未来は物語が作る話【鑑賞「アイの物語」】

Eテレ「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」を見て、この本を読んでいたことを思い出したので、再読した上で感想を書いておくのです。

SF小説家・山本弘の短編集。2006年初版で、今でもアマゾンで5つ星評価を独占しまくっている一冊です。

人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食料を盗んで逃げる途中、僕は美しい女性型アンドロイド・アイビスに捕らえられる。アイビスは捕らえた僕にロボットや人工知能、コンピュータネットワークを題材にした話を読んで聞かせる。アイビスの真意は何か。そしてマシンが支配するこの世界の真実とは…。

読んでて気恥ずかしい文体の短編もあるが、そこはご愛嬌…
読んでて気恥ずかしい文体の短編もあるが、そこはご愛嬌…

ネットで検索すると本人による解説ページも出てくるのでアレなんですが、この短編集は1997年から2003年にかけて書かれたものと、単行本化する際に書き下ろされたもので構成される。バラバラに書かれた短編から共通項を見つけ、それを補強する書き下ろしと、短編間を繋ぐ「インターミッション(演劇などの休憩時間の意)」によって、人が物語を語る意味を問う重層的な構造になった。

ネット上でリレー小説を書いている同好会の仲間たちが物語を通して励まし合う話、仮想空間で少年と少女が出会う話、変身する美少女戦士と「外の世界」が交流する話、老人介護用アンドロイドの成長話、人工知能を持つ仮想空間上のキャラクターの実在を問う話…などなど、7つの話は実にSF。サイエンス「フィクション」な話が語られる。

そう「フィクション」。小説世界の中でも、語られるのは(第7話を除いて)フィクションということになっている。

しかし人は、事実ではない世界に真実を混ぜることができるのだ。それこそが物語のリアルなのだ。

実在しないキャラクターに共感できるのはなぜか。仮想空間越しの出会いでも共感できるのはなぜか。どうにも消せない人間の根源的な欠陥とは何か。それでも人間に存在する理由があるとしたら、それは何かー?

作者は人間の「物語る力」を最大限に信じている。荒唐無稽な話…SFなんてその極み!…が醜い現実を断罪することなく照射し、決して暗くない未来を呼ぶと、7つの短編を通して論じてみせた。

この小説を読み終わったときの感覚は、なにがしかの評論を読んだときに似ている。世界観、キャラクターの発言、行動を通して人間の限界と理想、無限の可能性を論じているのだ。作者に「説得された」気分になること間違いなし。

短編それぞれを紹介すると長くなる。でも老人介護アンドロイドの成長譚である第6話「詩音が来た日」は白眉。身投げしようとするワガママ爺さんをアンドロイド「詩音」が説得してみせるクライマックスはSFの良心的な部分がぎゅっとつまった名場面です。この話だけでも映像化してくれないかな…。

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

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山本 弘
KADOKAWA/角川書店
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終わらせるのは簡単じゃない話【鑑賞「進撃の巨人 エンド・オブ・ワールド」】

頑張ったとは思うんです。連載中の原作マンガを映画化するにあたり、何とか「完結感」を出そうと苦心した跡は伺えるんです…。

壁で囲った世界で100年以上暮らしてきた人類は、再び巨人たちの襲撃を受ける。破壊された壁を修復するため、エレンたちは巨人に立ち向かう。が、巨人に喰われたエレン自身が巨人に変貌、他の巨人を撃退する。拘束され追及を受けるエレン。その場に突然、巨人が現れ、エレンを奪い姿を消す。エレンは敵か味方か、そして壁の修復は成功するのか…。

完結編である本作では、基本的に「人が変貌する巨人」しか出てこないのが好印象。主な巨人に「キャラ」があるわけです。前編のようなキモいんだが没個性な巨人は平原を徘徊してるだけ。巨人が人を喰う場面は回想としてしかなかったかな。変化が付けられていて良かったと思います。

