世界に結論はない話【書評・「科学的とはどういう意味か」】

ある種の読書論でもありました
ある種の読書論でもありました

映画にもなった「スカイ・クロラ」シリーズなどこの著者の本はいつか読みたいなと思っていたけど、最初に手に取ったのがこの新書だった。

震災以降、原子力発電など科学に対する一般的な認識が大きく変わったように思う。この本はそんな中、科学との付き合い方を説いている。

著者の定義する科学は

自然の観察から始まっている。実際にあるものを見て、その仕組みを理解する。そしてそこに法則性を見出す。すると、次はどうなるのか、という未来が予測できるようになり、また、そうした仕組みをいろいろなものに応用できるようになる

再現される事象を見極めれば、これから起こること、つまり未来が予測できるからだ。科学で証明されたことは、条件さえ一致していれば、結果がほぼ確実に予測できる

というものだ。

一方で事象の再現や予測は数字や数式によって表現されることが多い。再現や予測も一定の状況で起こることもある。この数字や数式を使った精密な表現が一般の人々を科学から縁遠くさせている面がある。著者が言うところの「難しいことはいいから、結論だけ言って」という姿勢」「名称を覚えることで満足し、それ以上を理解しようとする気持ちをなくしてしまう傾向」だろう。

そんな姿勢を見せているのが今のマスコミ、とも著者は言う。それは「大衆がそんな情報ではなく、感情的、印象的、もっといえばドラマ(物語)を求めているからにほかならない。どうして、そういったものを求めるのかというと、それは、自分では考えたくないからだ」と情報の送り手にも受け手にも手厳しい。

この本では取り上げていない表現だが、「原発の安全神話が崩壊した」なんて物言いはこの著者は大嫌いだろうなぁきっと。

まずは科学から自分を無理に遠ざけないこと。数字を聞いても耳を塞がず、その数字の大きさをイメージしてみること。単位がわからなければ、それを問うこと。第一段階としてはこんな簡単なことで充分だと思う。
さらには、ものごとの判断を少ないデータだけで行わないこと。観察されたものを吟味すること。勝手に想像して決めつけないこと。これには、自分自身の判断が、どんな理由によってなされているのかを再認識する必要があるだろう。理由もなく直感的な印象だけで判断していないだろうか、と疑ってみた方が良い

というのが著者の結論かな。

…ところで今「結論」と書いたけれど、科学とは結論を出すことから実は結構遠いところにあるものなのかもしれない。自分の「結論」に常に疑いを持ち、場合によっては上書きできるようにしておくべきなのかもしれない。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
森博嗣
幻冬舎
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