過去は肯定するがましという話【鑑賞・バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)】

さぁこのエンディングはどう解釈すればいいのだろう。あまりに気になるのでネットを散策してみたが、ポジティブに取る人ネガティブに取る人、解釈はいろいろでありました。自分としてはポジティブな側に立ちたいかな。

映画俳優リーガンは、かつてヒーロー映画「バードマン」で一世を風靡したがそれ以降ヒットには恵まれていない。再起をかけ、自身の脚色・演出・主演でブロードウェイの舞台に立とうとしていたが、付き人を任せた実の娘はクスリを止められず急遽採用した代役は実力はあるものの身勝手な男でプレビュー公演をめちゃくちゃにするし映画人が嫌いなベテラン演劇批評家からは最初から相手にされない。苦悩するリーガンの耳元では決別したはずの「バードマン」が度々現れ「もうやめちまえ」とささやく…果たして公演は成功するのか?

音楽もかっこよかった!
音楽もイカしてた!

特徴的なのが(ほぼ)長回しのショット。映画冒頭からクライマックスまでほぼ1ショットでカメラが回る。途中つながりが若干不自然な箇所もあったけど。演劇が本作では重要な要素になっているからか、場面が切り替わらない一連のショットは演劇的でもあった。楽屋から舞台へ視点が流れていくのも現実と虚構がつなぎ目なく繋がっているかのようでもありました。

パンフレットではこの映画を「ファンタジー」と評していたけれど、個人的にはブラックコメディと感じましたね。非現実的な場面もあったけれど、公演を成功させようと四苦八苦するリーガンの様子、プレビュー公演でリーガン自身の不注意で起こしたトラブルとその顛末などネット社会の今への皮肉も聞いていた。

で、ポスターや予告編でも紹介されたクライマックスの場面。結局これもリーガンが見ていた幻想ではあるんだけど、身投げ未遂から一転、「バードマン」だった過去の自分と現在の折り合いをつけた良い場面でした。

そんな風にある種別の次元に行ってしまったリーガンがどうなったか、を語ったエンディング。なぜリーガンの娘サムは窓から外を見上げ微笑んだのか。

…自分は娘が父親(リーガン)を本当に理解した場面、と受け取りました。この作品中では何度か異常なことが起こるけれど、それはリーガンの幻想=リーガンにしか見えていない世界だった。映画最後のショット、幻想が娘のサムにも見えたかのような描写は、娘が父親を理解したのではないかなと(若干無理筋かもしれないが)ポジティブに解釈したい。

この場面で起こったと思われる出来事をそのまま受け取ったのではブラックすぎる気がするんだよなぁ。

こういう、いろいろに解釈できる話って嫌いじゃないんですね。大人な映画でした。