厄介な私たちの話【鑑賞「ラ・ラ・ランド」】

最初は若干、斜に構えて臨んだのですが、いやぁ最後は切なくてよかったねぇ…

【作品紹介】
伝説の第2章が、胸が高鳴る華やかな音楽と共に幕を開けた! アカデミー賞を含む50を超える賞を受賞し、日本でも「かつてない衝撃」と劇的なブームを巻き起こした『セッション』から2年、全世界熱望のデイミアン・チャゼル監督の最新作が遂に完成した。 映画と恋におちた若き天才が新たに創り出したのは、歌・音楽・ダンス・物語─すべてがオリジナルにして圧巻のミュージカル映画。この鮮やかでどこか懐かしい映像世界で、一度聞いたら耳から離れないメロディアスな楽曲に乗せて繰り広げられるのは、リアルで切ない現代のロマンス─。
【ストーリー】
夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる…。

公式サイトより)

冒頭、ハイウェイでの群舞シーンは今作の見せ場の一つ、なんでしょうが、実は「ふーん、よく撮れてるねー」程度の印象しか持てなかった。デイミアン・チャゼル監督の前作「セッション」の記憶に引きずられてた気がします。「あんなキツい話を撮った監督がこんなきらびやかそうな映画をバカ正直に撮るはずがない」と。前情報として、本当は今作を先に撮りたかったのだけど予算がつかず、前作を先に撮った−つまり、本当に監督が撮りたかったのは今作の方−とは聞いていたのだけど。

でも話が進み、歌が増えるにつれ、ミュージカル本来の楽しさが伝わってきて、作品世界に集中していきました。ファーストカットがデカデカとした「CINEMASCOPE(シネマスコープ)」ロゴだったり、重要な舞台がハリウッドの撮影所内部だったりと今作は昔のミュージカル映画をかなり意識した雰囲気。「雨に唄えば」もこんな雰囲気だったなぁと思っていました。

サントラ欲しくなっちゃった…

ところでミュージカル映画における歌や踊りは登場人物のその時の感情を表すことが多いので、話の流れはそこで止まってしまう。結果、ストーリーが単純になる欠点があるように思うのです。その点今作はセブがピアニストという設定。作中には生演奏の場面も多い。突然歌い出す、ばかりでなく変化もつくし、生演奏の場面では話の流れは止まらない。セブが入ったバンド(リーダーに見覚えがあると思ったらジョン・レジェンドだった…!)のライブをミアが見て愕然とする場面とかそうでしたね。現代風に構成されていた部分かと思いました。中盤の天文台の中でのダンスシーンはちょっと過剰かなぁと思ったけれど。

何より今作はクライマックスが素晴らしかった。一度心が折れたミアが再び受けるオーディションから始まる歌から最後のダンスシーンまで、一気に持っていかれます。曲名も「オーディション」というこの歌、詞が泣けますね。そして最後のダンスシーン。様々な場面をつなげていくのだけど、セブとミアが手に入れられなかったものへの思いを表現していて非常に印象的でした。

夢を叶えたのに手に入れられなかったものにも気づかされる切なさ、苦さ。あの時もう一方の道を選んでいたら…という選択の問題とも違う、いま幸せだからこそつい振り返ってしまう過去への甘い思い。普遍的な切なさを描写した名シーンでした。

ハッピーエンドの裏にある切なさを噛み締めて見終わると、冒頭の明るくハッピーな歌「ANOTHER DAY OF SUN」も切なく聞こえ、グッときてしまうのでした。やられたなぁ。先述した「オーディション」で歌うように、私たちは厄介な存在なのです。どうか乾杯を。

欠けたピースを埋める話【鑑賞「ドクター・ストレンジ」】

シリーズに空いていた穴を埋める存在だったようで、未見の作品たちも見たくなってきた。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)本当におそるべし。

