長所も短所も変わらない話【書評「知識創造企業」】

野中郁次郎という名前は雑誌「Voice」などで何度か論文を読んで知っていた。唸らされることを述べているのに、世間的な評判はそれほどでもない感じ(失礼)。

野中郁次郎の本はもう少し読んでみたい…
野中郁次郎の本はもう少し読んでみたい…

この本は成功した日本企業について共著という形で考察したもの。組織のメンバーが創り出した知識を組織全体で製品やサービス、業務システムに具現化する「組織的知識創造」が成功した日本企業の強みだとして、いくつかの例を取り出しながら分析していく。

著者ら曰く、知識の創造には

第一に、表現しがたいものを表現するために、比喩や象徴が多用される。第二に、知識を広めるためには、個人の知が他人にも共有されなければならない。第三に、新しい知識は曖昧さと冗長性のただなかで生まれる。

という特徴がある。そんな知識を生み出し、生かすためにトップダウン型、ボトムアップ型の組織ではなく、中間管理職−ミドル−が中心の「ミドル・アップダウン」型の組織を提唱する。

著者らによるとトップダウン型、ボトムアップ型組織の長所と短所は

トップダウン・モデルは形式知を扱うのに向いているが、知識創造をトップがコントロールするこのモデルは、組織の第一線での暗黙知の成長を無視している。一方、ボトムアップは暗黙知の処理が得意である。しかし、まさにその自律性重視が、暗黙知を組織全体に広めて共有することをきわめて難しくしている。

ということらしい、いっぽう、ミドル・アップダウン型組織とは、

ミドル・アップダウン・モデルでは、トップはビジョンや夢を描くが、ミドルは第一線社員が理解でき実行に移せるようなもっと具体的なコンセプトを創り出す。ミドルは、トップが創りたいと願っているものと現実世界にあるものとの矛盾を解決しようと努力する。

というものだという。そんな組織の幹部「ナレッジ・オフィサー」は

ナレッジ・オフィサーは、(1)会社はどうあるべきかについてのグランド・コンセプトを創り出し、(2)企業ビジョンや経営方針声明の形をとった知識ビジョンを確立し、(3)創られた知識の価値を正当化するための基準を設定することによって、会社の知識創造活動に方向感覚を与えるのである。

また第1線の社員やミドルマネージャーは「ナレッジ・プラクティショナー」と名付けられ、

ナレッジ・プラクティショナーは、理想的には次のような資質を持っていなければならない。まず、高度な知的水準を持っていなければならない。第二に自分のものの見方に応じて世界を創り変えることへの強いコミットメントが必要である。第三に、会社の内外でさまざまな体験をする必要がある。第四に、顧客あるいは会社の同僚と対話を上手に行う技術を持っていなければならない。第五に、率直な議論ないし討論を行うために度量を広く持つ必要がある。

が必要だと述べる。

ただ、成功例として取り上げられている企業の中にシャープがあるのは歴史の皮肉と言える。なぜシャープが低迷してしまったか。当然ながらこの本に直接書かれてはいないけれど、ヒントはあった。

組織進化論の発見の一つに、「適応は適応能力を締め出す(Adaptation precludes adaptability.)」というのがある。過去の成功への過剰適応(overadaptation)だといってもよい。

過去の成功に過剰適応して、変わりつつある新しい環境の中でそれらの成功要因を「学習棄却(unlearn)」することに失敗したのである。

確かに、シャープは液晶に頼ってたものねぇ。まぁこういったことはシャープ1社に限らず、一つの産業…メディアとか…にも言えそうだけど。

1996年3月発売という古い本だけど、論じられている内容はそう古びていないように思う。日本の組織の長所も短所もこの頃から変わっていないのだろう。製品を安いコストで大量生産するのはアジア諸国にシフトしてきている今にあって、むしろ斬新な考察かもしれない。

知識創造企業

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苦労は表に出ない話【鑑賞「蛍の頃」】

宮崎市民プラザ・オルブライトホールであった劇団ペテカン公演「蛍の頃」見てまいりました。脚本・演出はペテカン所属で延岡市出身の本田誠人さん。延岡に実在したキャバレー「シスター」を舞台に、自身の祖父母と父親をモデルにしたノスタルジックコメディ。

キャバレーのママとして生計を立てる母親とそれを嫌ってきた息子。時は流れ、年老いた母は認知症の症状が見え始める…。過去と現在を行き来しながら親子の絆を描いた話でした。

ペテカンの役者陣の他に客演として県内在住の役者や、アニメ「ワンピース」「ドラゴンボール」などで声優を務める田中真弓さん、欽ちゃんの番組で有名な山口良一さんを招いておりました。

皆さんお疲れ様でした!
皆さんお疲れ様でした!

舞台のメーンはキャバレー「シスター」の場面(過去)。幕前で病院(現代)が演じられる構成で、賑やかでエネルギッシュな過去と静かな現代を対比させて話は進む。全編延岡弁ということなんだけど、ほぼ地元である我々からすると聞いてても違和感がない。あの田中真弓さんがしゃべるセリフもフツーに聞こえる(もちろん県外の人が聞くと訛りバリバリに聞こえるんでしょうが)。役者さんってすごいなぁ。

話が進むにつれ、賑やかでエネルギッシュだった過去は貧しさもまだ残る厳しい時代だったと描かれ、現代では息子は母の秘密を知る。一生懸命生きてきた一人の女性の人生が明らかになり、幕の前と奥で演じ分けられてきた現在と過去が交わる場面がクライマックスでした。

