生命力が世界を変える話【書評「男性論 ECCE HOMO」】

「いい男」も「いい女」も中身で決まる。好奇心と熱さが必要だと思わされた本でした。

<内容(「BOOK」データベースより)>
古代ローマ、あるいはルネサンス。エネルギッシュな時代には、いつも好奇心あふれる熱き男たちがいた!ハドリアヌス、プリニウス、ラファエロ、スティーブ・ジョブズ、安倍公房まで。古今東西、男たちの魅力を語り尽くす。

<著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)>
ヤマザキ/マリ
漫画家。1967年、東京生まれ。17歳でイタリアに渡り、フィレンツェにて油絵を学ぶ。その後、エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経てイタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で手塚治虫文化賞短編賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(以上、アマゾンの著書紹介ページより)

「テルマエ・ロマエ」も「プリニウス」も読んでないのに読んでしまいました。それでも著者の選ぶ古今東西の「いい男」〜ローマ皇帝ハドリアヌスからスティーブ・ジョブズ、(連ドラ「とと姉ちゃん」にも登場した)花森安治まで〜は読んでなるほど、見習いたい部分はあると思わされた(一緒にいたいかはまた別の話)。

本文中のイラストもいいです。
本文中のイラストもいいです(電子版表紙はこんなんですが)。

日本を飛び出しイタリアで絵を学び結婚、離婚、再婚し漫画家デビューする著者の言う「いい男」は、古代ローマ時代が象徴する「生きる喜びを味わうことに貪欲で、好奇心がひじょうに強く、失敗もへっちゃら、活力がむんむんとみなぎっている熱い男」。皇帝だけでなく一般の人々もそんな熱い男が多かったという。そして中世イタリアにルネサンスが起こったように「文化や技術があらゆる場所で芽吹いてくるダイナミズム」を今の日本にも起こってほしいと願う。

ルネサンスは暗黒の中世時代の反動から生じたもの、と著者は言う。ならばそろそろ、失われた二十年を経て日本にもルネサンスが起こる時期が来るのかもしれない。しかし起こるのを待つのではなく、起こす側になるのが著者の言う「いい男」。そんな男の「共犯者」−「なにか自分が新しい局面に立ったとき、背中に隠れているのではなく、一緒に手を取って飛び込んでくれるひと」−になれるのが知性があり成熟した「いい女」なのだそうだ。

好奇心は周囲に興味を持ち、常識を疑い、枠からはみ出す力になる。もちろん枠からはみ出すのは楽ではない。著者自身「フィレンツェでの青春時代はもがき苦しみの一〇年」と振り返る。最初の夫との思い出は本の中で「苦い話」と表しているが相当にキツい体験だった様子。そんな苦労も糧にするくらいでないと枠からははみ出せないのかもしれない。

いろんなものをまぜこぜにして行くうちにもようやく自分なりのものを掴んでいく。その増長する細胞分裂の感覚を、「気持ちいい!」と思えるかどうか。絶頂をきわめても、どん底を経験しても、「まだまだ理想像を追い求めていくぞ」というときの心地のよさ、エクスタシーを感じられるかどうか。

そんな生命力、可能性にはやはりあこがれる。自分の生命力はいまいかほどか…?

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

男性論 ECCE HOMO (文春新書 934)

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ヤマザキ マリ
文藝春秋
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欲望を正しく回す話【書評「迷ったら、二つとも買え!」】

「二つとも買え!」というバカっぽいタイトルに惹かれて読んだら、思いの外よかった一冊でした。

内容(「BOOK」データベースより)
「節約」「貯金」だけの人生でいいのか?思い切り無駄遣いして、センスを磨け。お金は使ってこそ、はじめて「武器」となるのだ。人生の肥やしとなる無駄遣いは、自ら進んでするべきだ。無駄遣いの喜びと“知る悲しみ”を知ることで、センスは確実に磨かれる。そして、センスよく使ったお金は、必ず何倍にもなって手元に戻ってくる。その繰り返しこそが、豊かな人生を築く礎となる。柴田錬三郎、今東光、開高健らの薫陶を受けた元『週刊プレイボーイ』編集長が伝授する「上質な無駄遣い」のススメ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
島地勝彦
1941年生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』の編集者を長く務め、柴田錬三郎、今東光、開高健を回答者に据えた「人生相談」で一世を風靡した。82年同誌編集長に就任、同誌を100万部雑誌に育て上げた。集英社インターナショナル社長を経て、現在はエッセイスト&バーマン(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(以上、アマゾンの著書紹介ページより)

