成功したからこそ謙虚にという話【鑑賞「入来祐作コーチと若者たち〜」】

NHK BS1で放送されたドキュメンタリー「戦うために 立ち上がるために〜入来祐作コーチと若者たち〜」を見ました。

プロ野球福岡ソフトバンクホークス2軍投手コーチの入来祐作氏は宮崎県都城市(同郷!)出身の野球選手。ジャイアンツで活躍後、日ハムやメジャー挑戦を経て横浜ベイスターズで引退。その後はベイスターズでバッティングピッチャーや道具係を勤め昨年からホークスでコーチに就いています。ホークス監督に就任した工藤氏から3軍コーチとして直接オファーを受け、異例の記者会見で涙を流したエピソードは印象深かったです。

番組はそんな入来コーチの歩み、コーチとしての現在の様子を紹介。「これからは謙虚に誠実に生きなさい」という桑田真澄の言葉を胸に、裏方として一段低く扱われたときも見返りを求めず「自分の役割を果たせればよい」と頑張ってきた過去を経て、(上から目線の)「ティーチング」ではなく(同じ目線の)「コーチング」で若手選手たち個々の能力を引き出そうとしていました。

「選手は一人一人違うのだから『なぜできない』は禁句」「選手に欠点を指摘するタイミングには気を使う」と話す入来コーチ。カメラは入来コーチがブルペンの土ならしを率先して行う様子もとらえてました。「引退後即コーチだったらとんでもないコーチになって即クビだったはず」とも語ってましたね。

番組では桑田氏にもインタビューし「プロ野球選手は自分のピーク時の印象でセカンドキャリアを描きがち。そうではなく、プロの世界で活躍できたことに感謝して謙虚に勉強しながらセカンドキャリアに向かうべきだ」と語っていました。

とはいうものの、プロ野球はその振り幅が大きいだけで、桑田氏や入来コーチの件-謙虚にセカンドキャリアに臨む-は、一般の人にも当てはまるんじゃないかなぁ。

それまでの自分を捨てざるを得なくなり「組織の中で役に立ちたい」「新しい自分をつくらなくては」という時期は人生に何度か訪れる。メジャー挑戦までできるほどの投手だった入来コーチは、現役引退後に道具係まで経験することで自分の過去を客観視しできたんでしょう。

今「なぜできない」と若手選手に問わないのは、現役時代の自分だって「できないこと」より「自分にできること」を探していたことに気づいたからでしょうね。

成功してしまうと自分が何に苦労していたか忘れてしまう。入来氏はそれに気づいたのだと思います。そしてそれはプロ野球選手に限らず、社会人として一定の地位を築いたであろう我々一人一人もまた、かもしれません。

揺らぐ人を受け止める話【書評「雲は答えなかった」】

現実と理想の狭間で揺らぐ人間をどう見つめるか。ぎりぎりまで目をそらさない著者のまなざしの深さが魅力的な本だった。

著者は「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」などで知られる映画監督・是枝裕和。彼が初のテレビドキュメンタリー作品として取材した環境庁(当時)官僚・山内豊徳の生涯を書籍化した本。巻末には文庫化にあたってのあとがきも収録している。

タイトルも切なく心憎い…
タイトルも切なく心憎い…

泥沼化した水俣病患者救済問題の中で、自ら命を絶った環境庁企画調整局長・山内豊徳。彼の生涯を振り返る中で印象的なのは、山内氏が命を絶ってしまうときの環境庁長官が、環境問題に前向きに見えることだった。

本業より財テク(死語)に夢中だったダメ長官もいた中、山内がそんな人物に苦悩した形跡はなく、むしろ、水俣病解決に行動しようとした環境庁長官を相手に山内氏は苦悩するのである。

山内氏にとって理想を具現化したような環境庁長官に対し、実際には他の省庁と意向を調整する「現実的」な対応を取らざるを得なかった山内氏の苦悩はいかばかりか。

なので、問題解決のため裏方として走り回る山内氏ら官僚の苦悩を全く考えないこの長官は、単なるええかっこしい、スタンドプレーに見え、非常に鼻につく。どうやったら自分の理想が実現するかもっと考えんかい、と毒づきたくなった。

