自己認識からは逃げられない話【書評「川の名前」「闇の奥」】

電子書籍で続けて読んだ小説2冊が偶然にも非常に対比的だったのでまとめて感想を。

最初に読んだのは川端裕人「川の名前」。

マッチング(?)の妙でした
マッチング(?)の妙でした

【あらすじ】小学5年生の夏休みに、近所を流れる川を自由研究の課題に選んだ少年たち。そこには意外な生き物が住んでいた!足元から世界へ広がる自然と自分たちが今いる場所の意味を知って、少年たちは川と共に生きる「カワガキ」になる…。

クライマックス、台風の中、河口を目指し川を下る少年たちの冒険はテレビで生中継される。彼らの奮闘に感化された他の少年たちによる自己紹介が胸を打つのです(詳しくは書きませんが)。身近な自然を誇り、足元の川は世界につながっていることを知った者同士の挨拶。川は世界につながり、足元の環境が今の自分を作っているという話でした。

で、そのあと選んだのはジョセフ・コンラッド「闇の奥」。映画「地獄の黙示録」原作でもあります。

【あらすじ】象牙貿易で絶大な権力を握るクルツを救出するため、船乗りマーロウはアフリカの奥地で川をさかのぼる。密林や謎の部族との接触を経てついに出会ったクルツの正体は…。

本当に偶然だったのだけど、「川の名前」が川を下る話だったのに対し、(読み始めてから気づいたのだが)「闇の奥」は川をさかのぼる話。そして上流に「根源」があるというモチーフも似ている。

しかし「川の名前」はその根源を善なるものと見たのに対し、「闇の奥」は何か禍々しいものと描写した。「恐ろしい!恐ろしい!」というクルツの最後の言葉を「川の名前」の少年たちの自己紹介と対比させると何か不思議な感覚になったのです。

「自分が何者であるか」といえるテーマを全く正反対の角度から見たよう。「川の名前」の少年たちが「闇の奥」で大人になったようでもあり(時代が違うけどw)。

自己の存在理由への問い掛けには恐ろしい答えがあるかもしれないが、その認識なしに人は存在し得ない、のか?

こういった偶然の出会いから思考が膨らむから(迷走かもしれんが)読書は面白いのです。

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闇の奥 (光文社古典新訳文庫)
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揺らぐ人を受け止める話【書評「雲は答えなかった」】

現実と理想の狭間で揺らぐ人間をどう見つめるか。ぎりぎりまで目をそらさない著者のまなざしの深さが魅力的な本だった。

著者は「誰も知らない」「そして父になる」「海街diary」などで知られる映画監督・是枝裕和。彼が初のテレビドキュメンタリー作品として取材した環境庁(当時)官僚・山内豊徳の生涯を書籍化した本。巻末には文庫化にあたってのあとがきも収録している。

タイトルも切なく心憎い…
タイトルも切なく心憎い…

泥沼化した水俣病患者救済問題の中で、自ら命を絶った環境庁企画調整局長・山内豊徳。彼の生涯を振り返る中で印象的なのは、山内氏が命を絶ってしまうときの環境庁長官が、環境問題に前向きに見えることだった。

本業より財テク(死語)に夢中だったダメ長官もいた中、山内がそんな人物に苦悩した形跡はなく、むしろ、水俣病解決に行動しようとした環境庁長官を相手に山内氏は苦悩するのである。

山内氏にとって理想を具現化したような環境庁長官に対し、実際には他の省庁と意向を調整する「現実的」な対応を取らざるを得なかった山内氏の苦悩はいかばかりか。

なので、問題解決のため裏方として走り回る山内氏ら官僚の苦悩を全く考えないこの長官は、単なるええかっこしい、スタンドプレーに見え、非常に鼻につく。どうやったら自分の理想が実現するかもっと考えんかい、と毒づきたくなった。

ドイツの政治学者マックス・ウェーバーの「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」という言葉を思い出す。政治は穴をあけてナンボなのだから。

ところが著者は、本文と文庫本のためのあとがきでは視点が大きく変わっている。

本文では、このような問題で折衷案を探る行政官僚を「金と政治力をバックに圧力をかけてくる側に常に有利にならないだろうか」「行政そのものの主体性は存在しない」と批判的だった。しかし文庫版のためのあとがきでは山内氏について官僚として加害者側であったろうし、時代の被害者でもあったろうとして、こう書いている。

