離れても捉われる話【書評・嘘つきアーニャの真っ赤な真実】

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
第1話の序盤がややお下劣なのがちょっとね…

表題の話だけかと思って読み始めたんですが3つの連作だったのにちょっと戸惑った。しかし中身は、歴史や国家に翻弄される個人のはかなさ、それでも生きていくしたたかさ、苦さを描いた読み応えのある話でした。

1960年当時、チェコスロバキアのプラハには共産主義政党の国際的交流機関が設置されており、日本人の主人公マリは父に連れられ、在プラハ・ソビエト学校に通っていた。そこで出会った3人の女友達ーギリシャ人のリッツア、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビアのヤスミンカーがいかに歴史に翻弄され、それでも3人なりに生きていく様を描いている。

東欧諸国の共産主義政党同士の路線対立から、マリがプラハを去った後、チェコでは1968年、「プラハの春」と呼ばれる社会改革運動が起こったがそれを嫌ったソビエトを中心とするワルシャワ条約機構が軍事介入、改革は頓挫してしまう。80年代、東欧の共産党政権が軒並み倒れ始め、マリはソビエト学校時代のクラスメートの消息を知ろうと再び現地を訪れる。

各国から集まった子供たちはそれぞれの故郷を誇りに思っている。授業の中で上手に祖国の歴史を発表する子もいれば、普段の会話の中で祖国の空がいかに青いかを自慢する子。たわいのない冗談でも祖国をからかわれると烈火のごとく怒る子。そんな子ども達が大人になって、それぞれのスタイルでたくましく生きていく。

中でも生き様が一番苦いのが表題のアーニャ。子どもの頃からルーマニア政府高官の娘として贅沢に暮らし、大人になってルーマニアのチャウシェスク政権が崩壊しても両親や兄達ほどの苦労をせずに生きている。著者はアーニャの両親や兄に再会し、体制に適用しようとする彼女なりの努力を察した一方、過剰な適用に伴って彼女が人間としての尊厳も失ってしまったと感じる。しかし、彼女はそのことには全く気付いていない。

ギリシャ人のリッツァはドイツからギリシャへの望郷の年を募らせ、ユーゴスラビアのヤスミンカは戦場となった故郷で生きている。ヤスミンカの近くにまで爆撃があったことをさらりと書いてこの本は終わる。

メーンのこの3人以外にも、さらりと触れられた友人達のその後も痛々しい。政情不安な祖国に「それでも帰る」と戻り、親ともども殺された子。行方知れずな子。

異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは、食欲や性欲に並ぶような一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。

と作者は書く。しかし、ゆえにこそ、その「親近感」には命をも奪いかねない恐ろしい一面もあるのだが。

人間の複雑さを伝える一冊でした。