大人は意識低くて上等な話【書評「芸人式新聞の読み方」】

新聞のゆるい読み方を紹介しながらムムッと思えるメディア論としても読めました。

【内容紹介】
芸人ほど、深く、おもしろく新聞を読み込む者はいない! これで「読んだつもり」からもう卒業!!
なぜか新聞がどんどん好きになる! 人気時事芸人による痛快&ディープな読み方、味わい方をお届けする本書。たとえば、こんな読み方を紹介しています。
・朝刊紙社説は、「大御所の師匠」からの言葉として読む。
・スポーツ紙と芸能事務所の深い関係から見える「SMAP解散の真実」。
・森喜朗氏の記事を読むことは日本の政治家を考えることだ。
・「日刊ゲンダイ」の終わらない学生運動魂。
・「東京スポーツ」から「週刊文春」へ。最強のスクープバケツリレー。
結局、新聞にこそ、世の中の仕組みが詰まっているのです!
【著者について】
1970年長野県生まれ。スポーツからカルチャー、政治まで幅広いジャンルをウォッチする「時事芸人」として、ラジオ、雑誌等で活躍。著書に『教養としてのプロレス』、『東京ポッド許可局』(共著)がある。オフィス北野所属。

(アマゾンの著書紹介ページより)

ヤフーなどを通じてネット上で記事は(無料で)読まれているけれど、媒体としては読まれなくなってきた新聞。著者は芸人としての視点から「おじさんが書いておじさんが受信する『オヤジジャーナル』」である新聞の伝統の作法を紹介している。

「おもしろまじめ」ってのが大事なのかなー。

芸人視点なので主要全国紙、スポーツ紙を擬人化するという下りもあるけれど、同じニュースを素材に全国紙の報道姿勢(紙面展開や見出しのつけかたなど)の違いをきっちり比較している様子はまさに一人編集会議。新聞って各家庭で1紙しか取らないのが普通だから比較って難しいんですよね。全国紙の一部では事後的に各紙の姿勢を検証するコーナーを設けているところもあるけれど、だいたい結論は自社をよく印象付けるだけなので…。ホントですよみなさん、読み比べてわかることもあるんですよ新聞は。

でも最終章「ネットの『正論』と『美談』から新聞を守れ」では擬人化という形で著者が面白がっていた各紙の論調や報道姿勢(著者言うところの「芸風」)がネットでは通用しないと痛感している。また各紙が自身の「芸風」に引きずられることへの警告も発している。

そんな(新聞側も読者側も含めた)社会への著者の助言は簡単だ。「意識の低い大人になれ」である。この本を通じて著者の姿勢の根幹にあるのは「半信半疑」。ワクワクしながら疑う余裕である。著者は「はじめに」で「自分は『川口浩探検隊』とプロレスでリテラシー(読解力)を学んだ」と書いていたのだ。

私は野次馬だし下世話だし、陰謀論も大好きな人間だ。でも、そこには「半信半疑」を楽しむ余裕がなければならないと思っている。自分の思想や主張を通すために必死になってしまったら、その瞬間、あらゆる言説はイデオロギーのためのストーリー、運動のための方便に硬直化してしまう。
受け手である我々の側に、「大いなるムダ」を楽しめる土壌がなければ、新聞は楽しめない。

米大統領にトランプ氏のような暴論を連発する人物が就任してしまうのも、誰もがフラットに発信できるインターネットの普及ゆえに、必要以上に遠慮した社会を生んでいるからではないか、と著者は指摘する。

でもここまで読み進めて、個人的には読者に「意識の低い大人」を求めるのはまだしも、伝える新聞側が「意識の低い大人」になるのは難しそうだなーと思ってしまう。先ほど引用した「自分の思想や主張を通すために必死」な姿勢が今の新聞には強い気がするのだ。特に「リベラル」とされる側に。そして「反リベラル」な側もそれにつられている。お互い余裕をなくしている。

うがった見方をすれば衆院選が小選挙区制になったことが大きいのかな、とも思う。政権交代が起こりやすいシステムになり「白か黒か」がはっきり出やすい。与党の議席を中途半端に減らす「お灸をすえる」ってことができにくい。まぁ権力が官邸に集中している今の方がわかりやすい利点はある。首相より与党の幹事長の方が偉いなんていうおかしな時代には戻りたくないもの。

閑話休題。そんな時代の変化に新聞は対応できているか。ヒントは著者の新聞に対するスタンスにある気がする。「新聞は日用品ではなくすでに嗜好品だと思っている。コーヒーやタバコと同じ。趣味のカテゴリーだと」。社会の木鐸と気構えることから卒業してもいいのかもしれない。

芸人式新聞の読み方

芸人式新聞の読み方

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幻冬舎 (2017-03-09)
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君の名は。から始まる話【鑑賞・大英自然史博物館展】

始祖鳥!