【作品紹介】
シリーズ累計興収1兆円を突破した『アベンジャーズ』のマーベル・スタジオが生んだ新たなキャラクター、ドクター・ストレンジ──医術か、魔術か、自分の生きる道に悩みながらも医者としての信念を貫こうと葛藤する、人間味あふれるリアルなヒーローが誕生した。演じるのは、TVシリーズ「SHERLOCK(シャーロック)」で絶大な人気を誇り、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』でオスカーにノミネートされたベネディクト・カンバーバッチ。さらなる本作の魅力は、時間と空間の概念を超えた神秘の映像世界。想像を絶するあざやかな魔術の力によって、現実世界の高層ビル群や街はねじ曲がり、折りたたまれ、分割され、美しく変貌してゆく…。上下左右の感覚や、時間の流れすら失いそうになる未知の映像体験が、映画の常識も、あなたの常識さえも覆す。
【ストーリー】 
上から目線の天才外科医ドクター・ストレンジ。突然の交通事故により、神の手を失った彼を甦らせたのは─魔術。指導者エンシェント・ワンのもと、過酷な修行をかさね人智を超えた力を手にしたストレンジだったが、世界を破滅へと導く闇の魔術の存在を知ったとき、彼は壮絶な魔術の戦いに巻きこまれてゆく。しかし、“人を決して傷つけない”医者としての信念が、敵であってもその命を奪うことをためらわせる。彼は、いかにして闇の魔術に立ち向かい、人々の命を救うのか?ドクター・ストレンジにしかできない、常識も次元も超えた戦いが始まる。

公式サイトより)

今回は新ヒーロー誕生話。弱い立場の主人公が師に導かれ新たな力を得て覚醒する(そして師は退場する)、典型的な話です。ただMCUの中では「力を修行で会得する」ヒーローはいなかった。ハルクやキャプテン・アメリカ、スパイダーマンは科学の力を第三者から与えられた。アイアンマンは自分で作っちゃった。ソーは(異世界の人なので)もともと力を持っていた。

パンフレットは特別版を買いましたー

我々一般人はアーマーを作れるほど天才ではない。変な科学実験に巻き込まれるようなこともない。ましてや異世界の人間でもない。なので、ドクター・ストレンジは立ち位置としては観客に結構近いんですね。ガリ勉が必死になってテストで百点を目指すようなイメージ。もちろん魔術はフィクションな訳ですが。

その今作でのフィクション、魔術の見せ方がよかった。指揮者のタクトみたいなのを振るって呪文を唱える、のではなく、手で印を組んでパワーを出すので端的にカッコ良い。戦闘シーンで力を「込める」演技が入るので、見ている側も力が入るんですね。ねじ曲がる空間での戦闘も映画「インセプション」のようだけど、それを数倍レベルアップした感じで、見ていて楽しい。

作中の会話で触れられるまで気づかなかったんですが、魔術を会得した主人公が「マスター」ストレンジでなく、「ドクター」ストレンジと呼ばれたがるのもいい設定。クライマックス、意外な方法で敵を退けてしまうことの伏線にもなっていた、とも解釈できるでしょうか。かなり意外な方法なので爽快感がやや落ちるかなーという気もするが。

今作の残念な点としては、終盤にやや爽快感が欠けることや、次回作や他のシリーズ作との関連などを意識しすぎた構成になっていること。エンドクレジットの間に今後の展開を匂わせるエピソードが2つも入るのはちょっとやり過ぎ。

そんなエピソードのうちの一つは、MCUの別のキャラとの絡み。でもここで、MCUという一連のシリーズの中でドクター・ストレンジが魔術を使う意味が活きてくることがわかる。

今作の魔術の定義は「マルチバース(別世界)と繋がって力を得る」。マルチバース=宇宙は一つではなく複数あるのではないかという考え方=自体、宇宙物理学で現実に唱えられている理論でフィクションである魔術にちょっとリアルな感じがして好印象。

一方でこれまで様々なヒーローが登場してきたMCUには、はっきり言って一人だけ浮いているヒーローがいる。一人だけ寄って立つ世界が別なヒーローがいる。なんでハンマー振り回すだけでそんなに強いんだよと言いたいヒーローがいる。

