辛い世界に優しさが光る話【鑑賞「彼らが本気で編むときは、」】

世界観を重視してきた監督の意欲作。なるほど「第二章」かもしれません。

【作品紹介】
『かもめ食堂』『めがね』などで、日本映画の新しいジャンルを築いてきた荻上直子監督の5年ぶりの最新作『彼らが本気で編むときは、』は、編み物をモチーフに、今日本でも急速に関心が高まりつつあるセクシュアル・マイノリティ(LGBT)の女性リンコを主人公としていち早く物語に取り込んだ。監督自身「この映画は、私の人生においても、映画監督としても、“荻上直子・第二章”の始まりです」と公言する、新しいステージに踏み出した作品である。
【ストーリー】
小学5年生のトモ(柿原りんか)は、荒れ放題の部屋で母ヒロミ(ミムラ)と二人暮らし。ある日、ヒロミが男を追って姿を消す。ひとりきりになったトモは、叔父であるマキオ(桐谷健太)の家に向かう。母の家出は初めてではない。ただ以前と違うのは、マキオはリンコ(生田斗真)という美しい恋人と一緒に暮らしていた。それはトモが初めて出会う、トランスジェンダーの女性だった。キレイに整頓された部屋でトモを優しく迎え入れるリンコ。本当の家族ではないけれど、3人で過ごす特別な日々は、人生のかけがえのないもの、本当の幸せとは何かを教えてくれる至福の時間になっていくが−。

公式サイトより)

作品紹介でも取り上げられた「かもめ食堂」「めがね」は見た。「かもめ食堂」は確かに雰囲気の良い作品で、いい印象が残っている。けれど「めがね」は雰囲気に馴染めず、何を訴えたいのかわからない、雰囲気だけの作品としか思えなかった。

雰囲気重視の作品って、見る側と波長が合えばいいけれど、ズレてしまうとまったくダメになってしまうんですよね。

生田斗真がだんだん女性っぽく見えてきたのがすごかったですね。

そこで今作。正直、監督が同じ人とは知らなかった。冒頭描かれるのは暗い荒れ放題の部屋でトモがコンビニのおにぎりを寂しく食べる場面。「かもめ食堂」っぽい感じが出るのはマキオの部屋が登場してから。やけにこざっぱりしてる団地の部屋で、3人が食べるリンコの手料理のこぎれいさに過去の作品との繋がりを感じさせる。

一方で印象に残ったのは作中何度か用いられる暗転。これまでになかった緊張感を作品に生んでいると感じました。

なにより本作の特徴は強いストーリーがあること。トランスジェンダーという日本ではまだ難しい題材を真っ正直にとりあげているのがとても素晴らしい。自分の特徴に気づき悩むリンコ、それを受け入れる母親。それとは対照的な結果になるトモの同級生カイとその母親の顛末。「トランスジェンダー」を巡って理想だけでなく現実も見据えた作品構成が非常に良かったです。リンコの母親とカイの母親、どちらが「あるべき存在」かは観客には十分伝わるわけで、それでもカイの母親を(作中では)断罪しきらないところに絶妙のバランス感覚を見るのです。

バランス感覚といえば、トモの母親になることを本気で考えるリンコと実母ヒロミの関係もそう。トモが選ぶ道はけっして楽ではないだろうが、エピローグでまた登場する(かつて荒れ放題だった)トモとヒロミの部屋の変化に、二人の関係性の変化も匂わせている。リンコがトモに贈るプレゼントも心憎い。リンコだけにしかあげられないものでしたねー。

もっとも、カイの母親同様、ヒロミも改心した描写はなし。トモ以外、リンコに接した登場人物の中で明確に立場を変えていく人はいないのです。みな既に変えたか変えられない人ばかり。そしてそんな人の間にズレを感じたとき、人は怒りを感じるわけです。

そこで今作で登場するのが編み物。辛い思いを一針一針に込めて一人解消していたリンコの振る舞いがトモ、マキオにも広がる。3人で編み物をする様子は微笑ましい一方で世間の理不尽にじっと耐えている姿でもあったのだ。

編み物や食べ物(コンビニおにぎりとキャラ弁)など、一見するとふわっと優しげな印象を残すツールに、今作は明確なメッセージを込めたのが荻上監督の「第二章」たるところでしょうか。世界は優しくないけれど、生きるに値するものもあるのです。