「今という時代にこの日本で生きてくということは否応なくこの二重性を背負わざるを得ないということを意味している」
「この、二重性を生きているという自覚こそが、そしてそこに開き直るのではなく、そこから出発する覚悟が私たちに求められているのだろうと、今僕は思っている」
「その辛い自己認識から目をそらすことなく、私たちはその二重性と向き合う態度を身につけなければならない。その生を、私たちはある覚悟を持って生きなければならない。それが、山内さんの人生から唯一アンチテーゼとして発見した答えである」(「文庫版のためのあとがき」より)

この変化を興味深く感じた。本文を変えていない以上、自ら命を絶つまで追いつめられた山内氏への親近感、社会への怒りは今もあるはずだ。いっぽうで理想と現実に折り合いをつけられなかった山内氏への複雑な思いも生じてきたのかもしれない。

…と、文庫版のためのあとがきまで読むと大変に奥深くなるのだが、最後の最後、ノンフィクション映画監督想田和弘による解説が台無しにしている感は否めない。本文執筆時から文庫版あとがきに至る著者の思考の深まりに比べ、解説者が単純な善悪論にとどまり、著者に追いつこうとしていないのは残念。

先述の文庫本のためのあとがきで
「当事者意識の無いそのもの言いが本当にメディアの果たすべき役割なのだろうか?」
「伝える側が自らの価値観を検証することなく押しつけようとする態度からは、受け手との間での健全なコミュニケーションは育っていかない。たとえその人が伝えようと思っているのが平和や民主主義であったとしても、そこに自らを反映した形での揺らぎが存在しなければ、そんなものは信仰にすぎない。そこから生み出されるのはプロパガンダとしての映像であり、そのやりとりからは決して発見は生まれない」
と手厳しく書いているのに。

カンヌ映画祭審査員賞を獲得した是枝監督作「そして父になる」は、福山雅治演じるエリート建築家が、我が子が取り違えられていた事件を通じて親子のあり方を考え直す話だった。

今思い出すとこの映画、主人公を嫌みなエリートとして登場させながら、改心する場面では悪が善に変わるような糾弾調ではなく、優しく描いていた。登場人物を包容するような描きかただった。

この本はドキュメンタリーなのだが、監督のキャラクター造形の基本ー監督が人間をどう見ているかーがよく分かる本だった。揺らぐ人を揺らいだまま受け止めるには、受け止める側が判断を留保し続ける強さが必要なのでしょう。何かを糾弾するのとはまた違う強さが。

自分の立ち位置を考えた話【書評「リスクを取らないリスク」】

本のタイトルから、著者の個人的体験を強引に一般化したような本かも、と構えながら読み始めたが、実際は日本経済全般から個人のあり方まで明瞭に論じた本でした。

この本で著者が述べていた通り、米は2015年に金融緩和を終えました。
この本で著者が述べていた通り、米は2015年に金融緩和を終えました。

著者はNYに拠点を置く投資顧問会社の最高運用責任者。表題通り「リスク」について書かれたこの本は、経済からの視点で「リスクの担い手がいないとどうなるか」を説き、個人一人ひとりがリスクをとる人「リスクテイカー」として日本経済の成長に貢献してほしいと訴える。

著者はマクロ経済から見たリスクをとることの意義、リスクをとることを避けてきた国、企業、個人としての日本経済の現状を説明し、結果、他の国と比べ日本経済が成長していないことを指摘する。

著者が言う資本主義のルールとは「『頑張った人に褒美が与えられる』だけでなく『リスクを取った人にも褒美が与えられる』」というもの。つまり人間は「弱いもの」「リスク回避的なもの」であるが、「弱さに打ち克って頑張っている人」「リスクを取る人」にご褒美を与えるのが資本主義なのだという。

その視点から著者は、市場に出回る通貨の量を増やさなかった日銀、利益を生まない先で積立金を運用している政府の年金政策、資本が過剰になっても株主に還元しない企業などを「リスクを取らないリスクが生じている」と批判する。

