こだわりをさらけ出したくなった話【Zineと本のおはなし】

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ちょっと日が経ってしまいましたが、宮崎市の喫茶店「Quantum」であったトークイベント「Zineと本のおはなし」に行ってきたのでその感想を。

会場は約30人くらい集まり、雨だったけどかなりの熱気。手作り雑誌「Zine」の販売イベント「Zine It!」を主宰してきたゴトウさん、活版印刷をしている「はなうた活版堂」の脇川さん、古書店「キママブックス」を営むクドウさんの三人がZineについて語るというイベント。ゴトウさんが持ってきたZineを会場で回し読みしながら、Zineの魅力を再確認するイベントでした。

印象に残ったのは「全員に好かれようとせず、自分の好きなモノにこだわれば、10人くらい好きな人はいる」というゴトウさんの言葉。デザインに無関係な人がつくったZineのほうが面白い、本っぽくなるとつまらない、ってのもポイントだったかも。 脇川さんの店に都城の主婦が市内を紹介する自作のZineを持ち込んできたというスゴイ話も聞けました。

スピーカー3人がデザインや印刷のプロってことで雑誌のデザインだけでなく紙質にも気を配っていたのも興味深かった。自分で一から作るんだから、紙からこだわれることもできるんだよなぁ。

その一方で「セブンイレブンのネットプリントでもZineは作れる」というヒントももらえ、何だかますますZineに興味が出てきたのでした。

次回「Zine It!」は12月だそうですよ。

芸術の意地を感じた話【鑑賞@みやざきアートセンター】

みやざきアートセンターで9月28日まで開催中の2つの展示会「Wonder Art Space」「オオウチハジメ氏を探す旅展」を見てきました。

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「Wonder Art Space」は県内出身/在住の作家たち6組の作品展。思ったよりバラエティにとんだ内容で、チャーミングな作品や生々しい作品、「でかっ!」という絵画や造形、「ちっちゃ!」という人形など楽しめました。

IMG_1557「オオウチハジメ氏を探す旅展」は「オカザえもん」をデザインした現代作家・斉と公平太による展示。某海外有名アーティストのCDジャケット裏面で見つけた、目に錯覚を生じさせる効果「錯視」のデザインの一つを作った「オオウチハジメ氏」と出逢うまでの捜索の記録。壁にずらりとヘタウマ漫画を貼って錯視の紹介、捜索の過程を伝えつつ、関連本や写真、メモも無造作に置いている。中央にはオオウチ氏を見つけるきっかけになった(?)オブジェもどーんと展示され、まじめと脱力、虚実入り交じった旅路が楽しめる。

会場となった「みやざきアートセンター」での過去の主な展覧会が「ムーミン」「スヌーピー」「山本二三」など“キャラの立った”ラインナップだったのをふまえた上で、錯視に詳しい関係者の間でも知られていなかった無名人「オオウチハジメ」をテーマにしているのも興味深かった。

で、そんな斉と公平太の展覧会にアートセンター側がぶつけてきたのが県内作家たちの作品展、と。作家たちの意図もさることながら、主催者側の姿勢も感じさせる場になっておりました。2展とも入場無料なので是非。

【おまけ】

「オオウチハジメ氏を探す旅展」より。真ん中のコマ。うっかり忘れがちなことだなと思ったので貼っておきます。

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消えたあの人が偉大だった話【鑑賞 トランスフォーマー/ロストエイジ】

エピローグでようやく「次回はこれまでと違う展開になるのか?」と思わせる、「シリーズ再構築ってことらしかったけど大して変わってなかったやん」な一作。むしろ、前3作から失われたものの大きさにも気付いてしまいました。

前作「ダークサイド・ムーン」で描かれたシカゴでのトランスフォーマーたちの闘いから3年。オプティマス・プライムら正義のオートボットたちは人類から敵視されるようになり、姿を潜ませていた。いっぽうCIAは謎の大企業や第3勢力のトランスフォーマー、ロックダウンと共謀し秘密の計画を企てていた。身を隠していたオプティマス・プライムは一人娘と暮らす貧乏な発明家のケイドに買われ、再起を図る。が、CIAの「オートボット狩り」の手が迫る…