著者の買い物哲学は、次の3つだそう。

①美しいモノをみたら迷わず買え
②どちらにするかで迷ったら2つとも買え
③金がなかったら借金してでも買え

端的に言ってヒドイ。この哲学どおりの買い物を続けていたら転落人生間違いなしである。

ただデフレ解消がなかなか進まないこのご時世、「退職までに◯万円の資産が必要」とか蓄財を勧めるエコノミストも多い中、個人に社会に散財を改めて問うているのが興味深いのであります。

多くの人は、何となく漠然とした不安感を払拭しようとして、ひたすらお金を貯め込んでいるのではないだろうか。そういう人は、間違いなく不幸な人生を送ることになる。なぜなら、お金を貯めるという行為には際限がないからだ。それは、欲望に際限がないのと同じである。

日本の景気がまだ低迷しているというが、その原因は、大勢の人がお金を抱え込んでいるからだ。自分がお金を使えば、それは他の人の収入になる。こうしてお金を回していけば、いつかまた自分のところに返ってくる。だから「お金は天下の回りもの」なのだ。ブーメランと一緒である。

カネを使うのも貯めこむのも結局は「欲望」からのこと、なわけですね。ならば無駄遣いと言われようと色々なものを買えばモノへのセンスも身につくはず、と著者は言う。

すべて価格に判断基準を置くようになると、モノを選択する目がどんどん衰える。

判断力の喪失は、生きていく力を失うことと同じだ。価格重視、安いモノ大賛成という近年の風潮は、生命力を喪失させている。

著者の姿勢はマネしきれないけれど、一つのロールモデルにはなってますね
著者の姿勢はマネしきれないけれど、一つのロールモデルにはなってますね

ところで著者のいう「借金」はあくまで「身の丈にあった借金」とのこと。具体的な借り先は「家計から拝借」と「質屋」。そして著者自身「これだけの生活をするためには金がかかる。だから、わたしは72歳になったいまも必死に原稿を書いて、金を稼いでいる。年金をもらって、「あとはのんびり生活しよう」などとは、毛頭考えたことがないのである」とも書いている。

だからって年金受給を断っているわけではないんだろうが、自分の稼げる範囲で贅沢をする、贅沢のため人を頼らず自分で金を稼ぐ、という著者の姿勢は、欲望の正しい回し方をしているなあと思わされる。端的に言って粋である。その逆ともいうべき、手持ちの金は欲しいが自分で稼ごうと努力や工夫をするのは面倒、という姿勢は端的に言って野暮と言えましょう。

著者が夢中になっているのは洋服、シガー、シングルモルトウイスキー、食事などだそう。著書の中で出てくるこれらにまつわるエピソードを読んでも正直、自分の趣味とは合わない。でもまぁそれでもいいのです。

浪費というのは、別に大金を投じたから浪費というのではない。大事なのは、身の丈に合った浪費をすることである。

身の丈に合った贅沢は、人生の肥やしになる。着るもの、食べ物に対する飽くなき興味は、肌触りや食感を愉しむだけでなく、それにまつわるストーリーを追いかけることによって、自分の知識を深めるきっかけを与えてくれる。

あてもなく貯めるより、自分なりの興味や好奇心を持って意識的に贅沢をする。消費の楽しみを再確認させる本でした。いずれにせよこの著者の3つの買い物哲学、ご利用は計画的に。

迷ったら、二つとも買え!
朝日新聞出版 (2013-08-01)
売り上げランキング: 21,164

小さな力が集まっている話【書評「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」】

まずはこの動画から。Googleのウェブブラウザー「Chrome」のコマーシャルビデオ。

個人で作った曲(1次創作)がイラストや動画など次の創作を生み(2次創作)、何千人が集まるライブにまでつながる、日本のムーブメント「n次創作」とは何か、このビデオは描いている。この本は、音楽における「n次創作」の誕生とこれからを書ききった一冊です。

内容(「BOOK」データベースより)
新しい文化が生まれる場所の真ん中には、インターネットと音楽があった。2007年、初音ミクの誕生と共に始まった三度目の「サマー・オブ・ラブ」とは。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
柴/那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンにて『ROCKIN’ON JAPAN』『BUZZ』『rockin’on』の編集に携わり、その後独立。雑誌、ウェブメディアなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー・記事執筆を手掛ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(以上、アマゾンの書籍紹介ページより)

「サマー・オブ・ラブ」とは音楽が新しい文化を生み出し、社会現象になった時期のこと。これまで2度あったとされ、1回目は1967年からの数年。米国でヒッピー文化や反ベトナム戦争運動や公民権運動を背景に伝説のイベント「ウッドストック・ミュージックフェスティバル」が行われた。2回目は1987年からの英国。テクノミュージックなどのクラブカルチャーが広まり「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれる。

著者は「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の20年後、2007年からの日本に「サード・サマー・オブ・ラブ」が起こったと説く。

