挑戦にエールを送る話【鑑賞「GODZILLA 怪獣惑星」】

アニメ化するならこの路線しかない、むしろこんなゴジラにするためにアニメ化した、という感じでしたね。

【作品紹介】
1954年に誕生した、映画『ゴジラ』は、巨大な文化的アイコンとして世界中の人々に愛されてきた。2016年には『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)が公開。徹底的なリアリティを追求した描写は観客の心をつかみ、興行収入82.5億円を記録する大ヒットとなった。そして2017年、“ゴジラ”は誰も予想しなかった新たな“進化”を果たす。それがアニメーション映画『GODZILLA』である。
本作が描くのは、これまでのどんな“ゴジラ”とも一線を画すシビアでハードな未来世界。二万年もの間、地球に君臨し続けてきた“ゴジラ”とそれに対峙する人類の因縁の物語だ。誰も見たことのない新しい“ゴジラ”の始まりを告げる咆哮が今、響き渡る―――。
【ストーリー】
巨大生物「怪獣」の出現と、その怪獣をも駆逐する究極の存在「ゴジラ」。半世紀にわたる怪獣との戦争の末、人類は敗走を重ね、ついに地球脱出を計画。そして2048年、中央政府管理下の人工知能による選別を受けた人間だけが恒星間移民船・アラトラム号で11.9光年の彼方にある「くじら座タウ星e」を目指し旅立った。しかし、20年かけてたどり着いたタウ星eの地球との環境条件差は、予測値を遥かに上回り、人類が生存可能な環境と呼べるものではなかった。
移民船に乗る一人の青年・ハルオ。4歳の時に目の前でゴジラに両親を殺され、20年の間、地球に戻りゴジラを倒すことだけを考え続けていた。移民の可能性を閉ざされ、生存環境も劣悪となった船内でハルオを中心とした「地球帰還派」は主流となり、危険な長距離亜空間航行を決断し地球を目指す。だが、帰還した地球は、既に二万年の歳月が経過し、地上はゴジラを頂点とした生態系による未知の世界となっていた。果たして人類は地球を取り戻せるのか。そして、ハルオの運命は―――。

2016年に話題になった実写版ゴジラ「シン・ゴジラ」は個人的には今一つノレなかった。これまでのゴジラの最新版でしかない、新しいものがない、と思っているのです。サウンドトラックに伊福部明の曲を使ったりとかさ…。

一方で今作を見て思い出したのが、過去のゴジラ映画にはSF要素がちらちらとあったこと。異星人とか宇宙船とか超兵器とか。もちろんそれらはあまりにまがい物ぽくて、怪獣映画に必要なリアル感を下げまくっていた。

続編は2018年5月「決戦機動増殖都市」です。

でもそんなまがい物が違和感なく存在する世界に怪獣を出したら。今作はアニメーションの特性を生かしSF要素を全面に出した作品になっていた。その挑戦がイイですね。どうせなら異星人もトレゴンシー(SF小説「レンズマン」に登場するドラム缶状の胴体に触手が生えた宇宙人)みたいにすればもっとよかったのに。人間に似せる必要、あったのかな。

制作したのは日本の3DCGアニメスタジオ「ポリゴン・ピクチュアズ」。「シドニアの騎士」とか何本か見たことはあるのです。NHK-BSの特集ではデジタル制作とはいえ3Dでなくセル風のキャラクターデザインがこのスタジオのセールスポイントらしかった。確かにいかにも3Dアニメって感じではなく、見やすい絵作りがされていたと思います。もう少しキャラクターの表情にメリハリがあってもいい気はするけれど。ゴジラに対して人間たちのインパクトが少し足りなかったかなー。

まぁ今作は3部作の1本目。結末も次回作へあからさまに続いて終わった。提示された設定も宙ぶらりんなまま終わっている。そもそも作劇状、宇宙人を出した理由がわからない。なので今作だけで出来を判断するのは難しいです。いずれにせよ続編、完結編ではさらなる飛躍を期待したい。現実に足を取られた実写版では観られない世界をよろしくお願いします。

男の生き様は切ない話【鑑賞「ブレードランナー2049」】

あの伝説的映画のまさかの続編はいきなり完全版を見せられたような長尺作品でしたが、思いの外楽しめました。

【作品紹介】
2049年、貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない《レプリカント》が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。危険な《レプリカント》を取り締まる捜査官は《ブレードランナー》と呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を保っていた。LA市警のブレードランナー“K”は、ある事件の捜査中にレプリカント開発に力を注ぐウォレス社の巨大な陰謀を知ると共に、鍵となる男にたどり着く。彼はかつて優秀なブレードランナーとして活躍していたがある女性レプリカントと姿を消し30年間行方不明になっていたデッカードだった。デッカードは何を知ってしまったのか。デッカードが命をかけて守り続けてきた秘密-人類存亡に関わる真実が今、明かされようとしている。

