世界は広くてどこも似てる話【鑑賞「世界入りにくい居酒屋」】

NHK-BSプレミアムでここ半年ほど放送している英題「Bar in The World」という番組が気に入って録画しております。

正式な番組名は「世界入りにくい居酒屋」。この脱力したタイトルがたまりません英題はカッコイイのにw。ホームページもやかましいしw。

「現地コーディネーター調べ(適当!)」の、地元の人しか知らない居酒屋を紹介するという番組。変な路地の奥だったり観光地から船で行った先の島だったり、収録後閉店しちゃってたり(苦笑)、そんな店の様子や常連酔客たちを突っ込み気味のテロップで紹介していく。

テロップのフォントも脱力気味のを複数使ったり、微妙に文字間を空けたりしてお気楽な感じを出そうとしてるのが興味深いところ。最後にちょっとグッとくる店主の自分の店への愛着コメントがあって、見終わる頃には登場する酔客たちと乾杯したくなるw。世界は広い、そして飲んべえはどこも大して変わらないw。

そんな番組で、ふーむと思ったのがトークゲスト。(酒好きっぽい)女性タレント二人(交代制)で、男性がキャスティングされてません。番組で紹介される店は必ずしも洒落てはいない(海外だから多少雰囲気良く見えるとはいえ)し、酔客たちには当然男性も登場するのだけど、男二人で酒を飲むのってなんだか湿っぽくなっちゃうのか?(イメージとして)。

考え出すと日本の男が酒を飲む姿…つまり自分の酒を飲む姿…がどんなもんかと振り返ってしまう。どうせならカラッと明るく飲んだほうがいいや。乾杯!

世界は匿名にあふれてる話【鑑賞・スイスデザイン展】

開場前から待つ人もいました
開場前から待つ人もいました

上京話その2。新宿の東京オペラシティ・アートギャラリーで2015年3月29日まで開催中の「スイスデザイン展」も見てきました。2014年は日本とスイスが国交樹立して150年だったそう。

江戸時代末期・日本とスイスの国交の始まりから現代までをなぞる展示なのだけど、順路の最初では紙幣や観光ポスター、国営として始まった鉄道や航空のデザインなど、匿名性の強い展示物が並ぶ。

匿名でありながら共通しているのが抑制的な色使いと機能美。1944年にスイス人技術者が開発・デザインしたスイス国鉄の鉄道時計は、今でも全く色あせないモダンな製品だ。

スイス生まれのブランドも紹介されている。スウォッチ(腕時計)、ビクトリノックス(ナイフ)、フライターグ(バッグ)などは知っていたけれど、どれもデザイナー個人を前面に押し出したブランドではないのがこれまた共通。この展示会で積極的に紹介していた個人は建築家のル・コルビュジエと、「Die gute Form(ディ・グーテ・フォルム=良い形)」展などを開いてデザインの啓蒙につとめたという芸術家マックス・ビルくらいか。それくらいスイスデザインとは匿名性が強い…しかし完成品の魅力はどれもすばらしいものなのだった。

マックス・ビルは今展で初めて知った。彼の手がけた椅子は時代を超越したシンプルさを保ち、ポスターはちょっとレトロモダン。今すぐ家に飾りたい。

そうそう、パソコンのフォント(字体)に使われるヘルベチカもスイス生まれなんですね。そういったタイポグラフィもスイスで磨かれた、とこの展示会で知った。

シンプルデザインというと、日本だと無印良品が近い気もするが、スイスの製品にはあまり「ナチュラルさ」はない感じ。色を効果的に使って都会的洗練さも感じさせる。テクノロジーを嫌ってはいないのが無印と違うところか。フライターグはトラックの幌の再利用だし、アルミボトルのSIGG(シグ)は第二次大戦後の資源不足の中、工場で残ったアルミを使ったのが誕生のきっかけだそうで。

良いデザイン・良い形は、作り手の名は知らなくても我々のそばに存在する。ブランドや作り手の名にとらわれず、良いものを探さなくちゃ。ということで…

専門店でしか販売してないそうです
専門店でしか販売してないそうです

買ってしまいました部品を51個しか使っていないというスウォッチの自動巻き「システム51」!ん〜おしゃれ。気に入った!誰がデザインしたか知らんけど。

ストレートに伝える話【鑑賞・単位展】

「単位展」会場
雨でしたが賑わってました

先日上京の折り、六本木は東京ミッドタウン・21_21designsightで開催中の「単位展ーあれくらい それくらい どれくらい?」を見てきました。

長さ、重さ、時間などを計る「単位」をテーマに、ビデオ上映やインタラクティブ展示、実物などをデザインよく並べた展示会でした。

会場内は写真撮影可だったので、以下…

「単位展」よりGiraffe's Eye「Giraffe’s Eye」インタラクティブ展示。会場を真上から移すスクリーン。手元を操作すると見下ろす高さが変わる。

「単位展」より「りんごってどれくらい?」「りんごってどれくらい?」インタラクティブ展示。球を持つように手をかざしてリンゴに近い大きさの球を画面上に作る。

「単位展」より「単位の体験」「単位の体験」

「単位展」より「お酒スケール」「お酒スケール」同じ量の酒を樽、瓶、ます、お猪口で表現。

「単位展」より「Pixelman」「Pixelman」インタラクティブ展示。スクリーンに映った自分の像が、スクリーンに近づくときめが粗くなる。画面の画素(ピクセル)の変化を体験。

