変化は向こうからやってくる話【書評「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか?」】

2018年の春節(旧正月)は2月15〜21日。大勢の観光客が中国から日本に来たようです。地元でも日本語圏以外のアジア人観光客が増えてるなー、という印象があるこの頃、受け入れる側とやってくる側、双方に目を配った誠実なノンフィクションでした。

【内容紹介】
流行語大賞で経済用語部門で唯一ノミネートされた「爆買い」――。日本の観光地から、新宿、銀座、梅田、なんば、名古屋栄、札幌、博多……といった商業都市に中国人旅行者が殺到し、ドラッグストア、家電量販店、コンビニはもちろん、空港、高級ホテルからビジネスホテル、流行レストランまでその来客数はすさまじいものになっている。「爆買い」効果で街の商店から一部上場企業までが恩恵を受けることになったが、いったいこの「現象」はブームで終わるのか、それともここしばらくは続くのか?中国取材29年のベテランジャーナリストの著者が、消費を享受する中国人から「インバウンド消費」に湧く日本の関係者までを丁寧に取材し、「爆買後」いったいどうなるのか、を予測すべく現場を歩いた。
【著者紹介】
中島 恵(なかじま・けい)
1967年、山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経て、96年よりフリージャーナリスト。中国・香港・台湾など、主に東アジアのビジネス事情、社会情勢等を新聞、雑誌、インターネット上に執筆。
著書に『中国人エリートは日本人をこう見る』『中国人の誤解 日本人の誤解』(ともに日本経済新聞出版社)、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』(中央公論新社)などがある。

Amazonの著書紹介ページより)

著者の基本的なトーンは「(中国人が)自分の目で日本を見て、日本人の優しさやサービスに直接触れれば、少しずつ誤解は減り、反日的な感情は必ず薄らいでいくのではないか」というもの。電化製品や日用品まで日本製への信頼、ホテルスタッフの振る舞いなどに代表されるサービスなどが中国人の心を掴んでいるほか、所得や資産を持った中国人の中には日本の病院で検診を受けたい人、終の住処を日本にする人もでてきたそうだ。モノからコトへ、中国人観光客の関心も移っているようだ。

爆買いまでは過去の日本人も通って来た道ですが、その後は違う道が待っているようです

一方で「爆買い」に対応するためバスの手配に追われたり、日本のマナーを伝えるのに苦労する日本人側の話もある。その中で東京・銀座の商業者が「(観光客の)ベースが増えれば自然と消費行動も変わる。自ら“育っていく”ようになる。だからベースが増えるのは大歓迎」「もし中国人客が全然来なくなったら?その時は元に戻せばいい」といっていたのが印象に残った。

ちょっと論点がずれるが、銀座の基本姿勢についても印象深い発言があった。大手海外ブランドの旗艦店が続々進出したことを受けて

「銀座が目指しているのは“対立”ではなくて“共存”なんです。強い勢力が出てきたら、それをだしにして、2軒目はうちに来てもらおうと…。そういう努力をする気概があるのが商売人というものです。力があるものを排除しようというのは、銀座の精神ではないのです」

…これはもちろん、自動車社会である地方都市の商業圏には単純に当てはまらないかもしれない。でもこういったしたたかな気概はなんだか応援したくなる。

中国人のマナーの改善も驚くほど早い、とも著者は言う。実際、今年も悪天候で飛行機が飛ばなくなった空港で抗議する中国人団体客の振る舞いに対し、出来事を知った同じ中国人が批判の声を上げるというニュースがあった。

先日紹介した「わかりあえないことから」で隣国同士はたいてい仲が悪く、その理由は「文化が近すぎたり共有できる部分が多すぎて摩擦が顕在化せず、『ずれ』がつもりつもって抜き差しならない状態になったときに噴出し衝突する」という仮説を述べていた。微妙な文化の違いがかえってイラつかせる。バンドが解散するときの「音楽性の違い」ってやつに似てますね。でも解散するバンドとは違い隣国同士の個人レベルの付き合いは、深まるにつれ良い方向に変わる可能性があるようです。

アジア圏の観光客をショッピングモールや街角、観光地で見かけることは増えた。買い物だけでなく、日本の暮らしそのものを評価して海外から訪れる人も増える、と著者は予想する。日本では民泊の解禁も間近。国際交流とは外国人に会いに行くこと、と思っているのはもう古い。向こうから会いにくる時代が来たのだ。それを脅威に捉えるのではなく、どうせなら自身への変化のきっかけにもしたい、と前向きに思わされる一冊でした。

「爆買い」後、彼らはどこに向かうのか?―中国人のホンネ、日本人のとまどい
中島 恵
プレジデント社
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社交性は嘘から生まれる話【書評「わかりあえないことから」】