パンフレットによると前作までの監督マイケル・ベイは3作までで降板するつもりだったがスタジオ側がシリーズ続行を決定したことで結局再登板したそう。なので今作では第3作まで登場していた人間側のキャラクターを一新、シリーズ再構築のような雰囲気になっている。

…なのに人間たちに全く魅力がないのはなんででしょう。いや、もともと旧3作に出てくる人間たちも大して魅力はありませんでしたよ。でもねぇ。

旧3作、見ている間は「見たいのはオプティマス・プライム様だから人間キャラなんかどうでもいいわい」と思っていたけれど、いざいなくなるとその存在の大きさに気付いたのです。とくに主人公の「サム」ですね。

とくに第1作で顕著だったわけですが、サムは自分が買った車が突然変形する機械生命だったのに驚き、そしてその機械生命・バンブルビーと友情を深めていく。サムは我々観客とトランスフォーマーたちを結ぶ存在として機能していた。

でも彼が登場しない今作では、正義のトランスフォーマー「オートボット」たちと人間たちの交流が印象に残らなかった。クライマックスでの「共闘」はあったけどね。サムが消えたせいか、バンブルビーも何だかやんちゃなだけのキャラクターになっていて、前作までで見せていた「かわいさ」がなくなった。俺の知ってるバンちゃんはどこにいったんだぁ!

「悪」の側の人間とトランスフォーマーが共謀するなど今作から取り入れた設定上の新機軸もある。でも基本的な構成は前3作とまだ同じ。トランスフォーマーたちがドンパチやっている真下で、人間たちが、自分たちが持てるサイズのものを持って右往左往する。前作が2時間半、今作が2時間45分(!)だったけど、正直長過ぎた。その割りに第3勢力「ロックダウン」の正体もよく分からなかったし、恐竜に変身するトランスフォーマー「ダイノボット」たちも終盤突如現れるので説明不足だし。

で、エピローグですよ。オプティマス・プライムが決着を付けるべく旅立っていくんですが、そんなことができるならその能力、もっと早いうちから使えばよかったんじゃないの?と思わずにはいられません。第2作で同じようなシーンを見た時には気持ちがアガッたんだけどなぁ。

これまで以上に明らかに次を意識した終わり方だったし、本当に次回作がこの話を受け継ぐ形で描かれるなら、作品世界がいよいよ広まるのは間違いないんだけど、そうなると今作以上に話が訳分からなくなりそうな気も。シリーズを続ける限界も見えてきた気がしますが、果たして。

ニュースは自分で集めたい?話

どうなんでしょう、スマートフォン向けのニュースアプリって。

これまでいくつか、インストールしてきたんですが、正直「これだ!」というサービスはない感じ。

最初に入れたのは「Antenna」。インターフェースが斬新だったけど、どこまで下にスクロールすれば終わりがあるのか分からず、きりがない感じがして見るのがおっくうになりました。

その後入れたのが「SmartNews」と「Gunosy」。両者とも興味のある配信先を「チャンネル」として登録できるが、どちらもサービスは似た感じで大差がない。何よりおすすめニュースに個人ブログやツイッター、匿名掲示板の発言まとめサイトが入ってくるのが馬鹿にされているようでげんなりする。読んで得をした、知的な刺激を受けたぜ、ってな気分にさせてほしいんですよ。

ならば登録チャンネルを新聞などの「固い」もの中心にしたら…購読している新聞と大差ない(当たり前だが)。むしろ情報量なら紙の新聞の方が多い。

結局、これら3本のアプリは削除してしまいました。

NewsPicks」はまだiPhoneの中に入っています。1日1度は見ますが、このサービスの売りである「ユーザーのコメント」がいまいち。鋭い指摘もありますが、著名人でもぶっきらぼうに言いっぱなしなコメントだったり、ホントに個人の感想でしかなかったり。「NewsPicks」を持ち上げるコメントをするユーザーもいて、まるで二昔前のパソコン通信の様で…。経済中心のニュースが集まる、というふれこみなのですが、正直そうでないニュースも混じってたりもする。