ドイツの政治学者マックス・ウェーバーの「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」という言葉を思い出す。政治は穴をあけてナンボなのだから。

ところが著者は、本文と文庫本のためのあとがきでは視点が大きく変わっている。

本文では、このような問題で折衷案を探る行政官僚を「金と政治力をバックに圧力をかけてくる側に常に有利にならないだろうか」「行政そのものの主体性は存在しない」と批判的だった。しかし文庫版のためのあとがきでは山内氏について官僚として加害者側であったろうし、時代の被害者でもあったろうとして、こう書いている。

「今という時代にこの日本で生きてくということは否応なくこの二重性を背負わざるを得ないということを意味している」
「この、二重性を生きているという自覚こそが、そしてそこに開き直るのではなく、そこから出発する覚悟が私たちに求められているのだろうと、今僕は思っている」
「その辛い自己認識から目をそらすことなく、私たちはその二重性と向き合う態度を身につけなければならない。その生を、私たちはある覚悟を持って生きなければならない。それが、山内さんの人生から唯一アンチテーゼとして発見した答えである」(「文庫版のためのあとがき」より)

この変化を興味深く感じた。本文を変えていない以上、自ら命を絶つまで追いつめられた山内氏への親近感、社会への怒りは今もあるはずだ。いっぽうで理想と現実に折り合いをつけられなかった山内氏への複雑な思いも生じてきたのかもしれない。

…と、文庫版のためのあとがきまで読むと大変に奥深くなるのだが、最後の最後、ノンフィクション映画監督想田和弘による解説が台無しにしている感は否めない。本文執筆時から文庫版あとがきに至る著者の思考の深まりに比べ、解説者が単純な善悪論にとどまり、著者に追いつこうとしていないのは残念。

先述の文庫本のためのあとがきで
「当事者意識の無いそのもの言いが本当にメディアの果たすべき役割なのだろうか?」
「伝える側が自らの価値観を検証することなく押しつけようとする態度からは、受け手との間での健全なコミュニケーションは育っていかない。たとえその人が伝えようと思っているのが平和や民主主義であったとしても、そこに自らを反映した形での揺らぎが存在しなければ、そんなものは信仰にすぎない。そこから生み出されるのはプロパガンダとしての映像であり、そのやりとりからは決して発見は生まれない」
と手厳しく書いているのに。

カンヌ映画祭審査員賞を獲得した是枝監督作「そして父になる」は、福山雅治演じるエリート建築家が、我が子が取り違えられていた事件を通じて親子のあり方を考え直す話だった。

今思い出すとこの映画、主人公を嫌みなエリートとして登場させながら、改心する場面では悪が善に変わるような糾弾調ではなく、優しく描いていた。登場人物を包容するような描きかただった。

この本はドキュメンタリーなのだが、監督のキャラクター造形の基本ー監督が人間をどう見ているかーがよく分かる本だった。揺らぐ人を揺らいだまま受け止めるには、受け止める側が判断を留保し続ける強さが必要なのでしょう。何かを糾弾するのとはまた違う強さが。

目に見えないクリエイティブもある話【鑑賞「ピクサー展」】

過日上京の折、東京都現代美術館で2016年3月5日から5月29日まで開催中の「スタジオ設立30周年記念 ピクサー展」を見てきました。

ゾートロープは良かったですよ!
ゾートロープは良かったですよ!