過日上京の折、上野の国立科学博物館で2017年6月11日まで開催中の「大英自然史博物館展」に行ってきました。博物館に行くことは滅多にないのだけど、なぜかピンときたんですよね。予習として「乾燥標本収蔵1号室」 (リチャード・フォーティ著)を読んで臨んだくらいの気合の入りよう。

特製ドードーステッカーもゲットしました

予習はやはり効果的でした。始祖鳥化石くらいは知っていたけれど「所有者を次々に不幸に陥れる『呪われたアメジスト』」「違法捕獲したハクチョウの羽毛で作ったドードーの模型」「女性研究者ドロシア・ベイトが見つけたミオトラグスの骨」など実に興味深い。一つの標本から自然の奥深さと人が自然を知ろうとした歴史を感じられるのです。

驚いたのは後の調査でヒトとオランウータンの頭骨を加工した偽物と判明している「ピルトダウン人の頭骨」も展示されていたこと。捨てずに保存していたのか…。教訓の意味もあるんでしょうね。

会場にならぶ美しい昆虫や甲殻類の標本の中にはテレビや動物園で見た生き物もあった。そんな生物は今、生きている様子を映像で見ることができる。それでも標本を集める意味はあるのだろうか。意味はある、と「乾燥標本収蔵1号室」にはある。

分類学と体系学は、ある面ではたしかに切手収集のようなものだ。ただしそれは、利用者が手元にある標本を識別できるよう、目録に明確な識別項目を配列していくという意味においてのみの話である。その目録は、四〇億年におよぶ生命の歴史が生み出したことの総覧でもある。しかもその内容は、地球の健全さをはかる尺度となっている。それでもまだ価値がないというのだろうか。

標本から世界、地球にまで視野を広げることは今までなかった、と反省。世界には名前のついていない生き物もまだたくさんいるのだという。大英自然史博物館には「トカゲマン」「線虫マン」「海藻マン」などの本当に狭い範囲の専門家(失礼!)がいて、まず種を特定し、名をつけ、そこから生態を調べているのだそうだ。そこから人間の生活に役立つ発見があることもある。

一方で大規模な自然史博物館は、ただ自然界のカタログを提供するだけでなく、自然に対する良心をはぐくむ場所ともなるだろう。そこは後世の人々が、「わたしたちは何をしてきたのか?」という問いに対する答えを見出す唯一の場所となるだろうという場でもあったのだ。

振り返るに美術館、映画館などにはよく行くのに博物館にはこれまでほとんど足が向かなかったのは、展示物に変化がない様に思っていたからだった。目新しさがないというか。しかし「乾燥標本収蔵1号室」を読み、大英自然史博物館の実際の標本を見たら、標本の背景も気になってきた。想像力がいつの間にか欠如していたようだ。たまには博物館に行くのも悪くなさそう。企画展もやってるわけだし。

乾燥標本収蔵1号室 ―大英自然史博物館 迷宮への招待
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言葉への向き合い方を考えた話【書評「毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術」】

言葉への向き合い方に刺激を受けた本でした。

【内容(「BOOK」データベースより)
分かりやすい「テン」の打ち方、あえて文末を不統一にすることも、人の名前を書き間違えないコツ、「は」と「わ」、正しいのはどっち?俗語の動詞化に気を付ける、漢数字と算用数字の使い分け、何が「ら抜き言葉」なのか?、違和感のない送り仮名、恥ずかしい敬語の間違い、許されない重複表現…などより正確に、より伝わる文が書ける!
【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岩佐義樹
毎日新聞社用語委員会用語幹事。1963年、広島県呉市生まれ。早稲田大学第1文学部卒業後、1987年、毎日新聞社に校閲記者として入社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(アマゾンの著書紹介ページより)

文の構成から文法、言葉の意味まで、日本語表現の変化…というより乱れ、かな…についてまとめた本。著者が新聞社の現役校閲記者だけあって、最終章「固有名詞の誤りはこうして防ぐ」は「新聞社あるある」と思うことしきり。安倍は「あんばい」、安部は「あんぶ」。基本がやはり大事ですね。

辞書って大事なんだなぁ(今更)。

その中でムムッと思わされたのは第4章「文化庁『国語に関する世論調査』の慣用句にみる誤解」。使い方が変化している言葉について、著者が正確な意味を探ろうと複数の国語辞書を引いていること。さらに同じ辞書でも最新版だけでなく古い版も引いて「この意味が加わったのは第●版から」と遡ったり、著作権切れの作品をインターネットで無料公開している「青空文庫」で検索したりして(今の時点で)言葉の正しい意味を探ろうとしていること。

辞書は最新版にこそ意味があって旧版には価値がない…と思い込んでいた。そんなことはないんですね。青空文庫の使い方にも膝を打った。常用漢字表も「送り仮名の参考になる」とやっと分かった。誰かもっと早く教えてくれよー(涙)。

言葉は正しく使いたい、しかし自分の中にあると思っている正しさは気づかないうちに変わっていることもある。このブログは書きとばし気味ですが、新年度を機にもう一回言葉の使い方を見直してみようと思わされた本でした。まずは辞書とハンドブックを引く!ネットには頼らない(笑)!

毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術
毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹
ポプラ社 (2017-03-25)
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物流ももてなしだった話【書評「アマゾンと物流大戦争」】

書名はアオリ気味につけられてますが、内容はバランスが取れ、読みやすい本でした。

【内容】
アマゾンが仕掛ける物流革命から、今、経済の地殻変動が起こり始めている。ウォルマート、楽天、ヨドバシカメラ―アマゾンに立ち向かうための戦略はあるのか?あらゆるビジネスを飲み込む巨人アマゾンの正体とは?流通先進国アメリカで取材を重ねる気鋭の物流コンサルタントが、日米ビジネスの最前線からレポートする!
【著者略歴】
角井亮一
1968年大阪生まれ、奈良育ち。株式会社イー・ロジット代表取締役兼チーフコンサルタント。上智大学経済学部を3年で単位修了。米ゴールデンゲート大学でMBA取得。船井総合研究所、不動産会社を経て、家業の物流会社、光輝物流に入社。日本初のゲインシェアリング(東証一部企業の物流センターをまるごとBPOで受託)を達成。2000年、株式会社イー・ロジットを設立し、現職。現在、同社は230社以上から通販物流を受託する国内ナンバーワンの通販専門物流代行会社であり、200社の会員企業を中心とした物流人材教育研修や物流コンサルティングを行っている

(アマゾンの著書紹介ページより)

どこも頑張れ、と応援したくなりました

ネット通販を使い始めた頃は、主に利用していたのは楽天だった。ポイントがつきますからね。でも同じ商品を色々な店で扱っているので、値段が違うのは当たり前でもクレジットカードが使える店と使えない店があって、次第に楽天を離れ、アマゾンをよく使うようになった。

さらにアマゾンの利点として(大半の商品で)コンビニ受け取りができるようになったこともある。商品が届くのを待つのも、案外苦痛になってきたのだ。外出のついでに近くのコンビニに寄れば受け取れるのは意外と楽なんです。

…と思っているところに読んだこの本。楽天とアマゾンの違いについて

楽天のようなモール型ECサイトは、ロジスティクスのノウハウを必要としていなかったため、立ち上がりのスピードが速かったのです。
ロジスティクスを楽天は短期で買えるもの、つまりコストだと考え、アマゾンは長期で構築する投資だと考えたところに決定的な違いが現れました

と書いているところに非常に納得した次第。コンビニ受け取りサービスはアマゾンから始めたはず。そういった取り扱い品の数や価格だけでなく、物流面に力をいれるのがアマゾンの特徴なのだなぁと再確認した。

この本が書かれたのは2016年9月。2017年になって社会問題化してきた宅配業者への過剰負担問題にも触れている。結局、配送センターから顧客までの「最後の1マイル」をどう効率化するかが問題なのですね。そこで著者はアメリカでアマゾンがとっている戦略を紹介している。配送センターを消費者に近い場所に置く、自前配送、ドローン配達など。日本から見ると突拍子もなかったり、地味すぎてニュースにもならない取り組みをアマゾンは着実にしているのですね。

またアメリカでのアマゾンのライバル、スーパーマーケットチェーン「ウォルマート」のサービスも紹介。ネットで注文した商品を顧客の近くの店舗から発送する、専用の物流センターでドライブスルーのように直接受け取れる、などなど。

こういった物流サービスの改善、向上について著者が引用しているアマゾン幹部の

「顧客の注文通りに組み立てていると言ったほうがいいでしょう。作業内容は小売業より製造・組立の現場にずっと似ているのです」

という言葉が印象的。パソコン、スマホ、ネットを使うサービスなのだから全てをデジタルに処理できるかというとそうではない、アナログにコツコツと取り組む姿勢が感じられるのです。

そんな中、日本のネットスーパーとして著者が注目するのがヨドバシカメラ。「在庫の一元管理」「店頭とネット通販の価格統一」「店員教育」を実現しているのだそう。アマゾンもアメリカで実店舗を開くなど、顧客との接点を強化しようとしている。ネットから実店舗へ向かうアマゾンに対し、日本のヨドバシカメラ、セブン-イレブンのネットスーパー「オムニセブン」は実店舗からネットへ向かう。先述した宅配業者への過剰負担を消費者側から減らそうとするなら、実店舗がすでにあるネットスーパーを利用するのも一つの方法なのかもしれません。

そして最後に著者が、様々な事業者を集めた「モール型ネット通販」の楽天へ「さまざまな事業者が混在するからこそ、アマゾンも驚くような商品が次々と登場するのがモール型の優位な点です」とエールを送っているのも心憎い。物流も不可欠だが、物流だけで勝負が決するとは限らないわけです。

物流事業は消費者の立場では見えにくい。商品を受け取るときの宅配ドライバーの態度くらいか。ドライバーに丁寧な「接客」をさせるのが顧客へのサービス、と思っていたが、商品と消費者をどう繋げるかも広くサービスの一環なのだ。業者を短期的な勝ち負け的の視点で描かない、物の見方が少し(よいほうに)変わる、いい本でした。

アマゾンと物流大戦争 (NHK出版新書)
角井 亮一
NHK出版
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見えないところで時代は変わる話【書評「ネーミング全史」】