リスクを取らない政府や金融機関、企業の振る舞いは成長しない経済、という形で国民一人ひとりにも返ってくる。著者は「日本では多くの、非常に質の高いサービスが提供されているが、これらは、昔から提供されていたものではない。経済が成長するにともない、国が豊かになるにしたがって、徐々に提供できるようになってきたもの」「経済成長がなければ、皆さんは今の生活水準が維持不可能か、将来生活水準の低下がほぼ間違いない状況になる」と断言する。

冷静な筆致で経済のあり方を論じ、リスクを取らないリスクの影響が我々の生活にも及ぶことをきちんと説明しているのが実に興味深い。

 努力しても、リスクを取っても、それに対するご褒美がないと国民が開き直ってしまった場合、人間のそもそもの性質である「人間は弱いもの」「人間はリスク回避的なもの」が顕在化し、経済が成長しなくなってしまうということです。低成長がもたらす問題は格差よりもずっと大きいものです。国防、治安、外交、財政、教育、医療、年金、貧困など、国が抱える多くの重要な問題が解決不可能になり、ひいては多くの国民の命に関わる問題に発展してしまいます。

という指摘は重い。

本の後半では個人でできる具体的なリスクの取り方も紹介している。著者のこの部分の主張をどこまで採用するかは個人個人の判断によるのだろうが、サラリーマンとして今日も昨日と同じように働くのでは気づかぬうちに「リスクを取らないリスク」を負っているのではないかと思わされた。

リスクにどう向き合うか、著者は5つの視点を提示している。その中で印象に残ったのは「短期勝負に出ない」こと。特に経済を通じて世の中を見るとき、短期的な視点に立たないというのは大事ではないか。

読み終わって考えたのは、結局、リスクを取るとは「当事者になる」と同義ではないか、ということ。企業や日銀、政府がリスクを取らない様子なのは第三者である我々から分かるだろうが、自分自身がリスクを回避する立場にいるかは気づきにくい。これからは「誰かが何とかしてくれるだろう」的な他人任せな態度に終始していると、とんでもないことになるのだろう。

未来は揺らぎ続けている話【書評「21世紀の自由論」】

著者がこれまでの著書の中で繰り返し述べてきた、情報通信ネットワークの発達とそれに伴う共同体の変化についての考察の集大成と言える本。

結論は「レイヤー化する世界」「自分でつくるセーフティネット」などとほぼ同じなのだが、前提となる社会の変化について、産業構造の変化だけでなくイデオロギーの変化・限界についても考察しており、思考がより深まっていると思えた。

著者の本の中では、これが一番オススメでしょうか。
著者の本の中では、これが一番オススメでしょうか。

元新聞記者の著者は、本を著す以外にもTwitterやメールマガジンで社会情勢、とくに日本のメディアの報じ方について論じてきた。

その中で代表的な考察が、少数派の立場を勝手に代弁して社会を批判する立場「マイノリティ憑依」。「社会の外から清浄な弱者になりきり、穢らわしい社会の中心を非難する」、市民運動やマスメディアなど日本のリベラル勢力の中心的な考え方だ。これへのアンチテーゼがいわゆるネット右翼なのだそうだが、彼らが糾弾しているのも空想上の在日の人間。リベラルもネット右翼もマイノリティ本人の当事者性を無視している点では同じなのだ。

いっぽうで保守の側は、大正デモクラシーを基点とするオールド・リベラリストの流れを汲みながら、経済成長を維持する代わりにアメリカに安全保障を依存するという親米保守の立ち位置を軸としてきた。しかしアメリカは冷戦以降「世界の警察」の立場を降りようとしている。いわゆる「55年体制」の構図はもう成り立たない。

思想的な行き詰まりは、ヨーロッパに目を向けてもさほど変わらない。そしてグローバル企業が新たな「帝国」として我々の前に現れている。

…と、著者は戦後のイデオロギーの変遷を総括する。

著者は今後、「社会には普遍的な価値観がある」という考え方がますます衰退し、最終的には「(グローバリゼーションによる)基盤はあるが、目指す理想は存在しない世界として認識されるようになる」と予測する。そんな世界では理念としての正しさより、生存や豊かさの維持という具体的な目標が問われるという。

著者はこの本の中でそんな姿勢を「優しいリアリズム」と呼ぶが、リーダーシップよりマネジメント、と言い換えてもいい気もする。

そんなマネジメントが行われる範囲ー公共の範囲ーについては「レイヤー化する世界」などで述べた情報通信ネットワークの拡大によって参加者が固定されない、常に入れ替わり得る新しい公共圏が現れる、と著者は考える。我々はその共同体を渡り歩いていく「漂泊的な人生」を送る…というのが著者の最終的な未来図だ。