表題は「変えたのか?」だけど、これからも初音ミクは世界を「変えていく」のでしょうね。
表題は「なぜ世界を変えたのか?」だけど、これからも初音ミクは世界を「変えていく」でしょうね。

コンピュータを歌わせる基本技術「VOCALOID」の開発、「VOCALOID」をつかって架空の少女が歌うというコンセプトの元で開発されたソフトウェア「初音ミク」の発売。そして「初音ミク」を購入した一般人が続々とネット上にアップするオリジナル曲。その曲を気に入った別の一般人がイラストを描き、3D動画で踊らせ、実際に演奏し、踊り、それをネットにまたアップし…という日本のユーザーたちが自発的に起こしていった創作の連鎖が、当事者たちの声を隅から隅まで集めて描かれる。

この創作の連鎖、一貫して存在しているのは先達へのリスペクトだと思う。よいソフトを作った人への、よい曲を作った人への、よい動画を作った人へのリスペクト。一方でこの流れの「川上」にいる人は著作権など様々な権利も持つ。その権利を侵害せず創作に水を差さないようルール、マナーの整備(作品を使わせてもらったら作者に「ありがとう」と伝えましょう)を図ったこともすばらしい。

こうまとめてみると「サード・サマー・オブ・ラブ」は、消費者と製作者の壁がなくなっている点で、前の2度の「サマー・オブ・ラブ」とは大きく異っている。3度目、というより全く新しい音楽文化の始まりかもしれない。

以前「メイカーズ」という本を読んだ際「著者は「自分がほしい物を作ってそれを売る」ニッチなビジネスが先進国に広まっていく…と予想する。しかしスミマセン、「一家に一台3Dプリンタ」って世界は全く想像できない。だって使い道がわからないもの。」と書いた。日本でのメイカーズムーブメントって(「メイカーズ」が紹介した)レゴのアクセサリや自動車、ドローンより、「初音ミク」に代表される「n次創作」がそれにあたるの気がする(ビジネスとしてはあまり成立していないけど)。

この本の最後は「サード・サマー・オブ・ラブ」の終わりにも触れている。2013年頃からネットでの動画再生回数に落ち込みが見られてきたという。

いっぽうでブームとしては区切りを迎えても、デジタルの歌手が歌う文化としての側面、音楽とテクノロジーの研究開発としての側面はこれからも進むことも示している。

この本以降の出来事としては、「初音ミク」で作られた楽曲「千本桜」を2015年NHK紅白歌合戦で小林幸子が歌い話題になったり、ソフトウェア「初音ミク」が2015年8月、バージョン4になってシャウトやささやきも可能になったりした。また、キャラクターとしての「初音ミク」は2015年秋、シャンプーのCMに出演するという。

リオデジャネイロ五輪の閉会式で行われた次回開催都市・東京のデモンストレーションでは、ゲームやアニメのキャラクターが次々登場し、現代の日本のアピールに一役買っていた。「初音ミク」もその流れに乗りつつあるのかもしれない。

キャラクター、ひいては文化をみんなで育て大きくする。すぐに金にはならないけど「みんなの力」を集めて大きくできるのは今の日本の特徴なのだ。そういえば今夏大ヒットした怪獣映画もそんな話でしたね…!

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

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太田出版 (2014-05-15)
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人生は自転車に似ていた話【書評「メンタルが強い人がやめた13の習慣」】

アメリカの心理療法士が身近な人を亡くす体験を機に「自分だけがひどい目に遭っている」という思いから脱しようとつくったリストに基づく一冊。自分のメンタルを強くするためにやめるべき13の習慣を挙げていく。

<内容紹介>
全米で話題のセルフヘルプ決定版、邦訳! 「メンタルの強い人」はそれが最悪の状況だろうと人生最大の危機だろうと、なんとか切り抜ける方法を知っている。誰もがもっている13の思考習慣をやめれば、折れずにしなるレジリエンスな生き方ができる。
<内容(「BOOK」データベースより)>
メンタルが強くなれば、最高の自分でいられる。主婦から兵士、教師からCEOまで役立つ、新しい心の鍛え方。
<著者について>
エイミー・モーリン
メイン州のニューイングランド大学でソーシャルワークの修士号取得。ハーバード大学のジャッジベーカーチルドレンセンターをはじめ、学校、コミュニティ、病院などでサイコセラピストとしてキャリアを積む。現在はライターでもある。

(以上、アマゾンの書籍紹介ページより)

著者が挙げる「メンタルを強くするためにやめるべき13の習慣」は

「自分を憐れむ習慣」
「自分の力を手放す習慣」
「現状維持の習慣」
「どうにもならないことで悩む習慣」
「みんなにいい顔をする習慣」
「リスクを取らない習慣」
「過去を引きずる習慣」
「同じ過ちを繰り返す習慣」
「人の成功に嫉妬する習慣」
「一度の失敗でくじける習慣」
「自分は特別だと思う習慣」
「すぐに結果を求める習慣」

