「かわいい」は省略の中にという話【鑑賞「原田治展 かわいいの発見」】

みやざきアートセンターで2024年1月28日まで開催中の「原田治展 かわいいの発見」見てきました。

ミスタードーナツの景品やカルビーポテトチップスのパッケージに描かれたキャラクターで有名なイラストレーター。「anan」創刊時からイラストを描いて注目を集め、その後の活躍は先述の通り。ある一定の世代から上は「知ってる」「持ってた」「持ってる」という馴染み深い人です。

制作の際は「かわいいの中に寂しさや切なさを隠し味として入れていた」とのこと。その絶妙な塩梅を、お手本にしていたアメリカンカルチャーの中に感じ取ったんでしょうねぇ。依頼主の要望に応じて5種類くらいのパターンで絵を描き分けられたそうだから、才人はやはり違う。子供の頃に描いた風景画からして「これくらい描けたら気持ちいいだろうなぁ」と思ってしまう上手さ。晩年住んだ離小島のアトリエも素敵でした。省略の美を感じた展覧会でした。

2017私的ベスト3

2018年あけましておめでとうございます。まずは2017年の振り返りから。

ストーリーにグッときた3本でした。ほかにも「ブレードランナー2049」「しゃぼん玉」「猿の惑星 聖戦記」「夜明け告げるルーのうた」も捨てがたかった。その中で「彼らが本気で編むときは、」はLGBTやネグレクトという難しい題材を過剰に語らない姿勢が素晴らしい。「メッセージ」はこれぞサイエンス・フィクション。もう1回見たら必ず印象が変わってしまう語り口の素晴らしさ。「沈黙」はスコセッシ監督の作品への熱意が素晴らしかった。

「ヒルビリー・エレジー」を読んだ後では「日本のメディアが伝えないアメリカの一面があるに違いない」と思ってしまう。そしてそんな層がトランプ政権を支持している気がする。そんな世界のシビアな面を見るべきと再確認させてくれたのが「外交感覚」。「ヒットの崩壊」は2017年紅白歌合戦を見ていて思い出しました。紅白こそ「テレビの中の音楽フェス」の定番。2017年は過剰な演出もなくラインナップもなかなかバランスが取れていた気がするのですが、どうでしょう。ほかには「バブル 日本迷走の原点」「気づいたら先頭に立っていた日本経済」「ある日うっかりPTA」などもよい一冊でした。

いよいよ2018年1月6日から東京・上野の森美術館でも始まる「生賴範義展」。都内の人たちは皆行くがよい。3度は行くがよい。ひれ伏すがよい。感想が聞きたい!そんな作品展が宮崎でちょうど1年前、第3弾があったのでした。絶筆画など未完の油彩群が印象に残っています。「冨永ボンド展」は「こんなアートもありか」と新鮮な驚きが。そして青島太平洋マラソンは今回初参加。10キロとはいえ、いまだに膝が痛いのはなぜだ…(涙)そのほかにも上京した折に「ミュシャ展」「草間彌生展」、2017年11月はライブでライムスターやゲスの極み乙女。などを見ました。ライブはいいよねー。

2018年も良いものを見ていきたいなぁと思っています。どうぞよろしく。

走ることは祝宴だった話【感想・青島太平洋マラソン2017】

左膝が痛い。かばって歩くので今じゃ右膝も痛くなってきました。

2017年12月10日、宮崎市であった「第31回青島太平洋マラソン」10キロの部にエントリー、無事完走しました。

中学生の時、市主催の大会に(部活動の一環で)参加したことはあったけど、市民マラソン大会に参加したのは初めて。数日前走った際、左膝を痛めたので当日は大股走りを控え、スピードも超遅め。1キロ経たないうちから膝が疼き始めたのだけど、ごまかしごまかし、途中3ヶ所ある給水所では完全に止まってドリンクをごくごく飲み、日向夏やミカン、バナナをしっかり食べるというタイム無視のランでした。

