最初の一歩は結局自分で踏み出す話【書評・自分でつくるセーフティネット】

表紙は紙版のほうがよかったなぁ
表紙は紙版のほうがよかったなぁ

ネットの力を肯定的に論じた「レイヤー化する社会」をふまえての本、といえるだろうか。社会がグローバル化しブログやSNSが広まる現代をどう生きるかを考察した内容になっている。

平たく言うと、農村や会社といった強いきずなでつながった社会がすべてだったこれまでの生き方はもうできない。これからはプライバシーなどあまり気にせずネットで自分を発信して見知らぬ他人とつながっていけば、我々は新しいつながりを手に入れられる-というところだろうか。

ネットで見知らぬ他人とつながれば、新しい情報が手に入りやすいという「ウィークタイズ(弱いつながり)理論」を鍵に、他人とつながるにはオープンに構えて他人を信用する善人であれ、ネットでは善人でないと他人の信頼は得られない、と説く。

今の自分からすると「当たり前のことしか書いてない」…という感じなのだが、むしろこの本はネットとの向き合い方がわからない、ネットに自分をさらすのが(何となく)怖い、という人向けの本だったのかも、と思い直した。何しろ副題が「生存戦略としてのIT入門」なので。

そう、ネットは別に怖くない<場>なんですよね。あなたが善人であるなら。善人として振る舞えば自然にいい反応が返ってくるようになる、はず。

ただ「そうは言っても…」とたじろぐ人をさらに一押しするような論はない。たとえばプライバシーについて古代ローマや中世ヨーロッパ、江戸時代の暮らしを紹介した上で「そんなのこの半世紀ぐらいのあいだにようやく認知されただけの権利じゃん、とわたしは思う」で済ませている。国家による監視についても「アメリカのNSAが日本に住んでるわたしのメールを傍受したからといって、だからどうした? という感じ」。ネット社会の良い点だけ紹介して、懸念される点はあからさまに避けている感じがして若干粗雑と言わざるを得ない。

それ以外にも時代を表現するのに映画のストーリーや一般的なサラリーマンの「イメージ」を用い、何らかのデータや詳細な史実を紹介するわけではない。読み直すと著者の言う話の前提は、日本人読者にはぼんやりと共有できるものでしかない。変に砕けた言葉は使わず、理論のバックグラウンドをきちんと説明すれば説得力がさらに増したのではないかと思うと残念ではある。

ネット社会に至る時代の変化について詳しく知り考察を深めるには前回紹介した「パブリック」のほうがいいかな。

足りない部分はあるけれど間違ったことを書いているのではもちろんないので、ネットに少しでも良い印象を持っているけどSNSとかあまりやってないんだよねどうしようかな…って人には向いている本ではないかと思う。

一点だけ、企業と個人情報(ビッグデータ)の関係について「個人情報がたくさん集められると監視社会ではなく、企業から無視され、黙殺される社会になる」という著者の指摘は留意しておきたい。