結果を出さなくてもヒーローにはなれる話

本業とは違うところで忙しくなっております。その中で感じたことをちょっと。

ブルース・ウィリス主演「アルマゲドン」って映画があります。ブルース・ウィリスが地球に向かってくる隕石をぶっ壊す話。監督は「トランスフォーマー」などで(「ロストエイジ」見に行くぞ〜)今を時めく(?)マイケル・ベイですね。

話は単純だし、マイケル・ベイがミュージックビデオの世界から移って間もない頃だけあってカメラが無駄にグルングルン回るのが印象的な一本です。

でもその中で一つ、印象的な場面があるのです。

ブルースたちがシャトルで隕石に向かって飛んで行く場面。大げさなカメラアングルやわざとらしい効果音(カウントダウンの時計がなんであんなにガシャガシャいうのか)で盛大にシャトル打ち上げが描かれる中、管制室のフライトディレクター(現場指揮者)がシャトルの乗員たちにこう言うんです。

「君たちはすでに英雄だ」(直訳)

この「すでに」ってのにグッと来てしまうんですね。

まだ何も成し遂げていない彼らは、日本人の感性で言うとまだ英雄じゃないと思うんです。

だけどアメリカ映画では結果はどうなるか分からなくても、危機に立ち上がった時点で称えられるんですね。

挑戦そのものに重きを置くアメリカっぽい発想だなと思いつつ、日本でもこんな発想広まるといいのになと思っております。

具体的にどんな場面かは、「Armageddon shuttle」とかどこかに打ち込むと出てくるんじゃないでしょうか(無責任)ネットは広大ですね〜。

来なかった未来を見た話【書評「超発明 創造力への挑戦」】

現在入手できるSF小説の古典「レンズマン」シリーズ(E.E.スミス)の表紙絵は生賴範義氏なのだが、実は個人的には、レンズマンの表紙絵は生賴氏ではなくこの人、真鍋博で印象づけられている。一般的には星新一のショートショートの表紙絵、挿絵で有名でしょうか。線がシャープでヒトの顔はちょっと子供の落書きっぽくてシュールな雰囲気。シンプルな描き方が逆にレトロな感じを出している絵です。

51hxgcDhG1Lその真鍋博の著作がこの本。雑誌「Wired」で紹介されていたので読んでみました。真鍋博の空想と風刺の翼を広げて思いついた「超発明」が約120個収録されています。

生賴範義氏と比べると、生賴氏はイラストレーターとしてSF的センスがあったけど、真鍋博はイラストだけでなく発想そのものもSF的だったのが印象的です。

1971年に出た本なので、今では実現してしまっている「超発明」があるのが興味深い。たとえば「音声標識」はカーナビ、指紋に同調する「パーソナル把手」は指紋認証、1つのレコードに何億曲も収録できる「球体レコード」はiPod、描いたものが立体化する「三次元鉛筆」は3Dペン、「自在光軸写真機」はシータ。道端ですれ違った人の顔まで記録する「ダイアリー・メモランダム」も実用化された

実現した「超発明」を挙げてみると、デジタル技術の発展が凄まじいことがわかる。逆に言うと、真鍋の考えた未来の発想が何となく、アナログっぽい。今のところ実現していない「超発想」までみてみると、この本では良くも悪くも「モノ」で世界を変える/世界が変わるという発想が下敷きになっている。

でも今の暮らしを見てみると、デジタルを生かした「サービス」ばかり、という気がしてくる。こんなブログ然り、SNS然り。アナログというともっと極端に「自然回帰」に近くなっているかな。若者がIターンして農業、とか。

そう考えると、描かれた絵のどこか懐かしい雰囲気と合わせると、この本には「来なかった未来」が詰まっていました。副題「創造力への挑戦」が何だか重く響くなぁ。

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)
真鍋 博
筑摩書房
売り上げランキング: 95,611

王が帰還した話【鑑賞・Godzilla ゴジラ】

キング・イズ・バァァァック!(歓喜)昨年公開のパシフィック・リムもイケイケで燃える楽しい映画でしたけど、すみません「怪獣映画」度ではこちらが明らかに上でした。

今作を見たのが奇しくも(劇中でも触れられていた)8月6日だったってのも何か因縁づいていました。

【あらすじ】日本の原発で起こった原因不明の事故とフィリピンの鉱山で見つかった生物らしき痕跡。その正体が明らかになったとき、ごくわずかの人類しか存在を知り得ていなかった「生物界の頂点に立つ者」が姿を見せる。人間になす術はあるのか…?