こういったニュースアプリ以外にも「キュレーションサイト」と称するサービスもありますが、他社の記事を無断で翻訳、転載してたとかいう話を聞くと、ネットでニュースを集めるのって人任せにできん気がしています。なので結局、ネットで自分好みのニュースを集めるにはRSSリーダーしかないと思う今日この頃。

…なのですが、今月始まった日経ニュースアプリ「Niid」はちょっといいかも。日経の記事の再利用サービスなのですが、本数も手頃、内容はしっかり読み応えがあり、見せ方もうまい。

カテゴリは「ビジネス戦略ナビ」「ヒット&トレンド」「知りたい!アジア」「英語で聴くNIKKEI」。

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カテゴリを選ぶとその日配信分のテーマが表示されて、

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記事を選ぶと下に「ざっくり言うと」的な表記も。でもこれ「中見出し」と呼ぶ方が正確ですね。

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上に引き上げていくと3本の見出しが合間に挟まるように記事が表示される。この滑らかな表示が気持ちいい。

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英語はまだ聴いていないんだけど、かなり興味がある。時間がある時に聴いてみたい。

将来は有料化も考えているということだけど、これなら払ってもいいかな…。

地方からスマートに発信する話【感想:GNJ2014】

これまでのこのイベントの模様についてブログなどの形であまりネットにあがっていないようなのが不思議なのだけど…。

P1000419鹿児島県南九州市「かわなべ森の学校」で8月23日にあった「グッドネイバーズジャンボリー2014」に行ってみましたのでその感想を。

P1000403-2今年で5回目というこのイベント、知ったのは一昨年だったのだけどその時は開催直前で都合が付かず、昨年はチケットを買ったのだけど直前になってやはり都合が悪くなり…となかなか行く機会に恵まれなかった。今年はバッジ付きの特別前売り券を買って、満を持しての参加でありました。

会場は廃校になった小学校。シンボルのクスノキにはこの日のためにツリーハウスが作られ、その下で編集者やクリエーターたちのトークショー。ステージイベントやワークショップ、映画の上映、地元の店からの出店など盛りだくさんの内容でした。

昼過ぎに会場に着いたのだけど、さっと場内を見て回り、食事をして、ワークショップにいくつか参加して、休憩がてらステージでのライブを見ていたら盛り上がっちゃってあっという間に夜でした(苦笑)。夜は音楽メーンになるけれど、明るいうちは様々な催しがあって飽きませんね。廃校になった小学校という会場の雰囲気もあって気分よく一日を過ごせました。

この楽しみを今すぐネットで伝えたい!とおもったのだけど、このイベント唯一の難点が(NTTdocomoの)電波状態が悪かったこと。他のキャリアなら良かったのかなー。まぁでもこんな緑豊かな山の中のイベントなので電波が入らないのもまた良し、かなー。

P1000521このイベントでとくに記しておきたいのは地元川辺町の取り組みに従ったきっちりとしたゴミの分別。プラスチックは水で洗い、拭いて(!)、容器など柔らかいものとフォークなど固いものに分ける(!)念の入れよう。ここでスタッフの人とちょっと会話ができたりするのも面白い体験。普通のゴミステーションならただ黙って捨てるだけだからね。

そして全部見たわけではないけれど、ステージイベントで最高だったのは鹿児島市の障害者施設「しょうぶ学園」の人たちでつくる「otto & orabu(おっと&おらぶ)」。民族楽器中心のパーカッショングループottoと叫びのヴォイスグループorabu (鹿児島弁で「叫ぶ」の意味)のあまりに前衛的なパフォーマンスは、個人的に持っていた「エイブルアート」の概念をぶちこわされた。帰宅してから会場でCDを先行発売していたことを知って愕然。買っときゃよかった!