祖母と父親をモデルに孫が書いたのは、人知れず重ねているであろう親の苦労を慮った切ない話。ギャグも交えつつ最後はジーンとさせる、ウェルメイドな話でした。見終わったら「やっぱ、親は大事にせんとなぁ」と思うこと請け合い。「親を大事にしよう」なんてストレートに言葉にすると陳腐なんだけど、それを語れるのが芝居というフィクションの力なのでしょう。ちなみに終演後の挨拶で言われるには、モデルとなった本田さんのおばあさん、ご健在だそうですw。

「ペテカン」の公演を観たのは「青に白」「茜色の窓から」に続いて3本目。劇団20周年公演だそうですが、ホームページを見ると20周年公演第2弾も秋に計画されている様子。是非こちらも九州ツアーをお願いしたい所存です。

ネットは広く、作品世界は狭まる話【鑑賞「攻殻機動隊 新劇場版」】

このシリーズも閉じてきたなぁ。ネットは広大なのに。

士郎正宗原作のSFコミック「攻殻機動隊」の新シリーズアニメーション。主人公・草薙素子をリーダーとする「公安9課」配下の攻性独立部隊が発足するまでを描く。

サブタイトルは本当、考えてほしかった…
サブタイトルは本当、考えてほしかった…

全4作のアニメシリーズ「攻殻機動隊ARIZE」、それをテレビ版に置き換え、今回の劇場版につながる新エピソードを追加した「攻殻機動隊ARIZE ALTERNATIVE ARCHITECTURE」を経ての今作。制作を聞いたときは「『新劇場版』ってのは仮題なんだろうな」と思っていたら、まさかそのままのタイトルで公開されておりました。うーむ、そこはちゃんとネーミングをしてほしかった。やっつけ感が拭えません。

原作コミックのテーマに向き合った、押井守監督の劇場版アニメーション2作、原作コミックの世界観に薬害問題、移民と戦争、高齢者問題などを混ぜたテレビシリーズ「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」3部作を経て、今回「ARIZE」はキャラクターに向き合ったシリーズにした…と制作者側は考えたよう。

しかし「ARIZE」でやっていることはこれまで同様、電脳犯罪の捜査だし、キャラクター描写もこれまでとそう変わらない。主人公・素子の髪が短いくらい。

もともと「始まりの物語」といっても、登場する主要キャラクターはみないい年した大人でプロフェッショナルぞろい。あまり成長や心境の変化はないし、「ARIZE」シリーズを通じて素子は仲間を増やしていくんだけど、仲間になった連中は「ほとんど」裏切らないので(それっぽい場面はあったけど)、話が進むにつれこれまでのシリーズとの違いがわからなくなった。

で、新劇場版はエピローグでまさかの原作コミック冒頭の某場面をやってみせるんですが、違和感が半端ない…。

原作コミックでは素子やバトーが変顔をするところもあるんだけど、それは漫画としてのデフォルメ表現でありコミック世界の中でちゃんと統一性があった(そう考えると原作コミックの表現の幅広さはすごいな)。新劇場版の話を見た後では、素子が、原作コミックのように出動命令を拒否しても「?」という感じ。

「ARIZE」は原作コミックの中でアニメ化していない部分を探してきた、という感じで、この世界観を使って何か普遍的なものを描こうっていう志を感じなかったなぁ。個人的には、そここそがこのシリーズの魅力だったんで。

激烈!単純!しかし細心な話【鑑賞「マッドマックス 怒りのデス・ロード」】

80年代に一世を風靡した伝説のシリーズ「マッドマックス」がグレードアップして帰ってきたぜヒャッハー!!!

最終戦争後の荒廃した世界をひとり生きているマックスは、カリスマ的独裁者イモータン・ジョー率いる武装集団に襲われ、囚われの身になる。折しもイモータン・ジョーの本拠地では、女大隊長フュリオサが若い5人の女たちを引き連れ脱走する。フュリオサを追うイモータン・ジョーたち。共に連れ出されたマックスはフュリオサ追撃の中イモータン・ジョーの一団から脱出し、フュリオサと合流。共に「緑の大地」を目指す…。

パンフレットも気合入ってるぜヒャッハー!
パンフレットも気合入ってるぜヒャッハー!

絶賛の声が多い作品ですが、気になったのは主人公マックスが実は目立たないこと。マックスは主人公というより観客の立場に近い。この点に納得できるか否かは結構大きい気がする。キメてくれるのはマックスの周囲にいるキャラクターで、マックスの視点を通じて観客はこの激烈な映画世界を体験するのだ。

そう激烈。美しく激烈。暴力と破壊の美をこの映画では嫌というほど堪能できる。マックスが囚われ、フュリオサを追うカーチェイスに連れ出され、追い追われる一団が砂嵐に突っ込むまでの序盤でもうお腹いっぱい。文字通り「痛車」と化したトゲだらけの特攻車や改造を施されまくったトラックが砂漠のど真ん中を爆走する。

なんといっても車たちの白眉はネックから火を吹くギターを前面に構えたドラムワゴン。この映画のリアリズムのラインを規定していると言っても過言ではない。ホントに砂漠でサバイバルするなら車を魔改造する必要はないわけで(ISを見よ)、こういった魔改造車を楽しむのが今作の映画的お楽しみなんである。長い棒の上から棒をしならせて襲うなんてもはや曲芸だっての!しかしそれが最高!そしてショットガン婆さんがスーパークールだったということも特筆しておきたい!

ストーリー全体も単純。でありながら、キャラクターの特徴を外見や行動、セリフの端々で手際よく済ませているのは大事なところ。話に無駄がなく、キャラクターの行動に無理がないのだ。

過去作からのビジュアル面でのグレードアップは言うに及ばず、ストーリーも主張・説明しすぎない。映画の醍醐味、面白さをきちんと伝えた快作でした。