こうして挙げてみるとダブっている内容もある気がするけれど、イントロダクションで著者が述べる「あなたの一番悪い習慣が、あなたの価値を決めている」という指摘にはどきっとさせられる。

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Kindle版は表紙がそっけないなぁ

そしてこれらの悪い習慣をやめることで人はメンタルが強くなる、すなわち理想的に変わる、と著者は一貫して述べる。

この本では目的とされる人間像は明示されない。しかし読んでいくと、どこかにある理想像を目指してそこに届くか否かが大事のではなく、今の自分を常に見つめ良い状態を維持することが大事なのだと気がつく。

自転車は漕ぐのをやめるとふらつき転倒する。転倒しないためにペダルをもう一度ぐっと踏み込んで速度を保つことで車体は安定していく。いつしか身に付いてしまった悪い習慣を今ここからやめ、繰り返さないことが良い人間への第一歩なのだ。

でもまた繰り返してしまうかもって?そんな時はこの本から著者のこの一言を贈ります。

まっとうでないことや実りのないことに10年も費やすより悪いことがあるとしたら、10年と1日を費やすことではないだろうか?

どうでしょうこの言葉、重いなぁ…!

メンタルが強い人がやめた13の習慣
エイミー・モーリン
講談社
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努力と修養の意味を考えた話【書評「私の財産告白」】

スマイルズ「幸福論」にも似た、努力の尊さを説く本。大きく異なるのは努力の尊さを財産作りにも当てはめて説いた部分でしょうか。

<内容紹介>
誰でも豊かで幸福になれる!日本人が書いた最高の人生哲学。貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた男、本多静六。停年と同時に全財産を寄付して、働学併進の簡素生活に入った最晩年に語った普遍の真理は、現代を生きるわれわれにいまなお新鮮に響く。「人生即努力、努力即幸福」をモットーに生きた人生の達人による幻の名著!

<著者について>
本多 静六(ほんだ・せいろく)
1866(慶応2)年、埼玉県生まれ。苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。1892(明治25)年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授となり、「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍、日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927(昭和2)年の停年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。

(以上、アマゾンの書籍紹介ページより)

勤勉と貯蓄を説く人はいても、同じ口で投資の重要性、財産の処分の問題まで説く人はなかなかいない。著者は金の増やし方から使い方まで一貫して堅実に生きることを説く。

本当に勉強し、本当に実力を養うもののためには、その進むべき門戸はいつも開かれている。

大切なのは、一生涯絶えざる、精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。

幸福は各自、自分自身の努力と修養によってかち得られ、感じられるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。

そんな著者のリスク論は決して大穴狙いではない(手取りの四分の一を強制貯蓄して資金を貯めるのは大変な負担だがw)。

投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

…普通ですねw。一方で著者は第2次世界大戦での敗戦で財産をほとんど失った。しかし著者がすごいのはそれに腐ることなく、再び簡素な生活を基礎に貯蓄し、経済上の安定を勝ち取ったことだ。

やれるだけのことをやってきたのなら、その結果についてそうそういつまでも悔やむことはない。問題はそれを「よい経験」として次の仕事に生かしていくことである。

人生における七転び八起きも、つまりは天の与えてくれた一種の気分転換の機会である。これを素直に、上手に受け入れるか入れないかで、成功不成功の分かれ目となってくる。

地味だがスゴイ人がいたもんです。
地味だがスゴイ人がいたもんです。

著者は事業家ではなく投資家。つまり仕事の糧を自分から探したわけではない。でありながらただ与えられた仕事をこなすだけでもなかった。

前に引用した、著者が言う幸福を得るための「自分自身の努力と修養」には真面目に働く以上のものがある。自分の人生をどう描くか考え、実際に取り組み、一方で人生のつまづきにとらわれすぎず、次の機会をじっくり待つ姿こそ「自分自身の努力と修養」なのかもしれない。

この本の中で出てくる「散る花を追うことなかれ、出ずる月を待つべし」という言葉も印象深かった。

一方で著者は資産を持とうとする人に優しい一方で、金持ちを妬むだけの人に厳しい。

一代の商傑には、一代の商傑でしかたくらみ得ない大きな野望がある。世間というものは、どうしてこう出しゃばりやおせっかいばかりが多く、何故これを静かに見守って、心行くまで、その夢を実現させてやれないのだ。

