スポーツの影響力を考えた話【鑑賞・民族共存へのキックオフ】

以前紹介したイビチャ・オシムの祖国ボスニア・ヘルツェゴビナに関するドキュメンタリー。テーマは同じ、っていうかオシムへのインタビューなど取材素材も同じ…なのだが、もう少し一般的にわかりやすくなっていた。

ボスニア内戦のあらましと現在のボスニア・ヘルツェゴビナ代表チームの主要選手の紹介…異なる民族から構成されていることや、選手たちが内戦を体験して来たこと。そして何より、オシムが旧ユーゴ代表監督を務めていたころから民族間の対立は始まっていたこと(このとき、ストイコビッチも代表選手でいたんですね、知らなんだ…)。

今のボスニア・ヘルツェゴビナ代表に対しても、別の民族と同じチームにいることで選手を裏切り者呼ばわりする人も残る。内戦の傷は深いが、選手たちは「民族を超えて一つになることが僕たちを成功に導く」と考えW杯に挑む。

ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」でもスポーツを素材に団結を訴えていたけど、ボスニア・ヘルツェゴビナの場合、団結を失うと国の存続、人の生命にも関わる。もっとシビアな状況だ。いっぽうで、スポーツの持つ人々を結びつける力は民族の壁すら超える可能性を示している。

前回書いた「ルーズヴェルト・ゲーム」への違和感は、スポーツがもつ人をつなげる力の描かれ方が、会社内にとどまっていたからかもしれない。

番組はボスニア代表がアルゼンチン戦で敗れはしたものの歴史的な初得点を決めた場面がクライマックス。試合を観戦していたオシムはその瞬間、目を潤ませていた。イラン戦を前にした放送だったので初勝利の瞬間は記録されていないが、きっと人前で3度目の涙を見せたんじゃなかろうか。

スポーツの形を考えた話

W杯日本代表、残念でした。「攻めて結果を出す」ことはできなかった。でも「自分たちの型を世界で試す」ことの繰り返しが長い目で見たら日本サッカーを強くしていくんじゃないだろうか。

ところで、学校での授業でしかサッカーをしていない自分でもW杯が気になったのはなぜだろう、と自問しています。

というのも、先頃終わったTVドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」にある種の違和感が残っているからです。

ドラマ終盤、主人公が経営する「青島製作所」の野球チームが都市対抗野球予選の敗者復活戦決勝に臨みます。試合は追いつ追われつの展開で、応援する主人公(社長)や野球好きの会長、実は元野球部長だった専務らが肩を組んで歌を歌って野球部を鼓舞する場面があるのだけど、何というか、見ていて「この応援の輪の中に自分はいないなぁ」という疎外感を感じたわけです。

野球部員たちのストーリーもあったので視聴者も青島製作所野球部に肩入れするようにドラマの構造はできているのですが…ノレなかった。野球を扱った映画「メジャー・リーグ」などでは主人公たちのチームが勝つと我々観客も爽快感があったのになぁ。

きっと、ドラマで描かれたスポーツ(野球)が企業の所有物でしかなかったからではないか。日本のプロ野球も親会社はあるけれど、親会社の関係者だけが応援しているんじゃない。ファンに向けて開かれてはいる。実業団野球って結局、応援するのは関係者だけなんだなぁ…と思ってしまったのかも。

でも、例えばサッカーW杯でイタリアやイングランドの予選敗退など、自国代表以外のチームの勝敗も気になるのはなぜだろう…とも考えるわけです。自分に何の関係もないのに。メディアで大きく取り上げられるから?

そもそも実在のチームとフィクションのチームを混同してはいけないのかもしれないが、自分が応援・関心を持つ範囲の線引きがよく分からない。自分が思っている以上にスポーツ(この場合、見るスポーツ、応援するスポーツ)にはいろいろな形がある、のか?

普段からの取り組みが大事な話【書評「Googleの72時間」】

W杯、日本代表苦戦してますね…。オシムの言う「判断と行動のサイクルを早くする」ってのは練習しててもなかなか発揮できないもんだなぁ。

51jc1jtR9ZLところで、社会的に「判断と行動のサイクルを早くする」必要性が最近もっとも問われたのは東日本大震災だった。この本は震災時に「私設帝国企業」Googleが日本でどんな震災対応をしたかを振り返ったもの。Yahoo!の震災対応やGoogleらの震災対応サービスが被災地でどう使われたかまで、IT技術が震災時にどう生かされたかを幅広く取り上げている。

Googleには米本社に常設の災害対応チームがあり、東日本大震災発生から1時間46分後には特設サイト「クライシスレスポンス」を立ち上げ、被災者検索サービス「パーソンファインダー」をスタートさせた。日本側スタッフは日本語化や携帯電話への対応、入力件数を増やすためボランティアに避難所の名簿を撮影してもらい「パーソンファインダー」への入力を依頼。また被災地の衛星写真の公開やニュース番組のネット配信、避難所情報の地図へのマッピング、義援金呼びかけなどを次々に行った。

