から物議を醸した、問題作にして伝説的コミックが遂に映画化!
若者特有の将来への不安や恋愛、日常のやり取りをコメディタッチで描きつつ、並走して語られる無機質な殺人事件―。
ふたつの物語が危険に交わるとき、最大の恐怖が観客に襲いかかる。
人間をターゲット(餌)としか思わない連続殺人鬼・森田を演じるのは、昨年デビュー20周年を迎えた、V6の森田剛。蜷川幸雄、宮本亜門、行定勲など、名だたる演出家の舞台作品で座長を務め、絶賛されてきた彼が満を持して映画初主演。
森田との再会によって事件に巻き込まれる岡田には、『アヒルと鴨のコインロッカー』『ゴールデンスランバー』の濱田岳。金太郎を演じるCM「KDDI au「三太郎シリーズ」」など、お茶の間でも親しまれる存在が本作でもブレないいい人キャラを好演。森田の新たな標的となるユカに『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『グラスホッパー』の佐津川愛美、コメディリリーフとなる安藤に『幕が上がる』のムロツヨシといった演技派俳優が共演。
監督を務めるのは『銀の匙 Silver Spoon』の田恵輔。ユーモラスな人間描写に定評がある俊英が、前半の微笑ましいラブストーリーから一転、狂気が炸裂するサスペンスに突入するジェットコースター演出を展開。原作とは異なるエンディングも用意するなど、観る者を没入させるストーリーテリングで新機軸のエンターテイメントが誕生した。
<ストーリー>
「なにも起こらない日々」に焦りを感じながら、ビル清掃会社のパートタイマーとして働く岡田(濱田岳)。同僚の安藤(ムロツヨシ)に、想いを寄せるユカ(佐津川愛美)との恋のキューピット役を頼まれ、ユカが働くカフェに向かうと、そこで高校時代の同級生・森田正一(森田剛)と出会う。
ユカから、森田にストーキングされていると知らされた岡田は、高校時代、過酷ないじめを受けていた森田に対して、不穏な気持ちを抱くが…。岡田とユカ、そして友人の安藤らの恋や性に悩む平凡な日常。ユカをつけ狙い、次々と殺人を重ねるサイコキラー森田正一の絶望。今、2つの物語が危険に交錯する。

(以上、公式サイトより)

原作との差異、映画化に際し田監督がどう工夫したかはパンフレットの「田恵輔の優しい“ヒールに転向”宣言」(村山章)が非常にわかりやすく書いているので、今作の感想としては「是非パンフレットを買ってこの文章を読んでください」で済ませてもいいくらい。映画としての様々な「お楽しみ(注・15歳以上)」を高いレベルで詰め込んだ、大人のための作品でした。

「オトナ」向けの一本です
「オトナ」向けの一本です

まぁ映画としてのお楽しみを優先するあまり、思い出してみると森田がなぜユカに執着するのかが実は曖昧だったのだけど、そんなのは鑑賞中は気にならない。そこが不明なまま終わるのも森田が残した謎、とポジティブに解釈してもいい気がする。すべてが語られなくてもいいのかもなぁ。

主要キャスト全員、演技が素晴らしい。森田役の森田剛は言うに及ばず、コメディリリーフ的な安藤(ムロツヨシ)が笑えながらも不気味っぽいキャラなので、中盤から終盤へのキツイ展開への布石にもなる、適度な緊張感を作品に与えていたように思う。病院での場面は(弱っていたとはいえ)普通っぽくなっていたのが、また見る側に安堵感を与えていた。

不条理な暴力がこれでもかと描かれるので見る人、見る機会を選ぶ作品ですが、思い切って飛び込むと奥深い楽しみがある作品でした。

言葉を繰る力を感じた話【鑑賞「相田みつを展」】

高鍋町美術館で2015年8月30日まで開催中の「相田みつを展」に行ってまいりました。

会場に入ってまず意外だったのが、相田みつをのポートレート。どの写真も目が笑ってない。はっきり言ってちょっとコワイ。写真で見る限り近寄り難い雰囲気を周囲に放っているのである。「にんげんだもの。」なんてのん気な言葉を流行らせた人とは思えない。

10年越しの企画だったそうですよ。お疲れ様でした!
10年越しの企画だったそうですよ。お疲れ様でした!