著者が描く将来社会像は変わっていない。しかし、これまでの著作と異なり、様々な外部の著書を引用して論じているので骨太な論になっている。特に震災以降の日本における、社会問題の論じられ方の限界は個人的にも感じていたので、イデオロギーの変化・限界と合わせて論じられると、説得力が非常に増している。

未来は決してバラ色ではないが、それでも生きていくに値する社会ではあるだろう…というこちらの実感を裏付けるような本だった。

21世紀の自由論―「優しいリアリズム」の時代へ (NHK出版新書 459)
佐々木 俊尚
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2015年私的ベスト3

2015年ももう終わりますねー。自分が読んだり見たり行ったりしたことを綴ってきたこのブログ、週1回更新もなんとか2年続けることができました。

今年最後の更新になる今回は「本」「映画」「イベント」の3分野で特に印象に残った3点ずつを選んで2015年を振り返りたいと思います。

【本Best3】

朱に交われば赤くなる話【書評・年収は「住むところ」で決まる】

エンリコ・モレッティ著「年収は『住むところ』で決まる(プレジデント社)」は産業振興と地域社会の関連を考察した一冊。日本では繋げて考察されにくい分野の関連性を捉えた興味深い本でした。

世界の分岐点は今だった話【書評「イスラーム国の衝撃」】

池内恵「イスラーム国の衝撃(文春新書)」は今年初頭に日本人2人を殺害、フランスでは2度にわたって大規模テロを起こしたイスラム国を分析した一冊。イスラム国は2016年も国際問題の中心になっていくでしょう。冷静にアラブ社会を評した本でした。

心地よく分析された話【書評「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」】

吉田尚記著「なぜ、この人と話をすると楽になるのか(太田出版)」はニッポン放送アナウンサーによるコミュニケーション論。コミュニケーションについて目からウロコが落ちるような指摘を連発する一冊でした。「コミュニケーションは成立することが目的の強制スタートゲーム」は特に覚えておくといいんじゃないでしょうか。

【映画Best3】

過去は肯定するがましという話【鑑賞・バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)】

自分が思う「映画っぽい映画」だった作品。ハッピーエンドかどうかは微妙だけど、現実と付かず離れずの奇妙な世界が心地よかったのです。

人は丁寧に生きていく話【鑑賞「海街diary」】

登場する人物の暮らしぶりを丁寧に描いた作品。しかし「丁寧」は決して「地味」ではなく、むしろハッとするほど美しい…ということを映像で語った作品でした。

激烈!単純!しかし細心な話【鑑賞「マッドマックス 怒りのデス・ロード」】

ヒャッハー!砂漠を行って帰るだけの話がここまで美しく過激に描かれるとは思わなんだ!荒廃した世界を舞台に支配する者される者、そして抗う者の姿がうまく描かれたアクション映画のエポックメーキングな一本でした。

【イベントBest3】

イラストレーターとして生きる話【鑑賞「生賴範義展2」】

2014年に開かれた「生賴範義展」の第2弾。ゴジラやスター・ウォーズなど著名作が目立った第1弾に比べると展示作品は地味だったかもしれないが、生原画の迫力は全く変わらず。むしろ「こんなものまで描いていたのか」とイラストレーターとして働く意味を考えさせた展覧会でした。

創作とは前進だった話【鑑賞・日岡兼三展】

2015年の高鍋美術館は攻めていたと思います。漫画家東村アキコ氏の師でもあった日岡兼三氏の回顧展は、様々な製作手法に取り組んでいた日岡氏の前進っぷりが印象に残りました。前に進む、とはこういうことなのだな。

君臨する王を迎えた話【鑑賞・Rhymester “King of Stage Vol.12″】

ライブにもいろいろ行ったんですが、今年一番はこれかな。CDやDVDで見聞きするとは大違い。鹿児島の小さなライブハウスでヒップホップの楽しさを存分に味わいました。今度は宮崎にも来てくれー。

…最近見たものは2016年に報告するとして(あのシリーズ第7弾とかね!)、自分で印象に残っているのは、現実と理想の折り合いのつけ方、理想の追い求め方などについて考えさせられた(…というか、自分がそういうふうに解釈したw)ものでした。2016年もいろいろと見て読んで行って、自分の栄養にしていきたいものです。

前向きな力を取り戻す話【書評「NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック」】

2015年初頭に放送されたNHKスペシャル「NEXT WORLD」を書籍化。未来予測、バイオテクノロジー、仮想現実、宇宙開発などをテーマに科学の力で人間の可能性を探ったシリーズでした。

心の準備はいいですか…?
心の準備はいいですか…?