孤独な男に胸打たれる話【鑑賞「LOGAN/ローガン」】

ヒーロー映画シリーズ「X-MEN」の人気キャラクター、ウルヴァリン(ローガン)を主人公にしたスピンオフ第3弾。ジャンル映画の枠を越えようとした意欲作でした。

【作品紹介】

野性味あふれる風貌、アダマンチウム合金の爪であらゆるものを切り裂くアクション、そして内に秘めた熱き激情。大ヒット・シリーズ「X-MEN」において最高の人気を誇る“ウルヴァリン”ことローガンは、スパイダーマン、バットマン、アイアンマンらとともに2000年代以降のアメコミ映画の興隆を牽引してきた孤高のヒーローである。国際的なスーパースターとして揺るぎない地位を築いたヒュー・ジャックマンにとっては、ハリウッドでの成功をたぐり寄せた最も思い入れの深いキャラクター。そのジャックマンが撮影に全身全霊を捧げ、「本当に全力を出し切った」と語る最新作「LOGAN/ローガン」は、まさしく“最後のウルヴァリン”の雄姿を刻み込んだ入魂の一作だ。アメコミ映画の常識を突き破った過激な世界観と衝撃的なストーリー展開が大反響を呼び起こしている。

【ストーリー】

ミュータントの大半が死滅した2029年の近未来。長年の激闘で心身共に疲れ果て、不死身の治癒能力が衰えたローガンは、生きる目的さえも失ったまま荒野の廃工場でひっそりと暮らしている。そんなローガンの前に現れたのは、強大な武装集団に追われるローラという謎めいた少女。絶滅の危機に瀕したミュータントの最後の希望であるローラの保護者となったローガンは、アメリカ西部からカナダ国境をめざして旅立ち、迫りくる最強の敵との命がけの闘いに身を投じていくのだった…。

公式サイトより)

特殊能力を持った登場人物が自身の能力や社会との関わりに悩みながらも悪と戦い、秩序を取り戻す−のがヒーロー映画の基本線。アメコミではヒーローが老いた姿を晒す話もあるのだけど、今作は死に真正面から向き合ったのが大きな特徴。「ウルヴァリン」シリーズ過去2作、X-MENシリーズとの関連性はあまりない感じで、単独作として鑑賞するのが正しいのでしょう。

ヒュー・ジャックマンも良かったがローラ役のダフネ・キーンの目力も素晴らしい。

今作はヒーロー映画の中で格段に「死」を印象付けられる一本となっている。切断されたり貫かれたりとグロい殺害シーンが多いのです。老いたローガンには相手へ配慮する余裕がもうない、ということか。

「アイアンマン」などの一連のマーベル映画(MCU)、「スーパーマン v バットマン」などのDC映画(DCEU)では正義をなす重み、痛みを描くようになってきたけれど、今作はさらに直接的に、(彼らにとっての)正義をなすことはとんでもなく残酷な暴力でもあることが伝わってきます。一方で自分の後に続く幼い世代をたった一人でボロボロになりながらも懸命に守ろうとする姿も印象深い。

ローガンやプロフェッサーXがどんな能力を持ったキャラクターかという説明はない分、単独作とは言ってもいきなり今作から見るのは難しいかも。また、アメコミのキャラクターは別のシリーズでまた登場することもあるので、今作が最後とは言っても映画でウルヴァリンやプロフェッサーXをもう見られないなんてことはないんじゃないかなーとは思います。

ただアメコミ映画、ヒーロー映画として今作が孤高の一本になったことは間違いない。前作「ウルヴァリン:SAMURAI」が正直なんじゃこりゃという出来だったのによくここまで持ち直したなぁ。ヒーローは孤独。だからこそ魅力的なのです。

見えない壁を越える話【鑑賞「光」】

「カンヌ映画祭」出品、審査員賞受賞作と聞くと高尚な映画ファン向けの作品のように受け止められがちだけど気負わずに見られる一本でした。

【作品紹介】
生きることの意味を問いかけ、カンヌ国際映画祭他、世界中から大絶賛をされた『あん』。河瀨監督と永瀬正敏のダッグが、ヒロインに水崎綾女をむかえて次に届けるのは、人生で多くのものを失っても、大切な誰かと一緒なら、きっと前を向けると信じさせてくれるラブストーリー。また、映画の音声ガイドにも焦点をあてた本作は、世界中の映画ファンに歓喜と感動をもたらしてくれる。 1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞カメラドールを受賞し、2007年の『殯の森』では同映画祭で審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀨監督。10年の節目をむかえる2017年に ふさわしい感動作が、ここに誕生した。
【ストーリー】
単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が過去に撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかこの場所に連れて行って欲しいと願うようになる。命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼の葛藤を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめるー。

公式サイトより)

ヒロイン美佐子は視覚障害者向けの映画音声ガイド製作者。ガイドを製作するためにモニターとして集まってもらった観客の中にいたのが弱視が進んでいるカメラマン雅哉。雅哉の的確ながらも厳しい意見に美佐子は反発するが…と、舞台は必ずしも観客に馴染みのあるものではないけれど、話の骨格は反発しあった男女がひかれあう展開。一般の観客には身近といえない仕事が描かれる興味深さもありましたね。一方で見えているもの=光を、言葉=音に置き換える試みも描かれる。中心に映像ではなく音がある野心的な映画でもありました。