鳩山由紀夫内閣で内閣官房参与に就任、所信表明演説のスピーチライターも務め、演説の文言「いのちをまもりたい」が話題になった劇作家の本。タイトルに惹かれて買ったはいいものの、読む前は正直薄っぺらい理想論が綴られているのだろうと思っていた。いやいやどうして、骨太の読み応えある本でした。

【内容紹介】
【新書大賞2013第4位】 日本経団連の調査によると、日本企業の人事担当者が新卒採用にあたってもっとも重視している能力は、「語学力」ではなく、「コミュニケーション能力」です。ところが、その「コミュニケーション能力」とは何を指すのか、満足に答えられる人はきわめて稀であるというのが、実態ではないでしょうか。わかりあう、察しあう社会が中途半端に崩れていきつつある今、「コミュニケーション能力」とは何なのか、その答えを探し求めます。(講談社現代新書)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
平田オリザ
1962年東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。二〇〇二年度から採用された、国語教科書に掲載されている平田のワークショップの方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇をつくるようになっている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Amazonの著書紹介ページより)

一度舞台を観たくなりました

著者の作、演出の舞台は見たことはないんだけど、この本を読む限り劇作家として当初は既存の評価軸に収まらず苦労された様子。そこから独自の演劇スタイルを組み立て、コミュニケーションとの関連、教育との関連についても思索を深めたようだ。

まず著者は、今の子供たちはわかりあう、察し合うといった温室の中のコミュニケーションで育ったため「伝わらない」という経験が不足している。そのため、伝える技術をいくら教えても意味がないと説く。でありながら、成長し社会に出るにつれ急に異なる意見を持った人と付き合う必要が出てくるので、それに対処できないという。子供のうちに異なる意見の人との付き合い方を学ぶ必要があるという。

そこで「常に他者を演じる」演劇の出番になる。

「無理に自己を変えるのではなく、自分と演じるべき役柄の共有できる部分を見つけていくことによって、世間と折り合いをつける術を子供たちは学んでいる」

著者のコミュニケーションの定義は「きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる」程度のこと。「慣れ」のレベルだが「慣れも実力のうち」と厳しいことも言う。

「いい子を演じることに疲れない子供を作ることが、教育の目的ではなかったか。あるいは、できることなら、いい子を演じるのを楽しむほどのしたたかな子供をつくりたい」

なんて、既存の理想論ぽいことをずらしながらも教育の本質に迫る言葉だと思う。

子供の頃は「ごっこ遊び」などで自分とは違う存在に変身する面白さを感じていたはずなのに、教育を受ける頃になると自我の確立、「本当の自分」を探すことが求められ、一方で協調も必要になる。結果、「扮する」ことは嘘をつくことと似た意味になっているような気がしてきた。

しかし著者は演劇を通して扮することの重要性を改めて説いている。そこから社交性、様々な意見をうまくまとめるリーダーシップにもつながるという。

空気を読んで他者を忖度する、のとは違う。自分を少し手放し他者との接点を探る。今から舞台に立つことはないだろうけど、立ったつもりで日々を送ってもいいのかもしれない。

僕らはみんなドラマチックな話【鑑賞「THIS IS US」】

いやぁ…(溜息)。シーズン1全18話、やっとの思いで見終わりました。

【作品紹介】
恋愛、家族、仕事…。人生の岐路に立つ36歳の男女のせつなく心温まる物語。生きているって大変だけど、すばらしい! 国を超えて誰もが共感でき、勇気づけられる! 涙と笑いと感動のヒューマンドラマ。アメリカで大ヒットした話題作が日本初登場!
誕生日が同じ36歳の男女3人。自分が演じる役に嫌気がさしているイケメン俳優、“脱肥満”を目標に努力する女性、幸せな家庭を築いているエリートビジネスマン。置かれている状況も性格もまったく異なる彼らには、同じ誕生日以外にも共通点があった…。それぞれが人生の壁を乗り越えようとする中で、大切なものを見つけだす。そして、3人の運命の糸がたぐりよせられる。
日本語版でケヴィンの声を演じるのは、海外ドラマ吹き替え初挑戦の高橋一生。

NHKオンラインより)

最近海外ドラマ見てなかったなー、と軽い気持ちで第1話を見たらいきなり打ちのめされた。何に打ちのめされたかというと、劇中ショッキングなエピソードやドラマチックな場面が起こらなかったにも関わらず感動しちゃったことに打ちのめされたのだ。

綴られるのは「(アメリカのドラマなので)こんな出来事はアメリカのどこかで起こってそうだなー」という複数のエピソード。一見するとそれぞれ地味な内容。そんな複数のエピソードが最後で重なった途端、非常に劇的な感動を呼ぶ。登場人物の台詞に味わいが増す。構成の妙ですね。普通の話しか語られていないのにジーンとしてしまうので、見終わると毎回ぐったりしてしまうw。なので見るのには気合が必要。複数回続けて見るのは無理でした。

