社交性は嘘から生まれる話【書評「わかりあえないことから」】

鳩山由紀夫内閣で内閣官房参与に就任、所信表明演説のスピーチライターも務め、演説の文言「いのちをまもりたい」が話題になった劇作家の本。タイトルに惹かれて買ったはいいものの、読む前は正直薄っぺらい理想論が綴られているのだろうと思っていた。いやいやどうして、骨太の読み応えある本でした。

【内容紹介】
【新書大賞2013第4位】 日本経団連の調査によると、日本企業の人事担当者が新卒採用にあたってもっとも重視している能力は、「語学力」ではなく、「コミュニケーション能力」です。ところが、その「コミュニケーション能力」とは何を指すのか、満足に答えられる人はきわめて稀であるというのが、実態ではないでしょうか。わかりあう、察しあう社会が中途半端に崩れていきつつある今、「コミュニケーション能力」とは何なのか、その答えを探し求めます。(講談社現代新書)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
平田オリザ
1962年東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。二〇〇二年度から採用された、国語教科書に掲載されている平田のワークショップの方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇をつくるようになっている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Amazonの著書紹介ページより)

一度舞台を観たくなりました

著者の作、演出の舞台は見たことはないんだけど、この本を読む限り劇作家として当初は既存の評価軸に収まらず苦労された様子。そこから独自の演劇スタイルを組み立て、コミュニケーションとの関連、教育との関連についても思索を深めたようだ。

まず著者は、今の子供たちはわかりあう、察し合うといった温室の中のコミュニケーションで育ったため「伝わらない」という経験が不足している。そのため、伝える技術をいくら教えても意味がないと説く。でありながら、成長し社会に出るにつれ急に異なる意見を持った人と付き合う必要が出てくるので、それに対処できないという。子供のうちに異なる意見の人との付き合い方を学ぶ必要があるという。

そこで「常に他者を演じる」演劇の出番になる。

「無理に自己を変えるのではなく、自分と演じるべき役柄の共有できる部分を見つけていくことによって、世間と折り合いをつける術を子供たちは学んでいる」

著者のコミュニケーションの定義は「きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きな声が出せる」程度のこと。「慣れ」のレベルだが「慣れも実力のうち」と厳しいことも言う。

「いい子を演じることに疲れない子供を作ることが、教育の目的ではなかったか。あるいは、できることなら、いい子を演じるのを楽しむほどのしたたかな子供をつくりたい」

なんて、既存の理想論ぽいことをずらしながらも教育の本質に迫る言葉だと思う。

子供の頃は「ごっこ遊び」などで自分とは違う存在に変身する面白さを感じていたはずなのに、教育を受ける頃になると自我の確立、「本当の自分」を探すことが求められ、一方で協調も必要になる。結果、「扮する」ことは嘘をつくことと似た意味になっているような気がしてきた。

しかし著者は演劇を通して扮することの重要性を改めて説いている。そこから社交性、様々な意見をうまくまとめるリーダーシップにもつながるという。

空気を読んで他者を忖度する、のとは違う。自分を少し手放し他者との接点を探る。今から舞台に立つことはないだろうけど、立ったつもりで日々を送ってもいいのかもしれない。