これらのサービスは社員の誰かが勝手に着手し協力者を社内に呼びかけて始まった一方(この辺がいかにもGoogleらしい)、内容が社内外でかぶったり優先順位などに問題がないかなど「交通整理役」も社内に設けていたそうだ。

正しいかどうかでなく、統一した見解を誰かが出す」ことで全体のスピードも上がったのだ。

また緊急時とはいえ、Google米本社との承認プロセスに懸念が残るまま走り出したサービスもあった。その際、判断を求められたGoogleの日本側法務担当は「僕の判断でOKだ」と言い切った—というエピソードがちょっとグッときましたね。

こうして取り組んだ各種のサービスの中には他社、公共団体などと連繋しないといけないものもあり、Googleと相手との「スピード感」に違いが生じた例も紹介されている。そんな件について著者らは、スピード感があったGoogle側の肩を一方的に持つのではなく「相手側は『Google側の連絡が途絶えた』という認識だった」と平等な視点で取り上げ、なおかつGoogle側の反省点として「平常時からの必要情報の洗い出しと事前のプロセス策定が重要」という言質を引き出している。取材対象に肩入れしすぎない著者らの絶妙のバランスを感じた部分だ。

そうはいっても、Googleによる取り組み—災害時の情報提供プラットフォームの構築—はボランティアを含めた自発的な支援活動を呼んだことは間違いない。この本の中ではYahoo!の取り組みも紹介されている。Yahoo!では災害発生時、当時の社長がメールで社員全員にこう伝え士気を高めた。

「今こそ、ライフエンジンとしての力を発揮する時だ」

…この「ライフエンジン」という言葉にもグッときた。Yahoo!、Googleに限らず今やIT技術自体が『ライフエンジン』なのだなとも思わされた。

さてそんな様々のサービスだが、著者らの調べでは必ずしも被災地で活用されたとは言いがたかった。電力や通信インフラが途絶したのもあるが、とくに高齢者にはIT技術に長けた人のサポートがないと利用できなかったようだ。今後はそういったリテラシーの差が大きくなる一方、ボランティアには高齢者を精神的にケアするため普段からの信頼関係構築も必要なのだそうだ。

その他、一般ユーザーは信頼できる情報源を見極めること、情報を扱う企業は多様なメディアを連携させること(パソコンで読み取りやすい書式で情報をやり取りすること)などを挙げている。

著者が結論として述べる「いざという時は普段やっていることしかできない」は重い指摘だ。災害対応サービスをGoogleが次々に手掛けられたのも普段の積み上げによるものだし、Twitterで震災直後おかしなデマが飛び交ったのも(広めてしまった利用者は)SNSをその程度しか使えていなかったからだ。

日程が決まっているスポーツの試合でも「普段できていること」を発揮するのが簡単ではない。ましてや、いつ来るか分からない非常時では?

企業から個人のレベルまで、災害時に何ができるか、普段からどう対処すべきかまで取り上げた労作でした。

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終わらせたからわかる話

今回は自分への覚書に近い話です。

写真 2014-05-30 14 12 14梅雨入りする前に自宅2階ベランダの床部分を塗り直しました。

洗濯物を干している合間にデッキブラシで床を洗い始め、乾いた洗濯物と物干し竿、物干し台を中に取り込んで、玄関口にある水道からホースを回して水を巻いて床洗いを終わらせ、使い捨てエプロンと腕カバー、靴カバー、手袋をはめて油性塗料を塗り(1度目)、足りなかったので買い足しに行き続きを塗り、乾くまで約2時間休憩し、2度目を塗って終了。半日がかりの作業でした。

以下、いろいろ考えたこと。

1)思ったより早く終わった。終わらなかったら翌日もするつもりだったが…。日程に余裕を持たせたのが良かった。

写真 2014-05-30 14 39 362)2度塗りしても色が薄いなぁと思っていたが、乾燥したらそうでもなくなった。塗料の取説にそこまで書いているわけではないし(そりゃそうだ)、やってみないとわからないことはあるものだ。

3)エアコン室外機の下や床板のサイドなど、もう少し塗ればよかった箇所もある。しかしなにしろ初めてのことなので、今回は終わらせることが重要だった。作業時間がどれくらいかかるか分からんかったし。そんな箇所はまた次回、塗ることにしましょう。

作業時間が分からない場合はゆとりを持って計画すること、とりあえずのゴールを決めておくこと、そして何より、終わらせないと分からないことがあること。「Just Do It」って意味を考えた体験でした。

成長しながら結果も欲しい話【鑑賞「日本代表“新戦法”への挑戦」】

サッカー日本代表が戦術を確立しようとする姿を描いたNHKスペシャル「攻め抜いて勝つ~日本代表 “新戦法”への挑戦~」は、色々考えさせられる内容でした。

イタリア人監督ザッケローニ率いるサッカー日本代表。目指す戦術はフォワードからディフェンスまでのラインをコンパクトに保ち、攻撃に人数をかけるというものだ。しかし攻撃力は増したものの、ディフェンスラインの裏をかかれると一転してピンチになるという欠点も突かれる。親善試合で失点が減らない現状に選手たちが出した結論は…