海外ドラマとしては地味だけど、日本のドラマと比べるとリッチな内容だな、とは思う。日本なら登場人物の独白で済ませそうなところを一本のエピソードとして描くのだから。出演者がその分増えるし撮影も必要だ。でもその分、普通のドラマなら一度限り登場のチョイ役と思われる人のバックグラウンドも描かれ、ドラマに厚みが増しているのだ。色々な人が生きているんだよなぁという当たり前のことを再認識させてくれる。

各エピソードの繋げ方も自然で、それが見る側にいい緊張をくれる。上質な映画を見ているかのような気分になる。日本のドラマなら字幕や編集でつなぎ目をはっきりさせがちな気がするけれど、見る側に親切すぎやしないかな。親切すぎると感動の押し付けにも繋がるんだよねー。

このドラマの登場人物はみなどこかにいそうな人だし、主な舞台もドラマが起こりそうな病院や捜査機関ではない。ましてやゾンビや宇宙人など出てこない。それでもこのドラマを見てしまうと否応でも自分の暮らし、人生も振り返ってしまう。今の自分があるのも過去のちょっとした出来事の積み重ねで、自分の人生も見方によっては結構ドラマチックなのかも、と。

アメリカでも評判でシーズン3までの製作が決まり、現在シーズン2が放送中。日本でも早く放送してくれー。

骨格を変えにかかった話【鑑賞「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」】

賛否両論だった本作。個人的には◎でした。そんなにダメだったかぁ?

【作品紹介】
前作『フォースの覚醒』は銀河の独裁をもくろむファースト・オーダーと、それに抵抗するレジスタンスが戦う世界。描かれたのは、フォースを巡るドラマであり、ジェダイ騎士唯一の生き残り、ルーク・スカイウォーカーを探し求める冒険だった。ラストシーンで、万感の思いを込めてルークにライトセーバーを差し出すレイ。彼女をじっと見つめるルーク。そこに言葉はない。観る者の胸を感動で満たし、同時に様々な想像をかき立てずにはいられなかった、このラストシーン。――そして物語は、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』へと受け継がれる。
『フォースの覚醒』の興奮はそのままに、戦慄の予感に満ちた『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が幕を開ける。

公式サイトより)

否定する人たちの言い分もわからんではないのです。レイアが助かるあの能力はいかがなものかとか、中盤からレジスタンスを指揮するホルド提督が撤退作戦の意図を語らない理由がなかったとか、ベニチオ・デル・トロ演じるDJがあまりにチョイ役とか、フィンのエピソードは全く本編と絡まなかったとか、ファースト・オーダー最高指導者スノークのあまりにあっさりした退場とか。

ただ鑑賞しながら思ったのは、今作で「スター・ウォーズ」シリーズは骨格を変えにかかったな、ということ。これまで基本的に「スカイウォーカー家の物語」だったものを変えにかかっている。それは「フォース」とよばれる一種の才能を巡る解釈の変更でもある。

今作もフィンが良かったなぁ。

フォースを使いはじめたレイがスカイウォーカーの血筋とは無縁なこと、最後のシーンでレジスタンスの指輪をもらった無名の少年がフォースの片鱗を見せることなど、今作では「フォースを一番うまく使えるのはスカイウォーカー家」という暗黙の設定を崩そうとしている。旧シリーズのキャラクターから今シリーズのキャラクターたちへ、シリーズにおける主役交代をするために、シリーズの骨格から変えようとしていると感じたのです。

それは中盤、「エピソード6で見たぞこんな場面」という、スノークの御前でのレイとレンの対決で頂点に。そこからのストーリー展開はもう過去の作品をなぞるようなシリーズにはしない、という決意を感じさせました。

レジスタンスの逃走作戦という本筋に全く絡まなかったフィンのエピソードも、個人的には「1本で2度美味しいなこれ」と悪くない印象を持った。一連のマーベル映画(MCU)が別々の映画を絡めて一つの世界観を作るように、今作は1本の映画で作品世界を広げようとしているとみた。今作の見所はフォースの使い手も含む様々な立場の人が奮闘する、と思ったのです。スピンオフ作品「ローグ・ワン」にも通じますね。

そしてクライマックス。ルークがついにファースト・オーダーの前に登場した場面では「もういい!ここで終わって続きは次回で!」とゾクゾクしながらも話がまだ進む高揚感を味わいました。

次が一応の完結編ということですが、テロップで出るキャリー・フィッシャーへの追悼メッセージが泣ける。ソロが退場した前作、ルークが退場した今作に続いて、本当は次作で退場してもらうことでシリーズが新世代中心のものになる…のが一番綺麗な完結だったのだろうけど。シリーズに新しい風を入れようとした今作の挑戦精神にはエールを送ります。次も楽しみだ。