優しい眼差しが冴えている話【鑑賞「海よりもまだ深く」】

前作「海街diary」での、絵のように整った世界から一転、今作は我々観客と地続きのような雑然な世界が舞台。どこにでもいそうな人たちのどこにでもありそうな日々を描いた作品、でありながら傑作という恐るべき一本でした。

<作品紹介>
世界に愛される是枝裕和監督が、特別な思いを込めて2016年初夏に送り出すのは“なりたかった大人”になれなかった大人たちの物語。
<あらすじ>
笑ってしまうほどのダメ人生を更新中の中年男、良多。15年前に文学賞を1度とったきりの自称作家で、今は探偵事務所に勤めているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳している。元妻の響子には愛想を尽かされ、息子・真悟の養育費も満足に払えないくせに、彼女に新恋人ができたことにショックを受けている。そんな良多の頼みの綱は、団地で気楽な独り暮らしを送る母の淑子だ。ある日、たまたま淑子の家に集まった良多と響子と真悟は、台風のため翌朝まで帰れなくなる。こうして、偶然取り戻した、一夜限りの家族の時間が始まるが−。

公式サイトより)

登場人物のちょっとした仕草で人となりを描いているのが印象的。狭い部屋で冷蔵庫を開ける度に(ピタゴラ体操のごとく)相手が上半身を倒したりとかカルピスを凍らせるシャーベットの雑な作り方とか、仲が悪いんだか悪くないんだか微妙な感じの姉弟とか、団地住まいでなくても一昔前の家族の感じ、がよーく表現されていた。

力を抜く、って難しいんですけどね
力を抜く、って難しいけど憧れますね

ちょっと力の抜けた音楽が彩る(コワイ人はいるけど)悪人はいない世界。一見平穏そうなんだけど(そしてその通りに展開するのだけど)、見ている間は画面にある一定の緊張が保たれている。なので所々差し込まれるユーモアが利いているのですね。

そして会話の端々に、この話の舞台が「団地」であることの意味もまぎれこませていた。

中盤出てくる「音楽の先生」と違い、良多の実家はおそらく賃貸の団地。本当はここからいつか出るはずだったのに(母にとっては)終の住処になりそうなのだ。自称作家の良多と同じく、この舞台も“なりたかったもの”になれなかったのだ。

その「音楽の先生」も含め、この作品に出てくるほとんどの人が「“なりたかった大人”になれなかった大人」たち。それを受け入れられない人と受け入れる人が点在するのもまた興味深い。

そういったセリフを普段の会話の中にさらりと入れ込むのが今作の巧みなところ。パンチの効いたセリフが様々な登場人物から飛び出てくるのだ。今の自分が嫌いな人からも、嫌いじゃない人からも等しく、グッとくるセリフが飛び出てくる。会話劇、ではないけれど日常を生きる人たちの様々な面を多角的に描いている。

ところでこの映画のタイトルはテレサ・テンの歌の一節から。

海よりも まだ深く
空よりも まだ青く
あなたをこれ以上 愛するなんて
わたしには できない
テレサ・テン「別れの予感」(荒木とよひさ作詞)

この詞をあえて正反対に解釈したのが今作の真骨頂か。日々の暮らしは決して情熱的なものではないけれど、それでも生きていく市井の人に寄り添いたい、という監督の思いを感じたのです。嵐の中、宝くじを探す良多たち一家の様子はある種の縮図でしたね。

その「別れの予感」が流れ出す場面だけは若干の作意を感じてしまい、そこが惜しい箇所だったのだけど、先述のセリフの件を含め、監督の穏やかな肯定感が全編をさらりと包んだ、素敵な一本でした。