遺伝子改変や極小機械「ナノマシン」を体内に入れての病気治療、人間の行動を代行する遠隔操作ロボット、犯罪発生を予測したりヒット曲を作り出せる人工知能、これまでとは全く違う原理で動き従来の処理能力を遙かに超えるとされる量子コンピューター…など、ここで取り上げられるひとつひとつの内容はかなり突飛なもの。どれか一つでも実現するとそれだけで社会ががらっと変わってしまうだろう。

こういったテクノロジーの進歩を比較的前向きに紹介していたのがこのシリーズの特徴で、書籍自体もその流れに乗って構成されている。

先述の様々な最先端の研究に携わっている人たちは、基本、未来を明るくとらえている。

ハーバード大学医学大学院で長寿や若返りの研究に取り組むデイビッド・シンクレア教授は「未来は私たち自身の手で生み出すことができる。きっと明るくてすばらしい未来が待っている」と言う。

地球への帰還までは保証されない火星移住計画を考案したオランダ人起業家バズ・ランスドルプ氏は「世界にはフロンティアを発見し、開拓し、定住したいと思う人々はいる」と言う。選考から漏れたものの、このプロジェクトに応募した日本人女性研究者・小野綾子さんは「人間が行ける限界の地で、自分にできる限りのことをする。それがかなえば本望」と話す。

この本のあと書きは番組プロデューサーが書いている。それによると、作り手としては「テクノロジーの進化で不安が膨らんだり想定しないことが起こるかもしれないし、大切にしてきたことも捨てないといけないかもしれないが、前に進むしか未来や幸福はないのではないか」という思いがあったのだという。その上でどんな未来を選択するか、その材料を提供したかったのだとも。

「人類は常に次のフロンティアを求めて前に進もうとします。思うように前に進むことができないとき、人類は不満を抱きます。それは悪いことではありません。だからこそ人は創造的であろうとし、さらに次のフロンティアを生み出すのです」(未来学者レイ・カーツワイル)

「頭の中では、おそらく答えは見つからない。とにかくさまざまなアプローチを試して、実際に手を動かした結果、面白いことが分かった。その連続です。理論から出発するのではなく、見えてきた部分を理論に還元していくというアプローチがあってもいいと思います。とにかく突き進んでみることが“その先の未来”への近道と言えるでしょう」(拡張現実をテーマに研究する慶応大学准教授・筧康明博士)

日本はバブル経済崩壊以降「失われた20年」と言われ、リーマンショック以降は「もう経済成長はない」とも言われ、悲観的ムードが残っているように感じている。

ちょうど最近完結したTVドラマ「下町ロケット」のことも考えた。中小企業を舞台にものづくりの意義を問う話だったけど、このシリーズでの目標はロケットにしろ人工心臓にしろ、意義があらかた確定している物だった。しかし今の日本の課題は「いいものを作れば良い」から一歩進み、何がいい物かを定義していく必要があるのではないか。その点が「下町ロケット」は物足りなかった。

人間には本来、蛮勇ともいえる力があるはずではないのか。日本はそんな力を発揮するべきときが来ているのではないか。先が見えない?先が見えた時代なんか今までなかったろうし、見えた方がつまんないよ。先が見えないからこそワクワクするんじゃないの?…と、もう一度前向きな力を取り戻したくなるような、そんな本でした。

NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック
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心地よく分析された話【書評「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」】

この表紙イラストの意味はよくわからなかったけど…
この表紙イラストの意味はよくわからなかったけど…

ニッポン放送アナウンサー、吉田尚記氏による「コミュニケーション論」。非常に分かりやすく、具体的に、他人とスムーズな会話ができる技術を紹介している。

まず「コミュニケーション」の定義が明快だ。この本で著者が定義する「コミュニケーション」とは「成立すること自体が目的のゲーム」。ゲームであるがゆえにルールもある。そのルールとは

