アメリカは希望の国ではなくなった話【書評「ヒルビリー・エレジー」】

アメリカの白人労働者層のあまりに厳しい暮らしぶり。その責任は自らにある、とする結論もまた苦い。

【内容紹介】
無名の31歳の弁護士が書いた回想録が、2016年6月以降、アメリカで売れ続けている。著者は、「ラストベルト」(錆ついた工業地帯)と呼ばれる、オハイオ州の出身。貧しい白人労働者の家に生まれ育った。回想録は、かつて鉄鋼業などで栄えた地域の荒廃、自分の家族も含めた貧しい白人労働者階級の独特の文化、悲惨な日常を描いている。ただ、著者自身は、様々な幸運が重なり、また、本人の努力の甲斐もあり、海兵隊→オハイオ州立大学→イェール大学ロースクールへと進み、アメリカのエリートとなった。今やほんのわずかな可能性しかない、アメリカンドリームの体現者だ。そんな彼の目から見た、白人労働者階級の現状と問題点とは? 勉学に励むこと、大学に進むこと自体を忌避する、独特の文化とは? アメリカの行く末、いや世界の行く末を握ることになってしまった、貧しい白人労働者階級を深く知るための一冊。

(アマゾンの書籍紹介ページより)

大学を卒業しない労働者階級の白人アメリカ人は「ヒルビリー(田舎者)」と呼ばれているそうだ。著者の母親は結婚と離婚と薬物依存を繰り返す。著者に平穏をもたらしたのは祖父母と姉、そのほかの一族たち。著者はなんとか貧困から抜け出し弁護士になるが「あとがき」に記す彼の見た夢は、自身に今も残る粗暴さにおののく姿を描いていて、苦い。

ヒルビリーを断罪せず寄り添う筆致が切ないのです。

今の貧しい生活から抜け出すことすら考えられない絶望と、家族を侮辱するものには激しい怒りを示す親愛が共存するヒルビリーの複雑な社会。自分の人生は自分で切り開く、公の支援を受けるのは恥、という意識があるいっぽうで、よりよい暮らしを求めて勉学に励むことは「女々しい」と忌避する。古い「男らしさ」が残っているようだ。結果、自身の真の姿を直視できない人が多いというのだ。

著者の絶望のピークは高校生の時。薬物から抜け出せない母親が抜き打ち薬物検査を逃れるため、著者に「きれいな尿を欲しい」と懇願した時だ。著者はこの出来事を機に結婚と離婚を繰り返す母から離れ、祖父母の元で高校に通う。生活が安定した著者は成績が向上、進学を考える。しかし進学資金の不足、大学の自由な生活が自身を(母のように)堕落させるのではないかという不安から海兵隊に入り、社会常識を身につけた上で進学していく。

著者を最後まで支える祖母が涙ぐましい。実の子(著者の母親)はまともな人間にはならなかったが、祖母は著者にこう教える。

楽をして生きていたら、神から与えられた才能を無駄にしてしまう、だから一生懸命働かないといけない。クリスチャンたるもの、家族の面倒を見なくてはならない。母のためだけでなく、自分のためにも、母のことを許さなければならない。神の思し召しがあるのだから、けっして絶望してはいけない。

真面目に生きろ、家族を大事にしろ。言っていることは何も間違っていないし、ヒルビリーと呼ばれる人たちもそのつもりで生きているはずだ。しかし実際は貧困の真っ直中にあり、そこから抜け出せない。成功するのは才能のある人間だけと思い込み、努力の意味を考えられない。

本文中にドナルド・トランプの名前は出てこない。オバマの名は出てくるが、著者のような人々にとってオバマのような完璧な学歴を持ち大都会で暮らす人は別世界の人間なのだそうだ。その後の大統領選で後継のクリントンが敗れ、トランプが勝利したのはヒルビリーに着目したから。ヒルビリーはアメリカ社会にそれだけ影響力を持つ程の存在になっていたのだ。

でも本当は彼らの生活を向上させるにはトランプに一票を投じるだけでなく、著者のように自ら生活を変えないといけないのだ。経済学ではブルーカラー(肉体労働者)からホワイトカラー(知的労働者)に社会構造が変われば労働者もそれに合わせ変わるもの、と聞いた覚えがあるが、変化は簡単ではないようだ。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

posted with amazlet at 17.07.17
J.D.ヴァンス
光文社
売り上げランキング: 2,915