聞いて食べて体験して。地方からでもスマートな情報発信はできると再確認したイベントでした。

結果を出さなくてもヒーローにはなれる話

本業とは違うところで忙しくなっております。その中で感じたことをちょっと。

ブルース・ウィリス主演「アルマゲドン」って映画があります。ブルース・ウィリスが地球に向かってくる隕石をぶっ壊す話。監督は「トランスフォーマー」などで(「ロストエイジ」見に行くぞ〜)今を時めく(?)マイケル・ベイですね。

話は単純だし、マイケル・ベイがミュージックビデオの世界から移って間もない頃だけあってカメラが無駄にグルングルン回るのが印象的な一本です。

でもその中で一つ、印象的な場面があるのです。

ブルースたちがシャトルで隕石に向かって飛んで行く場面。大げさなカメラアングルやわざとらしい効果音(カウントダウンの時計がなんであんなにガシャガシャいうのか)で盛大にシャトル打ち上げが描かれる中、管制室のフライトディレクター(現場指揮者)がシャトルの乗員たちにこう言うんです。

「君たちはすでに英雄だ」(直訳)

この「すでに」ってのにグッと来てしまうんですね。

まだ何も成し遂げていない彼らは、日本人の感性で言うとまだ英雄じゃないと思うんです。

だけどアメリカ映画では結果はどうなるか分からなくても、危機に立ち上がった時点で称えられるんですね。

挑戦そのものに重きを置くアメリカっぽい発想だなと思いつつ、日本でもこんな発想広まるといいのになと思っております。

具体的にどんな場面かは、「Armageddon shuttle」とかどこかに打ち込むと出てくるんじゃないでしょうか(無責任)ネットは広大ですね〜。

来なかった未来を見た話【書評「超発明 創造力への挑戦」】

現在入手できるSF小説の古典「レンズマン」シリーズ(E.E.スミス)の表紙絵は生賴範義氏なのだが、実は個人的には、レンズマンの表紙絵は生賴氏ではなくこの人、真鍋博で印象づけられている。一般的には星新一のショートショートの表紙絵、挿絵で有名でしょうか。線がシャープでヒトの顔はちょっと子供の落書きっぽくてシュールな雰囲気。シンプルな描き方が逆にレトロな感じを出している絵です。

51hxgcDhG1Lその真鍋博の著作がこの本。雑誌「Wired」で紹介されていたので読んでみました。真鍋博の空想と風刺の翼を広げて思いついた「超発明」が約120個収録されています。

生賴範義氏と比べると、生賴氏はイラストレーターとしてSF的センスがあったけど、真鍋博はイラストだけでなく発想そのものもSF的だったのが印象的です。

1971年に出た本なので、今では実現してしまっている「超発明」があるのが興味深い。たとえば「音声標識」はカーナビ、指紋に同調する「パーソナル把手」は指紋認証、1つのレコードに何億曲も収録できる「球体レコード」はiPod、描いたものが立体化する「三次元鉛筆」は3Dペン、「自在光軸写真機」はシータ。道端ですれ違った人の顔まで記録する「ダイアリー・メモランダム」も実用化された

実現した「超発明」を挙げてみると、デジタル技術の発展が凄まじいことがわかる。逆に言うと、真鍋の考えた未来の発想が何となく、アナログっぽい。今のところ実現していない「超発想」までみてみると、この本では良くも悪くも「モノ」で世界を変える/世界が変わるという発想が下敷きになっている。

でも今の暮らしを見てみると、デジタルを生かした「サービス」ばかり、という気がしてくる。こんなブログ然り、SNS然り。アナログというともっと極端に「自然回帰」に近くなっているかな。若者がIターンして農業、とか。

そう考えると、描かれた絵のどこか懐かしい雰囲気と合わせると、この本には「来なかった未来」が詰まっていました。副題「創造力への挑戦」が何だか重く響くなぁ。

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)
真鍋 博
筑摩書房
売り上げランキング: 95,611

王が帰還した話【鑑賞・Godzilla ゴジラ】

キング・イズ・バァァァック!(歓喜)昨年公開のパシフィック・リムもイケイケで燃える楽しい映画でしたけど、すみません「怪獣映画」度ではこちらが明らかに上でした。

今作を見たのが奇しくも(劇中でも触れられていた)8月6日だったってのも何か因縁づいていました。

【あらすじ】日本の原発で起こった原因不明の事故とフィリピンの鉱山で見つかった生物らしき痕跡。その正体が明らかになったとき、ごくわずかの人類しか存在を知り得ていなかった「生物界の頂点に立つ者」が姿を見せる。人間になす術はあるのか…?