何と言ってもゴジラの描写が最高。体の一部しか見せないショットが笑っちゃう&嬉し泣きさせるほどの巨大感を演出する。クライマックスで放つ例の技のかっこよさはマジで泣いちゃう5秒前。心の中で「兄貴!Gの兄貴ィ!」と叫ばずにはいられません。

冷静になって考えると、多少のアラもないわけじゃない。たとえば、今作は事前情報ではあまり取り上げられていなかったが「バーサス」ものだったわけですが、相手怪獣の名称はパンフによると略称だったとのこと。だったらGの兄貴の名称も存在も何かの略称でなければ作中上の辻褄が合わない気がする。

また渡辺謙演じる芹沢博士がGの兄貴を日本語風に呼ぶ(作中での)意味もよく考えると、ない。だって作中の世界では、Gの兄貴は日本に来たことにはなっていないはずなんで。日本とGの兄貴の直接の関係はない。

そうはいっても、話を俯瞰してみると、怪獣の行動原理に原発事故を絡めたり怪獣出現に伴う周辺の状況描写が津波やビル破壊を伴うなど、911や311といった昨今の社会事象を取り込み、怪獣を単なる巨大生物と扱わなかったのが素晴らしい。日本版をリスペクトした製作陣の矜持を感じさせる。前回のリメイク作とか昨年夏のパシフィック・リムでも、人間に対峙するのは巨大生物、でしたものね。「キング・オブ・モンスター」とよばれるGの兄貴(しつこい)ですが、「モンスター」と「カイジュウ」は別物、ってことですよ。

登場する人間も怪獣に対しほとんど無力で、究極の兵器を用いても(だからこの作品を8月6日に見たっていうのがですね!)、ほとんど有効な対策を打てていない。使っちゃった描写は見たくなかった気もするが、描写自体は控えめだし、その後の展開から改めてGの兄貴の偉大さ(人間の矮小さの裏返し)を伝えることにもなっていた。

ところで怪獣映画ファンならすぐ気づくだろうけど、今作の構成は、怪獣映画史に燦然と輝く「守護神G」3部作と極めて似ている。まぁこれはパクったっていうより、怪獣というキャラクターを単なる巨大生物としないで、真面目に突き詰めると結局こうなるってことではあるまいか。

ただ次回作も決定していて、今度はあのみんな大好き黄金3頭龍が出るとなると…。あれは日本版でも宇宙から来たり未来から来たりと、リアリティが薄い存在なのだから、安易に扱うとますます守護神Gシリーズと似てきやしないかと不安ではあります。

っていうか改めて思うに守護神G…平成ガメラ3部作は傑作ですよマジで。とくに第3作は怪獣映画の概念を突き破った唯一無二の傑作だと今でも信じているので(公開初日に渋谷で鑑賞できた至福!)、Gの兄貴の次回作がどこまで迫るか、はたまた別方向に行くか、楽しみであります。とにかくまた帰って来てくれ、Gの兄貴ィ!

自慢されたい過去には(多分)戻れない話【書評・逝きし世の面影】

一度読んではいたけれどKindle版が出ていたので購入。書籍版では文庫本でも2、3冊並みの分厚さなので、場所を取らない電子書籍はつくづくありがたいですね。

51MQ9F98Q6Lその分厚さと、書かれている中身から昔の日本を礼賛するのがこの本の主題のように思えるかもしない。しかし、著者が描きたかったのは「近代以前の文明」の姿。文献が残っているのが幕末〜明治の日本だったということだ。

幕末から明治にかけて日本に訪れた外国人たち。彼らが見た日本の姿を、彼らの手記から探っていく大著であります。

当時の外国人にとって日本は、人々が人なつこく、シンプルに暮らし身近な自然を愛する、非常に心奪われる国だったようだ。開国以降現代に至るまで、江戸時代の暮らしは古く遅れたものだった、という解釈が日本人(知識層)の間でなされてきがちだったが、著者はそれも否定し、質素だが魅力的な過去の日本を蘇らせる。

しかし読み直してみると、もはやこの本で描かれた日本には戻れない、ことも見えてくる。

例えば労働。著者によると江戸時代は働くときは働き、休みたいときは休んでいたそうだが、これは計測された時間と引き換えに働く近代の労働のスタイルではない「前近代の労働」だったと指摘し、明治期に矯正される運命だったと論じる。

著者が最終章で指摘する「(当時の日本人に)確たる個がない」は現代の目から見て当時の日本に明らかに欠けていた点かもしれない。

江戸時代というと身分制度が厳しく、庶民はいくら働いても貧しいまま…という印象があるが、社会制度として個人を抑圧していない、そもそも「個人」という概念がない社会だったのだ。

江戸時代末期に日本を訪れた外国人には、当時の日本人は誰にでも屈託がなく、性におおらかで、子供も大人と同様に扱っていた(子供は純真な存在と考えなかった)。著者によればそんな当時の日本人には、人間性への寛容があったといえるが、別の見方をするとある種のニヒリズム…「人間という存在の自分勝手さへのおかしみ、互いにそういう存在であるという寛容さ」に帰結するとも言う。男も女も子供も大人もみんな同じさという明るいニヒリズムは個人の尊厳を最初から考慮していない社会だった。例えばこんなブログを書いて考えをひとり深めるような、そんなことをする人はほとんどいなかったのだ。

今の日本では、むしろ個人主義が行きすぎて、この本が描いた近代化以前の日本を再評価する雰囲気もある。だけど当時の日本の「いいとこ取り」は難しいのではないか。せめて自分自身の中に残っているものを大事にしたい。さて、何が残っていましたっけ…

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
渡辺 京二
平凡社
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