①敵味方に分かれた「対戦型」でなく、参加者全員による「協力型」
②ゲームの敵は「気まずさ」
③ゲームは「強制スタート」
④ゲームの「勝利条件」はコミュニケーションをとったあとに元気が出るかどうか

の4つ。そして「勝利」の確率を上げるためには「人にしゃべらせる」ことと説く。

コミュニケーション・ゲームでは、言葉は自分のものではなく、相手のためにあるものです。

相手の言い分に乗ってみることが悔しいという人がいたら、それはまだコミュニケーションを対戦型のゲームだと思ってるからです。

協力プレーを旨とする会話においては、自分の意見なんて要らない

人は、自分より優位に立っている人間に対してあまりものを言いたくなりません

…といった具合に的を射た分析がビシビシ連発され実に気持ちがいいw。

さらにこの後、「人にしゃべらせる方法を考えたときに、先入観は持っていたほうがいい。もっと言えば、先入観はむしろ間違ってるほうがいいかもしれないくらい」とも著者は畳み掛ける。なぜか?

さらに、タモリがトークでよく言っていたという「髪切った?」が「神の一手」と呼ぶにふさわしい優れた質問なのはなぜか?

さらにさらに「空気を読む」とは具体的にどういうことか?さらにさらにさらに(クドイな)、自分のキャラクター(特徴)を見つけるうえでいちばん重要なのは?

そして論の核心でもある「コミュニケーションをとっていて楽になる人」とはどんな人か?

著者自身「人から『つまらない』と言われるのが怖い。人と会うことが非常に苦手」だったそう。彼自身が傷ついて、悩み抜いて出した分析は最後まで納得させられる。

この本はネット中継で著者が喋った内容を書籍化したらしく、本文中にはネット中継の合間合間に入った視聴者からのツッコミも混じる。しかしそれが読みにくさに繋がらず、テーマの増幅、転換など効果的に使われている。そんな文体も侮れない一冊。時々読み直したくなること間違いなしな本でした。

なぜ、この人と話をすると楽になるのか
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対立に怯んではいけない話【感想「日本人が知らない集団的自衛権」】

今夏成立した平和安全法制には日本がこれまで禁じていた集団的自衛権の行使が含まれている。現在でも法案に反対する運動が続いている中、集団的自衛権について理解しておきたいと思い読んでみた。

冷静な視点を持ちたいものです。
冷静な視点を持ちたいものです。

この本が書かれたのは法案成立前。法制の具体的な評価はないものの、著者は基本的に集団的自衛権の行使を容認する立場にたっている。一問一答形式なのでどこからでも読めるのも、読み返すのに便利かもしれない。

著者が集団的自衛権の行使を容認する理由としては

・個別的自衛権……自国の安全を自国の軍事力によって守る権利
・集団的自衛権……自国の安全を同盟国などの軍事力を使って守る権利
であることです。
どちらも「自衛のための権利」であって、他国を守ることが優先されているわけではありません。

第二次大戦後から今日まで欧米をはじめとする主要国が行使を続けている集団的自衛権は、戦争をするための権利ではなく、「戦争を回避するための権利」なのです。「万が一、攻撃をしかけてきたら全員で仕返しするぞ」と宣言し、そのための軍隊を維持することによって「戦争が起きないよう抑止するための権利」、といってもよいでしょう。

などがある。また憲法との関連については、憲法の読み方として前文について「憲法に関する総論を述べた部分で、日本が何を目指すかを謳っている」と考える海外の研究者の見方を示す。

それによると海外の研究者たちは前文「日本国民は、…(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」について、日本が「国連を中心とする安全保障体制の中で生きる」意味になり、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」は日本が「戦争のない世界を創るために全力を挙げて行動する」と宣言している、と読み解き、9条は侵略戦争だけを禁止する規定、と解釈するのだそうだ。

その上で著者は

 自衛隊を世界の平和を実現するための国際共同行動に参加させることは、憲法第9条と矛盾しないどころか、憲法前文の精神からは積極的におこなうべきとすら読むことができる、と私は考えています。