何と言ってもゴジラの描写が最高。体の一部しか見せないショットが笑っちゃう&嬉し泣きさせるほどの巨大感を演出する。クライマックスで放つ例の技のかっこよさはマジで泣いちゃう5秒前。心の中で「兄貴!Gの兄貴ィ!」と叫ばずにはいられません。

冷静になって考えると、多少のアラもないわけじゃない。たとえば、今作は事前情報ではあまり取り上げられていなかったが「バーサス」ものだったわけですが、相手怪獣の名称はパンフによると略称だったとのこと。だったらGの兄貴の名称も存在も何かの略称でなければ作中上の辻褄が合わない気がする。

また渡辺謙演じる芹沢博士がGの兄貴を日本語風に呼ぶ(作中での)意味もよく考えると、ない。だって作中の世界では、Gの兄貴は日本に来たことにはなっていないはずなんで。日本とGの兄貴の直接の関係はない。

そうはいっても、話を俯瞰してみると、怪獣の行動原理に原発事故を絡めたり怪獣出現に伴う周辺の状況描写が津波やビル破壊を伴うなど、911や311といった昨今の社会事象を取り込み、怪獣を単なる巨大生物と扱わなかったのが素晴らしい。日本版をリスペクトした製作陣の矜持を感じさせる。前回のリメイク作とか昨年夏のパシフィック・リムでも、人間に対峙するのは巨大生物、でしたものね。「キング・オブ・モンスター」とよばれるGの兄貴(しつこい)ですが、「モンスター」と「カイジュウ」は別物、ってことですよ。

登場する人間も怪獣に対しほとんど無力で、究極の兵器を用いても(だからこの作品を8月6日に見たっていうのがですね!)、ほとんど有効な対策を打てていない。使っちゃった描写は見たくなかった気もするが、描写自体は控えめだし、その後の展開から改めてGの兄貴の偉大さ(人間の矮小さの裏返し)を伝えることにもなっていた。

ところで怪獣映画ファンならすぐ気づくだろうけど、今作の構成は、怪獣映画史に燦然と輝く「守護神G」3部作と極めて似ている。まぁこれはパクったっていうより、怪獣というキャラクターを単なる巨大生物としないで、真面目に突き詰めると結局こうなるってことではあるまいか。

ただ次回作も決定していて、今度はあのみんな大好き黄金3頭龍が出るとなると…。あれは日本版でも宇宙から来たり未来から来たりと、リアリティが薄い存在なのだから、安易に扱うとますます守護神Gシリーズと似てきやしないかと不安ではあります。

っていうか改めて思うに守護神G…平成ガメラ3部作は傑作ですよマジで。とくに第3作は怪獣映画の概念を突き破った唯一無二の傑作だと今でも信じているので(公開初日に渋谷で鑑賞できた至福!)、Gの兄貴の次回作がどこまで迫るか、はたまた別方向に行くか、楽しみであります。とにかくまた帰って来てくれ、Gの兄貴ィ!

自慢されたい過去には(多分)戻れない話【書評・逝きし世の面影】

一度読んではいたけれどKindle版が出ていたので購入。書籍版では文庫本でも2、3冊並みの分厚さなので、場所を取らない電子書籍はつくづくありがたいですね。

51MQ9F98Q6Lその分厚さと、書かれている中身から昔の日本を礼賛するのがこの本の主題のように思えるかもしない。しかし、著者が描きたかったのは「近代以前の文明」の姿。文献が残っているのが幕末〜明治の日本だったということだ。