何が見えて、何が見えていないのか?と考えてしまいました。

雅哉の部屋でプリズムが輝く場面、雅哉と美佐子が夕日を見つめる場面など映像として「光」を表現する場面もあった一方で、クローズアップが多く圧迫感、緊張感が強いのも今作の特徴かも。雅哉は視界のほんの一部しか見えない設定なのだけど(彼の視点描写もある)、一般の観客に視覚障害の感覚を伝えようとしているようにも見えました。

ちょっと残念なのが美佐子の母親のエピソード。本筋ともう少し絡んでほしかった。テーマとしては繋がっている、むしろ、光が失われることに前向きな意味づけをするエピソードなのだけど、ちょっと唐突だった気が。母親がそんなことを言ってもおかしくはない設定にはなっているど、(逆に)そう言わせたいための設定ではないか、という印象が残ったのです。

見えているものを言葉に置き換えることは簡単なようで難しい。映画ならなおのこと、フィルムに写っているもの全てを伝えようと言葉を盛り込んでもダメ、余韻を伝えようと言葉を省きすぎてもダメ。意味を考えないと伝わらない。ラスト、完成した音声ガイドが流れて終わるのですが、なるほどこう表現するか、と言うものでした。聞いてしまうと簡単な表現なんだけど的確な表現ってそんなもの。表現の技法を置き換えるのは簡単なことではないんです。

でもこの映画、外国語圏の人は作品の大部分を字幕=光で意味を理解するわけで、音声ガイドのニュアンスへのこだわり、試行錯誤がどこまで伝わるのかな、と気になってしまった。今作の意味を体感(理解ではなく)できるのは日本語がわかる人になるのかな。色々な「壁」が身の回りにはあるのです。でもその壁を越えようという試みが大事なのでしょう。

それでもなお、という話【鑑賞「メッセージ」】

空想科学の楽しさの先に人間を深く洞察した高度な一本でした。観客の理解力も問われるなー。

【イントロダクション】
SF映画の金字塔『ブレードランナー』の続編の監督に抜擢されたことでも注目のドゥニ・ヴィルヌーヴ。彼の最新作『メッセージ』は、優れたSF作品に贈られるネビュラ賞を受賞したアメリカ人作家テッド・チャンによる小説「あなたの人生の物語」を原作に映画化された、全く新しいSF映画。謎の知的生命体と意志の疎通をはかろうとする言語学者のルイーズ役には、『アメリカン・ハッスル』を含め5度アカデミー賞にノミネートされたエイミー・アダムス。彼女とチームを組む物理学者イアンには『ハート・ロッカー』など2度アカデミー賞にノミネートされたジェレミー・レナー。軍のウェバー大佐役には『ラストキング・オブ・スコットランド』の演技でアカデミー賞主演男優賞を受賞したフォレスト・ウィテカーが扮している。
【ストーリー】
突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは―。

公式サイトより)

前半で描かれる宇宙船との接触までの流れが非常に素晴らしい。軍人が学者に会いに来て現場に連れて行かれるというよくある展開なんだけど緊張感を十分に保ち、画面に現れる宇宙船のファースト・ショットがただただ美しい。

読み応えあるパンフレットでした。

鑑賞しながらジョディ・フォスターが科学者を演じた映画「コンタクト」を思い出しましたが、今作も「コンタクト」に似て、話を混ぜかえす分からず屋の「悪役」がいないのも良い。存在するだけの巨大宇宙船を前に高ぶってしまう人や国は出てくるけど、その程度。全員がその場その場で真剣に事態に向き合っているのがいいですね。「コンタクト」では日本がカギを握りましたが今作ではそれが中国なのは時代ですかねw。

本作のテーマに触れるとネタバレになってしまうので、感想を書くのは極めて難しい。ただ(未読ですが)この映画の原作が「あなたの人生の物語」と名付けられているのだけは知っていました。本作を見て原作がそう名付けられた理由がわかった瞬間はあまりの切なさにちょっと鳥肌。そして今作を見ている自分自身が、主人公・ルイーズが見てきたものを体感していたと気づいて驚嘆。

テーマに触れた時の悲しみ、切なさ、そして主人公・ルイーズのように生きられるか(生きてほしい)、というこの作品からの問いかけ(メッセージ)は見終わってもずっと残るでしょう。

