言葉を繰る力を感じた話【鑑賞「相田みつを展」】

高鍋町美術館で2015年8月30日まで開催中の「相田みつを展」に行ってまいりました。

会場に入ってまず意外だったのが、相田みつをのポートレート。どの写真も目が笑ってない。はっきり言ってちょっとコワイ。写真で見る限り近寄り難い雰囲気を周囲に放っているのである。「にんげんだもの。」なんてのん気な言葉を流行らせた人とは思えない。

10年越しの企画だったそうですよ。お疲れ様でした!
10年越しの企画だったそうですよ。お疲れ様でした!

行った日はちょうどギャラリートークの時間と重なった。初日にあった相田みつを美術館の館長・相田一人氏(長男)のトークの受け売りなんですが…と恐縮しながら学芸員さんの話すことには、相田みつをのあのへタウマのような字は、きちんとした書道の技術の裏付けがあってのもので、若い頃はコンクールで好成績を修める程だったそう。また作品が完成するまでには、原稿用紙1枚程に文章を書き、それを詩に縮め、さらにそこからエッセンスを抜き出したものがあの言葉たちだったとのこと。

また会場で購入した相田みつをと一人氏の共著「相田みつを 肩書きのない人生」によると、同じ言葉でも年代によって筆体も変えてきたし、改行のタイミングや紙の中での段落どうしのバランスなど見た目にも工夫を重ね続けた。裕福ではないのに書く紙は常に本番用の高価な紙。

相田みつをというと、「ポエムの人」と(弱干半笑い気味に)評価されている気がする(好きな人は好きだろうけど)。居酒屋に書かれているような、至極真っ当なのだが真っ当過ぎて逆に心を通り抜けていくメッセージ。やろうと思えば自分にもこれくらい書けるんじゃないかと思わせる書の雰囲気。

でもこの分野の創始者は、そんな簡単にここまで行き着いたわけではなかった。相田みつをが切り開いた跡を歩くのは容易かもしれないが先駆者の努力は並大抵ではなかったのだ。

モドキとの違いが一見わかりにくいのが相田みつをの不幸かもしれないが、言葉を練って伝えようとする意志の強さを感じた展示会でした。