と結論づける。

アメリカとの関係についても提言している。日本はアメリカにとって

 「地球の半分」の範囲で行動する米軍を支えることができるのは、アメリカの同盟国のなかでも日本だけです。経済力の規模から考えても韓国や台湾、シンガポールでは米軍を支えきれませんし、日本のような工業力、技術力、資金力の三拍子が備わっている国はないのです。

忘れてはならないのは、アメリカの「戦略的根拠地」である日本列島を、日本の国防と重ねる形で守っているのは自衛隊だという現実です。防空任務ひとつとっても、アメリカの戦闘機は要撃の任務には就いておらず、それは日本の航空自衛隊が行うという役割分担の関係なのです。

という認識に立って

 アメリカが在日米軍基地を使って軍事力を行使しようとするときも、日本が掲げる平和主義や国連中心主義に合致する場合には容認するが、日本の原理原則と矛盾する場合には在日米軍基地の使用を拒絶するということになれば、中国や北朝鮮にしても「アメリカが耳を貸す同盟国」として日本との関係改善に努めることになり、それが地域の安定につながるのではないかと思います。

と、日本に単純な親米・反米に陥らない「独自の道」があると述べる。他国と米国の交渉から「国益をかけて自らの主張を貫き、アメリカと一時的に対立したとしても、むしろそのことが評価の対象になる」「対立を避けようと先方の期待を忖度して黙ってカネを出すような態度では軽んじられてしまう」と国際政治の世界の在り様も教えてくれる。

項目ごとの解説なので結論めいたものは明確ではないが、個人的には、アメリカ相手にしろ、国内相手にしろ、対立を恐れすぎてはいけないと著者は考えているように読み取れた。改憲論議についても

 憲法は改正することが必要だ、と私は考えています。改正すれば、右に左に揺れるかもしれません。世論の動向で憲法の中身も振れるでしょう。しかし、改正を重ねていくうちに、左右の振れ幅が小さくなり、次第に安定していくと思います。

と、議論を経て国の方向性=戦略的思考が定まることに期待しているようなのだ(日本における戦略的思考の不足については、いろいろな箇所で指摘していた)。議論を重ね実行と検証を繰り返し前進すること。民主主義の基本のステップを日本人はもっと踏むべきなのかもしれない。

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未来は物語が作る話【鑑賞「アイの物語」】

Eテレ「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」を見て、この本を読んでいたことを思い出したので、再読した上で感想を書いておくのです。

SF小説家・山本弘の短編集。2006年初版で、今でもアマゾンで5つ星評価を独占しまくっている一冊です。

人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食料を盗んで逃げる途中、僕は美しい女性型アンドロイド・アイビスに捕らえられる。アイビスは捕らえた僕にロボットや人工知能、コンピュータネットワークを題材にした話を読んで聞かせる。アイビスの真意は何か。そしてマシンが支配するこの世界の真実とは…。

読んでて気恥ずかしい文体の短編もあるが、そこはご愛嬌…
読んでて気恥ずかしい文体の短編もあるが、そこはご愛嬌…

ネットで検索すると本人による解説ページも出てくるのでアレなんですが、この短編集は1997年から2003年にかけて書かれたものと、単行本化する際に書き下ろされたもので構成される。バラバラに書かれた短編から共通項を見つけ、それを補強する書き下ろしと、短編間を繋ぐ「インターミッション(演劇などの休憩時間の意)」によって、人が物語を語る意味を問う重層的な構造になった。

ネット上でリレー小説を書いている同好会の仲間たちが物語を通して励まし合う話、仮想空間で少年と少女が出会う話、変身する美少女戦士と「外の世界」が交流する話、老人介護用アンドロイドの成長話、人工知能を持つ仮想空間上のキャラクターの実在を問う話…などなど、7つの話は実にSF。サイエンス「フィクション」な話が語られる。

そう「フィクション」。小説世界の中でも、語られるのは(第7話を除いて)フィクションということになっている。

しかし人は、事実ではない世界に真実を混ぜることができるのだ。それこそが物語のリアルなのだ。

実在しないキャラクターに共感できるのはなぜか。仮想空間越しの出会いでも共感できるのはなぜか。どうにも消せない人間の根源的な欠陥とは何か。それでも人間に存在する理由があるとしたら、それは何かー?

