観客は身勝手と自覚した話【鑑賞「バケモノの子」】

あらすじを知って、前作「おおかみこどもの雨と雪」をどうしても思い出してしまった。前作が母性の話なら、今作は父性の話かな、と。おおむね予想通りでした。

人間界とは別の、バケモノたちが住む世界「渋天街(じゅうてんがい)」。渋天街に紛れ込んだ人間の少年・蓮はバケモノ「熊徹」と出会う。蓮は「九太」と名付けられ、熊徹の弟子になる。粗野な熊徹と共同生活をするうちに親子のようなきずなが生まれる二人。成長した蓮は人間界と行き来するようになり、自分が本当に進む道を考え始める。そんな中、渋天街を揺るがす大事件が起こる…

人間界で行われるラストバトルには若干物足りなさが残る。鯨をモチーフにしたのは正直詰め込みすぎではないのか(「白鯨」のエピソードはなくても良かったのではないか)。(結局そうはならなかったとはいえ)敵の倒し方を蓮が知っていたのはなぜか。敵の前に立ちふさがって「私だって闇を持っている!」というヒロイン・楓は正直ウザくないか…とかですね。

キャラクター総登場のキービジュアルもお馴染みですねぇ
キャラクター総登場のキービジュアルもお馴染みですねぇ

でもそこで蓮を助けるために現れる熊徹が良かったのですよ。父性とはこうあってほしい、という作り手の思いが見事に形になっている。

バケモノの世界「渋天街」は、外見が動物人間なだけの連中が現代のトルコかモロッコのような街でふつうに暮らしていてあまり異世界観がない。長老級になると超能力が使え「転生」もできるらしい、人間の心の闇を恐れている、などの設定はせりふで説明される。

渋天街やバケモノたちに必要以上の特殊能力を持たせていないので話がご都合主義になっていない。日常とは違う「だけ」の場所になっていて、今作で語るテーマに普遍性を持たせていると思います。

そんな中、長老以外で超能力(念動力)が使えるのは人間だけ、という設定はキャラクターの行動のみで表現しているのが巧い。ファンタジー、アクションとしての面白味をちゃんと入れているんですね。

で、その「父性」ですが。前作が母親ひとりで子供2人を育てる話だったのに対し、今作は子供1人を男3人で育てる話になっているのが興味深い。その3人がそれぞれの役割を担っている。たとえるなら人としての熱さ、知性、冷静さ、か。

中盤から登場する蓮の実の父も興味深い。成長した蓮にこれまでの話を根ほり葉ほり聞こうとはしない。蓮の自主性に任せている。成長した子供にはこう接してほしい、ということかなー。

かたや敵になる存在の生まれた理由ー育てられ方の違いーもさらりと描写され、蓮との違いを示した。秘密はいつか、きちんと打ち明けなくてはいけないんですよね…。

前作の感想で、2人の「おおかみこども」を育てる花と正反対の行動をとる母親(子供の進路に口出しするような母)なんてのを出して対比されたら最悪だった…と書いていた。

今作では対比する存在を出してきながらもその相手、その周囲の人々も赦されて終わる。存在するすべての者に優しい視点を貫いた、安心のクオリティでした。

しかし…極めて高いレベルで万人受けするような作品だからこそ、観客側からのないものねだり、欲張りだとわかっていても、もっと何か惹きつける、忘れられないシーンが欲しかった。

良いエンターテイメントを意味する「期待に応えて予想を裏切る」という言葉を耳にしたことがある。今作は、期待には十二分に応えてくれたけど予想を裏切るまでには至らなかった。ええそうですよ、こっちの期待値がそれだけ上がってしまってたんだなぁスミマセンモウシワケアリマセン。

というわけで、次作はちょっとくらい設定や物語に矛盾や一見して不明な点があってもそれをぶっ飛ばすような物語世界を見せてほしい。そんなことが許されるアニメ監督ってもう細田監督しかいないんで…。