欠けたピースを埋める話【鑑賞「ドクター・ストレンジ」】

シリーズに空いていた穴を埋める存在だったようで、未見の作品たちも見たくなってきた。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)本当におそるべし。

【作品紹介】
シリーズ累計興収1兆円を突破した『アベンジャーズ』のマーベル・スタジオが生んだ新たなキャラクター、ドクター・ストレンジ──医術か、魔術か、自分の生きる道に悩みながらも医者としての信念を貫こうと葛藤する、人間味あふれるリアルなヒーローが誕生した。演じるのは、TVシリーズ「SHERLOCK(シャーロック)」で絶大な人気を誇り、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』でオスカーにノミネートされたベネディクト・カンバーバッチ。さらなる本作の魅力は、時間と空間の概念を超えた神秘の映像世界。想像を絶するあざやかな魔術の力によって、現実世界の高層ビル群や街はねじ曲がり、折りたたまれ、分割され、美しく変貌してゆく…。上下左右の感覚や、時間の流れすら失いそうになる未知の映像体験が、映画の常識も、あなたの常識さえも覆す。
【ストーリー】 
上から目線の天才外科医ドクター・ストレンジ。突然の交通事故により、神の手を失った彼を甦らせたのは─魔術。指導者エンシェント・ワンのもと、過酷な修行をかさね人智を超えた力を手にしたストレンジだったが、世界を破滅へと導く闇の魔術の存在を知ったとき、彼は壮絶な魔術の戦いに巻きこまれてゆく。しかし、“人を決して傷つけない”医者としての信念が、敵であってもその命を奪うことをためらわせる。彼は、いかにして闇の魔術に立ち向かい、人々の命を救うのか?ドクター・ストレンジにしかできない、常識も次元も超えた戦いが始まる。

公式サイトより)

今回は新ヒーロー誕生話。弱い立場の主人公が師に導かれ新たな力を得て覚醒する(そして師は退場する)、典型的な話です。ただMCUの中では「力を修行で会得する」ヒーローはいなかった。ハルクやキャプテン・アメリカ、スパイダーマンは科学の力を第三者から与えられた。アイアンマンは自分で作っちゃった。ソーは(異世界の人なので)もともと力を持っていた。

パンフレットは特別版を買いましたー

我々一般人はアーマーを作れるほど天才ではない。変な科学実験に巻き込まれるようなこともない。ましてや異世界の人間でもない。なので、ドクター・ストレンジは立ち位置としては観客に結構近いんですね。ガリ勉が必死になってテストで百点を目指すようなイメージ。もちろん魔術はフィクションな訳ですが。

その今作でのフィクション、魔術の見せ方がよかった。指揮者のタクトみたいなのを振るって呪文を唱える、のではなく、手で印を組んでパワーを出すので端的にカッコ良い。戦闘シーンで力を「込める」演技が入るので、見ている側も力が入るんですね。ねじ曲がる空間での戦闘も映画「インセプション」のようだけど、それを数倍レベルアップした感じで、見ていて楽しい。

作中の会話で触れられるまで気づかなかったんですが、魔術を会得した主人公が「マスター」ストレンジでなく、「ドクター」ストレンジと呼ばれたがるのもいい設定。クライマックス、意外な方法で敵を退けてしまうことの伏線にもなっていた、とも解釈できるでしょうか。かなり意外な方法なので爽快感がやや落ちるかなーという気もするが。

今作の残念な点としては、終盤にやや爽快感が欠けることや、次回作や他のシリーズ作との関連などを意識しすぎた構成になっていること。エンドクレジットの間に今後の展開を匂わせるエピソードが2つも入るのはちょっとやり過ぎ。

そんなエピソードのうちの一つは、MCUの別のキャラとの絡み。でもここで、MCUという一連のシリーズの中でドクター・ストレンジが魔術を使う意味が活きてくることがわかる。

今作の魔術の定義は「マルチバース(別世界)と繋がって力を得る」。マルチバース=宇宙は一つではなく複数あるのではないかという考え方=自体、宇宙物理学で現実に唱えられている理論でフィクションである魔術にちょっとリアルな感じがして好印象。

一方でこれまで様々なヒーローが登場してきたMCUには、はっきり言って一人だけ浮いているヒーローがいる。一人だけ寄って立つ世界が別なヒーローがいる。なんでハンマー振り回すだけでそんなに強いんだよと言いたいヒーローがいる。

これまでは「だって彼は異世界(アスガルド)の人だから」で済ませていたわけですが、ドクター・ストレンジは異世界とこちらの世界を繋ぐ役目を担うことが最後のエピソードではっきり分かったのです。MCUという大きな世界観に欠けていたものを埋めるのがドクター・ストレンジなのですねー。

