撃沈討ち死に華と散った話【初級ウェブ解析士認定講座】

付け焼刃はイカンですわ…
付け焼刃はイカンですわ…

ふ、ふふ…燃え尽きたぜ…

急遽タイミングが合ったこともあり、2月21日、宮崎市の県ソフトウェアセンターであった、ブロを受講してきました。

午前10時から午後4時まで演習中心の講座を受け、1時間の認定試験。結果はまだ届いてないけどまぁ玉砕確定ですな!「初級」といっても個人的には普段関わらない分野の出題もあり難しかった…。

試験はマークシート式。1時間で65問なので、1問1分もかけられない。うち1割が計算問題。公式テキスト持ち込み可なのだけど、計算問題以外の選択問題、穴埋め問題などで「これ何だっけー」と確かめてたらあっという間に時間切れです。公式テキストは事前にしっかり読み込み、例題も解いておいて理解を深め、講座は復習の場として臨むべきでしょう。

扱う内容はウェブ解析の定義から解析方法、トラフィックの解析、クライアントに応じた企画立案、ネット広告やメルマガなどデジタルマーケティングで使われる様々な手段やその効果判定、関連法規…などなど。

そもそもこの講座&認定資格自体どんなもんだ?と探りながら臨んでおりましたが、必要な範囲は網羅されており、偏りがあるような内容でもなく、ウェブに携わる人は知っておくべきものばかりでした。

とくにウェブ解析の概念として「ユーザーの要望の理由、本質を考えクライアントと解決する」、具体的には「アクセス分析などから間違ってもいいからユーザー像をイメージし方策を打ってみる、行動を必ず示す」「広告の目的をはっきりさせる」などなどが大事なポイントかな、と。

初級試験の合格判定は2週間程度先だそうですが、合格者にはさらにGoogleアナリティクスを読んでのレポート提出もある(!)そうです。まぁ今回はそこまでは無縁でしょう…計算問題まで時間がなく勘でマーク埋めちゃったし…とほほ…討ち死に…。

ベテランはともかく、ウェブやデジタルマーケティングに携わってて自分の知識がどの程度なのか知りたい人には一般企業の方でも挑戦をお勧めしたい資格でした。

世界の分岐点は今だった話【書評「イスラーム国の衝撃」】

イスラム世界について理解を深められた本でした
イスラム世界について理解を深められた本でした

日本人2人殺害などで急速に国内でも関心が高まっているISIL(イスラム国)について分かりやすくコンパクトにまとまった本。これぞ新書!(Kindleで読んだけど)。おすすめです。

…で終わってはアレなので、印象に残った箇所を取り上げますと、ISILの主張はイスラム教の正当な大義や理念にある程度合致しており、現状、イスラム世界の中で適切に論破できないのだそうだ。宗教規範の人間主義的な立場からの批判的検討…すなわち宗教改革…が求められる、という著者の主張が重い。

宗教改革って他の主要宗教では行われてきた過程で、少なくとも現代では歴史上の出来事になっている。だからこそ主要宗教では規範を基にした過激派が仮に現れてもそれが広く支持されることはないのだ。しかしアラブを中心としたイスラム世界では過激思考を一定程度受け入れる思想がまだ残っており、これからそれを排除する試みが起こってもらう必要があるのだ。もちろんこれは内部から自発的に発生しないといけないわけで、そもそもそんな自己改革が起こるかどうかもわからん…。

これまでISILのような過激派を抑えてきたのは各国の独裁政権だった。しかしその統治の不正義が過激派を生む土壌にもなってきた。このジレンマにアラブ世界は疲れている。さらに民主化運動「アラブの春」によって独裁政権の足場が弱まり、過激派の抑制も困難になってきている。米国の覇権も希薄化し、新たな秩序を描く主体も国際的にも存在しないのが現状なのだとか…厳しいなぁ。

今は国際社会の分岐点に差し掛かっていると改めてわかった本でした。繰り返し読むことになりそう。

最初の一歩は結局自分で踏み出す話【書評・自分でつくるセーフティネット】

表紙は紙版のほうがよかったなぁ
表紙は紙版のほうがよかったなぁ

ネットの力を肯定的に論じた「レイヤー化する社会」をふまえての本、といえるだろうか。社会がグローバル化しブログやSNSが広まる現代をどう生きるかを考察した内容になっている。

平たく言うと、農村や会社といった強いきずなでつながった社会がすべてだったこれまでの生き方はもうできない。これからはプライバシーなどあまり気にせずネットで自分を発信して見知らぬ他人とつながっていけば、我々は新しいつながりを手に入れられる-というところだろうか。

ネットで見知らぬ他人とつながれば、新しい情報が手に入りやすいという「ウィークタイズ(弱いつながり)理論」を鍵に、他人とつながるにはオープンに構えて他人を信用する善人であれ、ネットでは善人でないと他人の信頼は得られない、と説く。

今の自分からすると「当たり前のことしか書いてない」…という感じなのだが、むしろこの本はネットとの向き合い方がわからない、ネットに自分をさらすのが(何となく)怖い、という人向けの本だったのかも、と思い直した。何しろ副題が「生存戦略としてのIT入門」なので。