自分の気付かないものにも歴史はあるんだよなぁ、という一冊でした。

【内容紹介】
「名前がなくて、売れたものってあるだろうか? ネーミングは、すべての始まりだ。」(糸井重里)
あのヒット商品、話題のネーミングはこうして生まれた! 時代を超えて生き続ける「ネーミング」を歴史と共に振り返ります。
◆AKASAKA SACAS(ビル街のネーミングは、いまや日本語の言葉遊び)、KITTE(郵便のシンボル「切手」で、親近感アピール)、お〜いお茶(語りかけるネーミングは、背景に自販機)、うどん県(自治体のネーミング意識に火をつけた)…あのヒット商品、話題のネーミングが生まれた背景をネーミングの第一人者で、現在も数々のプロジェクトに関わっている著者が解説します。
◆本書では、1990年以降、「ネーミングが主役になった」時代に生まれたヒットネーミングを、その開発プロセスを交えて紹介しています。写真をふんだんに盛り込み、見て読んで面白い一冊です。また、発想チャートなど著者独自のネーミング作成法を紹介。実務家にも役立つ内容です。
【著者紹介】
岩永 嘉弘
ロックスカンパニー代表・主筆
1938年生まれ。早稲田大学第一政治経済学部新聞学科卒。光文社編集記者4年半・明治製菓宣伝4年の後、ロックスカンパニー代表・主筆に。広告制作の最前線で広告コピーライター、クリエイティブディレクターとして活躍する一方で、ネーミングという新分野を拓いた。ネーミングから始まる、ロゴデザイン、パッケージ、C.I.展開に至る広範な仕事をこなす。ニューヨークADC賞・朝日広告部門賞・毎日広告部門賞・日経広告賞などを受賞。

(アマゾンの著書紹介ページより)

業界誌、業界紙の連載に加筆したものだそうで、その点では以前紹介した本と同じか。でも内容柄、こちらの方が軽く読めます。

でもこの本の底に流れる「コピーの時代からネーミングの時代へ」という指摘は重要。一つ一つの商品に宣伝費をかけられなくなってきたので、商品名で勝負する時代なのですね今は。

全てのモノには名付けた人がいたのです。

著者自身、洗濯機「からまん棒」「東急bunkamura」「日清oillio」などを名付けた第一人者。例えば洗濯機、「からまん棒」以前は「うず潮」「青空」「銀河」など洗濯→キレイ、というイメージ勝負だった。それが洗濯槽の中心に棒が据えられた「からまん棒」以降、機能を直接命名するようになった。プレゼン時は悪評紛々だったそうですが見事大ヒットしたわけです。「広告にコピーが少なくなった。なくなった。キャッチフレーズが衰退した。いや、キャッチフレーズさえ消えてきた」という著者の言葉は一消費者の立場からでもうなずける。確かに最近、印象的な広告コピーってないからなぁ。

だから本の帯を名コピーライター・糸井重里が書いているのがオモシロイ。もう糸井氏自身、コピーライターが本業ではありませんからね。

最後の章はネーミングのコツを伝授。「分野違いのキーワードを探す」「世間のネーミングの半分以上は、コンセプトを追求し、加工しなくても立派に目的を果たす言葉をそのまま使った素ネーミング」など基本ではあるが重要なことをまとめている。

読み通せば、あの時代あんな名前の商品があったと思い出せるのだけど、「全史」と名乗るくらいなら巻末に年表をつけて、当時の時代風俗と重ね合わせられれば面白かったのに、とは思いましたが。

そしてもう一つ心に残るのは、「とは言ってもこの本で紹介される商品の全てが『ブランド』にまでなっているわけではないんだよなぁ」ということ。先述した洗濯機「からまん棒」も過去の商品。bunkamuraのような場所名は長く残るけど「ブランド」とは言えない。

そもそも今、家にある白物家電やテレビの名前、知らないぞ。名無しになった商品たちはもはや差別化すら放棄された日常品、ということでしょうか。長く残るのが一概にイイコトかどうか一考の余地があるのかもしれないけど、意外とそんな名前の消えた商品、周りに多い気がする。「ネーミングの時代」の先がもう始まっているのかもしれない。

ネーミング全史 商品名が主役に躍り出た

ネーミング全史 商品名が主役に躍り出た

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岩永 嘉弘
日本経済新聞出版社
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日本は昔から変わってない話【書評「外交感覚」】

辞書みたいに分厚く、ページ内も上下2段組と大変なボリュームなんだけど、頷ける点が多い一冊でした。

【内容紹介】
1996年の逝去した国際政治学者・高坂正堯が残した時評集を集成。中国、米国、国際社会、そして日本政治や外交に向けられた鋭い視線は、21世紀の日本を見通すかのような寸鉄が散りばめられている。
【著者紹介】
高坂正堯
国際政治学者、法学博士。1934年京都市生まれ。1957年京都大学法学部卒業後、同助手に採用され、1959年同助教授、1971年教授に昇進。専門は国際政治学、ヨーロッパ外交史。1978年『古典外交の成熟と崩壊』で第一三回吉野作造賞を受賞。国際戦略研究所理事、財団法人平和・安全保障研究所理事長などを歴任するも1996年急逝。

(アマゾンの著書紹介ページより)

立ちますからね、この本。

1977年から1995年にかけ中日新聞、東京新聞に掲載された時論を中心にまとめた、1985年出版「外交感覚」、90年出版「時代の終わりのとき」、95年「長い始まりの時代」3冊の合本版。現実を見据えた提言を続けた人で、一度ちゃんと評論を読んでみたいと思っていた。げっぷが出るくらいの大盛り本から手をつけてしまいましたが。新書もあるのに。

