努力と修養の意味を考えた話【書評「私の財産告白」】

スマイルズ「幸福論」にも似た、努力の尊さを説く本。大きく異なるのは努力の尊さを財産作りにも当てはめて説いた部分でしょうか。

<内容紹介>
誰でも豊かで幸福になれる!日本人が書いた最高の人生哲学。貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた男、本多静六。停年と同時に全財産を寄付して、働学併進の簡素生活に入った最晩年に語った普遍の真理は、現代を生きるわれわれにいまなお新鮮に響く。「人生即努力、努力即幸福」をモットーに生きた人生の達人による幻の名著!

<著者について>
本多 静六(ほんだ・せいろく)
1866(慶応2)年、埼玉県生まれ。苦学の末、1884(明治17)年に東京山林学校に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。1892(明治25)年、東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授となり、「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍、日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927(昭和2)年の停年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。

(以上、アマゾンの書籍紹介ページより)

勤勉と貯蓄を説く人はいても、同じ口で投資の重要性、財産の処分の問題まで説く人はなかなかいない。著者は金の増やし方から使い方まで一貫して堅実に生きることを説く。

本当に勉強し、本当に実力を養うもののためには、その進むべき門戸はいつも開かれている。

大切なのは、一生涯絶えざる、精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。

幸福は各自、自分自身の努力と修養によってかち得られ、感じられるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。

そんな著者のリスク論は決して大穴狙いではない(手取りの四分の一を強制貯蓄して資金を貯めるのは大変な負担だがw)。

投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

…普通ですねw。一方で著者は第2次世界大戦での敗戦で財産をほとんど失った。しかし著者がすごいのはそれに腐ることなく、再び簡素な生活を基礎に貯蓄し、経済上の安定を勝ち取ったことだ。

やれるだけのことをやってきたのなら、その結果についてそうそういつまでも悔やむことはない。問題はそれを「よい経験」として次の仕事に生かしていくことである。

人生における七転び八起きも、つまりは天の与えてくれた一種の気分転換の機会である。これを素直に、上手に受け入れるか入れないかで、成功不成功の分かれ目となってくる。

地味だがスゴイ人がいたもんです。
地味だがスゴイ人がいたもんです。

著者は事業家ではなく投資家。つまり仕事の糧を自分から探したわけではない。でありながらただ与えられた仕事をこなすだけでもなかった。

前に引用した、著者が言う幸福を得るための「自分自身の努力と修養」には真面目に働く以上のものがある。自分の人生をどう描くか考え、実際に取り組み、一方で人生のつまづきにとらわれすぎず、次の機会をじっくり待つ姿こそ「自分自身の努力と修養」なのかもしれない。

この本の中で出てくる「散る花を追うことなかれ、出ずる月を待つべし」という言葉も印象深かった。

一方で著者は資産を持とうとする人に優しい一方で、金持ちを妬むだけの人に厳しい。

一代の商傑には、一代の商傑でしかたくらみ得ない大きな野望がある。世間というものは、どうしてこう出しゃばりやおせっかいばかりが多く、何故これを静かに見守って、心行くまで、その夢を実現させてやれないのだ。

日本の社会は、欧米に比してこの出しゃばりとおせっかいがはなはだしい。金持ちに気持ちよく金を使わせてやる雅量に乏しい。

今日の社会情勢は、資本家を抑え、大金持ちをできるだけ作らない方針が取られていて、いわゆる乏しきを憂えず、等しからざるを憂うというので、畢竟、共貧、共愚をめざすかのごとき傾向にある。

この本の出版は1951年、著者85歳。上記のような日本社会の情勢は、2016年の現代も変わっていないことに気づかされる。というか自分より年上の知識人の中には「日本はもう経済成長はできない」と断言する人も多くて憂鬱になる。

著者は幸福を実感する時をこう定義する。

人生の幸福というものは、現在の生活自体より、むしろ、その生活の動きの方向が、上り坂か、下り坂か、上向きつつあるか、下向きつつあるかによって決定せられるものである。つまりは、現在ある地位の高下によるのではなく、動きつつある方向の如何にあるのである。

過去の日本にはこの著者のように真面目に働き、貯蓄し、なおかつリスクも取って生活の動きを上り坂にしようとしてきた人がいたのである。こんな人が増えていけば、今からの日本もよりよい社会になるのではないか。

私の財産告白 (実業之日本社文庫)
本多 静六
実業之日本社
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