日本の社会は、欧米に比してこの出しゃばりとおせっかいがはなはだしい。金持ちに気持ちよく金を使わせてやる雅量に乏しい。

今日の社会情勢は、資本家を抑え、大金持ちをできるだけ作らない方針が取られていて、いわゆる乏しきを憂えず、等しからざるを憂うというので、畢竟、共貧、共愚をめざすかのごとき傾向にある。

この本の出版は1951年、著者85歳。上記のような日本社会の情勢は、2016年の現代も変わっていないことに気づかされる。というか自分より年上の知識人の中には「日本はもう経済成長はできない」と断言する人も多くて憂鬱になる。

著者は幸福を実感する時をこう定義する。

人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。つまりは、現在ある地位の高下によるのではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。

過去の日本にはこの著者のように真面目に働き、貯蓄し、なおかつリスクも取って生活の動きを上り坂にしようとしてきた人がいたのである。こんな人が増えていけば、今からの日本もよりよい社会になるのではないか。

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本多 静六
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教養が自分を深める話【書評「リベラルアーツの学び方」】

読みやすい筆致で教養を身につける意義を再確認できる本でした。

<内容紹介>
世代も国境も越えて通用する、現代を生きる知恵としての「リベラルアーツ」を、自然科学から社会・人文科学、芸術まで、学ぶ意味、方法とともに縦横無尽に語りながら、「知」の広野を駆けめぐる!ギリシア・ローマ時代にその起源を遡る、人の精神を自由にする学問である「リベラルアーツ」。本書ではそれを、実践的な意味における「生きた教養」として捉え、いまそれを学ぶべき意義はどういうものか、どのような方法と戦略で学ぶべきかを論じ、そして、いま学ぶべき「リベラルアーツ」、その具体的な書物や作品を、体系的、総合的に深く解説する。知識ではなく知恵の時代、教養のための教養ではなく、思考や行動に影響を与え、ビジネスや人生そのものを成長させていくための、本当の教養の学び方がここに。
<目次>
はしがき――リベラルアーツをあなたのものに
第1部 なぜ、リベラルアーツを学ぶ必要があるのか?
第2部 リベラルアーツを身につけるための基本的な方法と戦略
第1章 基本的な方法
第2章 実践のためのスキルとヒント
第3部 実践リベラルアーツ──何からどのように学ぶのか?
第1章 自然科学とその関連書から、人間と世界の成り立ちを知る
第2章 社会・人文科学、思想、批評、ノンフィクション――批評的・構造的に物事をとらえる方法を学ぶ
第3章 芸術――物事や美に関する深い洞察力を身につける
あとがき――リベラルアーツが開く豊かな「知」の世界
<著者について>
瀬木比呂志 Hiroshi Segi
一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。著書に、『絶望の裁判所』、『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、『民事訴訟実務・制度要論』(いずれも日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。

(以上、アマゾンの書籍紹介ページより)

確かにこの本の主張を要約してしまうと「教養を身につけなさい」なのだが、頭の固いオヤジが偉そうなことを言ってる的な印象には決してなっていない。

自分を偉く見せるのでなくより良くかつ等身大に見せるのが教養なのかもしれません
自分を偉く見せるのでなくより良くかつ等身大に見せるのが教養なのかもしれません

この本が思いの外読みやすかったのは、メッセージが著者自身の言葉としてこなれていたから。「リベラルアーツの蓄積を元に自分は何を生み出したいのかというアウトプットの側面をも考えながら学ぶことが大切」として、受け手側が軸を持つ必要性に触れている。

「真剣勝負で向き合えば、漫画も法学も変わらない。あらゆる事柄は、あらゆる事柄に応用できる」として「古典のもっている時代を超えても失われない強靱な思考やメッセージの力と、同時代の大衆芸術のもっている生き生きとしたポップ感覚に裏付けられたメッセージの力」両方に目を向けているのも特徴か。

エルビス・プレスリーとオフスプリング(84年結成の米パンクバンド)を同列に取り上げたりしているほか、著書後半はなんと作品ガイド。「リベラルアーツ」の対象が本だけでなく音楽(海外ロック)、絵画、映画にまで及んでいるのも好印象。

作品ガイドに挙げられたものも古典に限らず選ばれており、触れてみたいものばかりで、著者の軸が見えて共感が持てた(一般的な原理原則を立ててそこから理論を導き出していく演繹法的な考え方はとっていない、というのにも同感)。

思えば大学時代は時間があると(というかヒマだったのでw)レンタルビデオでその頃の最新作以外にも「道」「第三の男」とか昔の映画を見てたもんでした。本もいろいろ読んだなぁ。映画に限らずいろいろな作品に触れるのはやっぱり楽しいんです。