とはいえ、中身は先述の通り新聞掲載の時論が主なので、一つ一つの評論は読みやすく、短い。しかし寸鉄人を刺す名言があちこちに散りばめられている。

1977年から1995年というと、日本とソ連(!)の漁業交渉に始まりイラン革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争、新冷戦の激化と集結、湾岸戦争などがあった期間。しかし起こったことは過去のことでも、日本が向き合った課題は当時も今も変わらないことに愕然とする。

例えば先述の日本とソ連の漁業交渉。高坂は交渉の基本としてこんなことを書いた。

ソ連は日本の弱みにつけ込もうとした。それをわれわれが怒ることは無意味である。ソ連はその程度がひどいとはいえ、それが外交の常なのである。したがって外交において成功するためには、弱みを作らないことが第一の条件となる。
備えのない国の外交は、必ず失敗し、国益を守ることができない。その備えとは軍事力を持つことだけではないし、広義の力を持つことにもつきない。必要な制度的変更を国内において行い、外国に無理をいうとか、頼み込まなくてはならないようなことを作らないことも重要なのである。
それを抜きにして外国の強引さを非難するのは、甘えん坊のすることであり、それを抜きにして政府の無策だけをそしるのは、無責任者のすることである。

一読して通底しているのは、経済大国となった日本は「主体的に」国際社会で役割を果たすべき、という高坂の主張。

日本はこれまで慎重さゆえか、あるいは利己主義のためか、協議に加わると引きずられるとして一歩離れた態度をとって来た。しかし、それは典型的な小国の態度であり、世界を相手に広く貿易している日本として、もはや継続しえないものである。それは、世界政治のシステムだけを利用し、その維持のためのコストを払わないとみなされるであろう。協議に積極的に加わり、発言し、行動することによって、その自立性と利益を守ることができるし、それが現在における唯一有効な方法であるというヨーロッパ人の考えから、学ぶべきところは多い。
ここまで大きくなった日本は、世界の秩序の形成と維持にかかわらざるをえないのだが、秩序の維持は基本的に力の問題だからである。そして、相当部分が軍事力(それが使われる場合と使われない場合を含めて)の問題であるのだから、それとは一切無関係という立場は成立しない。
しかし、日本人はこれまでの考え方を変えたくはなかったし、政治を指導する立場にある人のかなりもそうだった。その根本的な原因は、日本人が世界秩序を自分たちの問題とは考えず、良かれ悪しかれ、だれかが与えてくれるものとみなす態度にある。
積極的に行動することは反発を招き、疑惑を生み、かつ失敗する危険を伴っている。しかし、大きな国力を持つ国が消極的であることは、不気味なものである。積極的に行動し、それが無法でも愚かなものでもなく、国際社会のルールにのっとったもので、有用なものであることを示して信頼を獲ち得なくてはならない。それ以外に信頼を獲ち得る方法はないし、信頼を得ることなしに大国は生きていけないのである。

国際社会の信用を得るためには日本から行動を起こす必要があり、それは国内的な制度変更をも含むのだ、という指摘は通商、防衛の観点から残念ながら今も有効なのだ。でも「今も有効」というより、絶えず見直さなくてはいけない点なのかもしれない。国外の問題に対処することを「巻き込まれる」と受け止める発想や、何かを「しない」だけでは国際社会での信用は得られないのでしょう。

また戦争を中心に人間の業に目を背けない姿勢も印象に残った。そして目を背けがちな日本社会に警告を発し続けた。

戦う必要のない戦争を戦ったことが事実であるなら、そこには人間の誤りが存在したはずなのであり、そうした誤りはわれわれとも無関係ではないからである。戦争が起こると、あるいは「侵略戦争」として非難し、あるいは「無益な戦争」としてからかうのが日本人の通例だが、それは自分たちと関係がないと考えている点で無責任でもあるし、また傲慢でもある。自分たちも犯しうる過ちをそこに見て、そこから学ばなくてはならない。
言論、報道の自由がなく、エリートがしっかりとまとまって統治しているという国は、われわれの目から見て好ましくないが、しかし、そうした体制は安定している。悪いものが早くだめになり、よいものが長続きするということはいえないのである。その逆もかなりおこる。
闘争もやむをえないということはできないが、しかし、そうした攻撃性向がわれわれのなかに存在していることを認めなければ、闘争を制御することはできないのである。
国家は自国を有利な立場に置こうとして軍備を行うのだが、それは軍備縮小に際しても変わらない。できるだけ有利な形で軍備縮小を行おうとして、知恵をしぼり、駆け引きを行うのである。それが軍縮に関する常識なのだが、平和の構築といった美名のため、この厳しい現実を忘れてしまうことがどれだけ多いことか。
破局の可能性を減らすことは、たしかに文明的である。しかし、人間の不完全性を考えるとき、破局の可能性がはっきりしている方が、人間の自制を生みやすいことも残念ながら事実である。
人間社会は、秩序を守るために力を用いる覚悟と、最悪の場合にはそれを使うことによって保たれうるのだし、それによって人間は人間たりうる、それは嫌な論理だが、人間という存在の根本に関わる心理である。そうした真実を直視せず、悩みもせず決断もしないで暮らすとき、人間は必ず腐敗する。そして、豊かであればあるほどその腐敗は激しい。

