辛い世界に優しさが光る話【鑑賞「彼らが本気で編むときは、」】

世界観を重視してきた監督の意欲作。なるほど「第二章」かもしれません。

【作品紹介】
『かもめ食堂』『めがね』などで、日本映画の新しいジャンルを築いてきた荻上直子監督の5年ぶりの最新作『彼らが本気で編むときは、』は、編み物をモチーフに、今日本でも急速に関心が高まりつつあるセクシュアル・マイノリティ(LGBT)の女性リンコを主人公としていち早く物語に取り込んだ。監督自身「この映画は、私の人生においても、映画監督としても、“荻上直子・第二章”の始まりです」と公言する、新しいステージに踏み出した作品である。
【ストーリー】
小学5年生のトモ(柿原りんか)は、荒れ放題の部屋で母ヒロミ(ミムラ)と二人暮らし。ある日、ヒロミが男を追って姿を消す。ひとりきりになったトモは、叔父であるマキオ(桐谷健太)の家に向かう。母の家出は初めてではない。ただ以前と違うのは、マキオはリンコ(生田斗真)という美しい恋人と一緒に暮らしていた。それはトモが初めて出会う、トランスジェンダーの女性だった。キレイに整頓された部屋でトモを優しく迎え入れるリンコ。本当の家族ではないけれど、3人で過ごす特別な日々は、人生のかけがえのないもの、本当の幸せとは何かを教えてくれる至福の時間になっていくが−。

公式サイトより)

作品紹介でも取り上げられた「かもめ食堂」「めがね」は見た。「かもめ食堂」は確かに雰囲気の良い作品で、いい印象が残っている。けれど「めがね」は雰囲気に馴染めず、何を訴えたいのかわからない、雰囲気だけの作品としか思えなかった。

雰囲気重視の作品って、見る側と波長が合えばいいけれど、ズレてしまうとまったくダメになってしまうんですよね。

生田斗真がだんだん女性っぽく見えてきたのがすごかったですね。

そこで今作。正直、監督が同じ人とは知らなかった。冒頭描かれるのは暗い荒れ放題の部屋でトモがコンビニのおにぎりを寂しく食べる場面。「かもめ食堂」っぽい感じが出るのはマキオの部屋が登場してから。やけにこざっぱりしてる団地の部屋で、3人が食べるリンコの手料理のこぎれいさに過去の作品との繋がりを感じさせる。

一方で印象に残ったのは作中何度か用いられる暗転。これまでになかった緊張感を作品に生んでいると感じました。

なにより本作の特徴は強いストーリーがあること。トランスジェンダーという日本ではまだ難しい題材を真っ正直にとりあげているのがとても素晴らしい。自分の特徴に気づき悩むリンコ、それを受け入れる母親。それとは対照的な結果になるトモの同級生カイとその母親の顛末。「トランスジェンダー」を巡って理想だけでなく現実も見据えた作品構成が非常に良かったです。リンコの母親とカイの母親、どちらが「あるべき存在」かは観客には十分伝わるわけで、それでもカイの母親を(作中では)断罪しきらないところに絶妙のバランス感覚を見るのです。

バランス感覚といえば、トモの母親になることを本気で考えるリンコと実母ヒロミの関係もそう。トモが選ぶ道はけっして楽ではないだろうが、エピローグでまた登場する(かつて荒れ放題だった)トモとヒロミの部屋の変化に、二人の関係性の変化も匂わせている。リンコがトモに贈るプレゼントも心憎い。リンコだけにしかあげられないものでしたねー。

もっとも、カイの母親同様、ヒロミも改心した描写はなし。トモ以外、リンコに接した登場人物の中で明確に立場を変えていく人はいないのです。みな既に変えたか変えられない人ばかり。そしてそんな人の間にズレを感じたとき、人は怒りを感じるわけです。

そこで今作で登場するのが編み物。辛い思いを一針一針に込めて一人解消していたリンコの振る舞いがトモ、マキオにも広がる。3人で編み物をする様子は微笑ましい一方で世間の理不尽にじっと耐えている姿でもあったのだ。

編み物や食べ物(コンビニおにぎりとキャラ弁)など、一見するとふわっと優しげな印象を残すツールに、今作は明確なメッセージを込めたのが荻上監督の「第二章」たるところでしょうか。世界は優しくないけれど、生きるに値するものもあるのです。