情報への魅力を取り戻す話

2017年12月3日まで鹿児島県湧水町・霧島アートの森で開催中の「ナムジュン・パイク展」を見てきました。

どこか愛らしい「ボイス」

ナムジュン・パイク(1932-2006)は韓国ソウル生まれ。朝鮮戦争勃発後日本に移住し東大文学部を卒業。現代音楽を学ぶためドイツに渡り、1961年に世界初のビデオアートを発表。メディアやテクノロジーに関する先鋭的な作品を発表し続けた人。その活動には日本のアーティストやテクノロジーも関わっているわけです。

ブラウン管モニターを組み合わせて作った巨大な人型立体作品「ボイス」やアップライトピアノにブラウン管モニターを埋め込んだ「世界で最も有名なへぼピアニスト」、木々の間にブラウン管モニターが浮かぶ「ケージの森/森の啓示」などなど、映像という掴めないものを形にしようとした試みが興味深い。発表当時は最先端だったのかもしれないが、今となっては何処かレトロな趣なのも惹かれるところ。

また映像を全世界に同時配信するという当時としては最先端のアイデア「サテライト・アート」の模様もビデオで紹介。最新の技術は世界中の人々をつなげ、全体主義的な社会に別れを告げると訴えた。

映像、転じてメディアといってもいいだろう。ナムジュン・パイクの思想にはメディアへのポジティブな信頼とメディアには「形」が必要という二つの意味があると思ったのです。

今回は6冊購入…

今はブラウン管モニターはなくなった。テレビ画面は薄い液晶になり、人々はテレビ以外にパーソナルコンピュータやスマートフォンなどもっと手軽なサイズのスクリーンを持ち歩く。デジタルなら「いいね!」やシェアという形で内容を共有できる。共有の数がどれほどかもわかる。

でもそこに表示される内容には「モノ」としての魅力がなくなった。いまこそ情報にモノとしての魅力を取り戻すべきなのかもしれない。

佐賀のギャラリーオーナー、北島敬明さんの話が興味深かった

と、そんなことは別のイベントでも感じたのです。宮崎市で2017年11月23日にあった、手作り雑誌の展示販売イベント「Zine It! Vol.8」と書店・書籍・読書に関するイベント「Bookmark Miyazaki」の2つ。作り手の思いを紙に記すことで、手に取れないはずの作り手の思いが形になり、モノとしての魅力が発生することが分かる。

ただ雑誌やアートというフォームと異なり、産業としてのメディアは定期的に発信する必要がある。今日は伝えるべきことが少ないので放送しません、出版しません、発行しませんとはいかない。発信には多くの人が携わるのでスタイルは前例踏襲的になりがち…。

そんな現状を踏まえて、できることから何か手をつけられんか。そんなことを考えたイベント各種でした。

酒場では粋に振舞いたい話【書評「日本の夜の公共圏」】

「サードプレイス」って、日本にはその言葉が入ってくる前からとっくにあったんですね。

【内容紹介】
サントリー文化財団が奇妙な団体に助成金を出したと話題になっている。その名も「スナック研究会」。研究題目は「日本の夜の公共圏――郊外化と人口縮減の中の社交のゆくえ」という。
スナ研のHPによると、「日本に十万軒以上もあると言われる「スナック」について、学術的な研究がまったく存在しないことに憤り」を感じて決起したという。目指す到達点は以下になる。
〈スナックは、全国津々浦々どこにでもあるが、その起源・成り立ちから現状に至るまで、およそ「研究の対象」とされたことは、いまだかつて、ただの一度もない。本研究では、社会的にはおよそ真面目な検討の対象とはされて来なかった、このスナックという「夜の公共圏」・「やわらかい公共圏」に光を当てることで、日本社会の「郊外/共同体」と「社交」のあり方を逆照射することを目指すものである。〉
調べた結果は仰天するものばかり。人工衛星による夜間平均光量データまで駆使して出てきた統計結果にメンバーも困惑するしかない…。

Amazonの著書紹介ページより)