引用した部分、現実と理想の間で揺れる著者の思考が現れているように思う。現実を無視して理想に逃げ、キレイゴトを述べて満足する人はまだまだ多い。理想に逃げない姿勢はオトナだなぁと思うわけです。

人間は愚かであるという言葉は、決して、他人を批判、非難するときに使われてはならない。それは他人を許し、自らを戒めるための言葉である。

苦味ある大人な姿勢こそが「外交感覚」なのでしょうね。

外交感覚 ― 時代の終わりと長い始まり
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変化の努力は続いている話【書評「ヒットの崩壊」】

現在の日本の音楽業界を俯瞰できる一冊。新たな気づきもあり、読みがいある本でした。

【内容紹介】
激変する音楽業界、「国民的ヒット曲」はもう生まれないのか? 小室哲哉はどのように「ヒット」を生み出してきたのか? なぜ「超大型音楽番組」が急増したのか? 「スポティファイ」日本上陸は何を変えるのか? 「ヒット」という得体の知れない現象から、エンタメとカルチャー「激動の時代」の一大潮流を解き明かす。テレビが変わる、ライブが変わる、ビジネスが変わる。業界を一変させた新しい「ヒットの方程式」とは──。
【著者について】
柴那典 1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。主な執筆媒体は「AERA」「ナタリー」「CINRA.NET」「MUSICA」「リアルサウンド」「ミュージック・マガジン」「婦人公論」など。「cakes」と「フジテレビオンデマンド」にてダイノジ・大谷ノブ彦との対談「心のベストテン」連載中。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)がある。 ブログ「日々の音色とことば」 http://shiba710.hateblo.jp/ Twitter: @shiba710

(アマゾンの著書紹介ページより)

最近の音楽業界が楽曲販売よりライブによる収益で成り立っている、というのは何かで読んだ。楽曲販売に携わるレコード会社の方々は大変だろうけど演者の皆さんは儲けられているからまぁ頑張ってください、ワタクシも行きたいライブには行くようにしてますんで…。くらいの印象だった。

ヒットは崩壊しても音楽業界は続いていくのです。

でもですね、この本の中で、いきものがかり(放牧中)の水野良樹が言っている「ヒット曲が少ないとは、音楽が社会に与える影響が弱くなったということ」という指摘は重い。

「歌は世につれ世は歌につれ」というけれど、著者はオリコン、ビルボード、カラオケのランキングチャートを概観して、各チャート上位の曲にズレがあること─話題になっている曲が見えにくくなっている─とする。

著者はその理由をCDにオマケをつける「AKB商法」や音楽配信サービスに楽曲を提供しないレーベル側に見ているが、個人的にはリスナーの好みの多様化もあると思う。子供の頃、若い頃に聞いていたアーティスト、音楽ジャンルをずっと聞き続けても今はヘンに思われなくなったと思うのだ。つまりタコツボ化、でしょうか。

でもそうなると、最近テレビで増えてきた長時間の歌番組を著者が「テレビの中の音楽フェス」と指摘するのは慧眼。自分が聞きがちな曲以外にも触れる機会になりうるんですね。

著者はそこから日本のポップ・ミュージック「J-POP」自体が独自の進化を遂げ世界の注目を集めつつあること、一方でアメリカでは定額制音楽配信サービスからヒット曲が生まれる状況、世界的に売れるアーティストの出現などを紹介。「不特定多数のマスを相手にヒットを狙うのではなく、アーティストが自らの個性を発揮し、それに共鳴するファンやリスナーの輪を着実に広げていく」環境づくりが大切としている。著者曰く「ミドルボディ」…中間層、ということですね。

以前読んだ「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」同様、今回も著名アーティストや業界内の関係者が実名で登場し、意見を述べている。噂話や勝手な思い込みで論を進めない、誠実な著者の姿勢は今回も好印象。結論が穏当なものになっているのも必然でしょうね。

ただ、音楽は聞き手がいて成立するもの。リスナー側から見た音楽像の変化ももう少し知りたかった。不特定多数が対象になるので難しいかもしれないが、ヒットチャート以外にも見えるリスナー像って何かなかったかな、と。自分も現状思いつきませんが(苦笑)。読み手側がどんなふうに日頃音楽を楽しんでいるかで、読後の印象も変わるのかもしれません。

舶来文化へのコンプレックスから始まった日本のポップ・ミュージック業界は次のステージに向かいつつあるようだ。アーティストの活動期間も長くなり、ジャンルも増えてきた。個人的には「アーティストが自らの個性を発揮し、それに共鳴するファンやリスナーの輪」が広がるだけでなく、重なりあえばもっと良くなるんだろうな、と考える。先述したけど音楽がタコツボ化した分、他のアーティストやジャンルの楽曲も今は聞けるものが膨大になっているので、聞いてみようと思っても敷居が高いように思う。

リスナー一人一人が「たまには他のものも聴いてみようかな」という好奇心、流行への関心をちょっと持つだけで日本の音楽業界は良くなっていく気がします。業界側はそこを押す仕組みが問われているのでしょう。いろいろ努力はされている様子。まずは長時間音楽番組を気にしてみようかな。

