選んだ言葉から自分が見える話【書評「ぼくの好きなコロッケ。」】

表紙の紙やページの角落としなどにこだわるのが電子版では出来ない技ですね
表紙の紙やページの角落としなどにこだわるのが電子版では出来ない技ですね

あけましておめでとうございます。

2014年、最後に読んだのは糸井重里の「僕の好きなコロッケ」でした。2013年に糸井重里が書いた原稿やツイートからの抜粋本の最新版。2007年から続いているそうですね。知らなんだ。最新2巻を買おうと思って、この本ともう一冊「小さい言葉を歌う場所」を選んだのですが、「小さい言葉を歌う場所」は一番古いもの(2007年)でしたw。

いわば糸井重里の箴言集なわけですが、こんな本の中からどんなコトバを選ぶかで、自分の今の気分が見えてくるのかもしれません。

というわけで、2015年に向けて選び出したのは以下のコトバたち。

「どこにも場所が空いてない」ということは、
いつも、新しい何かの出発であった。(P27)

では、どういう人と「対談」するのがおもしろいのか?「こういうことかな?」と考えついたのは、話していて「じぶんが変わることを怖れてない人」。ことばのキャッチボールをしているうちに、「変わってもいい」と思っている人とだと、話がたのしく転がるんですよね。(P40)

おそらく「集中して死ぬほど考える」ということよりも、
「しっかり感じる。そして毎日休みなく考える」ことのほうが、
難しい問題を解決に近づけてくれる。(P69)

「好きになってもらう方法」について考えはじめたら、
それはもう、えんえん救われない道に迷いこむと思うんだ。(P69)

「だれかの力になりたいと思ったときに、
自分に力がなかったら、とても残念だろう?」
ということは、今でも思う。(P120)

光の側を見ることを、能天気だと思う人もいるでしょう。
影を語るほうが、真剣で深いことに見えたりもします。
でもね、光の側を見ている人、そうそうバカでもないし、
影ばかり語る人、さほど優れているということでもない。(P156)

できることなら、あらゆる人が
「じぶんって変わるものだ」と思っててくれたらなぁ。
「変わる」ことを怖れない人どうしだったら、
人に会うことは、たいていたのしいと思うんです。(P163)

倫理や高潔に期待するものは、たいてい知恵と寛容を忘れている。(P167)

気に病んでいるだけなのは、祈ってるとは言わない。
心配しているだけなのは、考えてるとは言わない。(P168)

「じゃあお前がやってみろ!」とは言わないが、
「じゃあお前は何をやってるんだ?」は言う。(P169)

新聞の一面に出ているようなことについて、
あれこれ語っていると、なんだか
むつかしそうで高級そうなのだけれど、
考えようによっては、誰にでもできる簡単なことだ。
家のことやら、近所の問題があったとき、
しっかりと解決することは、実にたいしたことである。(P170)

ぼくは、自分が参考にする意見としては、
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして、「よりユーモアのあるほう」を選びます。(P172)

じぶんが、上手になること、
じぶんが、もっとできるようになること、
それについての期待や希望がさ、
誰かに期待したり頼んだりすることよりも、
先にあるべきなんだと、ぼくは思っている。(P177)

だいたい「エロチックサスペンス」って、
カツカレーみたいにおトク過ぎるよなぁ。(P200)

とっさの「じぶん」が、じぶんの育てた「じぶん」だよな。(P218)

本気に対して、本気じゃない者は謙虚であれ。(P222)

先に空にするってことが、大事なんだよなぁ。「ふ~~っ」と、息を吐き出すだろ。その吐き終わってできた空間を、新しいなにやらが急いで埋めようとするんだよ、きっと。(P237)

どういうものが理想なのかを誤ったままに、技術やら環境が整って、それが実現したとしても、あんまり意味ないと思うんです。「いままでなかったけれど、こんなのがあったらなぁ」という理想が見えること、それこそが大事なんです。(P238)

力というのは、必ず、とてもおもしろくて危うい。そういう「過剰さ」を感じながら扱わないと、いけないんだよなぁと、思うのであります。(P239)

「薬味は、どれくらい入れたらいいんですか?」などと野暮な質問をぶつけられても、もう大丈夫。「嫌じゃない程度に」と答えればいいのだ。この「薬味理論」は、まだ生まれたばかりだけれど、なんかものすごく応用が利くと思うよー。人生に「薬味みたいなもの」、いっぱいあるもの。(P240)

ばいばい鹿児島。
なんか、傷もなかったのに
癒えてる気がする。(P258)

「絶望は愚者の結論である。」とかいう
「名言」だって知っているけれど、
ぼくらは、いつでも「希望」を手放しやすいものだ。
その「希望」の手を放してしまうことの快感さえも、
僕らは経験してもいる。
「絶望」って、たぶん、一時的な解放感があって、
気持ちがいいように感じられるものなんだよね。(P308)

ああすればいいこうすればいいは言えなくても、
未来から見て「あきらめなかった」人間に、
こころからなりたいと思う。(P308)

終わりとか、別れとかのなかには、
もれなく、ハードボイルドなメッセージが込められているのです。
「さらば…」そして、
「おまえは、これからどうする?」です。(P311)

…やはり今の自分、変身願望wがあるようです。あとニヒリズムは苦手。地に足つけて、バランスよく、2015年も行って見て考えたことを記録していきたいと思うのであります。