喰えない老人は二度涙を流す話【鑑賞・オシム 73歳の闘い】

「なぜ体調が悪いのに祖国のサッカー界統一のために頑張ったのですか」と記者に言われて、こんな小話で煙に巻くご老人をあなたはどう思うだろうか。

「ある笑い話がある。人でいっぱいの橋に男が差し掛かった。男の目の前で子供が落ちた。男は飛び込みその子を助けた。その男に記者が聞いた。『あなたは英雄ですね。これから何をしたいですか?』男は答えた。『俺を突き落とした奴を探すよ』」

…自分の手柄じゃないってことをなんでこんなに回りくどく言うんだろうかイビチャ・オシムという人はorz。面白いけど。

前回W杯前に書かれた本を読んでいたところ、今年のW杯にオシムの祖国ボスニア・ヘルツェゴビナが出場することになったドキュメンタリー「オシム 73歳の闘い」をNHKBSでやっていた。

国内に3つの民族が暮し、内戦で三つ巴の殺し合いをしたボスニア・ヘルツェゴビナ。内戦終結後も民族対立は解消せず、サッカー協会には各民族の代表3人が並ぶ有様だった。組織を一本化しないとW杯予選出場を認めないと国際サッカー協会は決め、一本化のための委員会も作る。委員長に指名されたのは日本代表監督就任後病に倒れ、祖国に帰国していたオシムだった…。

肝心の一本化の苦労ってのがほとんど出てこなかったんだけど、オシムは旧ユーゴの代表監督も務めたボスニアの伝説的存在でもあるので、彼が一本化のため立ち上がっただけで成功の確率は高かったのかもしれない。

オシムが今でも国内で民族の壁を越えて慕われるのは、どこの民族の代表でもなかったからなのだとか。コスモポリタンを名乗り、「俺はサラエボっ子だ」と言い、一本化交渉の席でもユーモアを忘れなかったそうだ。

旧ユーゴ代表監督時代に内戦が勃発、サラエボ攻撃が始まるとオシムは代表監督を辞めた。会見で「辞める理由はわかるでしょう」と言って彼は泣いた。

そして昨年秋、協会を統一させW杯予選に出場したボスニア代表がブラジル行きを決めた時、彼はまた人前で泣いた。その後の第一声は「日本とW杯で闘えるといいな」だったという(T ^ T)

「サッカーには人々に誇りを取り戻させる力がある。今のボスニアにはそれが必要なんだ」とオシムは言う。ボスニア代表を応援しようと世界中に散ったボスニア国民が会場に集まり、代表の活躍に歓喜した。

一方、民族間の対立は今も残り、民族同士のチームが戦う国内サッカーリーグではサポーターのちょっと度が超えた応援活動も相手を刺激するとの理由で厳禁。違反したサポーターはスタジアムのある町(スタジアムではない!)から退去させられる。

番組はオシムの個人的魅力を伝える一方、ナショナリズムの意味も問いかける。

3つの民族が今も緊張関係にある国にあって、一国民であるオシムが「私に民族の壁はない」という立場を取ることは相当の覚悟がいる。でありながら、祖国のサッカー界のために病を押してオシムは奮闘した。

ナショナリズムについては日本でも色々な思想の立場から議論になる。番組を見ているとナショナリズムについてあーだこーだ言う人に「貴方が言うほどナショナリズムは善くない」「貴方が言うほどナショナリズムは悪くない」と言いたくなる思いがする。扱いは難しいが手放せないものでもあるのだ。以下、この番組よりオシムの言葉。

「みんながサッカーを愛する必要はないが、勝利を祝う姿を見るだけでも国民には喜びとなる。その気持ちが大事なんだ。自分は何かの一部だと感じ、人々と共に道に出て共に歌い踊る。生活や仕事に希望が戻り、国が再び歩み始めるんだ」

オシムが流した二度の涙はナショナリズムの光と影を映していたようだった。