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遊びが世の中を良くするかもしれない話【書評「気づいたら先頭に立っていた日本経済」】

「日本スゴイ本」のようなタイトルですが似て非なるもの。中身は(前向きに)考えさせられる本でした。

【内容紹介】
金融を緩和しても財政を拡大してもデフレは一向に止まらない。それは先進国に共通した悩みである。しかし悲観することはない。経済が「実需」から遊離し、「遊び」でしか伸ばせなくなった時代、もっとも可能性に満ちている国は日本なのだから。ゲーム、観光、ギャンブル、「第二の人生」マーケットと、成長のタネは無限にある。競馬と麻雀を愛するエコノミストが独自の「遊民経済学」で読み解いた日本経済の姿。
【著者について】
吉崎達彦 双日総合研究所チーフエコノミスト。1960年富山県生まれ。一橋大学社会学部を卒業後、日商岩井(現双日)に入社。同社調査・環境部、ブルッキングス研究所客員研究員、経済同友会調査役、日商岩井総合研究所主任エコノミストなどを経て現職。「かんべえ」のハンドルネームで、ホームページ「溜池通信」にて情報の発信を続けている。

アマゾンの紹介ページより)

競馬好きで仕事や休暇で国内外に足を運んで現場を楽しむ著者ならではの考察が読んでいて楽しい。著者は一人当たりのGDPが3万ドルを超える先進国になってくると、その国が目指す豊かさは一様なものでなくなる、として、それなのに従来の尺度にこだわって「もうバブルを起こす余地がなくなった!」と騒いでいるのが「長期停滞論」ではないか、と疑問を呈する。その上で高齢化が進む先進国で「人を楽しませる産業」をどう作るかが「遊民経済学」なのだという。

「遊民経済学」は「こういう方向で日本経済を発展させていく」という骨太のストーリーになりうるものなのだ。

「どう遊ぶか」を考えたくなる本でした。

一方で「遊民経済学」=遊びの産業化=自体にもストーリーが必要、というのが読むと分かってくる。質の良いストーリーが必要な映画産業しかり、ひとり旅でもネットを通じて友達と経験を共有できるSNSしかり。地方の観光PRだって「我が郷土の良さ」を再確認しなくては始まらない。日本経済は「ものづくり」と言われてきたけど、爆買いだけでは行き詰まるんですね。

一方で「おもてなし」だけでなく、日本人一人一人がもっと積極的に旅行に行くことも大事、と著者は言う。そりゃそうだ、お金が回りませんものね。

「当遊民経済学の視点から行くと、おカネのある人はなるべく盛大に、おカネのない人もそれなりに旅行を楽しむということが、これからの経済活動にとっては重要になってくる。それはもちろん、ひとりひとりの人生を豊かなものにしてくれる行為でもある」

スマホに押されながらも、家庭用の新型機がまた出るゲーム産業はどうか。「ものづくり日本」の代名詞だった産業だと思うが、これも著者はゲーム機からスマホに進出した「ポケモンGO」を引き合いに「ゲーム機やスマホは10年もたてば産業廃棄物になってしまうが、物語の寿命は永遠である。これこそゲーム産業のすごさではあるまいか」とやはりモノよりストーリーの重要性を説く。

一人一人が熱中するものを探し、金を使って楽しむ。熱中するものは人によって違う。洋服、シガー、シングルモルトウイスキーに借金してまで金をつぎ込む人もいたのを思い出した(ちなみに著者は「遊びは量より質」「遊びは借金してまでするものではない」と言っておりますw)。

著者の言う遊びにはストーリーがついて回る。ストーリーには起承転結がある。小説や映画しかり。ゲーム、ギャンブルは「短時間で勝者と敗者を選別する」。これも起承転結。特にギャンブルには「大人の知恵」、学校の授業では教わらない暗黙知が生じる隙間がある、と著者は言う。正論にすがってリスクを回避するばかりではダメな時もある、のでしょうね。最近のメディアの主張の基本的なトーンって、そんな感じだなぁとも思ったり。

喜んだり悲しんだり、遊びを通じて自分の中に様々なストーリーを持てば、人生だけでなく社会も豊かにするかもしれない。遊びが閉塞感を打ち破るキッカケになるとしたら、なかなか痛快ですよね。

気づいたら先頭に立っていた日本経済 (新潮新書)
吉崎 達彦
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変化は辛く苦しい話【書評「バブル 日本迷走の原点」】

あの狂騒の時代は何だったのか、経済、政治の面から振り返る読み応えのある本でした。

【内容紹介】
日本に奇跡の復興と高度成長をもたらしたのは、政・官・財が一体となった日本独自の「戦後システム」だった。
しかし1970年代に状況は一変する。急速に進むグローバル化と金融自由化によって、日本は国内・国外双方から激しく揺さぶられる。そして85年のプラザ合意。超低金利を背景にリスク感覚が欠如した狂乱の時代が始まる。
日本人の価値観が壊れ、社会が壊れ、そして「戦後システム」が壊れた──。あれはまさに「第二の敗戦」だった。
バブルとは一体何だったのか?日本を壊したのは誰だったのか?バブルの最深部を取材し続けた「伝説の記者」が初めて明かす〈バブル正史〉。この歴史の真実に学ばずして日本の未来はない。
【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
永野健二
1949年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。証券部の記者、編集委員として、バブル経済やバブル期の様々な経済事件を取材する。その後、日経ビジネス、日経MJの各編集長、大阪本社代表、名古屋支社代表、BSジャパン社長などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(アマゾンの著書紹介ページより)