そう、ネットは別に怖くない<場>なんですよね。あなたが善人であるなら。善人として振る舞えば自然にいい反応が返ってくるようになる、はず。

ただ「そうは言っても…」とたじろぐ人をさらに一押しするような論はない。たとえばプライバシーについて古代ローマや中世ヨーロッパ、江戸時代の暮らしを紹介した上で「そんなのこの半世紀ぐらいのあいだにようやく認知されただけの権利じゃん、とわたしは思う」で済ませている。国家による監視についても「アメリカのNSAが日本に住んでるわたしのメールを傍受したからといって、だからどうした? という感じ」。ネット社会の良い点だけ紹介して、懸念される点はあからさまに避けている感じがして若干粗雑と言わざるを得ない。

それ以外にも時代を表現するのに映画のストーリーや一般的なサラリーマンの「イメージ」を用い、何らかのデータや詳細な史実を紹介するわけではない。読み直すと著者の言う話の前提は、日本人読者にはぼんやりと共有できるものでしかない。変に砕けた言葉は使わず、理論のバックグラウンドをきちんと説明すれば説得力がさらに増したのではないかと思うと残念ではある。

ネット社会に至る時代の変化について詳しく知り考察を深めるには前回紹介した「パブリック」のほうがいいかな。

足りない部分はあるけれど間違ったことを書いているのではもちろんないので、ネットに少しでも良い印象を持っているけどSNSとかあまりやってないんだよねどうしようかな…って人には向いている本ではないかと思う。

一点だけ、企業と個人情報(ビッグデータ)の関係について「個人情報がたくさん集められると監視社会ではなく、企業から無視され、黙殺される社会になる」という著者の指摘は留意しておきたい。

「オープン」を再定義する話(書評「パブリック」)

読ませる本でしたよ!
読ませる本でしたよ!

ネットがもつ情報を公にしうる力を「パブリック(公共性)」をつくる力と捉え、プライバシーをなるべく排除し情報が広まる社会を極めてポジティブに捉えた本。パブリックとプライベートの線引きが国や文化によって異なることを紹介し、メディアは、個人は、政府はどうあるべきかまで幅広く洞察した内容だった。

しかし決して無制限なネット翼賛でもなく、著者が考える原則を提示し、より良い社会を築くためには一人ひとりの努力が必要とも説く。

本文最後に提示される<パブリックの原則>は以下のものだ。この原則を守るため我々は行動すべきだと著者は言う。

1 僕らには接続する権利がある
2 僕らには言論の自由がある
3 僕らには集会と行動の自由がある
4 プライバシーとは「知る」倫理だ
5 パブリックとは「シェアする」倫理だ
6 僕らの組織の情報は「原則公開」、「必要に応じて非公開」だ。
7 パブリックなものとはみんなにとっていいことだ
8 すべての情報は平等だ
9 インターネットは開かれ、広く行き渡り続けるべきだ

仕事柄、とくに著者の「パブリック」とジャーナリズムについての下記のような考察は耳が痛いものだった。

一九世紀の初頭、新聞は政党とその利益のための機関紙だったが、その後広告の援助によって政党の所有から経済的に独立することができた。するとジャーナリストは自分たちをパブリックの代表、市民と国家の間の架け橋だと勝手に思い込むようになった。ハーバーマスの公共圏の理想がシューっと音を立ててしぼんだのはその時だった。人々は自分たちの声をなくした。語りかけられるだけの存在になったのだ。

僕自身、ジャーナリストの仕事が市民の会話を育て、集め、広めることだとは教わらなかった。ジャーナリストの役目は市民に情報を与えることだと教わった。それは、市民は無知だと暗に意味していた。ジャーナリストは、自分たちをパブリックの上位におき、パブリックから離れることで、報道の対象である政治家や奉仕の対象である市民よりも、自分たちが客観的で、中立的で純粋だと思い込むようになった。

EUを中心に最近提唱されている「忘れられる権利」にも著者は否定的だ。言論の自由と衝突しかねないという。著者の考える「パブリック」は場であり、個人一人ひとりに権力を抑制する力を与えるツールでもあるのだ。一方で「パブリック」の概念はテクノロジーの進化を受けて常に変わっていく。「プライバシー」という権利が提唱されたのも著者によると、写真技術の進歩によるものだった。

思うに、ひと昔前の世代は、テレビや電話、映画、ラジオ、自動車、自転車、印刷、車輪の発明という激動のなかで生きなければならなかった。だが、私たちはその経験から学べるかもしれない。つまり、
1 生まれた時すでにこの世に存在したものはすべて、当たり前である。
2 三〇歳までに発明されたものはすべて、ありえないほどエキサイティングでクリエイティブであり、運が良ければそれを仕事にできる。
3 三〇歳以降に発明されたものはすべて、自然の摂理に反する、文明の終わりの始まりである。本当に問題ないことが次第にわかってくるまでに、だいたい一〇年くらいかかるからだ。

…なんていうテクノロジーと人間の理解に関する考察も的を得ていると思う。

人間には公と私を併せ持つ存在。「パブリック」の意味を今こそ問い直し、最適なバランスを様々な階層で問い直す時期に来ている。著者が引用した「ルネッサンスはめったにあることではないのだから、その過程を楽しむべきです」という前向きさが世界を変えていくのかもしれない。

パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ
ジェフ・ジャービス
NHK出版
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