先頭の人は本当にすごいスピードで走って行ったけど、中には早い段階で歩いている人もいたわけで参加者は様々でしたね。そんな中、最後まで同じペースで走ったのは自分でもよくやったと思います。スピードは早歩き並みだと思うけど。

で、自分のようなスローランナーでも沿道の高校生ボランティアや一般の観客は声援をくれるわけです。

写真を撮る余裕もあったりしてw

そこで気付いたのは「声援」が走る側の気持ちをアゲるってこと。ただ走っているだけなのに自分が何かの主役になったかのような気分になる。非日常のお祭り空間の中にいるような気がしてくるわけです。

「東京マラソン」など市民マラソン大会はあちこちで開かれていて、大勢の人が走っている。また「青島太平洋マラソン」も当初のルートは海沿いのバイパス道を走るものだったのを市街地を走るルートに変えたら参加者が増えたとも聞いた。ただ走るだけでなく、声援を受ける「祝祭空間」も必要なのです。

今回プレイリストを作って音楽を聴きながら走ったのですが、練習時に聞いたときは「テンションが上がりすぎてむしろ邪魔」と思っていたのに本番では超気持ちいい。非日常な空間にぴったりでした。

ゴール後の今は膝が痛むとはいえ、自分の走るペースがちょうどよかったのもあったからか、ゴールに着くときには「あぁもう終わるのか」と残念な気持ちにさえなる始末。この祝祭空間を長く味わうには長く走るしかない。10キロ以上走るしかない。そうなると次は…?いやいやまず膝の痛みを解消しなくてはねー。

情報への魅力を取り戻す話

2017年12月3日まで鹿児島県湧水町・霧島アートの森で開催中の「ナムジュン・パイク展」を見てきました。

どこか愛らしい「ボイス」

ナムジュン・パイク(1932-2006)は韓国ソウル生まれ。朝鮮戦争勃発後日本に移住し東大文学部を卒業。現代音楽を学ぶためドイツに渡り、1961年に世界初のビデオアートを発表。メディアやテクノロジーに関する先鋭的な作品を発表し続けた人。その活動には日本のアーティストやテクノロジーも関わっているわけです。

ブラウン管モニターを組み合わせて作った巨大な人型立体作品「ボイス」やアップライトピアノにブラウン管モニターを埋め込んだ「世界で最も有名なへぼピアニスト」、木々の間にブラウン管モニターが浮かぶ「ケージの森/森の啓示」などなど、映像という掴めないものを形にしようとした試みが興味深い。発表当時は最先端だったのかもしれないが、今となっては何処かレトロな趣なのも惹かれるところ。

また映像を全世界に同時配信するという当時としては最先端のアイデア「サテライト・アート」の模様もビデオで紹介。最新の技術は世界中の人々をつなげ、全体主義的な社会に別れを告げると訴えた。

映像、転じてメディアといってもいいだろう。ナムジュン・パイクの思想にはメディアへのポジティブな信頼とメディアには「形」が必要という二つの意味があると思ったのです。

今回は6冊購入…

今はブラウン管モニターはなくなった。テレビ画面は薄い液晶になり、人々はテレビ以外にパーソナルコンピュータやスマートフォンなどもっと手軽なサイズのスクリーンを持ち歩く。デジタルなら「いいね!」やシェアという形で内容を共有できる。共有の数がどれほどかもわかる。

でもそこに表示される内容には「モノ」としての魅力がなくなった。いまこそ情報にモノとしての魅力を取り戻すべきなのかもしれない。

佐賀のギャラリーオーナー、北島敬明さんの話が興味深かった

と、そんなことは別のイベントでも感じたのです。宮崎市で2017年11月23日にあった、手作り雑誌の展示販売イベント「Zine It! Vol.8」と書店・書籍・読書に関するイベント「Bookmark Miyazaki」の2つ。作り手の思いを紙に記すことで、手に取れないはずの作り手の思いが形になり、モノとしての魅力が発生することが分かる。

