奪い奪われ与える話【観賞「散歩する侵略者」】

日常が静かに終わる異常な感じを堪能しました。

【イントロダクション】
国内外で常に注目を集める黒沢清監督が劇作家・前川知大氏率いる劇団「イキウメ」の人気舞台「散歩する侵略者」を映画化。数日間の行方不明の後、夫が「侵略者」に乗っ取られて帰ってくる、という大胆なアイディアをもとに、誰も見たことがない、新たなエンターテインメントが誕生しました。侵略者たちは会話をした相手から、その人が大切にしている《概念》を奪っていく。そして奪われた人からは、その《概念》が永遠に失われてしまう。「家族」「仕事」「所有」「自分」…次々と「失われる」ことで世界は静かに終わりに向かいます。もし愛する人が侵略者に乗っ取られてしまったら。もし《概念》が奪われてしまったら。あなたにとって一番大切なものは何ですか?
【ストーリー】
数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海。夫・真治は会社を辞め、毎日散歩に出かけていく。一体何をしているのか…?
その頃、町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発する。ジャーナリストの桜井は取材中、天野という謎の若者に出会い、二人は事件の鍵を握る女子高校生・立花あきらの行方を探し始める。
やがて町は静かに不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。「地球を侵略しに来た」真治から衝撃の告白を受ける鳴海。当たり前の日常は、ある日突然終わりを告げる。

公式サイトより)

黒沢清の作品は最近見てなかった。「CURE」や、特に「回路」がこんな雰囲気の話だったかなー、と記憶しています。

宇宙人が(宇宙人として)登場しないSF映画ですね。静かに侵略を始める宇宙人たち、それを察知し対抗を始める人類(のリーダーたち)。一般人類は何も知らない。全体がおぼろげながらも見えているのは鳴海や桜井(と観客)くらい。

長澤まさみがよかったですねー。

この「全体がおぼろげに見える」感じが絶妙にコワイ。鳴海や桜井の後ろを普通に歩いている一般人たちが宇宙人に見えてくる。この作品、登場人物が街を歩く場面が何度かあるのだけど、後ろに写っている人たちが普通の映画より明らかに多い。意図的に人が配置されている感じもして、気味の悪さを増幅させている。

「概念を奪う」という宇宙人の特殊能力が発揮される場面もヒヤリとする。奪われた人間がへたり込むあの瞬間。薄気味悪かったですねー。

いっぽうで鳴海のエピソードと桜井のエピソードが分離しすぎてたかな、という気はします。桜井側の宇宙人2人がもっと鳴海側に執着するのかと思ったらそうでもなかった。両者が出会ってもさして何も起こらなかったのが残念なところ。

エピローグでの鳴海も、その直前までの描写と違いすぎてた気が。へたり込むことなく「何も変わらないけど?」と言ってたのになんでああなったのかな。中盤で神父が愛の定義を語る場面があるのだけど、今作での「愛」という概念が、そこで神父が語る愛と同じものであるなら、ああいう結末にはならないのではないかな。やはり愛も概念の一つであるならば、奪われたら尽きてしまうってことではあるんだろうけど。

ともあれ、「愛」の概念がカギだというのはメロドラマ的要素を強めてて、話を盛り上げたのは間違いない。そう考えるとひたすら暴力描写でひっぱっていた桜井側のエピソードも最後には愛があったと解釈できる気がしてきた。桜井も鳴海も最後は自分を捨てたのだから。

奪う者と奪われる者のドラマで最後に姿を見せる「与える者」。彼らこそ最も不可解で、それゆえに魅力的な存在でした。もらった側が「なるほど」で済ませず、ずっと影響を与え続けるのが愛、と言えるでしょうか。