大人は意識低くて上等な話【書評「芸人式新聞の読み方」】

新聞のゆるい読み方を紹介しながらムムッと思えるメディア論としても読めました。

【内容紹介】
芸人ほど、深く、おもしろく新聞を読み込む者はいない! これで「読んだつもり」からもう卒業!!
なぜか新聞がどんどん好きになる! 人気時事芸人による痛快&ディープな読み方、味わい方をお届けする本書。たとえば、こんな読み方を紹介しています。
・朝刊紙社説は、「大御所の師匠」からの言葉として読む。
・スポーツ紙と芸能事務所の深い関係から見える「SMAP解散の真実」。
・森喜朗氏の記事を読むことは日本の政治家を考えることだ。
・「日刊ゲンダイ」の終わらない学生運動魂。
・「東京スポーツ」から「週刊文春」へ。最強のスクープバケツリレー。
結局、新聞にこそ、世の中の仕組みが詰まっているのです!
【著者について】
1970年長野県生まれ。スポーツからカルチャー、政治まで幅広いジャンルをウォッチする「時事芸人」として、ラジオ、雑誌等で活躍。著書に『教養としてのプロレス』、『東京ポッド許可局』(共著)がある。オフィス北野所属。

(アマゾンの著書紹介ページより)

ヤフーなどを通じてネット上で記事は(無料で)読まれているけれど、媒体としては読まれなくなってきた新聞。著者は芸人としての視点から「おじさんが書いておじさんが受信する『オヤジジャーナル』」である新聞の伝統の作法を紹介している。

「おもしろまじめ」ってのが大事なのかなー。

芸人視点なので主要全国紙、スポーツ紙を擬人化するという下りもあるけれど、同じニュースを素材に全国紙の報道姿勢(紙面展開や見出しのつけかたなど)の違いをきっちり比較している様子はまさに一人編集会議。新聞って各家庭で1紙しか取らないのが普通だから比較って難しいんですよね。全国紙の一部では事後的に各紙の姿勢を検証するコーナーを設けているところもあるけれど、だいたい結論は自社をよく印象付けるだけなので…。ホントですよみなさん、読み比べてわかることもあるんですよ新聞は。

でも最終章「ネットの『正論』と『美談』から新聞を守れ」では擬人化という形で著者が面白がっていた各紙の論調や報道姿勢(著者言うところの「芸風」)がネットでは通用しないと痛感している。また各紙が自身の「芸風」に引きずられることへの警告も発している。

そんな(新聞側も読者側も含めた)社会への著者の助言は簡単だ。「意識の低い大人になれ」である。この本を通じて著者の姿勢の根幹にあるのは「半信半疑」。ワクワクしながら疑う余裕である。著者は「はじめに」で「自分は『川口浩探検隊』とプロレスでリテラシー(読解力)を学んだ」と書いていたのだ。

私は野次馬だし下世話だし、陰謀論も大好きな人間だ。でも、そこには「半信半疑」を楽しむ余裕がなければならないと思っている。自分の思想や主張を通すために必死になってしまったら、その瞬間、あらゆる言説はイデオロギーのためのストーリー、運動のための方便に硬直化してしまう。
受け手である我々の側に、「大いなるムダ」を楽しめる土壌がなければ、新聞は楽しめない。

米大統領にトランプ氏のような暴論を連発する人物が就任してしまうのも、誰もがフラットに発信できるインターネットの普及ゆえに、必要以上に遠慮した社会を生んでいるからではないか、と著者は指摘する。

でもここまで読み進めて、個人的には読者に「意識の低い大人」を求めるのはまだしも、伝える新聞側が「意識の低い大人」になるのは難しそうだなーと思ってしまう。先ほど引用した「自分の思想や主張を通すために必死」な姿勢が今の新聞には強い気がするのだ。特に「リベラル」とされる側に。そして「反リベラル」な側もそれにつられている。お互い余裕をなくしている。

うがった見方をすれば衆院選が小選挙区制になったことが大きいのかな、とも思う。政権交代が起こりやすいシステムになり「白か黒か」がはっきり出やすい。与党の議席を中途半端に減らす「お灸をすえる」ってことができにくい。まぁ権力が官邸に集中している今の方がわかりやすい利点はある。首相より与党の幹事長の方が偉いなんていうおかしな時代には戻りたくないもの。

閑話休題。そんな時代の変化に新聞は対応できているか。ヒントは著者の新聞に対するスタンスにある気がする。「新聞は日用品ではなくすでに嗜好品だと思っている。コーヒーやタバコと同じ。趣味のカテゴリーだと」。社会の木鐸と気構えることから卒業してもいいのかもしれない。

芸人式新聞の読み方

芸人式新聞の読み方

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