これまでは「だって彼は異世界(アスガルド)の人だから」で済ませていたわけですが、ドクター・ストレンジは異世界とこちらの世界を繋ぐ役目を担うことが最後のエピソードではっきり分かったのです。MCUという大きな世界観に欠けていたものを埋めるのがドクター・ストレンジなのですねー。

そうなると、これまでMCUの作品の中であまり見る気がしなかったものにも興味が湧いてくるからたまったものではありません。今年秋には第三作「ラグナロク」が公開されるようなので、それまでに「マイティ・ソー」シリーズを見ておこうかなー。こうやって結局MCU作品を全て見てしまうのだろうか。恐ろしい恐ろしい…。

裏切っても信じる話【鑑賞「沈黙 -サイレンス-」】

(宗教的な)愛の形について考えさせられたヘビー級の一本でした。

【作品解説】
刊行から50年、遠藤周作没後20年の2016年。世界の映画人たちに最も尊敬され、アカデミー賞にも輝く巨匠マーティン・スコセッシ監督が、戦後日本文学の金字塔にして、世界20カ国以上で翻訳され、今も読み継がれている遠藤周作「沈黙」をついに映画化した。
【ストーリー】
17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。
日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々―
守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―

公式サイトより)

原作を読まずに臨んだのですが、まず印象に残ったのはナレーションの多さ。原作が手紙や記録形式で登場人物を描いたことの反映なのでしょう。とはいえ、もう少し絞った方が良かった気もする。説明過多な印象が残ったのです。特にエピローグ、「決断」した後のロドリゴについてナレーションはあんなに必要だったかな…。

作中度々登場する拷問シーンは意外と冷静に見られました。舞台が江戸初期ということで、別世界のように思えたからかもしれません。昔は酷かったねぇ、という感じ。これが現代の話だったらちょっと正視できなかったかも。

自然音しかない音楽構成も見事でした。

侍たちは、警察の取り調べで容疑者にカッとなる若い刑事と彼をなだめて容疑者に優しく接する老刑事といった趣。単純な悪人として描かれないのも奥深い。ロドリゴに棄教を迫りつつどこかロドリゴと共感しているようでもある。

この話の中で一番怖いのは拷問シーンではありません。拷問の前後に踏み絵を迫る際、侍たちがキリシタンたちに「形だけだから」と優しく言う場面が一番ゾッとするのです。踏むよう脅さないのがかえって怖いのです。精神と一つになった肉体を殺すのも怖いけど、肉体は生かされつつ精神を切り離すのも恐ろしい。人はこうやって自分でも思ってない方に進んでしまうのか…。

と思わされる一方で、何度も踏み絵を踏みまくり、何度もロドリゴに懺悔するのがキチジロー。信仰を捨てたのか捨ててないのか、したたかを通り越して、現代の視点で見ても分からない存在になっていました。

でもキチジローこそ、ある種の理想としてこの話の中に存在していたことにクライマックスで気づかされる。裏切り者のはずが、どんな状況でも同じように寄り添ってくれる存在に見えてくる。捨てたはずの信仰が、神が、相手の側から寄り添ってくれるような。

クリスマスも正月もフツーに祝う、宗教にこだわりのない身ではありますが、見えない大きな立場の愛を感じた場面でした。

ロドリゴの生涯からは神と人の一筋縄ではいかない関係が伝わる。神への愛と裏切りの形は簡単に決められないのでしょうね。

生活は強くたくましい話【鑑賞・この世界の片隅に】

ついに、とうとう、ようやく、宮崎でも公開された2016年最後の話題作。アニメ作品なのに場内の平均年齢高かったなぁ(笑)

【作品紹介】
監督は片渕須直。第14回文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞の前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09)は観客の心に響き、異例の断続的ロングラン上映を達成しました。徹底した原作追及、資料探求、現地調査、ヒアリングを積み重ね、すずさんの生きた世界をリアルに活き活きと描き出した本作には紛れもなく今の私たちの毎日に連なる世界があります。原作はこうの史代。第13回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞ほか各メディアのランキングでも第1位を獲得。綿密なリサーチによる膨大な情報と、マンガ表現への挑戦がさりげなく織り込まれており、その創作姿勢と高い完成度から多くのマンガファン・書店員から熱い支持を得ています。クラウドファンディングで3,374名のサポーターから制作資金を集めた本作。長く、深く、多くの人の心に火を灯し続けることでしょう。
【ストーリー】
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉は日本海軍の一大拠点で、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続き、昭和20年の夏がやってくる―。