公式ホームページより)

前作「ブレードランナー」にハマった人はもう何度も見ているわけで、なおかつ「ブレードランナー」で示された『現在と地続きの退廃した未来社会』という世界観は当時から新鮮で、今ではある種のパターン、お約束とまで化している。それくらい強烈なビジュアルでした。デッカードと女性レプリカント・レイチェルの逃走という結末もその先を知りたいと思わせつつ、1本の映画として形になっていた。

なので、そんな映画の続編なんて、誰が得をするのかというハイリスク企画です。それでも期待できたのは監督が「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴだったってことです。クールなSFを見せてくれたし今作の予告編も悪くはなさそうだったし。

で、オープニングショットですよ。目のドアップ。前作と同じ。ロサンゼルスの街並みも前作を踏襲しつつ雨だけでなく雪も降らせたりしてきちんと世界観をバージョンアップさせているのに好印象。今作の主人公・Kの孤独さを雪が表してましたねー。

重苦しい低音が主体のサウンドトラックも印象的でした

難点は上映時間2時間46分という長さでしょうか。振り返ってみると「長い…!」と感じたわけではない。ただ長さの割に話の展開が中盤まで遅かったような印象がある。後半バタバタと話が進んだような。回収されない設定が出てきたのでそう思ったのかも。もっとも、前半は作品世界をじっくり楽しめたので良かったし、回収されない設定も、それは主人公Kのエピソードとは絡まないから、と理解はできているんだけど。

でも結末は語りすぎではなかったか。建物の中の描写は不要ではなかったか。デッカードとウォレスのエピソードもなくて良かった気がする。そんな場面を刈り込めばそれなりの長さに落ち着いた気がするんですけどね。

前作のデッカードがレプリカントより弱いとはいえタフさ、荒さが魅力だったのと比べ、今作のKはレプリカントでありながら繊細さ、もろさが印象に残った。自分が何者であるかへの不安、自分がどれだけ孤独かということに思いすら及ばないようだったKが変わっていく様が悲しく切ない。演じたライアン・ゴスリングが良かったですね。Kを支える立体映像の女性の名が「ジョイ」でKと闘うウォレス社の女性レプリカントの名が「ラヴ」なのも皮肉が効いている。

見よう見ようと思っている間に上映回数が減ったのは上映時間の長さのせいだと思うけど(その割に上映期間は長かった)、前作同様、今作ももう一度見たい、この作品世界に浸りたいと思わせる一本でした。そういう意味では誠実な続編だったと言えますね。回収されなかった設定を基にすればこの先の話も描けるのかもしれない。でもセカイの行く末ではなくあくまで一人の男のドラマを描いたのがこの2作の特徴。悲劇的結末とはいえ、今作もきちんと語りきった一本でした。

走ることは祝宴だった話【感想・青島太平洋マラソン2017】

左膝が痛い。かばって歩くので今じゃ右膝も痛くなってきました。

2017年12月10日、宮崎市であった「第31回青島太平洋マラソン」10キロの部にエントリー、無事完走しました。

中学生の時、市主催の大会に(部活動の一環で)参加したことはあったけど、市民マラソン大会に参加したのは初めて。数日前走った際、左膝を痛めたので当日は大股走りを控え、スピードも超遅め。1キロ経たないうちから膝が疼き始めたのだけど、ごまかしごまかし、途中3ヶ所ある給水所では完全に止まってドリンクをごくごく飲み、日向夏やミカン、バナナをしっかり食べるというタイム無視のランでした。

先頭の人は本当にすごいスピードで走って行ったけど、中には早い段階で歩いている人もいたわけで参加者は様々でしたね。そんな中、最後まで同じペースで走ったのは自分でもよくやったと思います。スピードは早歩き並みだと思うけど。

で、自分のようなスローランナーでも沿道の高校生ボランティアや一般の観客は声援をくれるわけです。

写真を撮る余裕もあったりしてw

そこで気付いたのは「声援」が走る側の気持ちをアゲるってこと。ただ走っているだけなのに自分が何かの主役になったかのような気分になる。非日常のお祭り空間の中にいるような気がしてくるわけです。