先述した「受け手側の軸」というのも「自分が何者であるか」を確認すること、と理解できそう。「情報の海におぼれ、刹那的なコミュニケーションを繰り返しても、必ずしも人生は豊かにならない、そこには何か大切なものが欠けている、そのことに気付き始めている人々、また若者も、多いのではないでしょうか?」という著者の問いかけは大切だと思う。

自分が影響を受けたものは何か、どう影響を受けたのか、なぜ影響を受けたと感じたのか。そこを見つめることで(最大の謎である)自分が何者かがわかっていくのかもしれない。

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瀬木比呂志
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登山は人生で人生は登山だった話【書評「登山の哲学」】

宮崎県民初のエベレスト登頂を成し遂げた登山家・立花佳之さんという方がいらっしゃる。エベレスト出発前に立花さんの話を直接聞く機会があり、立花さんの挑戦には強い関心があったのです。

立花さんが見事エベレスト登頂に成功されたこの機会に、こんな本があったので読んでみました。8000メートル級の山を登るのはやっぱり「冒険」なのだけど、冒険の定義、危険の定義、プロの定義などは平地で暮らす(?)我々にも十分当てはまることに驚かされる本でした。

体験に通じた主張は説得力がありますねえ
体験に通じた主張は説得力がありますねえ

著者は1971年生まれのプロ登山家。2012年に日本人初の8000メートル峰14座の完全登頂を果たした「14サミッター」の一人。自身の登山家としての歩みを語りつつ、高所登山の魅力を述べた本です。

まず印象に残ったのは著者の言う「登山の定義」。登山は想像のスポーツなのだという。

頂上まで行って、自分の足で下りてくる。ただそのために、登山家はひたすら想像をめぐらせます。無事に登頂する想像も大事ですが、うまく行かないことの想像も同じように大事です。死んでしまうという想像ができなければそれを回避する手段も想像できません。私たち登山家は、どれだけ多くを想像できるかを競っているのです。

この本のプロローグは著者が大雪崩に遭い九死に一生を得た場面。雪崩に巻き込まれ斜面を転がり落ちながら、「助からない」と感じた著者は「死ぬかもしれない」と思えなかった自分に自分に腹を立てていたのだという。状況が想定外であることがそれだけ我慢ならなかった。

危険というのは、見えやすいほど避けやすいのです。「死」を身近に感じられるからこそ、その「死」をいかに避け、安全に頂上までたどり着くか。それを考えるのが山登りです。

危険を察知し回避し目的地へ向かう。これは8000メートル上の頂上を目指す登山家だけでなく、一般人の我々にも必用なスキルではないだろうか。

冒険と技術の関係も興味深い。1953年に人類初のエベレスト登頂がなされて以降、新たな道具や技術が開発されてきたが、著者は「新しい道具は、楽に登るためにつくられるわけではない。より難しいことに挑戦するためにつくられるのです(強調引用者)」という。

新しい技術とは楽をするため、便利にするために生み出されるもの、といつの間にか思っていた気がする。しかし技術を快のためだけに使っては、使う側の進歩はない。そこを新たな踏み台にしてさらに前に進まねばならないのだ。

世界に14しかない8000メートル級の山々でなくても、そもそも山でなくてもいい。著者が高所登山を通じて訴えることは仕事、人生、何にでも当てはまる。

目標が向こうから黙って近づいてくることはありません。だから私は立ち止まることなく、想像に想像を重ねながら、足を前に踏み出し続けてきました

苦しいことも含めた長いプロセスを、いかにおもしろがれるか。その一つの輪の中で記憶に刻まれた印象のすべてが、登った者だけが知り得るその山の個性なのです。

苦しさを知っていれば踏み込んで行ける。知らなければためらいが生じる。

行くという選択も、行かずに下りるという選択も、同じ自己判断です。自分自身の意思と責任とで決めたことなのですから、決めた後に迷いや悔いは一切ない。

人から「やめろ」と言われてやめたら、その時点で自分自身の判断ではなくなります。

趣味でも、勉強でも、仕事でも、自分から興味を持たなければ、おもしろさの本質に触れることはできない。

…などなど、読み始める前は想像もしないくらい多くのグッとくる言葉が出てきました。

あとここでは書きませんが、著者はある人から「集団登校はよくない」という指摘を聞きます。その理由は街中での危険の認識について非常に的を射ていました。何にでも良い面悪い面があるんだよなー。

我々もすでに目標に向かって歩き始めている。ならば次の一歩をより良い形で踏み出そう。と思った本でした。

標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学 (NHK出版新書)
NHK出版 (2013-11-22)
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フェアとシェアで生きていく話【書評「コミュニティ難民のススメ」】