酒は好きだし独身時代は週末いつも歓楽街に繰り出していたものです。とはいえスナックは縁遠い存在。「オジサンの行く店」という印象がある。年齢的にオジサンと化した今では飲みに出る機会も減り、ますますスナックは縁遠い。

また飲みに行きたくなったなぁ。

とはいえこの本で語られる「様々な地位・年齢の人びととの交流によって、『社会人としての嗜み、人間関係のさばき』が身につく」場としてのスナックは、自分が飲みに行く場が持つ機能とほぼ同じ(カラオケはないけれど)。会社や同じ組織のメンバー同士でのアルコールを介したコミュニケーション(飲みニュケーション)とはまた違う個人の楽しみなんですよね。

またスナックが人々が文化・社会的討議をする場だった18世紀イギリスの「コーヒーハウス」とも異なり、人情を理解し「是非を厳しく論ずることなどせず、『なるほど、そういう場面・立場では、そのように思うものだな』と店の会話に加わるのが、スナックの楽しみ方」なのも納得。語るのではなく聞き役に回るのが粋です。

この本では複数の執筆者がスナックについて様々な角度から論じている。法規制だったり文化史だったり刑法犯認知件数との比較だったり。中には読み慣れないカタカナ語を並べた賢しらな論もあるのだけど、座談会もあって軽くも重くもスナックについて語っている。総じて普段語られることの少なかった「スナック」について色々な見識が得られます。女性が酒をサービスするスナックの前身とも言える(明治時代の)カフェーでは女中の人気投票があったりとか(!)。

まぁこの本に書いてあったことをスナックのカウンターで披露しても野暮なだけでしょうけどね。そもそも「今まで会ったかたたちでも、志に燃えてスナックを開店したなんて人は一人もいない」のだし。その場に合わせて酒を楽しめばいいのです。

ただ、人がふらりと飲みに行くのにはその人自身だけでなく、ひろく社会全般にも意味があるというのが分かる、面白い本でした。

日本の夜の公共圏:スナック研究序説
谷口 功一 スナック研究会
白水社
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関係が創造を生み出す話【書評「POWERS OF TWO 二人で一人の天才」】

様々なエピソードを紹介しながら人間関係と創造力についてまとめ上げた本でした。

【内容紹介(「BOOK」データベースより)】
一人では何もできない。二人なら何でもできる。アップルもグーグルもソニーも、なぜ二人で起業?あらゆるイノベーションは、二人組から生まれる?クリエイティブ・ペアに学ぶ、創造性のシンプルな本質。
【著者について】
ジョシュア・ウルフ・シェンク Joshua WolfShenk
キュレーター、エッセイスト、作家。精神衛生、歴史、現代政治・文化、創造性をテーマに講演・執筆。ニューヨーク・タイムズ、ニューヨーカー、GQなどに寄稿。一般の人々が体験談を語るストーリーテリングのイベント「モス」に立ち上げから関わる。また、心理学から創造性を研究する「アーツ・イン・マインド」を主宰。著書『リンカーン』(明石書店)は、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストの年間ベストブックにノミネートされた。ロサンゼルス在住。

Amazonの著書紹介ページより)

紹介されるペアはポール・マッカートニーとジョン・レノン、投資持ち株会社を経営する著名投資家ウォーレン・バフェットと副会長のチャーリー・マンガー、バスケットボール選手のマジック・ジョンソンとラリー・バード…などなど。振り付け師とダンサーのような役割分担が明確なペアもあれば、一方が影のように公の場では目立たないペア、あるいはライバル関係もペアとして紹介される。

交わると予想以上の変化が起きる、のでしょう。

創造は一人でするもの、という定説に著者は別の見方を示す。「英雄個人ではなく、英雄を生む文化──16世紀のフィレンツェの宮廷、啓蒙時代のロンドンのコーヒーハウス、ピクサーのスタジオ──が主役なのだ」。ペアの誕生(出会い)から互いを理解し、距離を深め、自然と役割分担をするようになる。高め合う関係が最高のパフォーマンスを生む。そのパフォーマンスが生む影響力はペアにも及び、ペアのバランスが崩れることもある。仲違いし、分裂する。しかしペアは壊れても、ペアだった相手のことは心の中で生き続け、影響力を与え続ける。ペアが生む全てがこの本には描かれている。