経済史のように振り返るのではなく、個人に焦点を当てたドキュメンタリー形式。とはいえ読むには、ある程度経済の知識はあったほうがいいのかもしれません。

(いい意味で)俯瞰から人々を見つめています

バブル以前、企業や株は、金と権力を持ったごく一部の人たちだけ−アングラ社会とも結びついた政官民の「鉄の三角形」−のものだった。そんな閉じられた日本にもやってくるグローバル化の時代。その時代に合わせより良い日本経済の姿を求めた者、ただただ甘い汁を求めるだけの者、そして旧来の「鉄の三角形」にしがみつく者たちの姿が描かれている。

リクルートの江副浩正、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則、大阪ミナミの料亭経営者の尾上縫。学生の頃、彼らの転落をニュースで見聞きしたのを思い出した。懐かしい名前ですねー。

興味深いのは、当時は眉をひそめられるような存在が実は先見の明があった人物であったり、当時は問題にならなかった決断が後に大きな過ちを引き起こすことになったりと、人間のドラマが詰まっていること。先述した人物たちが当時は槍玉に上がっていたけれど、大蔵省、銀行、証券会社などにも責任を問われるべきだった人はいた。各項目ごとの締めくくりが実に味わい深い。

特に最終章、株価の急落が明らかになった後、経済安定化のため宮沢首相と三重日銀総裁が公的資金導入を検討していた事実は重い。それを大蔵省と銀行が潰した結果、むしろ状況が悪化してしまった。株価は下がったが地価はまだ高かったこの時に大胆に対処しておけば傷は浅かったかもしれないのに、結局日本経済は「失われた二十年」に突入してしまう。歴史を振り返る意味はこういうところにあるんでしょうね。

80年代のバブルの増殖と崩壊とは、いったい何だったのだろうか。 それは、戦後の復興から高度成長期、つまりアメリカへのキャッチアップの過程を、日本固有の資本主義=渋沢資本主義によってなんとか乗り越えた日本が、70年代前半のニクソンショック、変動相場制への移行、そしてオイルショックという世界経済の激動のなかで直面した第二の危機であり、変革期の産みの苦しみであった。日本は新しい仕組みづくりや制度改革を先送りしてごまかしたことで、第二の敗戦ともいうべき大きな痛手を被った。

一方で著者は株価が上がっていることを自賛する現在の安倍首相、黒田日銀総裁に「自省の念が欠けていないか」と疑問の目を向ける。それは分かるんだが、今は「失われた二十年」、デフレ経済からの脱却が最優先と思われる。安倍首相の経済政策「アベノミクス」の要所は景気回復の機会を「新しい仕組みづくりや制度改革」に繋げられるか、にかかっているだろう。変革を起こす力、変革を受け入れる力、変革に耐える力。日本にはまた産みの苦しみが近づいているのかもしれません。

バブル:日本迷走の原点

バブル:日本迷走の原点

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永野 健二
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2016私的ベスト3

週1回ペースで更新している当ブログも3年目。2016年を振り返ってみたいと思います。映画に良作が多かったような…?

MCUや再始動したスター・ウォーズなどもみていて楽しかったのですが、単体としてエイヤッと絞ったらこの3本になりました。エンターテイメントの皮を脱ぐことなく偏見と差異というギリギリのテーマに挑んだ「ズートピア」、過多な情報量とスピード感という現代風の面白さで突き抜けた「君の名は。」、そして今の若者の生態を描きつつ人の成長を捉えた「何者」。就職活動は自分を見つめること、とはいうけれど、あんなにシビアに見つめたらもう立ち直れない…しかしそこからでないと再起動もできないのですよ。

今年はあまり本を読まなかった…と思っていたけど、振り返るとまぁまぁ手には取っていましたね。今は「カラマーゾフの兄弟」を少しずつ読んでいるので、最近は本を読み切っていないからか。この3冊からは当事者として眼前のことに臨むことの重要性を読み取りました。それが広く社会のためでもあるし、1対1の個人の関係でもそう。そして眼前のことに臨むにはプロでなければならないのです。

イベントもそこそこ行ったのですが、印象に残っているのは40回目の開催にして初参加の「UMK SEAGAIA JAMNIGHT」。夕方、酒を飲みながらの野外ライブで夏を満喫したのでした。音楽の気楽な楽しみ方を再確認。ブログには書きませんでしたが、Perfumeの幕張オールスタンディングライブやルノワール展(東京)、鳥獣戯画展(福岡)などにも行ったのでした。

とはいっても公開中なのに見てない映画(「スター・ウォーズ ローグ・ワン」!)や行けてないイベント(生賴範義展3!)、読んでいない本もまだまだいっぱい。焦らず、じっくり味わって自身の栄養にしていきたいと思います。