副題が「表現と仕事のハザマにあること」なのだけど、表現に限らず「生活と仕事のハザマ」としても読み取れる内容かと思いました。

著者は「日常編集家」を名乗り、文筆業やイベントプロデュースに携わる。自分の家をオープンにして周囲と交流する拠点にしている人たちを紹介した著書「住み開きー家から始めるコミュニティ」は、以前感想を書きました。

いつか実際に話を聞いてみたいものです。
いつか実際に著者の話を聞いてみたいものです。

今回は「個人の生産活動において特定のコミュニティに属さず、表現手段も拡散させて、社会との新たな関わり方を生み出す人」を「コミュニティ難民」と定義し、著者自身の生き方や、著者が出会った6人を紹介しながら、新しい人物像を描き出していく。

上記の定義だとちょっと分かりにくい気もするのでこちらが理解した範囲で言うと『「2足のわらじ」をどう履くか』ということでしょうか。著者自身は2足以上履いているのだけど。

著者の問題意識の根底には

「大人たちが子どもたちに対して、求めてくる夢がイコール“なりたい職業”という、暗黙の前提があることに違和感を抱いてきた」(P2)

「この世の中において、自分が何者であるか、あるいは何屋さんであるかを一言で語れないということは、それなりに“生きづらい”」(P20)

といったものがある様子。現代社会はどこに帰属していかが問われすぎている、と理解した。「広く浅く」な生き様が成立しづらく、それが閉塞感を生じさせているのでは、と。

この本で紹介されるのは「FMラジオ局や商店街と連携してアーティスト発掘や地域経済活性化を手がけた銀行員」「雑誌編集委員でもある一級建築士」「NPO法人理事のミュージシャン」など。(著者含め)ひとところに留まらず/留まれない、難民のような人たちだ。彼らの生き様を深く紹介し、著者なりに考察を深めているのが「住み開き」とは違う点か。

けっして彼らを賞賛するのではなく、ひとところに留まれなかった苦しみにも目を向けている点に著者の誠意を感じます。だからこそ「難民」と名付けたんですね。

本の最後には住職にして大学教授の釈徹宗氏と著者の対談が収められている。そこではこういった「コミュニティ難民」がコミュニティに刺激を与える可能性、「コミュニティ難民」のように宙ぶらりんな状態が人を鍛える可能性、定年後のサラリーマンなどコミュニティから退場させられた宙ぶらりんな人々と「コミュニティ難民」が出会うことでの可能性などが示される。

個人的には「人口減社会」「高齢化社会」と言われる今の日本との関連性について考えた。

サラリーマンが定年を待つまでもなく、今はひとりで複数のことをやらざるを得ない状況が増えているように思われる。たとえば外部からは「会社員」というコミュニティに属していると見えても、当事者は会社にではなく、職種に応じたさらに小さなコミュニティに帰属意識を感じていたりするものだ。営業とか研究開発とか。そんな会社の中のコミュニティの境界は今、どんどん薄れているのではないだろうか。この本では取り上げられていないが、コミュニティの側から外に追いやられ居場所をなくす「(文字通りの)コミュニティ難民」が出現する可能性も高いはずだ。

上記の対談で釈徹宗氏は「コミュニティ難民」について、高度経済成長だった頃はズルさや駆け引きを持たないといけなかったが、低成長期である成熟社会では自分勝手な欲望を振り回さず分かち合うーフェアとシェアーな状況だから生まれてきた存在、と指摘する。

誰もが一つのコミュニティに頼ったまま生涯を終えられないだろう現代、複数のコミュニティを渡り歩くためにはフェアとシェアが必要、という指摘は非常に理にかなっていると思えました。いつかくる日のために覚えておきます。

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選択が自分をつくる話【書評「情報を捨てるセンス、選ぶ技術」】

友達があなたのメールにしばらく返信してこなかったとき、あなたは友達に嫌われたのだろうか?そう考える仮説と証拠の関係は?

この本では私たちが情報を受け取る際に用いるべき「作法」について、様々な角度から検証が行われる。

著者は経済学者。この本では一人一人の意志決定の質を高めるため、情報の収集、選別、分析はいかにすべきか、誰の意見に耳を傾けるべきか、異なる意見をどう比較評価するかなどについて論考している。

現代はインターネットを通じて大量の情報が氾濫している。価値ある情報は偽情報に紛れ、ひっきりなしに届く情報は私たちの集中力、思考力を妨害する。でありながら、私たちはメールチェックなど情報への接触をやめられず、一種の中毒になっている。

さらに、情報化の進んだ現在では社会全体の構造ー既成の秩序ーが崩壊しつつある。これまで信じてきた過去が未来の道しるべにならない。

…といった著者の時代定義に対して、結論はやや凡庸かもしれない。正直、読み終わるとちょっと肩透かしな印象もあった。

「過去の成功や失敗に固執しすぎて、まともな思考ができなくなったり、偏見のない客観的な心で現在の問題を評価できなくなってはいけない。私たちの環境とそれがもたらす結果の相互作用は絶え間なく変化するということを、強く意識しておこう」