一方で読み進めるうちに、自分とは縁遠い世界のようにも思えてくる。創造性を発揮してる!って自覚がないのはまだしも「この人と自分はペアだ」と思える人がいないんだなぁ。

でも最後、著者が自身に引き寄せて書いたあとがきがその答えになった。

挑戦するためには、助けを求めよう。
自分より大きな何かに身を委ね、自分より大きな何かに導こうとする内なる流れに身を委ねる。そのような出会いを受け入れよう。
受け入れたら、次は自分の役割を演じる。

自分の創造力を広げる機会は、あなたが持っているのかもしれません。

POWERS OF TWO 二人で一人の天才
ジョシュア・ウルフ・シェンク Joshua Wolf Shenk
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好奇心が組織をちょこっと変える話【書評「ある日うっかりPTA」】

軽く読ませながらも、社会活動への関わり方を考えさせられた本でした。

【内容紹介】
金髪、ヒゲ、サングラスのフリーライターがひょんなことから、息子が通う公立小学校のPTA会長に就任!自分には無関係な存在として大した関わりも持ってこなかったPTA。三年の任期を経て今、感じることとは―。PTA会長になるのは簡単だ。(中略)なぜならば公立小学校の場合、自分からPTA会長をやりますなんて言い出す人間はほぼ皆無だからである。PTA会長に大事な資質。それは、おっちょこちょいであることだ。はい、おっちょこちょいです。私、自分でもおっちょこちょいだと思います。そうじゃなかったら、PTA会長になんてなるわけがないじゃないですか――。(本文より)

Amazonの著書紹介ページより)

著者は自分を「おっちょこちょい」と評しているが、実際に動かしてきたのは好奇心だと思う。

断らなければその先がある。自分の知らなかったことをいろいろ教えてもらえる。思ってもみなかった世界が、すぐ前に開けているのかもしれない。それを知らずに済ませるのは、もったいなさすぎるんじゃないか。

というのがとても腑に落ちる。個人的にも様々な役職を引き受ける際に、似たようなことを思ったのだ。この本はPTAについて書かれているが、個人と組織の関わり方ってPTAに限らず自治会や労働組合など、どこも似たり寄ったりな気がする。

この風貌で会長を務めたのもスゴイ(笑)

「がんばらない、をがんばろう」を合言葉に旧態依然に見える業務は改善する。当初は存在意義がわからなかった上部団体については「よそのPTAはどうしてるんだ?」という情報交換の場と解釈し、仲間もできる。でも人間関係がこじれてしまうこともある。そして雰囲気になじめないなら距離を置く。団体行動が苦手というフリーライターの著者と、前例だらけのガチガチ組織の関わり方は意外に自然だった。パートナーである校長先生との関係が良かったのもあるかもしれないが、先述した著者の「好奇心」も良かったとのだと思う。

対象に好奇心を発揮する時って、まずは対象の有り様をきちんと知ることから始まるわけで謙虚な姿勢から始まらざるを得ない。自身の勝手な思い込みだけで対象をいじることはない。まず知った上で、問題があれば自分一人ではなく仲間とともに変える(ココ大事)。なんだったら組織外の人も巻き込む。この本の中でもそんな例が出てきた。「PTAはここがヘン!」と言い立てて終わるだけでなく、きちんと関わって結果も出した著者はオトナなのである。

そのときそのときを一所懸命にやって、時期が来たら後の人に譲って去る。(中略)関わる人それぞれがが限られた時間の中で最善を尽くせばいい。

著者が3年間の小学校PTA会長活動で得たのはたまに飲みに行ける地元の友達がけっこうできただけ、と謙遜するが、地元に仲間をつくれるって実際はとても有意義なのではないか、とも思う。温泉旅行、楽しそうだもの。

ある日うっかりPTA

ある日うっかりPTA

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杉江 松恋
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