見る側が試される話【鑑賞・アンディ・ウォーホル展ほか】

上京話の続き。六本木ヒルズの「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」メディア・アート展「Media Ambition Tokyo」についてです。

写真 1-1スープ缶や段ボール箱のパッケージを(ほぼ)そのまま模倣してアートにしてしまったアンディ・ウォーホル。かたや「Media Ambition Tokyo」は複数の作家によるメディア・アート展で音楽やテクノロジーを組み合わせて芸術の可能性を広げようとした企画。

どちらも現代的なアートでありながら「アンディ・ウォーホル展」は一見、アートとして分かりやすすぎて戸惑わせ、「Media Ambition Tokyo」はアートとして分かりにくすぎて戸惑わせる、そんな感じ。

もちろん、「分かりやすい/分かりにくい」がアートとしての優劣を決めるものではないんですが。鑑賞者を「何だこりゃ」と思わせるのがアートの特徴の一つであるならば、両者ともまさしくアート。アンディ・ウォーホルは1987年に58歳で亡くなっているけれど、何にでも興味を持った彼のこと、もしもう少し長く生きていたらデジタル技術にも興味持ったはず。この2つの展示は意外に共通点がある。

写真 2-1アンディ・ウォーホル展は著名な「キャンベル・スープ」「マリリン」「エルビス・プレスリー」などの作品や彼が創作の場にした室内すべて銀色の「シルバー・ファクトリー」の再現、映像作品の上映などもあり、回顧展として楽しめた。

彼の人を食ったようで本質をついているような発言の数々も会場のあちこちにちりばめられ、多様な創造性を示していた。「なんでオリジナルじゃないといけないんだ?他の人と同じがなんでいけないんだ?」「東京で一番美しいものはマクドナルド。ストックホルムで一番美しいものはマクドナルド。フィレンツェで一番美しいものはマクドナルド。北京とモスクワはまだ美しいものがない」あたりが、一番この人らしい発言でしょうか。そもそもあのトレードマークの銀髪もカツラだったそうだし。

「ぼくの時間が終わるとき(中略)ぼくは何も残したくない。それに残り物にもなりたくないんだ」という発言を描いた部屋が、何でも溜め込み捨てられなかった彼の雑多なコレクションをまとめた「タイムカプセル」コーナーだったのも気が利いてる。

写真 3いっぽう「Media Ambiton Tokyo」はPerfumeの衣装にプロジェクションマッピングをしたパフォーマンスで有名なライゾマティクスや現在佐賀県で作品の展示をしているチームラボなどが参加。ライゾマティクスの作品はトヨタの高級スポーツカー、レクサスLFAを光とエグゾーストノイズ、風などで立体的に魅せる試み。アンディ・ウォーホル展でアンディ自身がペイントしたBMWが展示されていたのを思い出した。時代が変わると表現方法も変わるもの。

この2展示会、共通点もあるのだけど「アンディ・ウォーホル展」のほうがどうしてもある程度の年月を経た分「時代」や「風俗」を反映している。「Media Ambiton Tokyo」展は現在のテクノロジーを反映してはいるけれど、時代や風俗を反映する作品=名作、傑作になるかは時間が経たないと分からない。

なにしろこの2展を鑑賞した際に、会場の森美術館で(年配客を中心に)一番人が集まっていたのは「ラファエル前派展」だったものなぁ。

「Media Ambiton Tokyo」だけでなく「アンディ・ウォーホル展」も、まだ見る側を試す展示会なのかもしれない。でも「これもアートなのか?」と鑑賞する自分に問うことで、自分の可能性を広げることも出来る気はする。