人の可能性はどこまで広がるか【書評「レイヤー化する社会」】

514ybGYX8oL._SL160_SNSや音楽、書籍の販売などインターネットを利用したサービスは増えている。国が消滅するとまでは思えないけれど、ネット社会の中で個人や企業が持つ可能性は広がっていることを感じさせた本。

【どんな本?】
AppleやGoogle、Facebookなどインターネットを活用した超国籍企業のサービスが広まっている現在の社会がどこに向かおうとしているのか、人類の歴史から振り返り予測する。

著者は人々を支配するシステムについて、古代から中性に広まった「帝国」、現代の「国民国家」を経て、現代から今後はいくつかの超国籍企業がつくる国境を越えた<場>が下から人々を管理する…と予測する。

この<場>には国民国家のようなウチとソトの概念はない。国境も超えたレイヤー(層)として世界に広がっている。<場>の中では様々な役割が切り分けられる。国境を越えた情報の交流(人間の交流も含む)が進み、<場>の中にいる私たちは立場に応じた交流も可能になる。<場>は私たちが利用したくなるようなサービスやコンテンツを提供し、私たちが利用することで強固になっていく。私たちは<場>との「共犯関係」を築いていく…のだという。

【良かった点】
…と、このように要約すると抽象的な内容のようだが決してそうではない。だって自分の普段の振る舞いを振り返れば著者の言いたいことは実感できるのだ。

AppleのiTunesストアやAmazonで音楽や書籍を買い、買ったことを報告したり感想を伝えたくなったらFacebookやブログに書く(Facebookに書き込みがしやすいよう、iTunesストアやAmazonからはリンクが貼られている)。わからないことがあったらGoogleにキーワードを入力して検索する。

ネットに書いた内容はGoogleの検索にヒットしたりFacebookの友達に広まるので、感想を知りたい人の役に立て、交流も可能になる。

AppleやAmazon、Google、Facebookはそんな私たちの活動をデータ化し、扱うコンテンツの販売や広告収入などに結びつけているのも分かっている。

自分の日頃の行動が何をもたらしているかを客観的に見つめ直し、わかった上でどう振る舞うべきかのヒントがあると思う。

【惜しかった点】
おそらくこの本に限ったことではないのだろうが、歴史を俯瞰し未来を予想する著述に接すると「著者が描きたい未来像に説得力を持たせるために歴史を解釈しているのでは」という、ある種の疑念がどうしても消えない。

「国民国家と、民主主義と、経済成長の連携は終わろうとしている」「国民国家の権力は終わる」と言われても、それは今生きている我々の世代の話ではないのではないか。

超国籍企業が中心になってつくる<場>はマジョリティとマイノリティを逆転させる、と著者は言うが、「自分が社会のマジョリティだと疑わず、安心しきっていた人」がそう簡単に逆転を許すだろうか?複雑に収益を動かして課税逃れをする超国籍企業を、国民国家が今後も見逃すだろうか。何らかの揺り戻しは生じるはずで、結果、著者の予測する未来は来ないか、別の形になる気がする。

【どう読むべき?】
この本に限らず未来予測の話は真正直にではなく、可能性の話として受け取るべきなのだろう。

ただ、個人の生き方として<場>を積極的に利用して新しい出会いをつくれば、可能性が広がる(それがどんなものかは分らないけど)という考え方は理解できる。

可能性に賭けるか賭けないか、目の前には二つの道があるのだろう。

レイヤー化する世界

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