展示物の中には“作品”もあったのがちょっと残念だったけど、総じて単位の意味を感じさせるものが多いイベントでした。

以前ここで開催された「デザインあ展」にも通じるのだけど、身近なものをきれいに並べたり、表面上は簡単にそうなインタラクティブ展示だけでも作り手の意味を持たせられるーデザインできるのって意外と大事なことかな、と。凝ったり奇をてらったりしなくても表現はできるんですね。

こんなセンスのいいイベントは地方にも是非巡回してもらいたいもんです。

朱に交われば赤くなる話【書評・年収は「住むところ」で決まる】

邦訳の際に突飛なタイトルにしてないかと…
邦訳の際に突飛なタイトルにしてないかと…

身も蓋もないタイトルの本ですが、中身はきわめて真っ当。これまで紹介した「なぜローカル経済から日本は甦るのか」「機械の競争」にもつながる本でした。

個人の年収は「住むところ」ー地域に影響され、地域に格差が生まれるのは新しいアイデアと製品を生み出す「イノベーション産業」をどれだけ誘致できるかにかかっている…として、イノベーション産業の特徴と影響を分析した本。

他に類がなく革新的なものを生み出すイノベーション産業の特徴は、一つの地域に集まることで知識が伝播され、競争上の強みが生まれていくこと。優秀な労働者が集まり、ますますその地域は発展していく。

イノベーション産業は世界市場を相手にしたグローバル経済でもあるのだが、そんな産業が活発な地域でしか小売り関連の雇用は生まれない。逆に言うと、経済の大半はローカルが占めているけれど牽引役にはならない。経済が繁栄できるかはイノベーション産業にかかっている。

新しいテクノロジーの登場(イノベーション)は高い技能を持つ人が有利になる一方、中程度の技能者の職を減らす(技能の低い人には影響がない)。そしてイノベーションの恩恵は広く伝播するが、雇用面での恩恵は限られた地域だけ。

イノベーション産業がどこに集積するかははっきりしない。行政が多額な資金を継続的に適切な対象に補助するしかない。何の手も打たずに地域経済は発展しないが、産業に補助しても成功例は少ない。コミュニティが絶えず破壊と再生を繰り返すことがイノベーションの究極の原動力なのだ…。

著者が指摘する「メリーランド州ボルチモアの平均寿命はパラグアイやイランよりも低い」という地域間競争の厳しさは重い。住むところで決まるのは年収どころか寿命にまで及ぶのである。

著者は今のアメリカは教育や研究に十分な予算が投じられていないため給料の上昇ペースが減速し、格差が広がりはじめているとも指摘する。一人一人が能力を磨き、顔を合わせて交流することでイノベーションが生まれ、産業が生まれる。その生まれ方にも地域差がでる。雇用が生まれローカル産業も活性化し、コミュニティが発展する。そしてコミュニティに元気があるうちにコミュニティを支える産業の転換も図らないと衰退してしまう。

人任せにしていては今手にしているものも失ってしまうかもしれない。自分はコミュニティにイノベーションを起こせるか。その必要性を感じさせた一冊でした。

年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学
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競争より協働という話【書評「機械との競争」】

紙版も普通の厚さの本に思えたんだけど…
紙版も普通の厚さの本に思えたんだけど…

原題が「Race Against The Machine」とアメリカのラップメタルバンドをもじっているのにニヤッとさせられる。しかしこの本では機械…正確に言うとデジタル技術、だろうか…への怒りはなく、共存を呼びかける。機械と共存し新しい市場を開く方がこれからの時代、望ましいあり方だと説く。

著者はデジタル技術は能力の倍増が短期間で、短い信頼度で実現する「ムーアの法則」はまだ有効で、その結果、これまで人間でないとできないと思われていた分野にも機械が進出し始めている。そのあまりに早いデジタル革命に追いつけない人たちは職や収入を失っている。全体的な労働生産性は向上しているが、世帯所得の中央値(データを順番に並べた際に真ん中に来るデータの値)は伸び悩んでいる。中間層の労働者はテクノロジーとの競争に敗れつつあるのだ。

しかしここで著者は、ラッダイト運動が起こった産業革命も結局は他の分野で労働者が必要になった例を挙げ、コンピュータには備わっていない直感や創造性を人間が発揮すれば、人間とコンピュータは協力関係を築け、新たな市場を開拓できると主張する。そのために組織の革新、個々人のスキル向上を説く。

「毎日上司にやることを指示されるような従来型の仕事に就こうなどと考えていると、いつの間にか機械との競争に巻き込まれていることに気づくだろう」という指摘はドキリとさせられる。

電子書籍で読み始めたら意外に早く読み終えてしまった。本当なら結論として著者が挙げている組織革新と個人のスキル向上のための19の提言の実現性についてもう少し踏み込んでほしかった気もする。

ともあれ機械とは「競争」でなく「協働」。余談ですが、最近見たNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で紹介されたコンシェルジュの言葉「仕事が守りに入ると雑になる」「自分の手の中で仕事をしない」にもドキリとした。もういっぱしの社会人なんで、スキル向上は自分の力でやらないと!