「東京マラソン」など市民マラソン大会はあちこちで開かれていて、大勢の人が走っている。また「青島太平洋マラソン」も当初のルートは海沿いのバイパス道を走るものだったのを市街地を走るルートに変えたら参加者が増えたとも聞いた。ただ走るだけでなく、声援を受ける「祝祭空間」も必要なのです。

今回プレイリストを作って音楽を聴きながら走ったのですが、練習時に聞いたときは「テンションが上がりすぎてむしろ邪魔」と思っていたのに本番では超気持ちいい。非日常な空間にぴったりでした。

ゴール後の今は膝が痛むとはいえ、自分の走るペースがちょうどよかったのもあったからか、ゴールに着くときには「あぁもう終わるのか」と残念な気持ちにさえなる始末。この祝祭空間を長く味わうには長く走るしかない。10キロ以上走るしかない。そうなると次は…?いやいやまず膝の痛みを解消しなくてはねー。

異なる層の面白さは両立しづらい話【鑑賞「マイティ・ソー バトルロイヤル」】

シリーズ第3弾、としての面白みはあまりなかったような。

【作品紹介】
誰にも止められない!限界突破のバトル・アクション・エンターテイメント。今、新『アベンジャーズ』へのカウントダウンが始まる!
【ストーリー】
アベンジャーズの一員ソーの前に<死の女神・ヘラ>が現れた。復讐と野望に燃えるヘラは、ソーの故郷へ攻撃をはじめる。故郷を奪われたソーは、この最強の敵を倒すため盟友ハルク、宿敵ロキらと型破りのチーム“リベンジャーズ”を組み極限バトルに挑む。 果たして、ソーたちは史上最強の敵からこの世界を守ることができるのか?死の女神・ヘラの復讐の目的は!?そこには、ソーの運命を変える秘密が隠されていたー。

公式ホームページより)

「原題が(北欧神話の終末の日を意味する)『ラグナロク』なのに『バトルロイヤル』なんていうありきたりな邦題がついちゃった」という評判をネットで見ていたものの、作品を見てみると「バトルロイヤル」という邦題は実はあながち外してない。予告編でもあった通り、ソーとハルクの激突が今作の見せ場なので。むしろ「ラグナロク」の描かれ方ってあっさりしてましたよね。

敵役「ヘラ」が強いのは仕方ないけど中盤に登場する「グランドマスター」も敵役的なので敵が二人別々に登場するのもどうかなーと思ったのでした。

ユーモアがシリーズ前2作より多め、なのはその通り。特にシリーズ前2作と「アベンジャーズ」で悪役だったソーの義弟・ロキがいい味を出していた。世界観を同じくする一連の「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」の中で、善か悪か立場がはっきりせず笑いも取れるキャラクターってロキくらいではないか。

今作はシリーズ第3弾というより作品紹介にある通り「新アベンジャーズへのカウントダウン」という位置付けにあったよう。前2作の設定が今作でほぼなかったことになってしまったので。前2作の主要キャラクターも今作でかなり退場。浅野忠信には見せ場はあったけど。生き残ったキャラクターたちは来年春に前後編の前編が公開される予定の「アベンジャーズ/インフィニティウォー」に登場するらしい。序盤にドクター・ストレンジが登場しておっ!と思ったけど序盤だけだったなぁ…。

何より、ソーたちの暮らす世界「アスガルド」と地球(ミッドガルド)の関係も設定が変わったよね?二つの世界を結ぶ「虹の橋」って「スター・トレック」に登場する転送装置と同じだったんだね?場所を移動するだけ、ってことだったのね?単なる場所でなく「異世界」を結ぶのが虹の橋だと思っていたんだけど。ソーは地球人の理解や常識が及ばない「異世界の人」だから地球人とは違う特殊能力を持っている、と理解していたのに、アスガルドの人々はただの宇宙人になってしまった。個人的にはそこが一番残念なところ。

MCUは「アベンジャーズ/インフィニティウォー」でこれまでのキャストを一区切りするというニュースがネットに流れている。そのために「マイティ・ソー」シリーズもまとめにかかったな、というのが今作の印象です。ただ、「マイティ・ソー」シリーズより大きなMCUという作品世界を一旦区切る方を優先したためか、シリーズ完結編としての面白みは格段に薄かった。

作品単体、前作を踏まえたシリーズ、関連作を含めた世界。三つのレベルでの面白さを同時に維持するのはやはり難しい。「アベンジャーズ/インフィニティウォー」が面白ければ今作の残念さも払拭されるはずだが、さて。