アクションシーンは良かったんですよ…
アクションシーンは良かったんですよ…

ただ、登場人物たちの行動原理に首をひねる場面はやっぱり残ってしまった。「自分は生き残るぞ」と言ってた人物が(無駄に)命を賭けてみたり、対立してた相手を突然助けてみたり。

しかし最大の問題は、物語上倒すべきなのが巨人なのか壁なのか(!)分からなくなってしまったこと。

今作における巨人の設定まではまだいい。しかし壁を「支配の象徴」と設定したのは余りに安易、ベタ、お約束ではなかったか。そんなありがちな見方が逆転して「安全の象徴」になっていたのが原作の基本世界観の一番魅力的な点ではなかったか。

その支配者像もどうも説得力がない。大衆の支配を維持するため巨人を意図的に呼び込んで(支配者に対立しかねない)血気盛んな若者を減らす、って…。人口減らして大衆の意欲も減らして、国が成り立つか?

だからといって支配者を守る壁を壊してリセットしようぜと言われてもね…。

真の敵は身内にいた、というお約束は、この世界観では効果的とは思えない。説明的だったり芝居がかったりしたセリフは前編同様、多かったし。アクションの見せ方はよかったのだから、作品世界の骨格もセリフ以外の手法で伝えてほしかった。中盤の「白い部屋」はナシですよやっぱり。

終盤で超大型巨人をぶっ飛ばしてみせても満足感は少なかった。なにしろクライマックスの舞台・壁の中段に、途中で退場したと思われた登場人物たちが突然再登場するので、壁を壊せるかというドキドキよりも「こいついつの間にこんな高いところにまで上って来たの?」というご都合主義を先に感じてしまった。

今作は、前編からの話を終わらせるためだけの内容だった感は否めない。「終わり良ければすべて良し」とは言うけれど、「終わり『良ければ』」ってのは結構高いハードルなのでありました。

快楽が人を動かす話【書評「まちの幸福論」】

コミュニティデザイン」は著者自身の手による地域興し実例集だった。この本はものをつくらないデザイナーとして「コミュニティデザイン」という概念にたどり着いた著者自身の様々な考え、NHKと共同で行っている被災地復興の様子などをまとめたもの。

真摯な語りが印象に残りました。
真摯な語りが印象に残りました。

著者自身が記したパートとNHK取材陣が著者のワークショップを記録したパートに分かれているので、若干まとまりに欠けている構成ではある。

しかし、著者の手による文章やワークショップでの発言を通じて著者の考えを知ることができたのは興味深いのでした。

著者は今の日本の問題について

いたれりつくせりの環境ができてしまうと、そこに暮らす人はお客さんに変わってしまう。その結果として住民の主体性が失われていく。これが、住民同士のつながりを断ち切り、日本のまちを疲弊させてしまった大きな要因だと思えてならない。(P167)

と指摘する。

おそらく今までは、普通の人は仕事だけ経済活動だけしていればよい、それ以外のことは行政や政治家がやってくれるからそんな候補を選べばよい、というお任せ主義があったのではないか。

しかし著者のような活動に日の目が当たる今は、産業構造、人口動態も変わってきた。コミュニティのことを一人一人が考えなくてはいけなくなったのではないだろうか。作家・澁澤龍彦「快楽主義の哲学」を引用しながら著者はこうも言う。

澁澤さんは、現状よりもマイナスなことが起きない状態を消極的な意味で「幸福」と呼ぶのであって、現状よりもプラスなことを積極的につかみにいくことが「快楽」であると論じている。そして、悪いことがないことが幸せなのではなく、自分が望むものを貪欲に手に入れるような生き方をせよと述べている。(P176)

彼の言う「快楽」や「幸福」は、あくまでも個をイメージした心の満足だ。そうではなく、コミュニティをイメージしながら考えてみれば「快楽」のとらえ方は違ってくるであろうし、「幸福」も決して消極的でつまらないものではない。(P177)

快楽が、個人が外部から何かを得る喜びから、個人が外部に何かを提供できる喜びに変化しうるのではないか。以下の「ワークショップ」に関する記述にもそれをうかがうことができる。