ただ雑誌やアートというフォームと異なり、産業としてのメディアは定期的に発信する必要がある。今日は伝えるべきことが少ないので放送しません、出版しません、発行しませんとはいかない。発信には多くの人が携わるのでスタイルは前例踏襲的になりがち…。

そんな現状を踏まえて、できることから何か手をつけられんか。そんなことを考えたイベント各種でした。

生きる力をもらう話【鑑賞「鳥丸軍雪」展】

着飾ることは生きる力、なのかも。

宮崎市のみやざきアートセンターで2017年10月22日まで開催中の「ファッションデザイナー 鳥丸軍雪展」を見て来ました。

鳥丸軍雪(とりまる・ぐんゆき)氏は1937年、宮崎県小林市生まれのファッションデザイナー。「軍雪」という珍しい名前はおそらく、お父さんの「軍二」、お母さんの「雪」から1字ずつ取ったんでしょうねー。

ダイアナ妃をはじめとする世界の一流セレブたちが着たものと同じ型のドレスは撮影も可能。

軍雪氏は小林市の中学校を卒業後、滋賀県の高校でテキスタイルを学び上京。東映動画でアニメ映画「白蛇伝」制作に携わったのち(!)渡英。ピエール・カルダンのアシスタントデザイナーになり、1986年、ダイアナ元英国皇太子妃が来日した際に着たロイヤルブルーのドレスを製作したことで注目を集めました。今年10月まで全国コンサート中の五輪真弓さんの衣装も手がけたそう。そんなスンゴイ人がよりによって日本人で宮崎県出身とは知らなんだ。

会場には氏が所有するドレスや黒柳徹子さんの衣装、デザイン画、東映動画時代時代の資料などを展示。ドレスはドレープやプリーツを多用、デザイン画にはダイアナ妃のほかマイケル・ジャクソンの衣装プランもあったことがわかる。

先着順に配布されたパンフレットの裏表紙。軽やかですねー。

男性目線で見る限り、展示されている服には全く縁がない。着てみたい、とは思わない。でも華やかさ、優雅さは十分伝わります。むしろ「男の服ってジャケット+シャツ+パンツっていうパターンばかりだよなぁもっとこんな風に変化がつけられんのかい」とうらやましくさえ思ってしまった。

会場では軍雪氏と仕事をした外国人スタッフや黒柳徹子さんなど軍雪氏のドレスを持っている人のコメントが上映されていた。そこで思ったのは服を着る意味。「軍雪氏のドレスが似合うよう、いつまでも若くいなくちゃ」という言葉が心に残りました。

勝負服、という言葉があるけれど、会場に展示されているのはまさにそれ。着ることで気持ちが上がることって男女問わず確かにある。「これでいいや」という後ろ向きな思いでは、着ても元気にはならんですわね。せっかく着るなら「これがいい」と思えるものを着て毎日を前向きに過ごしたい。服にはそんな力があるはず。

この企画展のことを初めて聞いた時、はっきり言って「誰この人?」と思いました。いやぁ、すごい人がいたもんですね。今回の展覧会が日本国内では初とのこと。国内巡回したら面白そうだなー。

ないはずの絵心を刺激された話【鑑賞「クレパス画と巨匠たち展」】

高鍋町美術館で2017年9月3日まで開催中の「クレパス画と巨匠たち展」を見てきました。株式会社サクラクレパスが所蔵する作品約100点を展示。色々な表現形態に驚かされました。

そもそもクレパスって1925(大正14)年に日本で開発された画材ってことすら知らなんだ。クレヨンのちょっと柔らかい版、程度の認識しかなかった。開発当初は寒い冬でも描きやすい「冬用」、夏の暑さでも溶けない「夏用」があり、冬に夏用を使うとカチカチ夏に冬用を使うとドロドロ、という苦労もあったそうで。でも3年後には統一化に成功し「ほんとのクレパス」と銘うって仕切り直したそうで。こんな解説を見るだけでも「へぇー」ボタンが欲しいところです(古い)。

