静かなだけでは物足りない話【鑑賞・蜩ノ記】

うーむ、この作品で伝えたかった「武士道」はわかったけどなぁ。ベタな演出まではいらないんだけど、もう少し盛り上げて欲しかった作品でした。

【あらすじ】側室と不義密通し小姓を斬り捨てた罪で切腹を命じられた郡奉行の戸田秋谷(とだ・しゅうこく)。しかし藩の歴史書「家譜」編纂の命もあり、切腹は十年後となった。残り三年となったころ、監視役として檀野庄三郎(だんの・しょうざぶろう)が秋谷の元にやってくる。切腹の日が近づく中、淡々と家譜の編纂に励む秋谷に庄三郎は次第に感銘を受け、秋谷が切腹に追い込まれた事件の真相を探り始める…。

「蜩ノ記」パンフレット
堀北真希ちゃんがちょっと現代顔で浮いてたかな…

この秋谷、予想通り無実の罪を着せられているわけですが最期まで泰然としている。それは事の次第をあらかた知っていながら亡くなった先代の殿様の思い…事件が表沙汰になって藩を潰すわけにはいかない…に応えるためで、それがこの作品で描かれる「武士道」。滅私奉公の極みですね。

だけど覚悟をしたからには、のこる人たちはちゃんと暮らしてほしい、という思いも秋谷にはあった。それがあらわになるのがクライマックスだったのですが。

秋谷の無実の罪を晴らす勧善懲悪な展開にしてしまうと武士道と対立してしまう、…という訳ではないだろうけど、後半は秋谷の息子・郁太郎が作中の敵役に会おうとし、庄三郎もそれに加担してしまう。しかも郁太郎の理由が「死んだ友の無念を晴らす」って事になっているのがうむむ、となってしまう。

個人的な思いを果たしたい郁太郎に対し、秋谷や庄三郎は敵役に「善政をなせ」という叱責の思いからの行動…とも取れる。でも事が済んだ後でも秋谷は郁太郎に「真の武士道」を伝えるべきではなかったかな。死んだ郁太郎の友人こそ、農民とはいえ郁太郎より侍らしいので、郁太郎の行動はいくら少年とはいえ、この作品で語られる武士道には反しているように思える。

どうせなら郁太郎をはさまずに、秋谷がいきなり行動すれば「切腹の覚悟を固めていたのになぜ?」と思えてその後の展開も盛り上がったのではないか。

また秋谷たちの行動を受けて敵役が綺麗に説明口調で改心してしまうのもどうでしょうか…。

なんだか、登場人物たちが心情を丁寧に述べすぎていた気がする。状況を説明するときなどは時代劇っぽい、一聴しただけでは分かりづらい単語や語尾を使っていたので、ギャップを感じてしまった。

あとカメラワークですかね。「ワーク」と言っても実際はほとんど動かず、カメラの中の人物はだいたい、胸から上を全部撮る「バストショット」で正直、単調でした。アクションシーンではさすがに横移動したりするんだけど。逆に会話のシーンで急にズームしたので「?」と思ったことも記しておきます。

小泉監督の作品を見たのは「博士の愛した数式」と、これ。「博士…」ではあまりカメラワークに違和感は感じなかったんだけどなぁ。

ひょっとしたらもっとオトナになって、組織のために(切腹という意味でなく)自分を殺すようなことでもあるとこの作品の評価も変わるのかもしれない。そう思いたくなるくらい、かっちりと作ろうとしている一本ではあったが…。作品を見たこちら側が「作り手たちは“黒澤明の後継者”」って部分に構えてしまったか。でもあらすじ自体にサスペンス的要素もあるのだから、黒澤明だったらもっとメリハリを付けてくれたのでは?