見えない壁を越える話【鑑賞「光」】

「カンヌ映画祭」出品、審査員賞受賞作と聞くと高尚な映画ファン向けの作品のように受け止められがちだけど気負わずに見られる一本でした。

【作品紹介】
生きることの意味を問いかけ、カンヌ国際映画祭他、世界中から大絶賛をされた『あん』。河瀨監督と永瀬正敏のダッグが、ヒロインに水崎綾女をむかえて次に届けるのは、人生で多くのものを失っても、大切な誰かと一緒なら、きっと前を向けると信じさせてくれるラブストーリー。また、映画の音声ガイドにも焦点をあてた本作は、世界中の映画ファンに歓喜と感動をもたらしてくれる。 1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞カメラドールを受賞し、2007年の『殯の森』では同映画祭で審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀨監督。10年の節目をむかえる2017年に ふさわしい感動作が、ここに誕生した。
【ストーリー】
単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が過去に撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつかこの場所に連れて行って欲しいと願うようになる。命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼の葛藤を見つめるうちに、美佐子の中の何かが変わりはじめるー。

公式サイトより)

ヒロイン美佐子は視覚障害者向けの映画音声ガイド製作者。ガイドを製作するためにモニターとして集まってもらった観客の中にいたのが弱視が進んでいるカメラマン雅哉。雅哉の的確ながらも厳しい意見に美佐子は反発するが…と、舞台は必ずしも観客に馴染みのあるものではないけれど、話の骨格は反発しあった男女がひかれあう展開。一般の観客には身近といえない仕事が描かれる興味深さもありましたね。一方で見えているもの=光を、言葉=音に置き換える試みも描かれる。中心に映像ではなく音がある野心的な映画でもありました。

何が見えて、何が見えていないのか?と考えてしまいました。

雅哉の部屋でプリズムが輝く場面、雅哉と美佐子が夕日を見つめる場面など映像として「光」を表現する場面もあった一方で、クローズアップが多く圧迫感、緊張感が強いのも今作の特徴かも。雅哉は視界のほんの一部しか見えない設定なのだけど(彼の視点描写もある)、一般の観客に視覚障害の感覚を伝えようとしているようにも見えました。

ちょっと残念なのが美佐子の母親のエピソード。本筋ともう少し絡んでほしかった。テーマとしては繋がっている、むしろ、光が失われることに前向きな意味づけをするエピソードなのだけど、ちょっと唐突だった気が。母親がそんなことを言ってもおかしくはない設定にはなっているど、(逆に)そう言わせたいための設定ではないか、という印象が残ったのです。

見えているものを言葉に置き換えることは簡単なようで難しい。映画ならなおのこと、フィルムに写っているもの全てを伝えようと言葉を盛り込んでもダメ、余韻を伝えようと言葉を省きすぎてもダメ。意味を考えないと伝わらない。ラスト、完成した音声ガイドが流れて終わるのですが、なるほどこう表現するか、と言うものでした。聞いてしまうと簡単な表現なんだけど的確な表現ってそんなもの。表現の技法を置き換えるのは簡単なことではないんです。

でもこの映画、外国語圏の人は作品の大部分を字幕=光で意味を理解するわけで、音声ガイドのニュアンスへのこだわり、試行錯誤がどこまで伝わるのかな、と気になってしまった。今作の意味を体感(理解ではなく)できるのは日本語がわかる人になるのかな。色々な「壁」が身の回りにはあるのです。でもその壁を越えようという試みが大事なのでしょう。