芯はどこに?な話【鑑賞「シン・ゴジラ」】

公開以降リピーター続出、ネットで絶賛の声が止まない作品。んー、でも、そんなに良かったかなぁ。

キャッチコピー「現実(ニッポン)対 虚構(ゴジラ)」というこの作品、序盤から中盤までは悪くないんです。今の日本に怪獣が出現したら…というシミュレーションはバッチリ。

しかし中盤以降、人間達のすることが序盤から全く変わっていないのに不満が出てくる。大概の人たちがノートパソコンに張り付いて何やらカチャカチャやって文書を作っている。どこかに電話してる。

映画ファンのリトマス試験紙、なのかな?
映画ファンのリトマス試験紙、なのかな?

そんな会議シーンが面白い、という人もいるんでしょうね。会議場所の設営を短いカットをつなげた緊迫感あるタッチで描くなど、あんな準備する様が好きな人にはたまらんでしょうね。でも観客としてはつまらなかった。

この映画は関東に出現した巨大生物を倒そうとする過程を描いている。しかし、過程を描けばそれがドラマになるかっていうとそうじゃない。政府や自衛隊、一般人までゴジラを倒すという目的に向かって黙々と立ち向かう様が良い、という意見も見聞きした。しかしその黙々さがむしろ虚構のよう。

もっと現実に則すなら、組織の中に対立する立場になる人間が必ず現れるはずなのだ。意図的に悪をなそうとするのではない。解決すべき大きな問題に対し、立場や考えが違うために組織として停滞することは起こりうる(停滞しないのは自衛隊くらいか)。そんな時、人はどうするか、何を選び何を捨てるか。そんな利害調整こそが政治であり、ドラマにもなるはず。パソコンで文書を作って廊下を行き来する描写があれば政治を描いたことにはならないと思う。

さすがにゴジラを倒す手段については劇中で対立があった。しかし描写不足。国内での対立、葛藤がもっとあってしかるべきだった。対立や葛藤がないのが逆に「この登場人物たち、自分らが置かれている状況の厳しさがわかってないんじゃないの?」と疑問に思えた。異星人とアメリカが戦う映画「インデペンデンス・デイ」(第1作)の米国大統領の方がまだ葛藤してました。

先述した本土防衛のシミュレーション、過多なテロップ、楽曲が過去の怪獣映画そのままだったりエヴァっぽかったりなど、情報量は極めて多い作品です。一方で巨大生物含め登場人物の心情描写はほとんどなし。それがいわゆる2次創作を生んではいますが、観客側に補完させるような作風がむしろ空虚な印象を持ってしまったのでした。テーマをあからさまに語られるのもイヤなんですけどね。

そうはいっても中盤までの怒涛の面白さを斬って捨てるのはあまりにもったいない。映画に何を求め、何を不要と思うのか、観客一人一人の判断基準がみえてくる一本であることは間違いないと思います。