人は崖っぷちを目指す話【鑑賞「セッション」】

才能を活かす。野心を成就させる。人の根源的欲望をガチで叶えようとするとどうなるかを描いたコワいけれど魅力的な話でした。

音楽関係者の方からは「こんな教育法はない」「音楽の魅力を伝えてない」て感じで批判されているようだけど、この話の「音楽」は物語上の素材であって、音楽関係者の方が求める「音楽のリアル」は最初から描く気がなかったのではないか。最初に書いたけど今作では音楽に代表される「才能」と「野心」を描いた話だと思う。

名門音楽大学に入学したニーマンはフレッチャーのバンドにスカウトされる。成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然だが、待ち受けていたのは完璧を求めるフレッチャーの狂気のレッスンだった。恋人や家族の理解をもなげうち、フレッチャーが目指す極みへ這い上がろうともがくニーマンだが…。

甘い言葉をかけておいていざ練習の場になると、ビンタはかますわ本人どころか親まで罵倒するわと、フレッチャーの指導は容赦がない。あげくクライマックスでは事実上、怨恨でしかない仕打ちをニーマンに下す。指導者として明らかにダメな人間としてフレッチャーは描かれている。

「セッション」パンフ表紙.jpg
邦題はこの作品の本質を掴みきっていない気がします。

だが一方で、フレッチャーに対峙するニーマンも純粋な人間とは描かれない。親戚の前で野心をあらわにしたり交通事故で血まみれになってもステージに上がろうとしたりと、指導を受ける彼自身も狂気を持った人間なのだった。

教える者と学ぶ者、偉大な才能とは何かという理解も相通じていたがために、クライマックスは二人だけの世界に突入していく。ついにわかり合った二人、という甘美さ、いっぽうで最後まで息子ニーマンに優しかった父を突き放すという、狂気じみた努力が失わせるものも最後はほのめかしている。ニーマンとフレッチャー、二人の今後は決して明るくないように思えるのだ。しかし、しかし…。

何か大きなものを得ようとすると失うものもまた大きい。しかし求めずにはいられない。そんなスレスレの世界を描いたスリリングな作品でした。