作者は人間の「物語る力」を最大限に信じている。荒唐無稽な話…SFなんてその極み!…が醜い現実を断罪することなく照射し、決して暗くない未来を呼ぶと、7つの短編を通して論じてみせた。

この小説を読み終わったときの感覚は、なにがしかの評論を読んだときに似ている。世界観、キャラクターの発言、行動を通して人間の限界と理想、無限の可能性を論じているのだ。作者に「説得された」気分になること間違いなし。

短編それぞれを紹介すると長くなる。でも老人介護アンドロイドの成長譚である第6話「詩音が来た日」は白眉。身投げしようとするワガママ爺さんをアンドロイド「詩音」が説得してみせるクライマックスはSFの良心的な部分がぎゅっとつまった名場面です。この話だけでも映像化してくれないかな…。

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快楽が人を動かす話【書評「まちの幸福論」】

コミュニティデザイン」は著者自身の手による地域興し実例集だった。この本はものをつくらないデザイナーとして「コミュニティデザイン」という概念にたどり着いた著者自身の様々な考え、NHKと共同で行っている被災地復興の様子などをまとめたもの。

真摯な語りが印象に残りました。
真摯な語りが印象に残りました。

著者自身が記したパートとNHK取材陣が著者のワークショップを記録したパートに分かれているので、若干まとまりに欠けている構成ではある。

しかし、著者の手による文章やワークショップでの発言を通じて著者の考えを知ることができたのは興味深いのでした。

著者は今の日本の問題について

いたれりつくせりの環境ができてしまうと、そこに暮らす人はお客さんに変わってしまう。その結果として住民の主体性が失われていく。これが、住民同士のつながりを断ち切り、日本のまちを疲弊させてしまった大きな要因だと思えてならない。(P167)

と指摘する。

おそらく今までは、普通の人は仕事だけ経済活動だけしていればよい、それ以外のことは行政や政治家がやってくれるからそんな候補を選べばよい、というお任せ主義があったのではないか。

しかし著者のような活動に日の目が当たる今は、産業構造、人口動態も変わってきた。コミュニティのことを一人一人が考えなくてはいけなくなったのではないだろうか。作家・澁澤龍彦「快楽主義の哲学」を引用しながら著者はこうも言う。

澁澤さんは、現状よりもマイナスなことが起きない状態を消極的な意味で「幸福」と呼ぶのであって、現状よりもプラスなことを積極的につかみにいくことが「快楽」であると論じている。そして、悪いことがないことが幸せなのではなく、自分が望むものを貪欲に手に入れるような生き方をせよと述べている。(P176)

彼の言う「快楽」や「幸福」は、あくまでも個をイメージした心の満足だ。そうではなく、コミュニティをイメージしながら考えてみれば「快楽」のとらえ方は違ってくるであろうし、「幸福」も決して消極的でつまらないものではない。(P177)

快楽が、個人が外部から何かを得る喜びから、個人が外部に何かを提供できる喜びに変化しうるのではないか。以下の「ワークショップ」に関する記述にもそれをうかがうことができる。

ワークショップという手法を使ってアイデアを出してもらおうとする場合、必要なのは深い知見よりも広い意見だ。ワークショップは「違和感を発見に変えるプロセス」とも言われる。(P106)

日本人ならワークショップの会場に足を運んだ時点で「興味がある」という意思表示になると理解できる。しかし、海外ではその感覚は理解されないことが多い。興味を持って参加した以上、その場の雰囲気が盛り上がるように努力をするのは当たり前だからだ。(P116)

海外と日本に置けるワークショップの意味は、上記のように違っているという。言い換えるなら日本人にとっては知見を得る場、海外では(盛り上げるために)自身の努力を提供する場…だろうか。

得るか提供するか。考え方を180度変える必要はありそうだ。そこで変える原動力足りうるのが著者の言う「社会の問題を解決するために振りかざす美的な力」(P29ー30)、すなわちデザインになる。

すぐにアクションを起こしたり、機会をつくって人と会ったり、新しいことに取り組んだり。そういう積極的な生き方が「幸運な偶然」を呼び込むということは、実は多くの人が実感していることではないだろうか。(P121)

デザインを通じて個人が変わり、コミュニティが変わる。本を通じてだとどうしても「論」=言葉の力だけが問われがちなのだが、快楽に訴える力も必要なのだ。

まちの幸福論―コミュニティデザインから考える
山崎 亮 NHK「東北発☆未来塾」制作班
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