まだ1回しか見ていないのだけど、また見返したら、かなり泣けるだろうなぁ。

エンジンがかかってきた話【鑑賞「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス」】

前作はピンとこなかったんだけど、今作はグーッとノリが良くなった快作でした。

【作品紹介】
シリーズ累計興行収入1兆円突破、全世界No.1の記録を打ち立てた、『アベンジャーズ』シリーズのマーベル・スタジオ。その輝かしい正統派ヒーローたちの歴史に、最もヒーローらしくないヒーロー・チームが殴りこみ!常識破りで誰より自由、ヒーローと呼ぶにはあまりも頼りない、銀河一ヤバい愛されヤンキー・ヒーロー・チーム…その名は“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”。正義なんかクソくらえ!過激な個性がぶつかり合う、この宇宙の落ちこぼれ達を突き動かすのは、カネとその場のノリ。今、懐かしのゴキゲンなヒット曲に乗って、ユニークすぎる戦いが、ノリと笑いで銀河を揺らす!
【ストーリー】
“スター・ロード”ことピーター・クイルをリーダーに、凶暴なアライグマのロケット、マッチョな破壊王ドラックス、ツンデレ暗殺者ガモーラなど、たまたま出会ったノリで結成された宇宙の“はみ出し者”チーム、<ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー>。小遣い稼ぎに請けた仕事をきっかけに、強大な力を持つ“黄金の惑星”の指導者アイーシャ率いる無敵艦隊から総攻撃を受け、彼らの宇宙船ミラノ号は壊滅寸前に…。間一髪、ガーディアンズを救ったのは“ピーターの父親”と名乗る謎の男エゴと、触れただけで相手の感情が分かる能力を持つマンティスだった。仲間からの忠告にも関わらずエゴに魅了されていくピーターの姿を見て、次第にチームの絆に亀裂が…。 そこへ“ピーター育ての親”ヨンドゥが率いる宇宙海賊の襲撃や、さらに銀河全体を脅かす恐るべき陰謀が交錯していく。はたして、ピーターの出生に隠された衝撃の真実とは? そして、彼らは絆を取り戻し、銀河を救うことが出来るのか? その運命の鍵を握るのは、チーム一小さくてキュートな、ガーディアンズの最終兵“木”グルートだった…。

公式サイトより)

前作の感想で「メンバーが会話でなく行動で『仲間』になったのがいい。主人公ピーター・クイルに感情移入できなかった。次回作ではドラックス以外の内面を描いてほしい」と書いておりました。今作はまさにドンピシャ。ピーターの父親・エゴが現れ、彼の出自が話の中心になってました。「父殺し」というオーソドックスな展開なのだけど、人として必ず訪れる成長への通過儀礼でもあるわけで、主人公の成長には不可欠。ピーターに感情移入しやすい構造でした。だからって父を倒すときにあんなキャラクターに変身せんでもと思うわけだが。バカじゃないの?(注・褒めてます)

5人の仲間意識と個性を冒頭のアクションシーンで見せるのもうまい。小さなグルートを邪険にしないところにメンバー間の絆を感じさせました。タイトルが出た場面で心掴まれ、後半でピーターが「父殺し」を決意するときにフラッシュバックする仲間たちとの思い出に泣ける。メンバー5人、ピーターとエゴ(とヨンドゥ!)、ガモーラと妹・ネビュラなど、キャラクターの関係を追うと家族の絆というテーマが浮かび上がる。遠くの親戚より近くの他人、ですw。

表紙がイカす特別版パンフレット!

前作で違和感を感じた往年のヒット曲の使い方も今回はバッチリ。映像としての見た目の楽しさを補強し、作品テーマとの関連性も強かった。冒頭から流れる(セリフでも詞について語られる)のが米ニュージャージー州出身のロックバンド「ルッキング・グラス」の1972年のヒット曲「ブランディー」。「この曲知ってるわ、誰が歌ってるのかは知らんけど」程度の印象しかなかったポップナンバーだけど、今作を見てしまったらもう心に焼き付いてしまうことまちがいなし。音楽が本当に重要な要素になっていました。

と、そんなことを思いながら鑑賞後ポスターを改めて見たら、ピーターが左手の光線銃より高々と掲げた右手にソニーのウォークマンを持っていたのに気づいた。大事なオモチャを持ってカメラの前でキメてるみたい。子供か。バッカじゃないの?(注・絶賛しています)

前作ほど話の中心ではなかったものの、ドラックスも豪快さでいい味を出していた。ロケットの毒舌も笑えたし。仲間でワイワイ言いながら戦うメンバーたちが見ていて実に楽しい。マーベルの映画シリーズ「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」でチームプレイの楽しさを打ち出したのがこの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズと今作ではっきり理解しました。「アベンジャーズ」はあくまで即席の、いわばドリームチーム、球技スポーツにおけるナショナルチームみたいなものなので。

パート3も予定されているそうなので、今作でちらりと登場した某大物俳優の見せ場も増えるかもしれません。エンジンがかかってきた感じですね。思春期になったグルートにも期待w。