公式サイトより)

原作漫画は未読なのですが、戦時中の話を描くにしては可愛らしく描かれた登場人物たちがまず印象的。戦争の影が近づく中、人々が毎日を送る様が時にユーモア、ギャグも織り交ぜて綴られる。

「悲しくてやりきれない」のが日々の生活かも仕入れません。

コメを少しでもかさばらせようとして「楠公飯(なんこうめし)」を作る場面の飄々とした語り口。天秤棒で周りの人々を次々となぎ倒す勇ましさ(←違います)に爆笑。作中では年月日は字幕で表示されるが、その時に起こった出来事は伝えない。いつの間にか戦争は始まっている。戦争が生活の中に溶け込んでいるかのようにも描かれる。

ひやっとするのが晴美が戦艦にやたら詳しいこと。兄に教えられたとはいえ年端もいかない少女が戦艦を言い当てる様は、現代なら自動車や鉄道、飛行機を言い当てるのと同じものと理解しつつもそのギャップがおっかないのです。

中盤ですずが憲兵に取り調べを受ける場面も笑えるのだが複雑な印象。国家権力を笑い飛ばす庶民のしたたかさでもあり、一方で道端の写生も許さない時代の息苦しさに気づいてないようでもあり。戦争と生活が地続きであることの複雑さを感じさせる場面でした。

玉音放送を聞いてすずが一番激しい反応を示すのも忘れられない。生活が急に変わってしまうのを反射的に拒絶したかのよう。空襲など辛い目にあっても戦争はすずの生活に溶け込んでしまっていたんですね。

そして戦後、すずと夫・周作夫婦に新たな出会いが描かれて終わる。凄惨な世界から再び生活が静かに立ち上がることを物語っていました。

反戦のメッセージを前面に出した作品ではありません。ネットの反応ではそれが気に入らない人もいる様子。でも見終わると「生活に忍び込む戦争は嫌だなぁ」という思いが残る。そして毎日の生活の愛おしさも。当時の人々に寄り添おうとする姿勢に好感が持てました。大上段に構えなくても普段の生活から主張できるものもあるのです。

彼らもみんな生きている話【鑑賞「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」】

「スター・ウォーズ」初の外伝的作品。やはりエピソード4を見たくなる作品でした。

【作品紹介】
ジョージ・ルーカスのアイデアから誕生した、初めて描かれるキャラクターたちによる、新たな世界を描いたもうひとつの「スター・ウォーズ」。シリーズ最初に公開された「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」でレイア姫がR2-D2に託した、帝国軍の宇宙要塞“デス・スター”の設計図。反乱軍はいかにして、この究極兵器の設計図を帝国軍から盗み出したのか?初めて描かれるキャラクターたちが繰り広げる新たな物語によって、スター・ウォーズの世界はさらにドラマティックに進化する!

【ストーリー】
舞台は『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の少し前。銀河全体を脅かす帝国軍の究極の兵器<デス・スター>。無法者たちによる反乱軍の極秘チーム<ロ―グ・ワン>に加わった女戦士ジン・アーソは、様々な葛藤を抱えながら不可能なミッションに立ち向かう。その運命のカギは、天才科学者であり、何年も行方不明になっている彼女の父に隠されていた…。

公式サイトより)

「スター・トレック ビヨンド」を見たときに感じた「スター・ウォーズ 話が重くなってないか疑惑」。予想通りでした。エピソード4に繋がる話を後から作った以上、今作「ローグ・ワン」に出てくる主要人物は今作でやっぱり退場。エピソード4につなげるため結構無理してる部分もあって首をひねるところもあった。最後にあの人が登場する(CGだそうです)のも唐突感があってですね…。