こんな感じ。しかし別の見方をすれば、上記のような内容は普遍的な主張、ともとれる。

基本に立ち戻るのは大事ですね
基本に立ち戻るのは大事ですね

著者は進化する技術に目を奪われて、情報を極端に受け入れたり拒絶したりするのは否定する。この主張に従えば中庸でありつづけることができそうだ。今はそれが難しいのだ。熊本地震でツイッターなどに川内原発に関するデマが出回ったことは記憶に新しい(本書ではネットに飛び交う情報の真贋に関して、受け手である自分に問うべき項目もある)。

しかし一番印象に残ったのは、先述した「友人からメールの返事がこない場合」を例に問われる「仮説と証拠の関係」だ。

「友人から嫌われている」という仮説を起点にしたら「メールがこない」事実に説得力があるように思える。しかし「メールがこない」事実を起点に考えたら「友人から嫌われている」仮説は説得力を持つだろうか?ほかの可能性もあるのではないか?

この仮説と事実に関する自身の思いこみを再確認させる指摘と、リスクに関する指摘(「絶対リスク」と「相対リスク」)は本書の重要な箇所だと思う。

変化のスピードが速い現代社会では先述の通りネットの情報も正しいとはいえず、かといって専門家も当てにならなくなってきた(「政治の動向をぴたりと予想する人は非常に謙虚であることを、数々の研究が示している」と著者はいう。至言ですね)。

著者は最後にこういっている。

「この世界をあいまいになるほど簡略化しようとしたり、情報を楽に受け入れられるように誰かにかみ砕いてもらおうとしたりする自身の欲望に立ち向かわなければならない。」

「混沌を受け入れるとは、今日の正しい決断が、明日には正しい決断でなくなっているかもしれないことを認識することだ。」

思い込みは自分自身にも生じがち。まずできることは、絶えず自分自身を疑うこと、かもしれない。

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個人力を高めなくてはいけない話【書評「東京防災」】

熊本地震で被災された熊本、大分の方々にお見舞い申し上げます。

東日本大震災は正直よその地域の出来事だったんだけど、今回の地震は揺れも体験したし被災した熊本市や阿蘇、大分の湯布院や別府は行ったことがある場所なので(阿蘇神社の倒壊は大ショック)、今度こそ防災についての意識を新たにしたところです。

そこで今回紹介するのは東京都が発行する防災ブック「東京防災」。電子書籍は無料です。

要ダウンロード!

正直、スマホやタブレットに最適化されているのは「デジタル版」。読み方が「目次から」「世帯から」「用語から」「場所から」の4パターンがあり、ページ間のリンクも張り巡らされていて、読みたい情報が見つけやすい。電子書籍版は書籍版をそのまま使ったからか目次に沿った読み方しかできず、索引もあるけどキーワードから当該ページに飛べないのが惜しい。

何より同梱の漫画「TOKYO ”X”DAY」が逆から読む形になってしまっているのはつくづく残念。書籍版なら後ろから読むことができるけど、電子書籍版は左ページから右ページへの一方通行なのだな。漫画は基本、右ページから左ページに読むようコマを割っているので、ここだけページ順を変えることもできない。

と、電子書籍の残念なところが目についてしまうのだけど一度ダウンロードすればネットに繋がらなくても読めるのは便利か。黄色をベースにした紙面はイラストも豊富で読みやすい。テロや感染症対策まで網羅しているのも便利。読むと「なーんだ」と言いたくなる基本的なことしか書いていないんだけど、そう思うのは今が通常時だから。非常時は絶対動転しているはずなので、そんな基本的なことすら忘れている可能性大なのだ。

断水時のトイレの使い方や簡易おむつ、布ナプキンの作り方など避難生活のコツも豊富なのが素晴らしい。覚えられなくても「『東京防災』に書いてあったはず」と思い出すだけでも違うだろう。

「被災者の声に学ぶ」というコーナーも印象に残った。避難所で「別の避難所には市から助成金が出たらしい」という噂が広まり「行政から話が来るまで待とう」と全員が納得するまで2ヶ月かかった(!)というのは非常にリアルな体験談だった。ネットで広まるしょうもない内容より、こういった噂の方が被災者を消耗させるんだなぁ。

一人一人の防災力をどう高めるか、正しい情報をどう入手するかまで考えさせられた本でした。スマホにダウンロードしておくことをお勧めします。

あと、通常は1900円で販売しているiPhoneアプリ「家庭の医学」も熊本地震支援の一環ということで5月末まで無料配布しているそうですよ…!