人間の思考態度には、自分の成長を自分自身で邪魔してしまう「固定された思考態度」と「成長する思考態度」がある、とネットで見た。

それによると、「固定された思考態度」は根本に「自分をよく見せたい」という欲求があるため、失敗する可能性がある挑戦を避けたがる。一方「成長する思考態度」は「学びたい」という欲求から始まるため、挑戦を喜んで受け止め高い成功レベルへと到達できる—のだそうだ。

先述した番組内での選手たちの話し合いの中で、失点を減らしたくて「守備にも人を割くべきだ」というディフェンス陣に対して、攻撃陣は「日本の闘い方をここで変えては今後に何も残らない」と目先の結果にこだわらないよう訴えたのが印象に残った。

日本代表も「固定された思考態度」と「成長する思考態度」の間で揺れたんだろうな。

番組放送日にはブラジルW杯前、最後の強化試合があった。4−3で勝ってもメディアは「守りが不安定」と評価していたが、番組を見たあとでは「今の日本代表の戦術では『守りが不安定』なのはリスクとして当然なの!」と思ってしまう。今の日本代表はもっと目標を高いところに置いてるの!

…がしかし、世の中には「ここは絶対結果を出したい」という場面もある。戦術を貫いても結果が伴うとは限らない。「日本代表は自分たちの闘い方を貫いたんだから予選敗退でも仕方ない」ともならないだろうし。勝ってこそ「日本の闘い方はこれだ」となるわけで。

番組では前回南アフリカ大会で本番直前に守備重視の戦術に切り替えたことに「自分たちのスタイルを貫けなかった」と選手たちの間に忸怩たる想いが残ったことも伝えていた。守って負けないチームではなく、攻めて結果を出すチームになれるか。これ、サッカーに限らず、すべての組織に求められることだと思うんです。

日本代表の初戦は15日。果たして…

 

新しい市民モデルを考えた話

写真 2014-05-31 15 08 22毎月購読している雑誌「Voice」2014年6月号でちょっと覚えておきたい論考があったので、メモ。

東大社会科学研究所の宇野重規教授、同じく東大大学院の谷口将紀教授、ウシオ電機の牛尾治朗会長の共著「中核層の時代に向けて 自らの人生と社会を選び取る人びと」。

日本の将来像を見据える必要があるとして、これまでの「キャッチアップ」型近代化から、新たな社会像を「信頼社会」と定義しそれを担う「中核層」という概念を提示する論考だ。

今までの日本は一般的な社会的信頼が低いため、特定の組織(会社など)や関係(家族など)への関与を深めていた。しかし今や、大企業に就職しても定年までの雇用が保証されるとは期待していない。しかし組織の外に出るのもリスクが高い。結果、安定的な組織への参入競争が激しくなる一方、組織に残る人間も不満があっても外に出られない。

そこで真の意味での「信頼社会」実現のため、集団を超えた人と人のつながりを築かなくてはいけない。一人一人は生涯にわたって学び信頼を構築し続け、組織は主体的な人材によって自らを再編していき、グローバル社会での競争力を強化していく。そんな「信頼社会」で自らの生き方を主体的に選択し、それゆえに積極的に社会を支えようとする自負と責任感を持った人間を「中核層」とこの論考では定義した。

「中核層」は組織を上から指導するエリートとは違い、現場でイノベーションを実現する人々。また、イノベーションを起こすような人々を結ぶ人々、個人を支える医療、介護、教育者などをイメージしているという。

そして人と情報が集積する都市の発展が地域全体の発展につながるとするいっぽう、多様な個性と伝統を持つ地方の魅力を高め、都市と有効な相互補完関係を生むのが望ましい、と結んでいる。

長い論考ではないのだが、日本社会の今の問題点を端的にまとめ、目指す社会モデルを提示している。個人が目指すイメージ、社会として目指すモデルも自分の今の考えにかなりあっていた。

「中核層」たる個人をどう生み出し、育てるかがカギですかね。まずはどんな形であれ「自分の足で立っている」という自覚を持つ人々が増えることかな…

そこでもう一つ連想したのが、雑誌「The21」2014年4月号での日本中央競馬会・土川健之理事長のインタビュー。「運はどうすればつくのでしょうか」という問いに「自分に嘘をつかないこと」と土川氏は答える。

自分に嘘をつくのをやめて自分がやりたいことをやりたいようにやる。全て自己責任でやるようにすれば、結果はすべて自己の糧になりますから、アンラッキーということ自体存在しなくなるのです。

自らの生き方を主体的に選択するヒントがあるように思う。自分の生き方への肯定感をどこまで持てるか。ちょっと間違えると独善的になってしまいそうでもあるから、その点は要注意、要注意。