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地味なのも、また良し、でしょうか。

冒頭の構成もわかりづらい。少女時代のジンが助けられたプロローグの後、次に登場した場面ではまた捕まってまた助けられている。帝国軍から脱走したパイロット・ボーディー、反乱軍のスパイ・キャシアンの話も織り込まれるのでどこが本筋かわかりにくかった。で、見終わって印象に残るのは(主役級の)ジン、キャシアンと中盤からするっと登場する盲目のチアルートだったりする。キャラの印象度とストーリーの重要性がずれているのが惜しいところ。

反乱軍もデス・スターの存在を知って降伏しようとするのはまだ分かるんだけど、最終的な決定は自分たちで下せないくせに「ローグ・ワン」たちが何だか上手く行きそうと知ったら慌てて艦隊を送るという右往左往ぶり。

一番残念だったのは帝国軍がデス・スターを最後にちゃんと使わなかったこと。今作の直後の話であるエピソード4では惑星ひとつぶっ壊している。ちゃんと使うとエピソード4に繋がらなくなるんですよね。作り手の苦肉さが滲み出ていた。じっくり破壊を描けるので悲劇さを強調する利点もありましたがね。

悲劇、と書きましたが、今作は確かに悲劇的要素が強い。これはスター・ウォーズシリーズに不足していた「敵の悪さ、怖さ」を補う効果があったように思う。先述したデス・スターが街や基地を壊す描写、終盤突然登場するスター・デストロイヤーと暴れまわるダースベイダーは怖さの極み。設計図が反乱軍兵士の間で必死に受け渡される様はあまりにもギリギリすぎて漫画っぽいし結果はわかってるんだけどやっぱりハラハラさせられる。

今までも帝国軍に倒される反乱軍の兵士たちは描写されているけれど、劇中の彼らは「その他大勢」扱い。彼らにどんな思いがあったのかなどは語られなかった。今作を見た後では帝国軍に倒された人々の姿が見えてくる。

世界を動かしたのはフォースを持つ言わば「選ばれた人々」かもしれないが「その他大勢」だって懸命に生きている(右往左往もその一部なのかなぁ)ことを感じさせた作品でした。エピソード8では今作に登場した人物にちょっとでも触れてくれると楽しいけれど。チアルートみたいに戦う兵士とか出てきてほしいなぁ。

2016私的ベスト3

週1回ペースで更新している当ブログも3年目。2016年を振り返ってみたいと思います。映画に良作が多かったような…?

MCUや再始動したスター・ウォーズなどもみていて楽しかったのですが、単体としてエイヤッと絞ったらこの3本になりました。エンターテイメントの皮を脱ぐことなく偏見と差異というギリギリのテーマに挑んだ「ズートピア」、過多な情報量とスピード感という現代風の面白さで突き抜けた「君の名は。」、そして今の若者の生態を描きつつ人の成長を捉えた「何者」。就職活動は自分を見つめること、とはいうけれど、あんなにシビアに見つめたらもう立ち直れない…しかしそこからでないと再起動もできないのですよ。

今年はあまり本を読まなかった…と思っていたけど、振り返るとまぁまぁ手には取っていましたね。今は「カラマーゾフの兄弟」を少しずつ読んでいるので、最近は本を読み切っていないからか。この3冊からは当事者として眼前のことに臨むことの重要性を読み取りました。それが広く社会のためでもあるし、1対1の個人の関係でもそう。そして眼前のことに臨むにはプロでなければならないのです。

イベントもそこそこ行ったのですが、印象に残っているのは40回目の開催にして初参加の「UMK SEAGAIA JAMNIGHT」。夕方、酒を飲みながらの野外ライブで夏を満喫したのでした。音楽の気楽な楽しみ方を再確認。ブログには書きませんでしたが、Perfumeの幕張オールスタンディングライブやルノワール展(東京)、鳥獣戯画展(福岡)などにも行ったのでした。

