世界は変わっても自分は変わりにくい話【鑑賞「アイアムアヒーロー」】

話の骨格にちょっとズレを感じたんだけど、パニックホラーとしてかなり健闘した作品だったとは思いました。

【あらすじ】彼女と破局寸前の漫画家アシスタント鈴木英雄の周りで突如人々がゾンビ化し始めた。途中で出会った女子高生の比呂美と辛くも都心を逃げ出す英雄。二人は富士山麓のアウトレットモールに身を寄せる。ゾンビ化していない人間たちが立てこもるモールだったが、そこにもゾンビたちが迫っていた。英雄と比呂美は生き残ることができるのか。

原作漫画を未読のままの鑑賞。まだ完結していないそうですね。だからでしょうか、この映画単体で見たときに不明な点が幾つか残ってしまったのは残念でした。

金払って初めて見たゾンビ映画でした
金払って初めて見たゾンビ映画でした

例えば序盤、まだ世界の異変がテレビニュースなどで散発的に伝えられている程度の状況でいわくありげに軍用機が都心で群れをなして飛んでいたのですが、その後特に絡んでこない。いわくありげなだけ。比呂美はある設定が中盤で明かされるのですが、中盤以降それを使って英雄を助けて活躍するのか…と思いきやそうでもない。

一番の謎は、ゾンビが突如跋扈するようになった世界で英雄が猟銃を持っていながらなかなか使わないこと。挙句モールで会った他の男に奪われる始末。

ゾンビ出現前の世界での英雄は連載経験もある漫画家だが今はアシスタント、という存在だった。突如ゾンビが出現する世界はいわば異世界。さえない人間が異世界でヒーローになる、のはフィクションの定番ですね。気弱だった人間が感情をあらわにするのが物語の見せ場、とかも定番。そういう意味では今作もフィクションとしては王道なのかもしれません。この映画の見せ場は、そんな英雄が最後、ゾンビ相手に猟銃をバンバン打ちまくるシーンなので。

でもクライマックスまで至らなくても「普通この状況なら使うんじゃないの」という場面でも使わないのはやっぱり違和感が残った。銃を持った主人公が「俺が君を守る!」と言う漫画を描いてた英雄が、現実にはなぜ最後まで銃を使うのをためらったのか。なぜ撃つと決めたのか。

作中の解釈では「ゾンビが怖いけどやるしかなかったから」と見えた。でもそれでは、なぜ英雄が「(猟銃所持許可証を持った)売れない漫画家」でなければならなかったのかが分からない。

英雄は自作の漫画の主人公には銃を平気で持たせる一方、自身は極限状態になっても許可証の所持にこだわったり、銃を極力さらさないようにしたり(法律違反なので)と扱いにはきわめて慎重だった。おそらく一発も撃ったことはないのではないか。そんなさえない漫画家だった英雄にとって世界の方が変わってくれるなんて千載一遇の好機なはず。それでも英雄は中盤「俺はこんな世界になっても自分は変われない」と吐露する。

自作の漫画と現実世界は違ったってこと?銃を撃ちまくって人を守るのは、漫画で成功したかった英雄にとって本当になりたい姿ではなかったってこと?でもこの世界ではそうならざるをえないから悩んでたの?

今作中のゾンビは「ZQN(ゾキュン)」と呼ばれ、ゾンビになる前に固執していたことを繰り返す、という設定もあった。英雄にとってのZQNと銃と漫画の意味について踏み込んで解釈してくれればもっと面白かったのに。その余地が十分あっただけに惜しい。原作があるから難しいのかなぁ。

ここまで書いてきて、映画「ダイ・ハード」第1作を思い出した。ビルの中で一人テロリストと戦う主人公ジョン・マクレーンを外から無線で応援する黒人警官パウエル。彼は誤射事件を起こして以来、腰の拳銃を抜けなくなっていた。全てが解決したと思われたエピローグで、その彼が…というのが「ダイ・ハード」最後の見せ場でした。

ゾンビ相手に撃ちまくる英雄の姿も興奮させられる場面なんだけど、「ダイ・ハード」のパウエルはたった一発でこちらの心を鷲掴みにしてくれたんだよなぁ。

…注文がメインになってしまいました。が、駄作だとは決して言いきれない。「R15+」も納得のグロ描写は言うに及ばず(同じ回に鑑賞していた方が退室してしまってました)、英雄がゾンビが大量発生した都心から逃げ出す場面は長回しで圧倒的な迫力。キャストも皆適役ではなかったかと思うのです。

特に英雄役の大泉洋。さえない姿は哀愁や(場面によっては)笑いを生み(ホラー映画でこれ大事!)、最後はキメる。一つの映画でここまで様々な顔を見せるのは素晴らしい。他の役者では無理じゃないかなー。テレビだとヘラヘラした姿が多いけど、実は相当な逸材ではないかと思う次第です。未見だった「探偵」シリーズもチェックしようかなー。