そうなると、これまでMCUの作品の中であまり見る気がしなかったものにも興味が湧いてくるからたまったものではありません。今年秋には第三作「ラグナロク」が公開されるようなので、それまでに「マイティ・ソー」シリーズを見ておこうかなー。こうやって結局MCU作品を全て見てしまうのだろうか。恐ろしい恐ろしい…。

リアルな選択に寄り添う話【鑑賞「板子乗降臨」】

2月15日から19日まで宮崎市で上演された演劇。笑えるけどちょっとやるせない、人々の暮らしを見つめた話でした。

【作品紹介】
宮崎を舞台に、その土地で生きる人々を描くシリーズが誕生!
第一弾は、京都の劇作家×宮崎の演出家のベテランタッグにより、自然豊かな地方都市の現実(リアル)を描く意欲作!!
【あらすじ】
宮崎市から車で一時間ほどの場所にある樅ノ町(もみのまち)。山の上にある樅の巨木と無農薬野菜が売りの、これといった特徴のないこの町に、県外から一人のサーファーが移住してきた。地元製薬会社が樅ノ町に計画する研究施設建設への反対運動を盛り上げようと奮闘するが、彼の存在がきっかけとなって、地元住民の関係性が少しずつ崩れていき…。

メディキット県民文化センターホームページより)

板子乗(いたこのり)はサーファーのこと。話はサーファー(板子乗)が宮崎に来た(降臨)ことから始まる。宮崎市が舞台ではあるんだけど話の内容は普遍的なもので、政治運動が崩壊していく粗筋だけ追うと「救いのない話」とも読み取れる。実際、クライマックスは結構ダークな展開になるし。沖縄でこの芝居は上演できるだろうか…とまで思ってしまった。

笑えて考えさせる芝居でした

でもこの話はギリギリのところで踏みとどまって、地方の町で暮らしていく人々に寄り添って終わる。寄り添うというのは、人々の愚かさにも目を向けるということで、大きなものに抑圧される正しく弱い存在とは描写していないということ。運動の大義と人情の間で人々が揺れ動き、自身でも思いもよらない選択をしてしまう様は痛々しくて笑えもするんだが実にリアル。「いそうだなこんな人」と思わされた。やるせなさを爆発させた最後のセリフ(叫び)が、印象に残りました。

主演は渡部豪太。テレビで見たことのある俳優さんで舞台経験も豊富なだけあり、登場した瞬間はパッと惹きつける魅力が十分にあった。でも他の出演者たちも負けてなかった。「宮崎出身の人だけあって方言が板についてるなぁ」と思って後でパンフレットを見直したら県外出身の役者さんで驚いた、なんてことも。

宮崎県立芸術劇場プロデュースのこの公演、年1回新作を製作していく予定とのこと。宮崎礼賛、地方礼賛では全くないリアルな(でも笑える場面も多々)作品を1作目に据えたところに本気さを感じました。宮崎の演劇界は頑張ってるんだなー(上から目線)。

裏切っても信じる話【鑑賞「沈黙 -サイレンス-」】

(宗教的な)愛の形について考えさせられたヘビー級の一本でした。

【作品解説】
刊行から50年、遠藤周作没後20年の2016年。世界の映画人たちに最も尊敬され、アカデミー賞にも輝く巨匠マーティン・スコセッシ監督が、戦後日本文学の金字塔にして、世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤周作「沈黙」をついに映画化した。
【ストーリー】
17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。
日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々―
守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―

公式サイトより)

原作を読まずに臨んだのですが、まず印象に残ったのはナレーションの多さ。原作が手紙や記録形式で登場人物を描いたことの反映なのでしょう。とはいえ、もう少し絞った方が良かった気もする。説明過多な印象が残ったのです。特にエピローグ、「決断」した後のロドリゴについてナレーションはあんなに必要だったかな…。

作中度々登場する拷問シーンは意外と冷静に見られました。舞台が江戸初期ということで、別世界のように思えたからかもしれません。昔は酷かったねぇ、という感じ。これが現代の話だったらちょっと正視できなかったかも。

自然音しかない音楽構成も見事でした。

侍たちは、警察の取り調べで容疑者にカッとなる若い刑事と彼をなだめて容疑者に優しく接する老刑事といった趣。単純な悪人として描かれないのも奥深い。ロドリゴに棄教を迫りつつどこかロドリゴと共感しているようでもある。

この話の中で一番怖いのは拷問シーンではありません。拷問の前後に踏み絵を迫る際、侍たちがキリシタンたちに「形だけだから」と優しく言う場面が一番ゾッとするのです。踏むよう脅さないのがかえって怖いのです。精神と一つになった肉体を殺すのも怖いけど、肉体は生かされつつ精神を切り離すのも恐ろしい。人はこうやって自分でも思ってない方に進んでしまうのか…。

と思わされる一方で、何度も踏み絵を踏みまくり、何度もロドリゴに懺悔するのがキチジロー。信仰を捨てたのか捨ててないのか、したたかを通り越して、現代の視点で見ても分からない存在になっていました。