とはいっても公開中なのに見てない映画(「スター・ウォーズ ローグ・ワン」!)や行けてないイベント(生賴範義展3!)、読んでいない本もまだまだいっぱい。焦らず、じっくり味わって自身の栄養にしていきたいと思います。

言葉が人を解放する話【鑑賞「永い言い訳」】

人のダメな部分と愛おしい部分をぎゅっと詰め込んだ作品でした。

<ストーリー>

人気作家の津村啓こと衣笠幸夫(きぬがささちお)は、妻が旅先で不慮の事故に遭い、親友とともに亡くなったと知らせを受ける。その時不倫相手と密会していた幸夫は、世間に対して悲劇の主人公を装うことしかできない。そんなある日、妻の親友の遺族・トラック運転手の陽一とその子供たちに出会った幸夫は、ふとした思いつきから幼い彼らの世話を買って出る。子供を持たない幸夫は誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝きだすのだが…。

<作品紹介>

『おくりびと』以来7年ぶりに主人公・幸夫を演じるのは本木雅弘。歪んだ自意識とコンプレックスに溺れるタレント小説家をチャーミングな人物に昇華させた。原作・脚本・監督を手掛けたのは西川美和。卓抜したストーリーテリングと強烈な心理描写が研ぎすまされ、かつてない優しさと希望にあふれた「感動作」となった。観る者は主人公たちとともに悩み、迷い、たしかな幸福感に涙するだろう。

公式サイトより)

話が進み出すとピアノや弦楽器によるヘンデル作曲のクラシック音楽が緊張感を保つのだけど、オープニングのちょっと軽みのある曲が実は効いている。基調にあるユーモア、主人公・幸夫のチャーミングさを印象付けているように思う。

パンフレットはDVD付き
パンフレットはDVD付き!

幸夫は一言でいうと「いい人だけどメンドクサイ」。そしてメディアの人気者でありながら内実は空虚。妻を同じく亡くしていつまでもくよくよする陽一や陽一の子供にかける言葉も、正論だけどちょっと軽い。

そんな幸夫の言葉に感化されたのか陽一が新たな人生を歩み始めようとすると、陽一一家の中に自分の居場所がなくなりそうでひねくれ出す幸夫。バカ丸出しです。だけど客観的にはどうにも憎めない。娘の誕生日シーンは最高でした。

そんな幸夫は陽一の子供たちと関わるちょっとした間にノートに言葉を書き付ける。その瞬間の必死さが印象に残りました。作家である幸夫の誠実さが一番出てたかも。書くという形でまず言葉にすることで、自分自身を励ましている。言葉の力を印象付けた場面です。

ちょっと泣けたのは幸夫と陽一一家が海へ行く場面。海ではしゃぐ子供たちに幸せを感じながら突然「なぜユキちゃん(妻)がいないんだろう」と呟いてしまう陽一にグッときました。幸せを感じる瞬間に自分に欠けているものを強烈に思い出してしまうんですよねー。メンドクサイ性格の幸夫から決して離れない陽一が救いになっていました。

新しい人生に向かわねばならない様々な苦しみとそこからの緩やかな解放を描いた話でした。

終わりと始まりは痛々しい話【鑑賞「何者」】

現代の就職活動を鍵に、普遍的な若者の痛い部分に焦点を当てた話でした。もう若者ではなくても…痛い。

<作品紹介>
平成生まれの作家・朝井リョウが直木賞を受賞し、大きな話題を呼んだ『何者』(新潮文庫刊)が遂に映画化!映画化もして数々の賞を独占したデビュー作『桐島、部活やめるってよ』で等身大の高校生を描き切った朝井リョウが今回挑んだのは、就職活動を通して自分が「何者」かを模索する5人の大学生たち。果たして彼らは「内定」を取ることができるのか? そして「内定」を取れば「何者」かになれるのか?まだ誰も見たことのない超観察エンタメここに解禁!
<ストーリー>
ひとつの部屋に集まった5人の男女。大学の演劇サークルに全力投球していた拓人。拓人がずっと前から片思いをしている瑞月。瑞月の元カレで拓人とルームシェアをしている光太郎。拓人たちの部屋の上に住んでいる、瑞月の友達の理香。就活はしないと宣言する、理香と同棲中の隆良。理香の部屋を「就活対策本部」として定期的に集まる5人。みんなを見守っている大学院生のサワ先輩。それぞれが抱く想いが複雑に交錯し、徐々に人間関係が変化していく。「私、内定もらった…」。やがて「裏切り者」が現れたとき、これまで抑えられていた妬み、本音が露わになっていく。人として誰が一番価値があるのか?そして自分はいったい「何者」なのか?いま、彼らの青春が終わり、人生が始まる−。