ワークショップという手法を使ってアイデアを出してもらおうとする場合、必要なのは深い知見よりも広い意見だ。ワークショップは「違和感を発見に変えるプロセス」とも言われる。(P106)

日本人ならワークショップの会場に足を運んだ時点で「興味がある」という意思表示になると理解できる。しかし、海外ではその感覚は理解されないことが多い。興味を持って参加した以上、その場の雰囲気が盛り上がるように努力をするのは当たり前だからだ。(P116)

海外と日本に置けるワークショップの意味は、上記のように違っているという。言い換えるなら日本人にとっては知見を得る場、海外では(盛り上げるために)自身の努力を提供する場…だろうか。

得るか提供するか。考え方を180度変える必要はありそうだ。そこで変える原動力足りうるのが著者の言う「社会の問題を解決するために振りかざす美的な力」(P29ー30)、すなわちデザインになる。

すぐにアクションを起こしたり、機会をつくって人と会ったり、新しいことに取り組んだり。そういう積極的な生き方が「幸運な偶然」を呼び込むということは、実は多くの人が実感していることではないだろうか。(P121)

デザインを通じて個人が変わり、コミュニティが変わる。本を通じてだとどうしても「論」=言葉の力だけが問われがちなのだが、快楽に訴える力も必要なのだ。

まちの幸福論―コミュニティデザインから考える
山崎 亮 NHK「東北発☆未来塾」制作班
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期待はもたせてくれた話【鑑賞「進撃の巨人 Attack on Titan」】

とりあえず、後編も見とこうかなとは思える内容でした。

諫山創原作のコミックの実写化。人間を食う巨人が支配する異世界。人類は巨大な街の周囲に巨大な壁を築き、100年の平和をとりあえず維持していた。壁の向こうを知りたいと思う人間も現れる中、突如、壁は巨人によって破られる。壁を再び修復し巨人を駆逐するため、人類の戦いが始まる。

連載中のコミックの映画化なので、完結させるには何らかのオリジナル要素を入れる必要はあるのだろう。でも(序盤しか読んでいないのだけど)原作中には大々的に登場しない内燃機関(エンジン)と原作で大々的に登場する立体機動装置が同居する世界に少し違和感がありました。しかもヘリコプターの残骸も出てくるわけで。

役者陣は総じて頑張っていたと思うんです。
役者陣は総じて頑張っていたと思うんです。

そこらへんの理由はセリフでちらりと語られるのだけど「技術が発達しすぎたので過去に大戦争があったから…」的なもの。ふむ、そうなると今作の真の敵は巨人ではなく人類になるのかな?と後編に向けてイヤな予感もしないではないのです。

また、映画全体のスピード感も良くはなかった。アクションシーンと会話シーンがはっきり分断されているように感じて、会話シーンになると話全体が進んでいないように感じたのだ。

思い出すと、会話のシーンは説明っぽい感じになっていた気がする。前述の世界観の説明もそうだし、登場人物の特徴、今から行うミッション、登場人物間のつながり…。巨人が登場して100年の平和が破られるまでの時点(つまり冒頭)なら、そんな説明に違和感はないんだけど、主役の3人とソウダ以外の登場人物は冒頭の大破壊以後、まとめて出てくるので説明が必要になる→全体の話が止まる、わけで。フェンス越しに次々に登場人物の背景を説明するのだけど、正直、長かった…。中盤、巨人と2回目のバトルがあった後もまた世界観の話や登場人物間の関係の説明があってですね。うーん…。

しかしそんな不満はとりあえず、巨人対人間のバトルで解消はされるのです。原作にそんなに思い入れはないので、オリジナルキャラクター達にも違和感は感じませんでした。シキシマ、いいじゃないですか。原作と比較して前編のクライマックスはココだろうなぁと思っていたところがやっぱりそうで、盛り上がりましたね。アルミンが巨人に捕まる瞬間はひやっとしました〜。

今作もそうだけど完結編の評価もネットで見る限り、そんなに高くはなさそう。うーん、でも、見には行きますよ。次作への引きをちゃんと作っただけでも、今作は及第点ではないでしょうか。