幕末から明治にかけて日本に訪れた外国人たち。彼らが見た日本の姿を、彼らの手記から探っていく大著であります。

当時の外国人にとって日本は、人々が人なつこく、シンプルに暮らし身近な自然を愛する、非常に心奪われる国だったようだ。開国以降現代に至るまで、江戸時代の暮らしは古く遅れたものだった、という解釈が日本人(知識層)の間でなされてきがちだったが、著者はそれも否定し、質素だが魅力的な過去の日本を蘇らせる。

しかし読み直してみると、もはやこの本で描かれた日本には戻れない、ことも見えてくる。

例えば労働。著者によると江戸時代は働くときは働き、休みたいときは休んでいたそうだが、これは計測された時間と引き換えに働く近代の労働のスタイルではない「前近代の労働」だったと指摘し、明治期に矯正される運命だったと論じる。

著者が最終章で指摘する「(当時の日本人に)確たる個がない」は現代の目から見て当時の日本に明らかに欠けていた点かもしれない。

江戸時代というと身分制度が厳しく、庶民はいくら働いても貧しいまま…という印象があるが、社会制度として個人を抑圧していない、そもそも「個人」という概念がない社会だったのだ。

江戸時代末期に日本を訪れた外国人には、当時の日本人は誰にでも屈託がなく、性におおらかで、子供も大人と同様に扱っていた(子供は純真な存在と考えなかった)。著者によればそんな当時の日本人には、人間性への寛容があったといえるが、別の見方をするとある種のニヒリズム…「人間という存在の自分勝手さへのおかしみ、互いにそういう存在であるという寛容さ」に帰結するとも言う。男も女も子供も大人もみんな同じさという明るいニヒリズムは個人の尊厳を最初から考慮していない社会だった。例えばこんなブログを書いて考えをひとり深めるような、そんなことをする人はほとんどいなかったのだ。

今の日本では、むしろ個人主義が行きすぎて、この本が描いた近代化以前の日本を再評価する雰囲気もある。だけど当時の日本の「いいとこ取り」は難しいのではないか。せめて自分自身の中に残っているものを大事にしたい。さて、何が残っていましたっけ…

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
渡辺 京二
平凡社
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出したい自分は簡単には出ない話【鑑賞・岡田武史が見たFIFAワールドカップ】

結局日本戦以外の試合はまともに見なかったのだけど、こういった特集番組だけは見てしまう自分のような人ってサッカーファンなのかなんなのか、よくわかんないです。

NHK-BSで放送されたこの番組、内容はサッカー前日本代表監督・岡田武史氏が見たブラジルW杯、という…タイトルそのまんま、ですね。

印象的だったのは、岡田氏が、日本が勝てなかったことにがっかりしながらも、日本の攻撃について「(状況を打開するために)たとえばミドルシュートを打つとか(できなかったんでしょうか)…?」というインタビュアーの質問に「誰がするの?」と逆質問したところ。今回の日本代表は陣形をコンパクトにしてパスで相手陣営に切り込んでいくスタイルなので、相手ゴールから離れたところからシュートを打つような選手はいないってことでした。

岡田氏は日本の実力はあったと認めつつ、結果を出す方法は限られていることを認識していた。個人でも団体でも、結果を最も出しやすい形はいくつもあるわけじゃない。っていうか、普通そんなの一つだけで、この場合それを「自分たちのサッカー」と呼んでいたわけで。

一方で岡田氏は決勝トーナメントでの他国の闘いぶりを「必死だった」「最後まで諦めなかった」と評していたのも印象に残った。

今回の日本代表は「自分たちのサッカーをすれば結果は出る」的なことを言っていたようだが、実際には難しかった。型が見つかったことで手応えを感じていたのだろう。

個人的に、何かを「必死にする」のと「自分たちの型を出す」のは矛盾することだと思いこんでいた気がする。必死になるには型にこだわらず、型を出そうとするには冷静でなければ、と。でも違ったのかもしれない。

自分に型があるというだけでは不十分で、本番で型を出すにはとてつもない精神力も必要なのだろう。頭と心の使い方のヒントになった…気がします。