結論が正反対だった話【鑑賞「ゴースト・イン・ザ・シェル」】

押井守のアニメ版第1作にビックリするくらい寄せてきながら、結末が真逆なのにもっとビックリですよ。

【作品紹介】
士郎正宗のコミックを押井守監督が映画化したSFアニメの傑作「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を、ハリウッドで実写映画化。オリジナル作品の草薙素子に相当する主人公の少佐を、「アベンジャーズ」「LUCY ルーシー」などアクション映画でも活躍するスカーレット・ヨハンソンが演じ、少佐の上司・荒巻に、映画監督として世界的評価を受けるビートたけしが扮する。そのほか、少佐の片腕バトー役でデンマーク出身の俳優ピルウ・アスベック、テロ事件を企てる謎めいた男クゼにマイケル・ピット、オリジナルキャラクターのオウレイ博士役でフランスの名女優ジュリエット・ビノシュらが出演。監督は「スノーホワイト」のルパート・サンダース。日本語吹き替え版には田中敦子、大塚明夫、山寺宏一というアニメ版の声優が起用されている。脳とわずかな記憶を残して全身が機械化された、公安9課最強の捜査官・少佐は、全世界を揺るがすサイバーテロ事件を発端に記憶が呼び覚まされるが、そこには驚くべき過去が隠されていた。

映画.comより)

似た場面があるだけでなく、公安9課のキャストも「アニメキャラにここまで似た人をよく起用できたなぁ」と感嘆。スカーレット・ヨハンソンも悪くないし、バトー役、トグサ役の俳優とか笑っちゃうほどクリソツ。似てないのは荒巻課長役のビートたけしくらい。まぁあの髪型に頑張って寄せてきたとは思いましたがね…。

キングコング 髑髏島の巨神」でも思いましたが、日本のサブカルチャーへのリスペクトって昨今、予想以上に広く深くなってきた印象があります。日本のアニメやマンガ、ゲームで楽しんだ人たちがいよいよハリウッドの担い手になってきたんでしょうかね。

公式サイトの素っ気なさはどうしたもんでしょう。

でも文化の深いところまではまだ共有できてないのかなーと思わされるのが本作。タイトルにもある「ゴースト」の意味を狭めてしまったなあ。

「ゴースト」の意味って原作漫画版でも押井守版でもはっきりとは示されない。脳以外全てを機械化し、脳もネットワークと直接繋げられるようになった世界で、まだなお個人の中に残る他者と自分を分ける「何か」のように描かれる。

今作ではこれが「他者によって奪われた記憶」に狭められてしまった。それじゃあつまらない。オリジナル版での「ゴースト」は、USBメモリに収められるものではなかったんだよ。

もちろん今作をなるだけ多くの人に見てもらうために何かしらの改変は避けられない。わかりやすくすることは仕方がない。

でもSF的な面白さでいったら断然オリジナル版の方が上。来るべき未来社会とその社会における解放を描いたのだから。自分の過去を取り戻す今作の結末は、万人にわかりやすくはありましたが、SF映画としてはあまりに凡庸でした。

そうはいってもこの作品を全否定はできない。生身の人間が演じる「攻殻」世界はアニメ版とはまた違う魅力があった。テーマとしてはオリジナルに届かなかったけど「リブート版」「前日譚」と解釈したら悪くない気がするんです。

今作の続編が作られるかわからないけれど、もし次回作が作られたら、その時こそ素子を導く「人形使い」が登場しても悪くない気がする。「新劇場版」感想でも書いたようにアニメ攻殻はもう行き詰まっている感があるので。過去の成功に囚われた、というか。今回の素子を踏まえて個人と社会の新たな繋がり方を描いてほしい気がします。本当のお楽しみは続編で、かなぁ。

人間は虫ケラ以下だった話【鑑賞「キングコング:髑髏島の巨神」】

誰もが持ってる男の子魂(?)にグイグイ刺さる一本でした。

【作品紹介】
今回のキングコングは、とにかくデカい。31.6メートルの体長は過去に映画に登場したコングのなかでも最大級!冒頭から武装ヘリを腕のひと振りで弾き飛ばし、巨大怪獣とのバトルでは殴り、つかみかかり、引きちぎる!スピードとパワーを備えた超リアルなアクション映像がアドレナリンを放出させる、暴走!アクションアドベンチャー超大作。
【ストーリー】
未知生命体の存在を確認しようと、学者やカメラマン、軍人からなる調査隊が太平洋の孤島“スカル・アイランド(髑髏島)”にやって来る。そこに突如現れた島の巨大なる“守護神”キングコング。島を破壊したことで、“彼”を怒らせてしまった人間たちは究極のサバイバルを強いられる。しかし脅威はこれだけではなかった。狂暴にしてデカすぎる怪獣たちが、そこに潜んでいた!この島では、人類は虫けらに過ぎない…そう悟った時は遅かった。なすすべもなく逃げ惑う人間たち。彼らがやがて知ることになる、島の驚くべき秘密とは!? 果たして調査隊は、島から脱出することができるのか!?