「混雑するに違いない」と気合いを入れて開館間もない時間に行ったら案の定入り口は順番待ちの長い列。しかし見終わって場外に出たら入り口の行列は跡形もなしw。まぁ終了が近づいてくるともっと人が増えるのは間違いないでしょうね。

会場にはピクサーのこれまでの長編・短編作品、第1作「ルクソーJr」から最新作「アーロと少年」まで(えらい!)アートワーク約500点を展示。イメージ画や色味を見るカラー・スクリプト、「トイ・ストーリー」では初期の検討デザインなども展示され、意外とキモいウッディや3頭身のバズなど興味深い資料もありました。暗闇の中で人形が動いて見える「ゾートロープ」も見所でした。グッズ売り場はもう少し広くてもいいんじゃないかなー。

とピクサーの世界を堪能したわけですが、雑誌「WIRED」21号に掲載されたピクサーの最新レポートを読むと、東京都現代美術館では紹介されていなかったピクサーの一面があったと気付いたわけです。

それはストーリー作りについて。ピクサーが「(普遍的な)いい話」を産もうと、主要スタッフ間で討議を積み重ね、現場を調査し、時には監督交代も辞さないほど力を入れている点です。

先述の「WIRED」ではストーリーを練っている資料(画像)として、会議室に貼られたストーリーの要点を記した付箋紙を撮影していた。じゃぁこの付箋紙を東京都現代美術館に展示すればいいかというと…そうじゃないですよねw

ストーリーを生む作業は形に残らない。ストーリー自体もアートワークと同列には展示できない。

創造とは形に残るもの、残らないものがある。ストーリーとはデジタルにも残るのか、アナログにとどまるのか?そんな気づき、問いを得た展覧会&レポートでした。

人間の武器を知った話【鑑賞「オデッセイ」】

リドリー・スコット監督作ではこれが一番気軽に見られる一本ではないか。エンタメとして楽しめる作品でした。

【あらすじ】第3次火星有人探査は突然の砂嵐で現地から急遽撤退を余儀なくされる。しかし撤退中にクルーの一人、マーク・ワトニーが行方不明に。ワトニーを探す時間もないまま、火星を離れる他の隊員たち。しかしワトニーは辛くも生きていた。火星に残った基地に戻るワトニー。第4次火星探査チームが来るのは4年後。しかし基地の通信機器は砂嵐で破壊され、食料は1年分しかない。ワトニーは生き延びられるか…?

…まぁ結局、生き延びて地球に帰るわけですが。史実に基づいた「アポロ13」とは違い、本作はSF小説が原作なので、ワトニーがどうサバイブしていくか、ワトニーをどう助けていくかが見所になるわけです。

サントラも買いました
サントラも買いました

冒頭の砂嵐から隊員たちの火星撤退、行方不明になるワトニーの様子まで息をつかせず見せるリドリー・スコットの手腕はさすが。ワトニーが自分の腹に刺さったアンテナを抜いて縫合するシーンもそこそこグロく、リドリー・スコットらしい部分でした。

ただそこから、生き残ったワトニーの独白が増えてくる。ユーモアを忘れないワトニーの明るさがこちらにも伝わり、作品の基調を暗くシリアスなものにはしていない。

隊長が基地に残した音楽ライブラリーを「ダサい…」とグチりながらも聞き続けるワトニー。全編に流れる懐かしのヒット曲は、火星に一人取り残されたワトニーの過酷さとのギャップから、ワトニーの地球への思いを逆説的に語っているようで印象に残ります。アメコミ映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」でも昔の曲を劇中で使っていたけれど、使う意味があまり伝わらなかったんだよなー。

生物やコンピュータなど科学の知識を総動員して生き残っていくワトニー。ワトニーの生存を知ったNASA側の対応も、秘密会合を指輪物語の一節にたとえるスタッフがいたりする。(くじけてしまいそうな局面もあるけれど)困難なときこそユーモアを絶やさないワトニーら登場人物たちは等身大のヒーローとも思うのです。

だからこそ原作も英語版も「火星の人」というワトニーに焦点を当てたタイトルになっていたのに、邦題が「オデッセイ」ってのはどうにも負に落ちん。そりゃまぁ原題直訳で日本でヒットするか、といわれると難しいかなとは思うのだが…。

まぁタイトルはともあれw、困難なときこそ知恵とユーモアってことですよ!知恵やユーモアを持つのは人間だけ!シリアスになりすぎず人間を讃える、見終わって楽しくなる映画でした。