「クレパス」は商標で一般的にはオイルパステルと呼ぶそうです。

学校の図工の時間ではクレヨンもクレパスも同じような扱いでしかなかった。だからできた絵も大差ないものだった。でもクレパスはクレヨンと違って色を混ぜられる特徴があるのだ(それも知らなかったぞ!)。その結果、会場に展示されているのは油絵に似た「これがクレパス画?」という物が目立つのだ。後日検索してみたらオイルでこすったりペインティングナイフで削ったりとクレパス画の技法にはいろいろある様子。実際に油絵っぽいですね。そういった技法まで学校で学んでたらなー。

そんな中、印象に残ったのは山本鼎「江の浦風景」(1934)。油絵にも似ているが油絵ほど重みがなく軽やかな発色がいい。こんな絵を描いてみたい、と思わされた。

この「自分でも描けないかなー」と思わされるのが本展覧会の特徴。一般的な展覧会では作品世界が別次元すぎて「描いてみたい」とは決して思わない。油絵も描いたことないので画材に馴染みがない。絵を本格的にやる人が使うのが油絵、というイメージ。

しかしクレパスは違う。クレヨンと大差ないもの、という認識(実際は先述の通り違うのだけど)があるので馴染みがある。あの画材でこんな絵が描けるならちょっともう一回…とくすぐられるのだ。脳トレにも効果ありそうだし。

なので、会場の販売コーナーで作品の絵葉書や画集などといっしょにならんでいる「ほんとのクレパス復刻版」や「クレパス誕生90年記念90色セット」(15000円)にむむっ…となったのはここだけの話。今まで気にもとめてなかった「大人の塗り絵」も興味が湧いてきた。「クーピーペンシル」も懐かしい…!と変に刺激されてしまったのでした。基本的な絵の描き方からわかってないので結局買わなかったけど。でも「クーピーペンシル30 カラーオンカラー」はどうしようかなー。

色もいろいろという話【鑑賞「カラフル展」】

高鍋美術館で2017年7月2日まで開催中の「カラフル展」を見てきました。

高鍋美術館は面白いねー

「宮崎アーティストファイル」シリーズ第3弾。過去2回の「ガール」「リアル」と比べ「カラフル」がテーマだと単調になりがちだけど、会場にはモノクロームの作品もあり変化をつけていました。「色のない作品にどんな色が見えるか?」という問い掛けと解釈しました。

いわゆる「王道」なのが池部貴恵(宮崎市)、松田舞(宮崎市)の二人か。セロハン貼り絵の伊藤有紀恵(宮崎市)もシンプルさが印象に残りました。

一方、先述したモノクロームの絵を出品したクリストファー・トラウトマン(都城市・米テキサス州)など男性陣はテーマ「カラフル」を拡張するような作風が目立った。五十川和彦(都城市)はアクリルの箱の中に服を入れ、服の色をぼんやりと外部に漏らしている。色だけを抽出する試みというところでしょうか。

そして今回のゲストアーティスト・儀間朝龍(ぎま・ともたつ/沖縄県)。今回のキービジュアルにもなっているのだけど、切り抜いたダンボールの型にダンボールの表面の色がついた部分をモザイクのように貼り付けて作品にしている。スマイルマークやキャンベルスープ缶、企業ロゴをその色通りに再現しているのだけど、少しずつ色味を変えることで鮮やかなのに古びた感じ、くすんだ感じもある。制作工程のビデオも上映されていて、キャンベルスープ缶の縁も少しずつ色味のパーツを変え、貼り付けていく細かい作り方に感心しました。少しずつ色味を変えるところに個性が出るんですねー。

選択が自分を作る。「カラフル」の多様な解釈を感じさせるイベントでした。

君の名は。から始まる話【鑑賞・大英自然史博物館展】

始祖鳥!