行った日はちょうどギャラリートークの時間と重なった。初日にあった相田みつを美術館の館長・相田一人氏(長男)のトークの受け売りなんですが…と恐縮しながら学芸員さんの話すことには、相田みつをのあのへタウマのような字は、きちんとした書道の技術の裏付けがあってのもので、若い頃はコンクールで好成績を修める程だったそう。また作品が完成するまでには、原稿用紙1枚程に文章を書き、それを詩に縮め、さらにそこからエッセンスを抜き出したものがあの言葉たちだったとのこと。

また会場で購入した相田みつをと一人氏の共著「相田みつを 肩書きのない人生」によると、同じ言葉でも年代によって筆体も変えてきたし、改行のタイミングや紙の中での段落どうしのバランスなど見た目にも工夫を重ね続けた。裕福ではないのに書く紙は常に本番用の高価な紙。

相田みつをというと、「ポエムの人」と(弱干半笑い気味に)評価されている気がする(好きな人は好きだろうけど)。居酒屋に書かれているような、至極真っ当なのだが真っ当過ぎて逆に心を通り抜けていくメッセージ。やろうと思えば自分にもこれくらい書けるんじゃないかと思わせる書の雰囲気。

でもこの分野の創始者は、そんな簡単にここまで行き着いたわけではなかった。相田みつをが切り開いた跡を歩くのは容易かもしれないが先駆者の努力は並大抵ではなかったのだ。

モドキとの違いが一見わかりにくいのが相田みつをの不幸かもしれないが、言葉を練って伝えようとする意志の強さを感じた展示会でした。

なぜ今、が問われる話【鑑賞「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」】

続編のほうがスケールダウンしてるって、どうなのかなぁ。

80年代末から90年代にかけてオリジナルビデオアニメ、劇場版アニメ、テレビアニメ、漫画と様々なメディアで製作された「機動警察パトレイバー」シリーズが2014年、まさかの実写版で再登場。50分ほどで12話が製作され、今作はその長編劇場版になる。

ロボットテクノロジーの発達によって登場した汎用人間型作業機械「レイバー」。レイバーは軍事・民生を問わずあらゆる分野で使用され、1990年代末、特に首都圏では大型公共事業「バビロンプロジェクト」のため多くのレイバーが稼働していた。その結果、レイバーによる事故、レイバーを使用した犯罪が多発、警視庁は本庁警備部内に特科車両二課を創設してこれに対抗した。通称特車二課パトロールレイバー中隊。「パトレイバー」の誕生である。

というのがこれまでのシリーズの前提。実写版の今シリーズは「バビロンプロジェクトが一段落ついた2013年の東京」が舞台になっており、不況で手間と金のかかるレイバーはお払い箱になっていた、という前提で話が進む。特車二課は第一小隊が解散。(シリーズの主役である)第二小隊はレイバー運用経験の継続という名分のもと、かろうじて3代目の隊員たちが存続、そろそろ組織も解体か、という状況である。

パトレイバー首都決戦
全12話のOPはアニメ版を彷彿とさせてキャッチーでよかったですよ

これまでのアニメ・漫画シリーズの「続編」という設定なのだが、第二小隊の3代目メンバーたちは旧シリーズのキャラクターに雰囲気はおろか名前まで似せている。そして長編劇場版へつながるにあたって、旧シリーズとのつながりもほのめかしていく。

12話でつくられた実写版は、はっきり言ってアニメ旧シリーズの焼き直し、と言い切ってしまおう。昔ならアニメという形でしかできなかった話が、デジタル技術の進んだ今なら実写でもできるんだねー、という感想しかない。実写のキャラクター配役もアニメ版に似た俳優をよく見つけてきたという印象。

そして「パトレイバー」でやった様々なエピソード−怪獣退治、基地地下の迷宮探索、暴走レイバーとの対決などなど−は今見てもよくできたプロットであったと再確認してしまうのである。