公式ホームページより)

深みがあるお話ではありません。オリジナル版のような切ない結末もなし。そんなものハナから期待しちゃいない。怪獣たちが画面狭しと大暴れしてバカな人間たちをぶち殺してくれれば満足なのです(ヒドイ)。3Dで見た甲斐もあるってものです。吹き替えキャストのGACKTにだけは納得いかなかったが。彼はタフでも汗ひとつかかないイメージがあるんで、ジャングルの中を右往左往するキャラクターの声には合ってないんだよなぁ。どっちかというと宇宙服を着た戦士のイメージなんで。そもそも声の存在感もありすぎて結局最後までずーっとGACKT。違和感が残りました。

ウチのネコもあくびをするとき、こんなカオをしますw

納得しまくったのはコングに一歩も引けを取らなかったサミュエル・L・ジャクソン。馬鹿な人間の代表として大活躍、んもうどっちが人か大猿かわからんかったぞサミュエル。目力最高サミュエル。あの場面のために起用されたんだろうなぁサミュエル。信頼の証サミュエル。っていうか、この手の映画に出すぎだろサミュエル…DCEUにも出てね!お願い!

作品の舞台がベトナム戦争終結直後なのがちょっと新鮮。作品のトーンとして、古く懐かしい印象が出ましたね。過去の東宝特撮映画やハリウッド映画を見直しているようでもある。島に謎の部族が暮らしている設定なども一昔前の雰囲気でしたね。

一方で作中には今の日本文化の影響を感じさせる部分もあったのが興味深いところ。大蛇に前足がついたようなコングの宿敵「スカル・クローラー」はアニメ映画「新世紀エヴァンゲリオン(旧劇場版)」のエヴァ量産型に似てる…と思ったら、鑑賞後読んだパンフで監督がしっかり言及してましたw。宮崎駿「千と千尋の神隠し」のカオナシもモチーフなのだそう。プロローグで旧日本軍の兵士が登場するし、何よりエピローグですよ。どうやらマジでアイツらを登場させるつもりだな。

でもアイツらのうち、すでにリブートされたアイツ含め、コングとキャラクター設定が被り気味なのがいるんだけど、その辺はどうするつもりなのかしら。深く考えず楽しめばいいのかしら。そもそもこの「モンスターユニバース」、人間は添え物でしかなさそうなのでMCUやスター・ウォーズのようにストーリーを楽しむものでもない感じだし。原作も事実上ないから自由に話をつくれる分、話の連続性とかこだわらず、好き勝手に怪獣を暴れさせればいいと思います。でも怪獣の設定だけはオリジナルを尊重して欲しいなぁ。

夢は広く深い話【鑑賞「ひるね姫」】

監督名だけで興味があった一本。幅広い年齢層を楽しませようという意欲を感じた作品でした。

【作品紹介】
人はどうして夢を見るのだろうか。自分では気づかない無意識のストレスや心の乾き。心の中で足りなくなっている何かをサプリメントのように補ってくれるのが、夢の役割かもしれない。神山健治監督が最新作のモチーフに選んだのが、その「夢」だ。神山監督はこれまでSFやファンタジーなど、重厚な世界設定を構築しその中で人間ドラマを描いてきた。そんな神山が自ら原作・脚本を担い、監督する初の劇場オリジナルアニメーション。
【ストーリー】
岡山県倉敷市で父親と二人暮らしをしている森川ココネ。何の取り得も無い平凡な女子高生の彼女は、ついつい居眠りばかり。そんな彼女は最近、不思議なことに同じ夢ばかり見るようになる。
進路のこと、友達のこと、家族のこと…考えなければいけないことがたくさんある彼女は寝てばかりもいられない。無口で無愛想なココネの父親は、そんな彼女の様子を知ってか知らずか、自動車の改造にばかり明け暮れている。
2020年、東京オリンピックの3日前。突然父親が警察に逮捕され東京に連行される。どうしようもない父親ではあるが、そこまでの悪事を働いたとはどうしても思えない。ココネは次々と浮かび上がる謎を解決しようと、おさななじみの大学生モリオを連れて東京に向かう決意をする。その途上、彼女はいつも自分が見ている夢にこそ、事態を解決する鍵があることに気づく。
ココネは夢と現実をまたいだ不思議な旅に出る。その大きな冒険の末に見つけた、小さな真実とは…。

公式サイトより)

神山健治監督というとやはり「攻殻機動隊 S.A.C.」の人。高遠菜穂子の「精霊の守り人」も見たな。サイボーグ009のリメイク「009 RE:CYBORG」、オリジナル作「東のエデン」は見てませんw。今作は「東のエデン」に次ぐオリジナル作とのことなのだけど(「精霊の守り人」が例外なだけで)どちらかというと年齢若干高めな人たち向けなアニメーションをつくる人、という印象でした。

でも今作「ひるね姫」は現代を舞台にしたファンタジーといった趣で、予告を見る限り幅広い年齢層を意識した雰囲気を感じておりました。脱力気味な作品名も意外な感じ。

エンジンヘッドのフィギュア化希望…!