過日上京の折、上野の国立科学博物館で2017年6月11日まで開催中の「大英自然史博物館展」に行ってきました。博物館に行くことは滅多にないのだけど、なぜかピンときたんですよね。予習として「乾燥標本収蔵1号室」 (リチャード・フォーティ著)を読んで臨んだくらいの気合の入りよう。

特製ドードーステッカーもゲットしました

予習はやはり効果的でした。始祖鳥化石くらいは知っていたけれど「所有者を次々に不幸に陥れる『呪われたアメジスト』」「違法捕獲したハクチョウの羽毛で作ったドードーの模型」「女性研究者ドロシア・ベイトが見つけたミオトラグスの骨」など実に興味深い。一つの標本から自然の奥深さと人が自然を知ろうとした歴史を感じられるのです。

驚いたのは後の調査でヒトとオランウータンの頭骨を加工した偽物と判明している「ピルトダウン人の頭骨」も展示されていたこと。捨てずに保存していたのか…。教訓の意味もあるんでしょうね。

会場にならぶ美しい昆虫や甲殻類の標本の中にはテレビや動物園で見た生き物もあった。そんな生物は今、生きている様子を映像で見ることができる。それでも標本を集める意味はあるのだろうか。意味はある、と「乾燥標本収蔵1号室」にはある。

分類学と体系学は、ある面ではたしかに切手収集のようなものだ。ただしそれは、利用者が手元にある標本を識別できるよう、目録に明確な識別項目を配列していくという意味においてのみの話である。その目録は、四〇億年におよぶ生命の歴史が生み出したことの総覧でもある。しかもその内容は、地球の健全さをはかる尺度となっている。それでもまだ価値がないというのだろうか。

標本から世界、地球にまで視野を広げることは今までなかった、と反省。世界には名前のついていない生き物もまだたくさんいるのだという。大英自然史博物館には「トカゲマン」「線虫マン」「海藻マン」などの本当に狭い範囲の専門家(失礼!)がいて、まず種を特定し、名をつけ、そこから生態を調べているのだそうだ。そこから人間の生活に役立つ発見があることもある。

一方で大規模な自然史博物館は、ただ自然界のカタログを提供するだけでなく、自然に対する良心をはぐくむ場所ともなるだろう。そこは後世の人々が、「わたしたちは何をしてきたのか?」という問いに対する答えを見出す唯一の場所となるだろうという場でもあったのだ。

振り返るに美術館、映画館などにはよく行くのに博物館にはこれまでほとんど足が向かなかったのは、展示物に変化がない様に思っていたからだった。目新しさがないというか。しかし「乾燥標本収蔵1号室」を読み、大英自然史博物館の実際の標本を見たら、標本の背景も気になってきた。想像力がいつの間にか欠如していたようだ。たまには博物館に行くのも悪くなさそう。企画展もやってるわけだし。

乾燥標本収蔵1号室 ―大英自然史博物館 迷宮への招待
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アートは接着剤だった話【鑑賞「冨永ボンド展」】

芸術は誰にでも開かれている、と再認識しました。

みやざきアートセンターで2017年3月5日まで開催中の「冨永ボンド展」を見てきました。

冨永ボンドは木工用ボンドで絵を描く画家。独自の画法はニューヨークやパリのアートフェスで注目され、現在は佐賀県佐久市の「ボンドバ」を拠点にライブペイントやアートセラピーなどで活躍しているそう。

初めて聞いたアーティストでしたねぇ

会場に展示している作品は「人間」をテーマに、顔、指、神経など様々なモチーフを採用。特に「顔」は気絶した人を描いたそうだけど、ファンキーでサイケデリックな作風が非常にクール。