公式サイトより)

予告編やストーリーでも出てくる「青春が終わり、人生が始まる」という惹句にひかれました。確かに現代の日本人にとって就職活動ってそういう時期だし、実際自分自身もそうだったわけで(当時はネットもSNSもなかったけど)。

この中で一人だけ、変われないまま終わってしまった人がいるのも切ない…
この中で一人だけ、変われないまま終わってしまった人がいるのも切ない…

そして見終わった時「ああ、大人になるってそういうことだった」と思わされるわけです。同じ演劇サークルで創作していたにも関わらず演劇を辞め就職しようとする拓人と、就職せず演劇の道を進む拓人の友人が、次第に逆転していくかのように描かれるのが印象的。自分の足で自分の人生を歩む。言葉にすると実に陳腐。だがライバルより自分を大きく見せようと様々にいきがる若者たちは、なんだか自分にも当てはまる部分があるようで見ていて苦しくなるのです。

「昔の自分もこうだった気がする」「いや今でもそんな部分がありはしないか?」「ぎゃあぁぁぁぁ」の3段変化。

いい意味で「人は人、自分は自分」。家庭の事情だったり極めて個人的な想いだったりと、人にはそれぞれの都合がある。それを気にしているうちはまだまだな訳で、互いを認められるようになった時、人は大人への階段を登るんでしょう。

拓人が自分の弱さに向き合うクライマックスの描き方が秀逸。キツイ皮肉が効いてます。そして明らかに一歩階段を登ったところでスパッと終わる、印象的な幕切れでした。まさに人生の始まり。自分の始まりも思い出させ、初心に帰される一本でした。

冒険は明るく楽しい話【鑑賞「スター・トレック ビヨンド」】

「スター・ウォーズ」と並ぶアメリカSF映画シリーズの最新作。「スター・ウォーズ」との違いを改めて感じたのでした。

<作品紹介>

ジーン・ロッデンベリーが創作し、2009年にJ・J・エイブラムズによってリブートされた世界的人気を誇る『スター・トレック』シリーズの待望の最新作『スター・トレック BEYOND』は、U.S.S.エンタープライズ号とその勇敢なクルーの大航海にジャスティン・リン監督(『ワイルド・スピード』シリーズ)を迎え戻ってくる。本作では、エンタープライズ号のクルーが宇宙の最果にある未知の領域を探索し、そこで彼らや惑星連邦の存在意義の真価を問う新たな謎の敵と遭遇する。

公式サイトより)

サイトの説明がやたら素っ気ないのは、日本での人気がそれなりでしかない、ってことでしょうね(涙)。スター・ウォーズと比べると地味なのは避けられない。

チェコフ役のアントン・イェルチンのご冥福をお祈りいたします…
チェコフ役のアントン・イェルチンのご冥福をお祈りいたします…

でもスター・ウォーズと比べ今作で印象に残ったのは、スター・トレック現シリーズは軽く見て楽しめるということ。今作の予告編の伴奏がビースティ・ボーイズ「サボタージュ」だったのに強烈な違和感を感じたのだけど、劇中でちゃんと回答があったのが痛快。「遠い昔の銀河系の話」ではなく、我々の今と地続きなのが気持ちいい。未知の敵に知恵と工夫で立ち向かうのが楽しい。(無名の乗員たちはそうでもないけど)エンタープライズの主な乗員は窮地に立たされても死んじゃうことはないし。

来月にはスター・ウォーズのスピンオフ「ローグ・ワン」が公開予定。もちろん楽しみなんだけど、今作を見てからは、スター・ウォーズって何だかだんだん話が重くなってきてはいないか、という懸念が湧いてきた。第1作「新たなる希望」はもっと軽く楽しめたよね?