つまり、面白いんだけど今作る意味、は感じられなかった。

長い前置きになりましたが、で、長編劇場版「首都決戦」ですよ。

「首都決戦」は長編アニメ第2作の続編、と言える。長編アニメ第2作では東京に数々のテロ行為(的なもの)が引き起こされ、東京を舞台に戦争が起こる「かもしれない」恐怖を描いた。今作はその時の残党が自衛隊の特殊ヘリを強奪し、都心で再び暴れまわる。第二小隊は自衛隊でも手を焼く特殊ヘリを倒せるか?という話、なんですが。

うーん、まずははっきり言って、見せ場が長編アニメ第2作(アニメ版)より減っている。レイバーのアクションが少ないのはまだしも(そもそもアニメ版も少なかった)、アニメ版の方が飛行船を飛ばしたり幻の戦闘機同士の空中戦を起こしたりと、首謀者の犯行が観客を引きつけた。今回はヘリコプターだけになってしまい、犯行のスケールが小さくなった。

そしてこの「首都決戦」でも、今作る意味が感じられなかった。アニメ版は思想性がかなり強く「当時の日本」における戦争を問う作品になっていた。その続編である「首都決戦」は同時多発テロなどが起こった「2010年以降の日本」を反映しているストーリーとは言えなかった。アニメ版の場面をなぞるような演出もしているので、なおさらアニメ版からのスケールダウンは否めない。

実際の俳優が演技し、デジタル技術でロボット(レイバー)やヘリコプターのアクションは本物と見間違うくらいなので、見た目の力強さ、存在感はアニメよりあがったと思う。その分、アニメ版に込められたキャラクター設定の巧みさ、テーマの重さ、斬新さを上回るものは、この一連の実写企画からは全く感じられなかった。

「今なら実写でもできそうなのでやってみました」だけなんだよなぁ。

警察という実在の組織がロボットを運用するという「パトレイバー」という枠組みは、切り口次第でシリアスからコメディまでなんでも取り込めたシリーズだったんですが、この中でできることはもうなくなったのかも。ある種の限界を感じた実写シリーズでした。

入れ替わったら分かった話【鑑賞「今夜は心だけ抱いて」】

先週「日本人が好きな話は逆転サヨナラ」って書いたら、ホントにそんなドラマが始まってましたよ!見てますよ!(エンタメと割り切って)

さてドラマつながりで、今回は4月に放送終了した唯川恵原作のNHKBSドラマ「今夜は心だけ抱いて」の感想を。

離婚以来12年ぶりに再会した47歳の母と17歳の娘が、事故で心と体が入れ替わってしまう。二人は戸惑いながらも女性として親子として互いを理解していくが…という話。

結末を書くのは野暮なので触れませんが、「転校生」みたいな入れ替わりものだから…と思ってみていくと…肩すかしにあいます。人によっては「ちゃんとハッピーエンドにしてくれよ!」と思うかもしれない。

だけど見終わった時に思ったのは「人はいつからでも人生をやり直せるし、いつからでも幸せになれる」がこの作品のテーマかな、ということ。

タイトルだけだと大人女子が飛びつきそうなラブストーリーかなと思ったけど、男性でも楽しめる親子の愛情話でありました。井手綾香の主題歌「飾らない愛」もばっちり。NHKのドラマはわりと再放送があるので、機会があれば是非。

つながりは大事にしたいという話

3月1、2日と上京しておりました。大学時代のゼミのOB会に出席するためです。毎年この時期の恒例行事。昨年は体調不良で欠席されたゼミの教授もお元気な姿を見せてくださいました。

それにしても師と生徒という関係、大学時代の先輩後輩という関係は年を経るごとに貴重さを感じてしまうのです。毎年1回、元気に顔を合わせて近況を知り合うだけで充実した気持ちになる。普段の人間関係とは関連がほとんどない「つながり」なのだけど、そんな関係を保てていると、暮らしが豊かになっている感じがする。

また、「師と生徒」という関係は上司と部下、年長者と若輩者などの関係とはまた違う、独特の緊張感もある。今回、教授と話をしたのはわずかな時間だったのだけど、忘れられない時間になりました。

再会した人たちと何を話したか、というのは酒もはいったのであまり覚えていない(苦笑)のだけど、大事なのは交わした言葉の量ではないのかも。今はSNSがあるけれど「直に会う」のも大事なことですね。また1年頑張れる気がする。来年も参加しますよ!