もともとCDジャケットデザインからアートの世界に入ったものの、クラブイベントではデザイナーはすることがないのでライブペイントを始めたそうなので、音楽との関連が強いんですね。会場で流れるプロモビデオの音楽も、クラブイベントが落ち着いた時に流れるような、涼しげでスタイリッシュな曲でした。

前衛的な感じがいいですね

色使いに都会的なクールさはある一方、「ボンドアート」自体については「誰でもできる、失敗のないアート形式」と自ら定義しているのが興味深い。キャンバスに色を塗って、黒く着色した木工用ボンドで境目を縁取るだけ、なのだから。

しかし出来上がった作品はステンドガラス作品に似てちょっと高級さがあるのがこの技法の特徴かも。安っぽさがないんですね。

応援の意味でiPhoneケースを購入^_^

画家本人は色使いで勝負しつつ、一般の人はおろか福祉施設とも「ボンドアート」で連携、拠点「ボンドバ」はアトリエや作品販売の他、週一回のバー営業もしているそうで(行ってみたい…)個人で完結するのでなく周囲と繋がろうとするスタイルも新鮮。「つなぐ」というコンセプトと創作活動が高いレベルで一致してると感じました。

今回が初の個展だったそう。企画したアートセンターも挑戦的ですね。期間中に

大作を公開制作してましたが、あの作品、センターのどこかに常設展示されるといいなぁ。入場無料なので行ける方は是非。

 

リアルな選択に寄り添う話【鑑賞「板子乗降臨」】

2月15日から19日まで宮崎市で上演された演劇。笑えるけどちょっとやるせない、人々の暮らしを見つめた話でした。

【作品紹介】
宮崎を舞台に、その土地で生きる人々を描くシリーズが誕生!
第一弾は、京都の劇作家×宮崎の演出家のベテランタッグにより、自然豊かな地方都市の現実(リアル)を描く意欲作!!
【あらすじ】
宮崎市から車で一時間ほどの場所にある樅ノ町(もみのまち)。山の上にある樅の巨木と無農薬野菜が売りの、これといった特徴のないこの町に、県外から一人のサーファーが移住してきた。地元製薬会社が樅ノ町に計画する研究施設建設への反対運動を盛り上げようと奮闘するが、彼の存在がきっかけとなって、地元住民の関係性が少しずつ崩れていき…。

メディキット県民文化センターホームページより)

板子乗(いたこのり)はサーファーのこと。話はサーファー(板子乗)が宮崎に来た(降臨)ことから始まる。宮崎市が舞台ではあるんだけど話の内容は普遍的なもので、政治運動が崩壊していく粗筋だけ追うと「救いのない話」とも読み取れる。実際、クライマックスは結構ダークな展開になるし。沖縄でこの芝居は上演できるだろうか…とまで思ってしまった。

笑えて考えさせる芝居でした

でもこの話はギリギリのところで踏みとどまって、地方の町で暮らしていく人々に寄り添って終わる。寄り添うというのは、人々の愚かさにも目を向けるということで、大きなものに抑圧される正しく弱い存在とは描写していないということ。運動の大義と人情の間で人々が揺れ動き、自身でも思いもよらない選択をしてしまう様は痛々しくて笑えもするんだが実にリアル。「いそうだなこんな人」と思わされた。やるせなさを爆発させた最後のセリフ(叫び)が、印象に残りました。

主演は渡部豪太。テレビで見たことのある俳優さんで舞台経験も豊富なだけあり、登場した瞬間はパッと惹きつける魅力が十分にあった。でも他の出演者たちも負けてなかった。「宮崎出身の人だけあって方言が板についてるなぁ」と思って後でパンフレットを見直したら県外出身の役者さんで驚いた、なんてことも。

宮崎県立芸術劇場プロデュースのこの公演、年1回新作を製作していく予定とのこと。宮崎礼賛、地方礼賛では全くないリアルな(でも笑える場面も多々)作品を1作目に据えたところに本気さを感じました。宮崎の演劇界は頑張ってるんだなー(上から目線)。