で、実際見たら、ほぼ現在と地続きの日本を舞台に巨大ロボも変形メカも出る(イェーイ!)ごたまぜ世界のお話でした。様々な要素を一つの世界にできるのはアニメならではですね。声のキャストは有名俳優を多く起用しているのだけど全く気づかなかった。高畑充希は歌もうまい…!

ココネの岡山弁はほっこりさせるし悪役らしき人物もどこか間が抜けていて過度な緊張感を持たせない。楽しく最後まで見れるんですね。一方で中盤までは主人公ココネが寝入る場面があって夢と現実がはっきり分かれていたのだけど、後半からは現実と夢が地続きに描写され、意図的に混乱させる仕組みに。話の展開を読ませない構成になっておりました。

正直、見ていて「あれ?」と思う場面もいくつかありました。特にココネの父が整備した自動運転機能付きサイドカー「ハーツ」。あの動きは「自動運転」より「自立運転」だよなぁ。でも思い出すとセリフで詳しく説明こそしないがハーツがなぜあんな動きをするかはわかるようになってはいました。解釈を観客に委ねる箇所は結構多い。そういう意味では観客に読み取り力を求める一本ではあります。エンディングも後日談でなく前日譚中心なのも異例な構成ではないかと。

あと、主人公の女子高生ココネは決して弱い存在でなく、自分をしっかり持っている感じ。冒険が終わってもさほど変化がなく、周囲を変えている。ぽやーんとした岡山弁を話すけど「攻殻機動隊」草薙素子少佐や「精霊の守り人」バルサに似た強い女性だったなぁと気づきました。実に主役ですね。

見方を観客に委ねる映画だけに解釈もいろいろできる気もします。モノづくりをする全ての人へのエール、もう会えない家族との交流。見直すたびに感想が違うかもしれません。それだけの許容力を感じた一本でした。細田守や新海誠だけじゃない、アニメ監督もいろいろな人が表に出てきたなぁ。

同じ時間を生きる話【鑑賞「パッセンジャー」】

気軽に見て楽しむスペース・オペラでした。

【作品紹介】
90年早く目覚めた2人の壮絶な運命−。映画史に残るスペース・スペクタクル・ロマン。
宇宙で何が起きたのか?
今、世界中の注目を集める話題の2人–ジェニファー・ローレンスxクリス・プラット。
オーロラを演じるのは若手実力派でオスカー女優でもあるジェニファー・ローレンス、ジム役には「ジュラシック・ワールド」他メガヒットを連発するクリス・プラット。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」でアカデミー賞ノミネートの俊英モルテン・ティルドゥム監督がハリウッドを代表する今最も旬な2大キャストを迎えて、「タイタニック」以来とも言える世紀のスペクタクル・ロマンに挑む。
【ストーリー】
20XX年−。新たなる居住地を目指し、5000人を乗せた豪華宇宙船、アヴァロン号が地球を後にした。目的地の惑星到着まで120年間、冬眠装置で眠る乗客の中でなぜか2人の男女だけが目覚めてしまった。90年も早く−。エンジニアのジムと作家のオーロラは絶望的状況の中でお互いを求め合い、愛し合い、なんとか生きる術を見つけようとするが、予期せぬ出来事が2人の運命を狂わせていく−。

公式ホームページより)

宇宙や宇宙船しか出てこないので見た目こそSFなのだけど、話を追っていて「ロビンソンクルーソー」とか、映画ならトム・ハンクス主演「キャスト・アウェイ」とかを思い出しました。重力装置が故障して急に無重力になるアクシデントの場面はちょっと面白かったかな。プールで泳いでちゃいけませんねー。そういえば「キャスト・アウェイ」のトム・ハンクスも孤独に苦しんでいたなぁ。

ジェニファー・ローレンスは力む時の表情が魅力的でした。

ジムとオーロラが目覚める理由は実は違うのが中盤までポイントになってはいるけれど、まぁ予告編を見て予想される展開通りに話は進んでいきます。つまり本筋は変わらない。危機を乗り越えて2人の間の問題も解決される。その解決されるための(物語上の)工夫が今ひとつだったのが今作が物足りないところ。今起こっている危機がどんなものか、ジムとオーロラはどうあるべきか、わかりやすく提示されすぎなんですね。もちろんこの「工夫」のお陰で先に目覚めたジムの身に何が起こったかオーロラが理解する利点もあるのだけど。