ぶっちゃけ、スター・トレックの現シリーズってだいたい同じ話を繰り返してる感じがするのです。こういうと低い評価のように思われるだろうか。でも、なじみの仲間にまた会える喜びも捨て難いんですよ(チェコフ役のアントン・イェルチンは本作撮影終了後、事故で亡くなってしまったけど…)。最後のセリフ(おなじみのアレ)をこう伝えるか、とニヤニヤ。前向きに冒険しようという思いを感じさせる一本でした。

最後まで理性を捨てない話【鑑賞「ハドソン川の奇跡」】

正しい判断とは結果だけで証明されるわけではないんですね。

<作品紹介>

クリント・イーストウッドの長い監督キャリア史上、最大のヒット作となった名作「アメリカン・スナイパー」の次に選んだのは「ハドソン川の奇跡」。未曾有の航空機事故からの生還劇の裏に隠された実話だ。前作で戦場という極限の状況下における兵士の人間性を鋭く優しく見つめた巨匠が、その視点で新たに問いかける真実の裏側。確かな経験に裏付けられた機長の決断。乗員乗客全ての命を救った英雄への厳しい追及。それでも折れない不屈の信念と、決して揺らぐことのない機長サリーの人間性を描き出す。

<ストーリー>

2009年1月15日、極寒のニューヨーク上空850mで155人を乗せた航空機を突如襲った全エンジン停止事故。160万人が住む大都会の真上で、制御不能の70トンの機体は高速で墜落していく。近くの空港に着陸するよう管制室から指示がある中、機長サリーはそれを不可と判断し、ハドソン川への不時着を決断。事故発生からわずか208秒の事だった。航空史上誰も予想し得ない絶望的な状況の中、技術的に難易度の高い水面への不時着を見事に成功させ“全員生存”の偉業を成し遂げる。その偉業は「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サリーは一躍英雄として称賛されるーはずだった。ところが機長の“究極の決断”に思わぬ疑惑が掛けられてしまう。本当に不時着以外の選択肢はなかったのか?それは乗客たちを命の危険に晒す無謀な判断ではなかったのか?事故調査委員会による度重なる追求は、サリーを極限まで追い詰める…。

公式サイトより)

少なくとも日本国内での宣伝、紹介の仕方(上記公式サイトのあらすじ紹介とか)は全体をミスリードしているように思う。事故調査委の調査は決して理不尽なものでなく、調査する以上当然の視点と思われるからだ。実際、作品内での調査委による追求描写も抑制的で、単純な善悪描写には陥っていない。

パンフレット欲しかった…
パンフレット欲しかった…

まぁ観客を呼ぶための工夫、と言われればそれまでではあるんだけど。惹句の「容疑者になった男」ってのも違うしね。司法的に責任を問われたわけではない。

むしろ見ていて感じたのは、事故後も消えない主人公サリーの不安。メディアや一般人が「奇跡だ奇跡だ」と称賛しても、一歩間違えば大惨事だったのは彼自身よく分かっている。全員が助かったとはいえ自分の成したことにおののいているような印象を受けた。

だからこそ事故調査委に自身の判断が正しかったと認めさせる必要があった。正しい判断かどうかを証明するのは「全員が助かった」という結果ではなく、ましてや感情ではなく、事実に基づく理性的な検証。これは善と悪でなくプロとプロのぶつかり合いの話だった。

機長自身による原作本を読んでもいないしパンフレットも入手できなかったので、この映画がどこまで史実や本に忠実に作られたかはわからない。そもそも実際のフライト自体208秒しかない。それなのに「これは映画になる」と判断したイーストウッドは凄いです。全てが解決して、サリーと同じく調査委から追求された副機長の粋なアメリカン・ジョークでスパッと本編を終わらせるあたり、本当にニクい出来でした。