でもキチジローこそ、ある種の理想としてこの話の中に存在していたことにクライマックスで気づかされる。裏切り者のはずが、どんな状況でも同じように寄り添ってくれる存在に見えてくる。捨てたはずの信仰が、神が、相手の側から寄り添ってくれるような。

クリスマスも正月もフツーに祝う、宗教にこだわりのない身ではありますが、見えない大きな立場の愛を感じた場面でした。

ロドリゴの生涯からは神と人の一筋縄ではいかない関係が伝わる。神への愛と裏切りの形は簡単に決められないのでしょうね。

遊びが世の中を良くするかもしれない話【書評「気づいたら先頭に立っていた日本経済」】

「日本スゴイ本」のようなタイトルですが似て非なるもの。中身は(前向きに)考えさせられる本でした。

【内容紹介】
金融を緩和しても財政を拡大してもデフレは一向に止まらない。それは先進国に共通した悩みである。しかし悲観することはない。経済が「実需」から遊離し、「遊び」でしか伸ばせなくなった時代、もっとも可能性に満ちている国は日本なのだから。ゲーム、観光、ギャンブル、「第二の人生」マーケットと、成長のタネは無限にある。競馬と麻雀を愛するエコノミストが独自の「遊民経済学」で読み解いた日本経済の姿。
【著者について】
吉崎達彦 双日総合研究所チーフエコノミスト。1960年富山県生まれ。一橋大学社会学部を卒業後、日商岩井(現双日)に入社。同社調査・環境部、ブルッキングス研究所客員研究員、経済同友会調査役、日商岩井総合研究所主任エコノミストなどを経て現職。「かんべえ」のハンドルネームで、ホームページ「溜池通信」にて情報の発信を続けている。

アマゾンの紹介ページより)

競馬好きで仕事や休暇で国内外に足を運んで現場を楽しむ著者ならではの考察が読んでいて楽しい。著者は一人当たりのGDPが3万ドルを超える先進国になってくると、その国が目指す豊かさは一様なものでなくなる、として、それなのに従来の尺度にこだわって「もうバブルを起こす余地がなくなった!」と騒いでいるのが「長期停滞論」ではないか、と疑問を呈する。その上で高齢化が進む先進国で「人を楽しませる産業」をどう作るかが「遊民経済学」なのだという。

「遊民経済学」は「こういう方向で日本経済を発展させていく」という骨太のストーリーになりうるものなのだ。

「どう遊ぶか」を考えたくなる本でした。

一方で「遊民経済学」=遊びの産業化=自体にもストーリーが必要、というのが読むと分かってくる。質の良いストーリーが必要な映画産業しかり、ひとり旅でもネットを通じて友達と経験を共有できるSNSしかり。地方の観光PRだって「我が郷土の良さ」を再確認しなくては始まらない。日本経済は「ものづくり」と言われてきたけど、爆買いだけでは行き詰まるんですね。

一方で「おもてなし」だけでなく、日本人一人一人がもっと積極的に旅行に行くことも大事、と著者は言う。そりゃそうだ、お金が回りませんものね。

「当遊民経済学の視点から行くと、おカネのある人はなるべく盛大に、おカネのない人もそれなりに旅行を楽しむということが、これからの経済活動にとっては重要になってくる。それはもちろん、ひとりひとりの人生を豊かなものにしてくれる行為でもある」

スマホに押されながらも、家庭用の新型機がまた出るゲーム産業はどうか。「ものづくり日本」の代名詞だった産業だと思うが、これも著者はゲーム機からスマホに進出した「ポケモンGO」を引き合いに「ゲーム機やスマホは10年もたてば産業廃棄物になってしまうが、物語の寿命は永遠である。これこそゲーム産業のすごさではあるまいか」とやはりモノよりストーリーの重要性を説く。

一人一人が熱中するものを探し、金を使って楽しむ。熱中するものは人によって違う。洋服、シガー、シングルモルトウイスキーに借金してまで金をつぎ込む人もいたのを思い出した(ちなみに著者は「遊びは量より質」「遊びは借金してまでするものではない」と言っておりますw)。

著者の言う遊びにはストーリーがついて回る。ストーリーには起承転結がある。小説や映画しかり。ゲーム、ギャンブルは「短時間で勝者と敗者を選別する」。これも起承転結。特にギャンブルには「大人の知恵」、学校の授業では教わらない暗黙知が生じる隙間がある、と著者は言う。正論にすがってリスクを回避するばかりではダメな時もある、のでしょうね。最近のメディアの主張の基本的なトーンって、そんな感じだなぁとも思ったり。

喜んだり悲しんだり、遊びを通じて自分の中に様々なストーリーを持てば、人生だけでなく社会も豊かにするかもしれない。遊びが閉塞感を打ち破るキッカケになるとしたら、なかなか痛快ですよね。

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