「キャスト・アウェイ」のような「孤島もの」の流れをくむ今作において、2人は今いる場所から絶対に脱出できず、ただただ生きていくだけなのがツラいところ。物語上のクライマックスはエピローグ、ジムがオーロラにある提案をする場面でした。オーロラは予想通りの答えを出すのだけど、そこでもし、反対の答えを出していたら…という思いは鑑賞後も残っております。それはそれでロマンチックなエンディングではなかったかと。でもそれはジム(男側)から見たロマンチックさなのであって、オーロラ(女側)からはそう思えないかもしれませんが。

先述したホームページの作品紹介が「タイタニック」を引き合いに挙げていたのも、そう考えるとあながち的を外してはいないかも。本来の目的を達せられなくても、愛し合う2人は同じ時間を生きるべきか。生死がかかった史実とSFでは同一に語れない面もあります。しかし、無機質な宇宙船内部を延々見せられてきたこの話を締めくくるラストショットには時間の長さを感じました。SFならではの面白さだったかもしれません。

染み込んだ味を堪能した話【鑑賞「しゃぼん玉」】

作中に登場する郷土料理のように、見た目は地味でも味が染み込んでいる、そんな映画でした。

【作品紹介】
原作は直木賞作家・乃南アサのベストセラー小説『しゃぼん玉』(新潮文庫刊)。TVシリーズ「相棒」で監督を務めてきた東伸児の劇場初監督作品となる。 映画の舞台となったのは宮崎県椎葉村(しいばそん)。 宮崎県北部の絶景や素晴らしい原風景、恵まれた自然の素材を活かした郷土料理も映画に彩りを添えている。
【ストーリー】
親の愛情を知らずに育ち、女性や老人だけを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返してきた伊豆見。人を刺し、逃亡途中に迷い込んだ宮崎県の山深い椎葉村で怪我をした老婆スマを助けたことがきっかけで、彼女の家に寝泊まりするようになった。初めは金を盗んで逃げるつもりだったが、伊豆見をスマの孫だと勘違いした村の人々に世話を焼かれ、山仕事や祭りの準備を手伝わされるうちに、伊豆見の荒んだ心に少しづつ変化が訪れた。そして10年ぶりに村に帰ってきた美知との出会いから、自分が犯した罪を自覚し始める。「今まで諦めていた人生をやり直したい」−決意を秘めた伊豆見は、どこへ向かうのか…。

公式ホームページより)

上述のストーリー紹介で話の9割9分くらいまで語ってしまっていて、なおかつこの先ドンデン返しも起きません。シンプルな話といえば、その通りな訳です。しかしエピローグで秦基博の歌「アイ」が流れると場内は涙、涙でしたよ。

舞台が山奥の村なので「聖地巡礼」は難しいかもw

シンプルな話をシンプルに伝えるのは実は難しい。シンプルに伝えるのと分かりやすく伝えるのは時に矛盾することもある。過剰な描写になって観客がしらけることもある。その点、今作はムムッと思うくらい省略されていると感じました。

椎葉の料理に伊豆見が「うめぇ」しか言わないのは予想できるのですが、山並みを眺めながら彼が言う言葉のシンプルさが印象に残りました。あえてここでは書きませんが、同じ言葉を言う場面が(作中確か)2回あります。「この村はいい所だ」とは言ってないが村に魅力を感じていることを感じさせるセリフなのです。

山仕事のしんどさについて美知に面白おかしくぼやいてみせる様もそう。辛い辛いと言いながら山仕事に魅力を感じているのが伝わるんですね。伊豆見が自分の罪に向き合った時、自身に起こったことのエグさも忘れがたい。全般に観客へ過剰に説明せず、理解を促す控えめの描写になっているのが好印象でした。

舞台になった椎葉村の良さをことさらに言うセリフはなく、伊豆見の正体がスマ以外の村人や美知にバレる場面もない。みんな「イズミ」が(苗字でなく)名前だと思っているのは設定上の一工夫ですね。苗字が「斎藤」「田中」とかだったらこの話はすぐ終わっちゃうw。伊豆見がスマに自分の過去を話すクライマックスで、自分の本当の名前を明らかにするだけでグッと印象に残るのが実にうまい。

スマの「坊はいい子」というセリフも心に残るし、伊豆見に山仕事を教え、伊豆見の最後の行動に付き合うシゲ爺も忘れがたい。全てが終わった時、伊豆見の目に飛び込んでくる彼の後姿が泣けるんです。舞台になった宮崎県ではすべての映画館で上映されておりますが、全国ではまだまだ上映スクリーン数は少ない…。お近くの劇場でかかったらぜひ。丁寧に作られたいい映画でした。